第3話 見知らぬ美人と上京3

 「……えっ——?」


 予想外な光景を前に沈黙した俺。

 目に映っているのは紛いも無い女体。

 しかも服などは纏っておらず、上下の下着のみ。


 その横顔をちらりと見えば、それは美貌びぼう

 胸元まで伸びた艶やかな長い黒髪は、テレビの光を浴びて暗闇の中で白く煌めいている。


 そしてたちまち視線を下げてみれば、そこには大きな2つの山。

 黒のレースで覆われたなんとも豊満で刺激的なそれは、俺の意識を一瞬にして奪い去っていった。


「え、あ、え、っと……」

「キミ、誰」

「お、お、俺は、その、あの……」


 首をこちらに傾けた女性は、俺の目をまっすぐに見てそう呟く。

 パニック状態&目のやり場に困った俺は、小刻みに目をパチパチ。


 一体今どういう状況なんだこれ。

 借りたアパートの一室で知らない女性と鉢合わせ。

 しかも相手は服を着ていないときた。


 困った。困ったぞ。

 もしかしてこれ側から見たら不法侵入じゃないか?

 黙って女性の部屋に上がりこむとか犯罪だろマジで。


「あ、あの、お、俺は……」


 ダメだ。弁明しようとしたが、なんて言えばいいのかわからない。

 ここは素直に「ここ俺の部屋なんですけど」と言えば……いやしかし、見る限りここはこの人の部屋っぽいし——。


「何か用?」


 ドアの前で立ち尽くす俺に、女性は平然とそう尋ねてくる。

 なんでこんなに冷静でいられるのか不思議でしょうがないが、ここで何も言わなければ間違いなく通報される。


「お、俺は……こ、この部屋に引っ越して来て……」

「引っ越し? でもこの部屋、私の家なんだけど」


 ですよねぇぇぇぇ。

 それは見ればわかりますぅぅぅぅ。

 でもマジでここ俺の部屋なんですぅぅぅぅ。


「え、えっと……でも、本当に今日ここへ引っ越してくる予定で——」


 あ、そうだ。

 確かキャリーバックの中に不動産会社との契約書があったな。

 それを見せれば疑いの目も……。


「しょ、少々お待ちを!」


 そう吐き捨てた俺は、全速力で玄関へと戻った。

 そしてキャリーバックを勢いよく開けると、その中にしまっておいた契約書入りのクリアファイルを取り出す。


「す、すみません、お待たせしました。これ俺の契約書です」


 期限ギリギリで上司に資料を渡すがごとく、俺は女性に契約書入りのクリアファイルを差し出した。

 すると女性はファイルの中から契約書を取り出し、暗いながらもその内容に目を通し始める。


「フェアリーダイヤモンド201号室……うん、確かにこの部屋だ」

「で、ですよねぇぇ……よかったぁぁ……」


 これで間違ってたらマジでシャレにならんかった。

 多分一生このトラウマ背負う羽目になってたよ俺。


「でもなんでこの部屋なんだろ。私まだ住んでるのに」

「そ、そうですよね。空き部屋じゃないのに貸し出すなんて」

「もしかして忘れられちゃったのかな、私」

「ま、まさかそんなこと——」


 俺が「そんなことありませんよ」と言おうとしたその時。

 契約書を眺めていた女性は、それをテーブルの上に置くと、何事もなかったかのようにテレビの方へと視線を戻した。

 そして脇に置いてあった小さい何かを手に持つと、それを勢いよく『カチカチカチ』と動かし始める。


 え、嘘でしょ。これで終わり?

 もっと何かこう……言うことないの?


 わけのわからないまま俺の視線はテレビ画面へ。

 するとそこにはどこか見覚えのある映像が流れていた。


 画面下部に表示されているキャラクターの顔。

 その脇には数字。そして%のマーク。


 忙しく動くアングルの中、己の身体をぶつけ合う4体のキャラクター。

 疾走感のある音楽が流れるその舞台で、生き残りをかけて戦っている。


 ——まさかこれは……ゲームか?


