第7話 橋の上の悪魔 その四



 もしや神父は青蘭の秘密に気づいているのだろうか?

 青蘭を悪魔憑きとして、どこかへ拉致するために現れたのか?

 彼の目的が、まったくわからない。


 龍郎が緊張して見つめていると、とつぜん、神父は笑った。


「そう警戒しなくても、私は君たちの味方だ。たとえ私の属する組織の決定に反するとしても、星流の遺志は守りたい」


 龍郎は食べかけのカツサンドを手にしたままする話ではないと察して、それを皿に置いた。革張りのソファーに座りなおす。


「では、あなたの属する組織はおれたちに敵対する意思なんですか? 今のあなたの文言では、そういうことになりますが?」

「いや、失礼。今のところ、組織は君たちを味方にとりこみたいと考えている。そのために、ここへ私を送りこんだんだ。使者としてね」

「というと?」


 神父は居ずまいを正し、こう言った。

「君たちを正式にエクソシストとして、我々の組織に迎え入れたい」


 龍郎はしばし考えこんだ。

 これまで青蘭としてきたことは、完全に神父たちの悪魔退治と同じだろう。利害が反するとは思えない。

 自分に何かあったとき、組織に属していれば、青蘭を守ってくれるかもしれない。少なくとも今のように行き当たりばったりで、行って初めて思いのほか大きな危険が潜んでいるようなことは減る。事前にあるていどの情報を得て現場へ赴くことができるのではないだろうか?


 だが、青蘭はあっけなく言った。

 どう見てもすでに食べる気のないオムライスをグチャグチャにかきまわしながら、気どった口調で断言する。


「イヤです。僕はどこの組織にも属しません」

「青蘭。君は自覚しているはずだ。君のなかにある快楽の玉は悪魔を惹きよせる。素人の君たちだけで対抗するのは危険だ。これまでは、たまたま、うまくいったようだが、これからもずっと、これまでのように行くとはかぎらない」


 青蘭は清美の手にオムライスの皿を押しつけると、皮肉に笑う。


「じゃあ、どうして今まで、ほっといたの? 僕はこれまでだって、つねに生死の境にいた。危険だというのなら、子どもの僕を保護することだってできただろ? それをしなかったのは、僕とかかわりあいになることで得られるメリットがないと見なしていたんだ。僕が死んだら死体を解剖して玉をとりだそう、とか考えてたんじゃない? 今さら味方になってくれなんて、虫がよすぎる。今になってそんなことを言うのは、快楽の玉と苦痛の玉がそろったからだ。二つの玉が期せずして揃ったから、あわよくば僕と龍郎さんから奪いたい。だから、そんなことを言いだしたんだろ? そんな相手、信用できない」


 なるほどと、龍郎は感心した。

 さすがに青蘭は苦労しているだけある。龍郎はすっかり組織の庇護を受ける立場になれることを善意としてとらえていたが、裏返してみれば、青蘭のような考えかたもできる。


 神父はため息をついた。

「まあ、たしかに組織としては、二つの玉の行方をずっと探していた。それを他の勢力に渡すくらいなら、君たちを殺して体内からえぐりだしてでも、わがものにしたい——と考えているだろうな。逆に言えば、君たちが組織に属しているかぎりは、あらゆる害悪から君たちを守ってくれるよ」


 青蘭の気持ちはゆるがない。

「お断りします」


「そう? しかたないね。だが、これだけはわかってほしい。私は君の味方だ。君が困ったときには必ず助けに行く。そして、我々の組織としても影ながら君たちを補佐するよ。君の気が変わるまでは、どんなに時間がかかっても気長に待つ」

「僕の気持ちは変わらないけどね」

「まあ、そう毛嫌いしないでくれたまえ。では、我々に害意がないことを示すために、少しこちらの手の内を明かそう」


 神父はそう言って、ポケットから十字架をとりだした。青蘭が持っている父の形見とまったく同じ形だ。

 銀の十字架のまんなかに、薔薇の浮き彫りがある。


「薔薇十字団。聞いたことはないか?」


 龍郎は社会科の教員免許を持っている。世界史は得意だった。

 薔薇十字団は十七世紀の初頭あたりから、その名を知られるようになったヨーロッパの秘密結社であり、魔術や錬金術での人類の救済を目的とし、不老不死の研究をしていた——くらいの知識はあった。


 だが、ここで、その名を耳にすると、妙な関連性が浮かびあがる。錬金術には賢者の石がつきものだ。

 そう。彼らの目的は賢者の石だ。それはもう間違いない。おそらくは組織の研究目的のために。果たして、その目的が青蘭にとってプラスになるのかマイナスになるのか、大切なのはそこだという気がする。


 神父は察したのか、一つうなずいて続けた。

「私や星流が属している組織は、この薔薇十字団の流れをくんでいる。我々は賢者の石を探していた。それは世界の行く末を左右する、とても重要なものだからだ。その玉は我々だけではなく、悪魔どもも狙っている。また、悪魔を崇拝する教団もある。君たちには、君たちが思っている以上に敵が多い。我々は君たちを敵対勢力から守り、賢者の石を正しき道で使いたい。その使用法について、決して、君たちと相反することはない」


 青蘭は肩をすくめた。

 さっきまで子どもみたいにオムライスをとりあっていたくせに、そんな仕草をするときの青蘭は、まるで三百年も生きた古老のように老獪ろうかいだ。


「なら、言えよ。賢者の石はいったい、どんな力を持っているんだ? それを集めることによって、世界を動かすというのなら、それがどんな力を発揮するのか、僕たちに説明すべきだろう?」


 フレデリック神父は困ったようすで顔をしかめた。知らないのか、知っていても明かしてはいけないのか、表情からはどちらとも言えない。


 神父は苦しげに弁解する。

「二つを集めると奇跡の力を得る——とは聞いている。しかし、それがじっさいに起こす奇跡については知らないのだ。ただ、その力を悪魔に渡してはならないとしか」


「話にならない。帰ってくれ。僕はこれまでどおり、僕のやりたいようにする。龍郎さん、こいつを追いはらって」


 龍郎をボディーガードと勘違いしている。でも、言われればそのとおりにするしかない。龍郎が立ちあがると、神父はロザリオをポケットにおさめ、嘆息しつつ、みずから腰をあげた。


「わかった。今日は帰る。でも、これだけは伝えておこう。星流が最後に担っていた任務は、君のおじいさんの監視だった。そのために君の母に近づいた。まさか、ほんとに結婚するとは思わなかったが……。君のおじいさんが賢者の石を持っているという噂があったからだ。今現在、孫の君のなかにそれがあるということは、噂は真実だったのだろう」

「そんな話、聞きたくない」

「いや、君は知らなければならない。なぜなら、君の祖父は生きているかもしれないからだ」


 龍郎に背中を押されて、ゆっくり出口へむかって歩きながら、神父は話し続けた。最後の言葉を聞いて、ハッと青蘭は息を呑む。かえりみる青蘭のこわばった表情を見て、神父は満足げだ。


「そう。君の祖父の死は偽装の可能性がある。青蘭。君は知っていたかい? 君の祖父は、生前、強欲の悪魔と呼ばれていたんだ」


 青蘭の祖父が悪魔……?

 それはきっと、青蘭の心にトラウマを残したあの事件に大きなかかわりがある。

 あのとき、いったい、何があったのか?


 疑問をなげかけ、神父は去っていった。

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