第18話 同居人と捜索6

「て、てめぇ……な、なんで……」


 虫が鳴くような小さな声。

 そんな弱々しい声を出したかと思えば、金髪野郎はバタリと床に転がった。


 白目を剥き。足を震わせ。

 まるで生まれたての子鹿のように。

 さっきまでの余裕が嘘のような、みっともなく無様な姿だった。


「一生そこで寝てろ、クソ野郎」


 そんな無様な金髪野郎に、俺は一言怒鳴り捨てる。


 本当はもっとボコボコにしてやりたい。

 だがもうすでに倒れている相手を殴るのは俺の趣味じゃない。


「ったく……好き放題殴りやがって」


 未だに俺の顔には、焼けるような痛みが続いている。

 しかもさっきと比べて、その痛みがより強くなっているような気さえする。

 おそらくは緊張の糸が切れ、麻痺していた感覚が元に戻ったのだろう。


「にしてもこいつ。ただのアホだな」


 あれだけ挑発しておいて、無様にやられたこの姿。

 俺がこいつを倒せた理由は、あるとっておきの技を使ったからだ。


 その技名は——。


 "キンタマーニ蹴り上げクラッシャー"


 俺の渾身の力を込めた右足で、相手の急所を蹴り上げるという大技だ。

 もちろん大技と言うだけあって、いつなん時でも使えると言うわけではない。

 この技を使うためには、様々な条件が必要となってくる。


 まずは、相手が男であること。

 そもそも急所が存在しなければ、この技の意味はない。


 そして二つ目は、相手が油断している状態であること。

 いくら相手が男でも、守りが硬ければ決めるのは難しい。


 そして最後は——。


「相手がアホであること」


 そう。

 この技は相手がアホであればあるだけ成功率が増す。

 その証拠にこの金髪は、最後の最後まで俺のパンチだけを警戒して守りを固めていた。


 それがフェイクだとも知らずに。

 大事な急所を無防備にしたまま。


 ——本当にアホで助かったよ。


 こいつがもう少しまともなら、おそらく俺に勝機はなかった。

 あのまま殴られ続けて、今頃はどうなっていたことか……。


 でもまあ、こうして俺が立っているのが現実というものだ。

 いくら喧嘩したことのないガリ勉にだって、勝てる喧嘩はある。


 頭しか使えないなら頭を使い尽くせばいい。

 そうすればきっと、野郎相手だろうがなんとか戦える。


「はぁ……」


 さて。

 これで邪魔者はいなくなった。

 相当強く蹴り込んだから、ヤンキーとてすぐには起き上がってこれないはず。


 ならば俺がやるべきは一つ。

 同居人を今すぐうちに連れて帰る。


「蓮見さん」


 そう呟き振り返ると、そこには布団にくるまっている蓮見さんがいた。

 身体を小刻みに震わせながら、ベットの上に腰を下ろしている。

 おそらくは相当怖かったのだと思う。


「蓮見さん、大丈夫ですか」

「う、うん」


 声をかけても、蓮見さんの反応は薄い。

 瞬きも忘れるくらいに硬直しているので、おそらくは——。


「寒いんですか」

「うん……寒い」

「なら服を着てください。俺後ろ向いてるんで」

「うん……」


 すると蓮見さんは、おもむろにベットから立ち上がった。

 ガサゴソと後ろで音がしているので、どうやら俺の言葉を素直に聞いてくれたらしい。


「もういいですか?」

「うん」


 その声を頼りに、俺は再び蓮見さんの方に振り返る。

 すると彼女は相変わらずのう○こ色ジャージを、上下に纏っていた。


「それで、何でこんなところに」


 そして俺は回り道をせず、ストレートに訳を訪ねる。

 ここで少しでも誤魔化されては、彼女のためにならないと思ったから。


「どうしてこうなっちゃったんですか」

「それは……」


 咎めるような俺の口調に、少し怖気付いたような蓮見さん。

 しかし彼女は、両手で布団をぎゅっと握りしめ、その重い口を開いてくれた。


「タダでお酒飲ませてくれるって言うから……」

「はぁ……」


 蓮見さんが口にした言葉。

 それは思わずため息が出てしまうような、しょうもない理由だった。

 大の大人が、タダ酒なんかにつられてしまうなんて。


 まったくこの人は。

 本当にどうしようもない人だ。


「だからってこんな人についてったらダメですよ。普通考えたらわかるでしょ」

「ごめん」

「世の中には色々な人がいるんです。少しは考えて行動しないと」

「うん、ごめん……」


 俺が少し強めに叱ると、蓮見さんはショボンと俯いてみせる。

 どうやら流石の彼女も、今回の件で相当懲りているみたいだ。


「あなたは少し無防備すぎるんです。うちでもいつも言っているでしょう。服を着ろ、危機感持てって。なのにどうしてこうなっちゃうんですか」


 俺は今まで口うるさく言ってきた。

 もちろんそれは自分のためでもあるが。

 何よりも蓮見さんの今後のために、俺は叱りたくないのに叱ってきた。


 今は俺が一緒に住んでいるからいい。

 しかしそれがこのままずっと続くとも思えない。


 俺たちはいつかあの部屋を出て。

 別々に暮らさなければならなくなる時が必ず来るのだ。


 もしその時が来たとしたらどうだ。

 間違いなく蓮見さんは生活できないに決まっている。


 料理も作れない。

 洗濯もできない。

 掃除もできない。

 おまけにだらしない。


 そんな人が今、こうして男に襲われていた。

 お酒というちっぽけな欲望に目をくらませて。


 ——本当の本当にどうしようもない人だ。


 どうしようもないくらいアホで。

 自分1人じゃ何一つできなくて。

 まるで子供のような俺の同居人。


 でも時に見せる笑顔が素敵で。

 無意識な優しさも持ち合わせていて。

 まるで妹のような俺の同居人。


 そんな人を俺は——。

 