 何度かこの画面は見たことがある気がするが、詳しくはわからなかった。

 そもそも俺はゲームなんかやらないし、当然と言えば当然なのだが——。


『カチカチカチカチ』


 にしても、よくこの状況でゲームなんてできるなこの人。

 同じ部屋に俺がいるっていうのに、何も気にしている様子がない。

 てか、服着てくれ服。


「あ、あの……」

「ん、なに」

「俺がいることですし、一応服は着た方が……」

「え、でもここ私の家だし」

「そ、それはそうなんですけど……」


 俺のことをちっとも気にすることなく、女性の視線は再びテレビへ。

 一体この人の羞恥心はどうなっているんだよ。

 美人な上に立派だから尚更困るよ。俺が。


「はぁ……仕方ない。とりあえず不動産に電話するか」


 これ以上何もせずここにいてもらちが明かない。

 まずは不動産会社に連絡して、どういう状況なのか確かめなくては。

 もしかしたら何か解決の糸口が見つかるかもしれないし。


 そう思った俺は、テーブルに置かれたファイルを手に取った。

 そしてその中に入っている契約書を取り出し、記載された電話番号へ。

 通話ボタンを押す前に押し間違いがないことを確認し、電話をかける。


『プルルル——お電話ありがとうございます。こちら〇〇不動産です』

「もしもし。一つお尋ねしたいことがあって電話させてもらったのですが」

『それではまずお名前とご住所の方をお願いいたします』


 俺は相手の指示通り、このアパートの住所と名前を伝えた。

 それに加え今日入居予定であること。

 そして現在のぶっ飛んだ状況。

 それら全てを伝えた後、不動産会社が放った言葉は——。


『申し訳ございません。こちらのミスですでにご入居様がいらっしゃる部屋を貸し出してしまったようです』

「へっ? それはどういう……」


 不動産会社の説明はこうだった。

 この部屋が空き家だと思って俺に貸し出した。

 そしたらまだ人がいた。ごめんなさい。

 以上。


「つまりそちらの不手際ということですか?」

『はい、本当に申し訳ございません』

「申し訳ございませんって……そしたら俺はどうしたら……」


 これは本当にまずいことになったかもしれない。

 不動産会社の不手際とはいえ、現状俺が住める家はなし。

 新生活ラッシュということもあって、今から新しい家が見つかる可能性は限りなく低い。

 だからと言って、この部屋に無理やり住むわけにもいかない。


 ——はぁ……。


 もういっそのこと実家に帰ろうかな。

 せっかく上京して来たのに、初日にこんなことになるんだもん。


 東京駅は広すぎてわけわからんし。

 俺の住む家ないし。


 もう東京嫌い。

 やだやだやだやだ。


 と、俺がキャラを忘れ拗ねまくっていたところ。


『あの、今既存のご入居様は近くにいらっしゃいますでしょうか?』

「あ、いますよ。そこに」

『それでしたら少しお電話を代わっていただきたいのですが』

「あ、はい。代わりますよ」


 半分投げやりながらも、俺はすぐそこでゲームしている女性にケータイを差し出した。


「あのこれ。このアパートの不動産会社です」

「え、私?」


 女性は少し戸惑いつつも、ゲームをしていた手を止めた。

 そして俺からケータイを受け取ると、不服そうに耳へとかざす。


「はい、もしもし。はい、はい、いいですけど、はい」


 そして数秒もたたないうちに耳からケータイを離すと、それを俺に返した。

 三度ゲーム画面へと戻る女性を尻目に、俺は再びケータイを耳へとかざす。


『今既存のご入居様とお電話させてもらいまして——』


 いや、見ればわかるよ。


『同室に住むという形を承諾していただいたのですが』

「はっ?」


 今この人は何と言った。

 同室に住む? 俺がこの人と?


 いやありえん。どこのドラマの世界だそれは。

 そんな見知らぬ人と同じ部屋に住むなんて。


「すみません。よく聞こえなかったのでもう一度お願いします」

『はい。現在住まれているそちらの方にお願いしたところ、佐久間様と同室に住むという形を承諾していただきまして』


 うん。やっぱり聞き間違いじゃないよね。

 佐久間様と同室に住むって……佐久間様って俺のことだよな。


 どうすんのこれ。

 てかこの人も承諾したって正気ですか?

 ゲームやりたすぎて受け答えが適当になっていませんか?


「あのすみません。もう一度確認取らせていただいてもいいですか?」

『はい』


 そうして俺は一度耳からケータイを離し、ゲームに集中しているであろう女性に声をかけた。


「えっと、集中しているとこすみません。なんか俺と同室に住むこと承諾してくれたみたいなんですけど」

「うん。した」

「へっ? で、でも……俺男ですし……そもそも見知らぬ人となんて……」

「別にいいよ。気にしないし」

「で、でも……」


 おいおいおいおい。どうなってんだこれは。

 気にしないとか言っているけど、少しは気にしてくれよ。

 てか俺が気にするからねこれ。


「じょ、冗談ですよね?」

「え、マジだけど」


 どうやら冗談ではなくマジらしい。

 この人は本気で俺と一緒に住むことを承諾したみたいだ。


 ——どうする幸太郎。


 お前は賢い。

 ならばこんな窮地に追い込まれても正しい判断ができるはずだ。

 よく考えて、今の自分に最善の選択を導き出せ。

 さすればこの先の未来も、明るく迎えてくれる——!


「——あの、お待たせしました」

『確認は取れましたでしょうか?』

「はい。俺、ここ住みます」

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