第五章 事件

 九月十三日 午後九時三十分


 それから、俺たちは地下牢を出た。

 出てすぐに放火事件の容疑者への事情聴取を申し出たが、やはりと言うかあっさり拒否された。決まり文句は「キミの管轄ではないだろう!」だ。まったく、上の連中は本当に頭が固い。

 仕方が無いので、放火の現場であるカザナミデパートに直接調査に行く事になった。

 現場を見ることで得られる情報もあるはずだ。俺は藤崎を自分の車の助手席に乗せ、現場へと走らせた。


「うわ……これは酷いですね」


 放火の現場についてから、藤崎の第一声がそれだった。

 現場は、想像以上に惨状だったのだ。出火が一階部分からだったせいで燃え広がるのが早かったらしく、町内のちょっとした名物だった大型デパートは見る影も無く焼け焦げていた。

 辺りでは野次馬がうじゃうじゃと見物に来ていて、警察がそれを必死に抑えているところだった。

 普通なら入るのに苦労するところだが、都合が良い事にその警官は顔見知りだった。

 俺はとりあえず、野次馬を取り押さえている警官に手帳を見せて中に入れてもらう事にした。


「陽菜警察署の神狩です。調査のため、中に入れて貰えないでしょうか?」


「あ、神狩刑事! どうぞお入りください! 本当は止められてますが、神狩刑事なら歓迎です!」


「すまないね」


 無駄にいい反応をしてくれた警官にお礼を言ってから、立ち入り禁止のテープをくぐって中に入った。すると藤崎が小声で話しかけてきた。


「相変わらずの人望ですね。まぁ、自分も神狩刑事に憧れてこの部署に入ったんで、気持ちは分かりますけど」


「そういう世辞はよせ。あいつには一度、行き詰まりかけていた捜査にアドバイスをしてやった事があるだけの縁だ。それ以外の何者でもない」


「そういう所が良いんじゃないですか」


 藤崎は人をからかう様な笑顔で言った。馬鹿にしているのかこいつ?

 それはさておき、俺たちは無事に現場に侵入できた。

 浸入とか言ったら、なにか悪い事したのかと言われそうだが、実際悪い事をしている。本来、管轄の違う部署の人間が現場に立ち入るなんてありえない事だ。


 例えばそれは、普段はレストランでオーダーを取っているウエイトレスが、いきなり厨房に立ってよく分からない料理を作り出すようなものだ。満場一致で「なにやってるんだ」とツッコミが入るだろう。

 俺たちがやっているのは、そういう事だった。

 だが、俺は別に罪悪感を持っていたりはしない。厨房に入ったウエイトレスも、客が大事な上客で、「どうしてもキミの作った料理が食べたい」と言っていたのなら、まだ許されるだろう。いや、許されないかもしれないが、本人は悪い事をしたと思わないはずだ。


 俺は今、そういう事をやっている。ゴッドの事件を追うために、関係のないとされている放火事件を調査している。

 本来なら容疑者の事情聴取から始めるところだが、それが出来なかったのだから仕方が無い。今は現場で何か証拠でも残っていないか探すだけだ。

 瓦礫をあさっていると、建物の破片だらけの山の中に特異な物を見つけた。


「これは……、灯油缶か?」


「……そうみたいですね。丸こげですけど」


 俺が見つけたのは、灯油を持ち運ぶ際に一時的に詰めておくためのポリタンクだった。しかもよく周りを見渡してみると、同じようなものが複数転がっていた。


「藤崎。このデパートではこんな物も売っていたのか?」


「ええと……、確か冬には売り出していましたね。でも、まだ灯油を売るには早いような気がしますが」


 なるほど。という事はこれは誰かが――おそらくは放火犯が、自宅から持ってきた可能性があるって事か。しかし自宅から持ってきたというのなら、それはそれで問題がある。

 その問題とは、やはりこれも時期の問題だ。普通は灯油なんかは、自宅に簡易の灯油タンクが設置されていたり、ストーブに内蔵されている小さなタンクに補充しながら使うものだ。ならば、まだ冷え込んできたとは言えないこんな時期に、わざわざ灯油缶に入った灯油を保存しておくものだろうか。

 中にはそういう人もいるだろうが、今回の容疑者は複数人だと聞いている。その全員が、自宅から灯油缶を持ち出したとは考えにくいだろう。という事は、まさか――


「何か分かったんですか? 神狩刑事」


 俺は灯油缶をその場に投げ捨て、周囲の建物を見渡した。俺の考えが正しければ……、この辺りにアレがあるはずだ。


「……あった! 行くぞ藤崎!」


「え、ちょっと! 待ってくださいよ神狩刑事!」


 何の事やら分からないといった様子の藤崎を尻目に、俺はその建物に向かって走り出した。そう、それはいたって自然な発想だ。自宅に灯油が無いなら、近場で調達したとしか考えられないじゃないか。