「それとすいませんでした。無理やり追い出したりして」


 そんな人を俺は、無理やりうちから追い出してしまった。

 1人じゃ何もできないとわかっていたはずなのに。

 その場の感情に任せて「今すぐお金おろしてきてください」なんて——。


「よく考えたら冷静じゃなかったです。本当すみません」

「え、どうしたの急に……」


 俺が頭を下げると、蓮見さんはキョトンと小首を傾げていた。

 まああれだけ叱った後で、俺が謝るというのもおかしな話ではあるが。


「よく考えたらまずかったなって。蓮見さんジャージでしたし」


 もしかしたらジャージを着ていたから声をかけられた。

 なんてことも考えられる。


 仮にそれが事実なら、こうなったのは完全に俺のせいだ。

 まあこの男の場合、お酒で蓮見さんを誘ったみたいだが——。


「それより。怪我とかはないですか?」

「うん、別にない」

「それなら良かったです」


 怪我がないのなら何よりだ。

 これ以上問題も大きくするべきじゃないし。

 ここはこの金髪が起きる前に、早くこの部屋から出よう。


「さ、もう遅いですし早くうちに帰りましょう」

「うん、帰る」


 そして俺は蓮見さんの手を引き、急いでドアの方へと向かった。



 * * *



 家に帰るまでの夜道。

 1人先を行く俺だったが、同居人の足取りが重いのでふと立ち止まる。


「どうかしましたか?」

「うん。ちょっと酔ってる」

「え、マジですか。歩けそうですか?」

「無理」


 どうやらここへ来て酔いが回って来たらしい。

 いや今思い返すと、先ほどから蓮見さんは少しふわふわしていた。

 エレベーターから降りる時だって少しの段差でつまずいていたし。

 これは俺が近くで支えながら帰った方が良さそうだ。


「ゆっくりでいいですよ。俺支えてるんで」

「え、おんぶしてよ」

「なんでやねん」


 あまりにも平然と言うものだから、うっかりオーソドックスなツッコミしちゃったよ。

 今時なんでやねんとか使う奴、俺以外にダ○ンタ○ンの浜ちゃんくらいしかいないだろ多分。


「いや、おんぶはさすがに……」

「無理。歩けない」

「歩けないじゃなくて……」


 蓮見さんは上目遣いで「はよしゃがめや」と訴えかけてくる。


 ——一体あんたはいくつなんだよ。


 なんて思ったものの。

 倒れられるよりかは幾分かマシな気もしないことはない。


「俺怪我してるんですけど。普通そんな人に頼みますかね」

「いいからおんぶ」

「へいへい……」


 こうなった蓮見さんに何を言おうが無駄。

 それを思い出した俺は、言われるがまま蓮見さんの前にかがんだ。


 すると蓮見さんは、思い思いに俺の背中に覆いかぶさってくる。


 胸とかもうガンガンに当たってるし。

 少しはそういうの気にならないのかねこの人。


「いいですか。立ちますよ」

「うん」


 そして俺は蓮見さんを抱え、かがんでいた身体を起こした。

 すると思っていたより全然軽いので、これならさほど疲れなくて済みそうだ。


「ところで蓮見さん。お酒もいいですけどちゃんとご飯も食べてくださいね。でなきゃ本当に身体壊しますよ」

「うん、わかってる」


 まあ最近は、俺が食事を作ってるので大丈夫だとは思うが。

 それでもこれだけ体重が軽いと、俺とて少し心配になる。


「そういえばさ」

「はい?」


 耳元で囁かれ、俺は目だけを蓮見さんの方へと向けた。


「借りてたお金だけど」

「ああ、ちゃんとおろしてくれました?」

「ううん、まだおろせてない」


 てことはコンビニに向かう途中に捕まったってことか。

 どうせ先に声をかけたのは、あの金髪野郎の方だろうし。

 こんな状況でお金を返せと迫るのも、ちょっと違う気がする。


「ならいつでもいいですよ。待ってますから」


 自分からこの話題を出したということは、返す気があるということだろう。

 ならば俺の方から急かしても、無駄ないざこざが生まれるだけ。


 ここは静かに返してもらう時を待つ。

 それが大人な対応というものだ。


「ねえ」

「はい?」

「どうして助けに来たの」

「どうしてって……」


 今更何を……とは思ったが、どうやらそういうノリではないらしい。

 蓮見さんの顔がいつになく真剣だ。


「どうしてだと思いますか」


 ならばと俺は逆に問い返してみた。

 ここで彼女に考えさせることによって、少しでも成長して欲しかったから。

 もっと自分自身のことを大切に思って欲しかったから。


「え、わかんない」


 数秒もしないうちに、蓮見さんはそう言った。

 おそらくは考えるのがめんどくさかったのだろう。


「なら、教えません」

「ええ」


 俺が意地悪げにそう言うと、蓮見さんは頬をぷくっと膨らます。

 その様子からして、彼女はまだまだ幼い子供のようだった。


「あ、そうだ。蓮見さんお腹減ってないですか? 夕飯カレーなんですけど」

「え、今日カレーなの」

「はい、まだ作り途中ですけどね」

「なら早く帰ろ。もっと急いで」

「いや……あんたは鬼かよ」


 相変わらずの蓮見さんのペースに、俺はのせられるばかり。

 それでもこうして隣にいるのは、少なからず彼女が心配だから。


 きっと俺は放っておけないのだ。

 アホでだらしない、見知らぬ美人の同居人を。



 * * *



 蓮見さんからお金が返ってきたのは、そのすぐ翌日のこと。

 折り目一つない綺麗なピン札で、きっちりと支払ってくれたのだった。

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