第二話 百万本桜

第2話 百万本桜 その一



 道に迷ってしまった。

 聖マリアンヌ学園からの帰り道。

 どうせだから、ここまで来たのなら、東北に寄って座敷わらしを見たいと、青蘭が言うので、帰路とは逆に北上したのが悪かったのだろうか?

 龍郎は中古の軽自動車のハンドルをにぎりしめながら、刻々と暮れていく夕日を恨めしく思う。

 助手席で幸せそうにスヤスヤ寝息をたてる青蘭の寝顔も恨めしい。


 龍郎のことを嘘つきとか、嫌いとか罵ったくせに、これほど安心しきった顔で眠れるなんて、本心は龍郎を信頼している証拠ではないだろうか?

 そう考えることにして我慢した。


 とりあえず、座敷わらしの出る宿を入力したナビのとおりに進んでいくと、山頂の崖の上で行き止まりになった。ナビはそこから、さらにガードレールをつっきって空中を飛んでいけと命じているが、さすがにそれはできない。


「青蘭。起きろよ。なんか、ヤバイことになった」


 絶壁の端に車を停めて、龍郎はあどけない寝顔を見せる心の恋人をゆりおこす。

 青蘭はむぐむぐ言って起きてきた。

「何? もう着いたの?」

「つかないよ。道に迷った」


 寝ぼけまなこを周囲になげたあと、青蘭は侮蔑的に龍郎をながめた。

「ナビのとおりに行って迷うなんてこと、あります?」

「あるんじゃないの?」

「ぐッ——」


 愚民——と言いかけたのではないだろうか。青蘭はかろうじて言葉をのんだ。そのくらいの配慮はしてくれる関係性にはなったらしい。


「……まあ、いいですよ。道はどこかに続いているものです。とにかく、どこでもいいので泊まれる場所を探してください」

「うん。そうだな」


 それにしても眺望が素晴らしい。

 ちょうど絶壁から真正面に見える山と山のあいだに、真っ赤に焼けた夕日が沈んでいく。オレンジ色に輝く円盤のようだ。残照が何層にも色のグラデーションを作り、錦のとばりを空に描きだしていた。


「きれいだなぁ。青蘭。ちょっと、外の空気、吸おう」

「まあ、いいですけど」


 青蘭はしぶしぶ、ついてきたが、さえぎるものの何もない落日を二人ならんで見ていると、予想以上に気分が上がった。なんだか、わざわざ、知る人ぞ知る穴場の絶景ポイントを見にきたアベックみたいだなと思って、龍郎は嬉しくなった。


「ねえ、何、笑ってるんですか? あなたのせいで迷ったんですよね?」

「ごめん。ごめん。じゃあ、行こうか」

「あっ、待ってください。あそこ、明かりが見える」


 空しか見ていなかったが、青蘭が指さすので、眼下に視線を移す。樹間に暗く沈みかけたアスファルトの道路が見える。そのそばに、ポツンと黄色い光が見えていた。どうやら家があるようだ。


「道路の近くだな。なら、車で途中まで行ける。この下のあたりだろ?」

「山道はグルグルするから、わかんないですけどね」

「民家なら、泊めてくれないかなぁ?」

「泊めてくれなくても道は聞ける」

「ああ。たしかに」


 というわけで、ふたたび自動車に乗りこんで、灯りの見えたあたりへ向かった。

 青蘭の発言ではないが、山道はあちこちカーブするので、方向感覚が失われる。上から見た景色と車内から見る景色でも印象が違うし、距離感がつかめない。それでなくとも、みるみる日が暮れて、あたりは闇に包まれていった。街灯がないので、車のヘッドライトだけが濃密な闇を切り裂く。


 十分か、十五分ばかりか。

 ようやく、道脇にそれらしい灯りを見つけた。

 灯りは見えるが、そこに通じていそうな道が見あたらない。


「うーん、このさき、車が通るのかな?」

「歩いていくしかないんじゃないですか?」

「そうだな。停車しておけそうなとこ、探すか」


 一車線しかない細道だ。他の車が来たら迷惑になる。少しさきに停車できそうなスペースを見つけて、車を停める。車内に置いてあった懐中電灯を手に、龍郎たちは外へ出た。

 さっきまで茜色に染まっていたとは思えない。すでに車外は真夜中のような暗さだ。


「ここから行けそうだ」


 龍郎は路面との段差の低い場所を見つけ、ガードレールを乗りこえて、密集する樹木のあいだに入っていった。龍郎はスニーカーだが、青蘭は革靴だ。足場の悪さに四苦八苦している。


「大丈夫? 手を貸そうか?」

「とんだトレッキングですね。誰かさんのせいで」

「ナビに文句言ってくれよ。あ、ほら。家だ——というか、寺か?」


 二十メートルほども落ち葉の積もる森のなかを歩いていくと、建物が見えた。寺だということは外観の様式を見ただけでわかった。山中にある寺院なら、へたをすると無住だが、幸い電気の光が見える。

 龍郎は、ほっと息をつく。


「寺なら、一泊くらいはさせてくれるんじゃないかな?」

「お寺には座敷わらしはいなさそう」

「座敷わらしはいないかもしれないけど、ほかのものは出てきそうだぞ?」

「まあね」


 近づいていくと、そこそこ大きな建物だ。本堂のほかに離れのようなものがある。光がもれているのは離れのほうだ。物置のようでもないので、住職の住居だろう。寺につきものの墓はこの場所からは見えない。


 龍郎が引き戸に手をかけると、あまりにもすんなりと開いた。鍵がかかっていない。


「こんばんは。すみません。どなたかいらっしゃいますか?」

 奥にむかって声をかける。

 しばらくして、バタバタと足音が近づいてきた。いやに騒がしい。

 何事だろうかと思っていると、無精ひげを生やした老齢の男が現れた。作務衣を着ているから、住職だろう。


「あんたたち、よくここまで無事に来ることができたな。ほれ、あがりなさい。そこにいちゃいかん」


 なんだか、ようすが変だ。

 まるで龍郎たちのすぐうしろに巨大な赤鬼でも立って、牙をむきだして襲いかかろうとしているのを見ているかのようだ。


 そっと目を見かわして、龍郎は青蘭とともに家屋のなかへと入った。

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