第1話 魔女のみる夢 その三



「おおっ、これはこれは、青蘭さまではありませんか! よくぞお越しくださいました。スイートルームへご案内いたしますよ。おじいさまご愛用のお部屋でございます」


 華麗なファサードをのぞむ車寄せの前まで、中古の軽で乗りつけると、白髪頭の総支配人が重厚な両扉をみずからひらいて出迎えてきた。

 防犯カメラの映像から、すでになかに乗車しているのが青蘭であることはわかっていたようだ。気おくれするほどの歓待をいきなり受けてしまった。


(やっぱり、ロールスロイスを運転できるようになろう! ここから帰ったら特訓だ!)


 ひそかに、龍郎は決心した。

 ロールスロイスはともかく、青蘭をいつまでも四年落ちの軽自動車に乗せておくわけにはいかない。せめて国産でもいいから、三ナンバーには乗せないと。


 その前にジーパンはやめておくべきだったと、龍郎はまもなく思い知る。

 優美なエントランスホールに入ると、総支配人は青蘭の手をにぎりしめ、トランクから出してきた二人ぶんのキャリーケースをひきずる龍郎を無視して歩きだす。


 車をどこに停めておけばいいのだろうか?

 あのまま、みすぼらしい軽をホテルの玄関前に置き去りにはできない。


「あの、すいません」


 何やら「ますますお母さまに似てこられますな」とか「いや、お母さまよりお美しい」とか、しきりにおべっかを使う総支配人に龍郎が声をかけると、犬か猫を見る目が返ってきた。


「ああ……ドライバーのかたには、シングルルームを用意させますので、フロントでおたずねください」

 しッしッと手でノラ犬を追いやるのにも似た口調だ。


 青蘭がクスクス笑う。

「龍郎さんは僕の大事な友達だよ。同室でいいから」

 総支配人はハッと息をのんだ。

「しまった!」と声を出して叫んだも同然の息遣いだった。

 わかりやすい人だ。

 ちょっと親近感がわく。


「これは! たいへん失礼いたしました。ご友人のおかたでございましたか。ではでは、どうぞ。こちらへ——ポーター! おい、鏑木かぶらぎくん。早く、お荷物を運んでさしあげなさい」


 フロント前に立ちつくした制服の若い男をあわてて呼びつける。

 ポーターの鏑木がやってきて、龍郎の手からキャリーケースを奪いとった。

「お車をまわしておきましょう。キーをお借りできますか?」

「あ、はい。どうも」

 さらには車の手筈もしてくれることになって、龍郎はすっかり身軽になった。浮き浮きしながら、青蘭のあとについていく。遊びにきたわけでないのはわかっていたが、生まれて初めて泊まる王室御用達みたいな高級ホテルに、つい気分が舞いあがった。


「どうぞ。こちらでございます」

 総支配人に案内されたのは、最上階のスイートルーム。それも、普通の客は入れない特別な賓客用のプレミアスイートルームだ。

 重厚な褐色と黒を基調にした内装に、緋色のカーテンと応接セットが、妙にポップで独特のふんいきがあった。

 気品はあるが、ちょっと毒々しい。


「青蘭のおじいさんは、こういうのが趣味なんだ?」

「ええ。おじいさまらしいです。と言っても、僕は祖父と会ったことないんですけどね」

「そうなの?」

「僕、五歳までの記憶がないんです」

「そ、そうなんだ……」


 それもやはり、あの火事の後遺症だろう。


「では、青蘭さま。これがこの部屋の鍵でございます。ご用があれば、いつでもフロントにお申しつけくださいませ」と、総支配人が深々と頭をさげる。

「あっ、待って。とりあえずディナーを二人ぶん持ってきて。あとね。彼を聖マリアンヌ学園の教師にしてもらえないかな。臨時雇いでかまわないから」


 ソファのすわり心地にウットリしていた龍郎は、そのまま椅子の背もたれにズルズルと崩れ落ちた。

 そんなムチャが通るわけないだろう。こいつ、やっぱり、とんでもない世間知らずだと考えていたが、意外にもあっけなく了承の返事が返ってくる。


「かしこまりました。青蘭さまのたってのお願いでございますれば、さっそく理事長にかけあってみます。おそらく明日からの雇用が可能と思われますので、しばしお待ちくださいませ」

「よろしく頼むよ」

「はい。では、私はこれにて」

 総支配人とポーターがそろって部屋を出ていく。


「ウソだろ。ムチャが通ったよ」

「だって、聖マリアンヌの理事長は、おじいさまの友達だし」

「あっ、そうなんだ」

「だから格安でこのホテルも譲ったんだ。こういう部屋、僕の趣味じゃないし」

「青蘭の趣味って、どんな部屋?」

「えッ?」


 青蘭はなぜか顔を赤らめて、うつむいた。人に言えないような趣味なんだろうかと、龍郎はあやぶむ。


「……とにかく、龍郎さんは明日から学園で教師ね。変なことがないか、しっかり調べてくださいね?」

「うん。まあ」


 女子校の先生なんてやっていけるか心配だが、短期間ならなんとかボロを出さなくてすむだろう。

 それよりも、龍郎に悪魔の気配を感じとれるかどうかのほうが、よりいっそう案じられた。


「先生になったら、宿舎で寝泊まりかな?」

「そこは優遇してもらって、夜になれば、こっちへ帰ってきたらいいじゃないですか。僕も報告が聞きたいし」

「そうだな」


 生徒が消えるのは夜らしいから、夜間に見張りに立っているほうが効率がよさそうだが、青蘭を一人にしておくのも、なんとなく気がかりだ。

 この場所に悪魔が潜んでいるというのなら、必ずや、青蘭はそれと対峙することになる。


 しばらくすると、食事が運ばれてきた。世界の三大珍味を存分に使った豪華絢爛ごうかけんらんなディナーを見て、龍郎はこれまで青蘭に、自炊の鍋やすき焼き、おでん、はなはだしきはカップラーメンを食べさせていたことを激しく後悔した。


「なんか、ごめん……」

「何がですか?」

「いや、なんでもないよ。美味いなぁ、コレ」

「そうですか? 僕は龍郎さんの作ってくれる豆乳鍋のほうが好きですよ?」


 コイツはときどき、すごい殺し文句を言うんだよなぁと、龍郎は感心して青蘭の瑠璃色がかった不思議な瞳を見つめる。


「どうかしましたか?」

「いや……それで、悪魔はいそうなの? 匂い、感じないのかなって」


 青蘭は断言した。

「ああ、それなら感じますよ。いますね。魔王とまでは言わないけど、上級クラスのやつが。それに……」と言って、青蘭は小首をかしげる。

「魔女——がいる」

「魔女? 黒い服着て、とんがり帽子かぶって、ほうきに乗ったやつが?」

「そんな子どもだましのやつじゃありませんよ。ことによると、悪魔より、そっちのほうがやっかいかも」


 青蘭はニッコリと笑った。

「龍郎さん。魔女にだまされないように、気をつけてくださいね」

「…………」


 もちろん、だまされるつもりは毛頭ない。しかし、だまされないでいる自信はまったくなかった。

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