 俺が向かったのは、すぐ近くにあったガソリンスタンドだった。

 しかし、着いてすぐに俺は軽く落胆した。すでにそこにはパトカーが一台停まっていて、店員への事情聴取が行なわれている最中だった。


「先を越されたみたいですね」


 藤崎が残念そうに言った。


「それはそうだろう。火災事件で、しかも灯油がばら撒かれたんだ。近くのガソリンスタンドを捜査しない理由は無い」


 少し強がりながら答えてみたが、実のところ俺は少し困っていた。さっき、放火の現場には刑事以上の人間は居なかった。だからこそ何も言われずに捜査が出来たわけだが、それならば今度こそ鉢合わせになる可能性がある。


 そうすればまた管轄外だの自分の職務を全うしろだの面倒な事を言われるに違いない。そんなのはごめんだが、ここまで来て何も聞けずに帰るというのもまたごめんだ。

 そんな事を考えているうちに、ガソリンスタンドの事務所の中から、部下を引き連れた刑事が出てきた。

 ――が、そいつはなんと俺にとって好都合な人物だった。


 暗めの赤を基調としたスーツを着こなし、女性にしては短めにカットされた髪型。そいつは俺のよく知る人物だった。


「おー! 神狩じゃないか! ひっさしぶりだなぁ!」


 その刑事は俺を見るや否や、駆けつけてきて頭を思い切り叩いてきた。


「――ッ! 久しぶりだな清水……相変わらずな様でなによりだ」


 叩かれた頭をさすりながら恨みを込めて睨んでやった。しかし当の本人は気にする様子も無く、「久しぶりに会えたのがそんなに嬉しいか! 私も嬉しいぞ!」なんて嘯いていた。

 そんな中、一人状況を飲み込めずに混乱する藤崎が、俺に話しかけてきた。


「神狩刑事、この人誰ですか?」


「ああ、こいつは――」


「始めましてだな藤崎君! キミの事は神狩からよく聞いてる! 優秀だそうじゃないか!」


 俺が説明しようとした瞬間に、清水が割り込んできやがった……。こいつのテンションはどうも昔から苦手だ。


「私の名前は清水しみず明梨あかりだ。主に、放火事件などを担当している刑事だ」


「あ、どうも。藤崎です。えーっと、失礼ですが神狩さんとはどういったご関係で?」


 完全に藤崎が動揺している。こいつには、仕事中は俺を役職つきで呼ぶと言うポリシーがあるらしいのだが、今は「さん」付けになってしまっていた。


「それはもう昔からの深ぁーい関係だよ。ふふふ」


「深い関係!?」


「誤解を生むような言い方をするな!」


 俺と藤崎の声はほぼ同時だった。

 こいつに任せているとロクに自己紹介も進まんらしい……。俺は自分で補足説明を入れることにした。


「こいつは俺の同期でな。新人研修時代から少し交流があるってだけの話だ」


「少しだなんて、つれないなー神狩。何度も捜査に協力してあげたじゃないか」


「ぐ……、その点については感謝している……」


 くそ。どうしてもこいつには勝てん。


「ふーん、へー、そうなんですかー」


 なんか藤崎が棒読みで、納得していない納得をしていた。納得していない納得って我ながら意味不明だが、そんな意味不明なリアクションをしていた。


「なんだよ、そんなに気になるのか」


「別に、気にしてませんよ? ただ、『あの』神狩刑事が協力『してもらう』って言う状況が、いまいち理解できないだけです」


「実は私と神狩は恋仲で、協力していたのは特別な感情があるから、と言えば納得出来るんだろう? ならば言おう、その通りだ!」


「清水! いい加減にしろ!」


 なぜ俺がツッコミなんぞしなければならん。

 清水は「ちぇー」なんて子供の様な事を言いながら、渋々悪ふざけを止めた。っていうか渋々なのはおかしいだろう。職務中だぞ。


「じゃあ、真面目な話をしようか。神狩、キミは何故こんなところに居る?」


 清水は散々ふざけて満足したのか、姿勢を正して仕事の顔で俺に質問した。

 仕事に関しては決して不真面目な人間では無いので、この状態の清水は適当に誤魔化す事など出来ない。ここは正直に言った方がいいだろう。


「――お前相手なら正直に言った方がいいな。俺はこの放火事件を、新堂に関係する事件だと踏んでいる。その調査のためにここに来た」


 「やはりそうか」と少し呆れ気味に言いながら、清水は少し考えるように目を伏せた。

 こいつならば同期のよしみであっさり通してくれる、と言う考えだったのだが――どうも様子がおかしい。

 俺は少しダメ押しをしてみる事にした。


「清水、ここの店員に話が聞きたいのだが、通しては貰えないだろうか?」


「……ダメだ」


 おや、聞き間違えたか。どうも予想していない返答が返ってきたのだが。


「何を呆けているんだ、神狩。いいか、お前は刑事だぞ。警部に逆らっていいはずが無いだろう」


「あの警部から……、何か言われたのか?」


「『あの』ってお前、名前くらい覚えろ! 岩井警部からの直々の命令だ。『神狩を現場に入れるな』とな」


「さっきの奴は、そんな事一言も……」


「ああ!? お前まさか火災現場に入ったのか!? ったく、あいつは後で仕置きだな」


 しまった、俺のせいで快く協力してくれた警官の立場が悪くなってしまった。すまん、許せ。


「まったく、本当にお前はいつもそうだな。もっと上手く生きる事は出来ないのか?」


「性分だよ。こればかりは変えられない。……それより、どうしてもダメなのか? お前なら上手く誤魔化すことも出来るだろう」


「ダメだ。通すことは出来ない」


 頑なに否定されてしまった。

 ここまで頑ななら仕方ない。ここの調査は諦めるしかないな。


「仕方ない、行くぞ藤崎。他を当たろう」


「え……? いいんですか、神狩刑事?」


「仕方が無い。手の打ちようがないからな」


 こういう時の清水は絶対に引かない。それが分かっているからこそ、俺が引くしかなかった。

 この性格のおかげで、こいつとは何度も衝突した事がある。だが基本はいい奴なので、こいつを悪く思った事は無い。今回は明らかに俺が悪いしな。

 俺は踵を返して退散しようとした。しかし、数歩歩いただけで意外なことに清水に呼び止められた。


「待て、神狩」


「……なんだよ?」


 素直に退散しようとしている所を呼び止められたので、少し不機嫌になりながら答えた。すると清水の口から発せられたのは、またしても予想外な言葉だった。


「私が受けた命令は一つだ。『神狩に捜査をさせるな』とな。それ以外の事なら、してやれる」


「は? なに言って――」


「無駄に鈍いなお前は! ……協力してやるって言ってんだ。直接捜査させなければ何をしてもいい筈だ。例えば、雑談がてらお前の質問に正直に答えてやるとかな」


「…………。そうか、感謝する」


 やはりこいつは良い奴だ。俺はお言葉に甘えて、事情聴取の内容を聞く事にした。藤崎がニヤニヤしながらこっちを見ていたが、とりあえず今は無視をする事にした。後で覚えていろ。


「聞きたい事はただ一つ。今回の事件の容疑者が全員、ここで灯油を買っていたんじゃないかって話だ」


「そういう事はさすがに鋭いな、神狩。その通りだ。今回の事件の容疑者は一人残らず、ここで灯油を買っていたよ。しかも、面白い事も聞けた」


「面白い事?」


 なんだろう。こいつがこういう言い方をするって事は、かなり有力な手がかりである可能性が高い。


「なんと、容疑者は全員ここで灯油を5リットル買って行ったらしい。寸分違わず、全員5リットルだ。そして店員も『《上納油》のためなんだろう』と、何の疑問も抱かなかったそうだ。今では何故あの時にそんな思考になったのか理解できないらしいがな」


「上納油? なんだそれは?」


「さあ? 店員も何の事だか分からないんだとさ。『なんでそんな言葉を知っていたのか分からない』、だそうだ」


「なるほど」


 ここまで来るともう間違いないな。この事件は、間違いなく新堂の行なっていたマインドコントロールによるものだ。

 しかし、そうだとするとまた別の問題も出てくる。奴は地下牢で監禁中のため、この件には関与出来ないはずだ。ならば可能性は一つ。今回容疑者たちを操ったのは、別の人物だという事だ。


 ――くそっ! こんな事が出来る奴が、何人も居るって言うのか。

 その可能性は、ゴッドに関わる一連の事件が、終わりの見えない物である可能性も示唆していた。


「ちなみに」


 清水がまだ言いたい事があるのか、俺の思考を遮って話し始めた。


「上はこの事件と、ゴッドの事件を結びつけるのを嫌っている」


「……薄々感づいてはいたが、やはりそうなのか」


「あんな面倒な事件はもうこりごりなんだろうよ。だからな、神狩――」


 そこまで言って、清水は俺の両肩に手を置き、俺の目を真っ直ぐ見た。その目は、理不尽な決定に怒っているようにも見えた。

 ――いや、それはただの俺の願望なのかもしれないな。


「この事件、お前だけが頼りだ。私も出来る限りの協力はする。……頼んだぞ」


 気のせいじゃなかい。こいつも本当はその線での捜査がしたいんだ。だが、この世界は上に逆らったらどうなるか分かったもんじゃない。だからそのどうしようもない怒りのぶつけ所がなくて、仕方なく俺に全て託そうとしているんだ。

 犯人が他に居る? 捕まえても新しい犯人が出る可能性がある? そんな事は知った事か。

 俺はここでゴッドの件に絡めずに苦しんでいる清水のためにも……、そしてなにより犯罪者をこの世から駆逐するためにも、絶対に引くわけにはいかない!

 俺は、そこまで決意した上で、強く、強く言った。



「ああ――、もちろんだ」




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