第18話 母の日記


 スヴァリア国境に敷いた陣にて。


 俺達は王様たちスヴァリア軍と合流した。

 王様直々に労いの言葉を掛けたいということで、俺たちはひときわ大きな天幕に招かれた。

 周りのみんなが椅子に座った王様を前に膝を折って、頭を下げるのをみて、俺も慌てて真似をする。


 王様は俺たち一人ひとりをねぎらった後、最後にこう言った。


「異世界からの客人よ。頭(こうべ)を上げよ。顔を見たい」


 俺は片膝をついたまま、頭を上げた。ひたりと王様と目が合う。

 王様は偉丈夫だった。淡い金の短髪、深慮を湛えた茶色の瞳、豊かな髭。

 アクセルはおれにちょっと似てるって言ってたけど、似ているのは淡い金髪くらいで断然王様の方がカッコ良かった。


 王様が何日を捕虜として過ごしたかは知らない。けれどここで椅子に座る王様は、かつての不遇を感じさせないほど堂々としていた。


 王様は俺の顔を見ると息を呑んで、ふらりと立ち上がった。

 ゆっくりと俺の目の前にまで来る。視線は外れない。王様は膝をついて、震える指で両手で俺の頬を包み込んだ。そして、懐かしむように、長い吐息をついた。


「……たしかに、アンの面影がある。そうか、お前がアンの忘れ形見か……」


 スヴェンから知らせが行ったようだ。王の妹姫、アン王女のご子息がいます、と。俺は頷いた。


「はい、王様。おれ、いや私は涼太と言います」


 緊張でこわばった声が出た。王様は、優しく笑った。


「よいよい、気楽にせよ。アンの息子なれば、余の甥だ。何の遠慮もいらぬ」

「きょ、恐縮です!」


 無理だよ、気楽になんて……。俺がこわばった笑みを浮かべるのを見て、王様はふふふと笑った。


「固くなるなというに。……まぁよい、お前にはいろいろと聞きたいことがある。時間はあるか?」

「は、はい。もちろん……」

「決まりだ。――スヴェン」

「はっ!」


 王様の意を受け、天幕の入り口に控えていたスヴェンが、みんなを促して天幕の外へと連れていった。

 王様と、二人っきり……。いや、通訳の煙突の精と鶴もいるけど。それでも四人。広い天幕が更に広く感じた。こ、心細い……。


「すまんな、王ともなると面倒でいかん。人目があると甥と気楽に語り合うこともできんとは、不便なことよ」


 あれ、いきなりくだけた……?

 王様は椅子をすすめてくれた。そして王様自身も俺の目の前に椅子を持ってきて座った。


「聞きたいこととはアレだ、お前の母や家族の思い出話だ」

「し、しかし王様、母は私が生まれた時には亡くなっていて、正直母との思い出話はないのです……」


 しょんぼりしてそう言うと、王様は優しく肩を叩いた。


「つらいことを言わせてすまなかった。しかし、余が聞きたいのはお前の母や家族の話だ。正直お前のことも知りたいし、お前の父のことも知りたい。なんでもいい、話してはくれまいか」


 穏やかな口調に泣きそうになる。俺は、潤む目を拭いながら頷いた。


 

 それからは、思い出話に花が咲いた。


 母ちゃんのことは、親父や近所の常連客から教えてもらったことしか話せなかったが、それでも王様は楽しそうに聞いていた。特に母ちゃんが銭湯の経営に敏腕を振るった話では、さも愉快そうに笑っていた。


「あれは、女だてらに学問がうまくてな。経済学や経営学は特に強かった。そうか異世界で役に立つとは、何が幸いするかわからんな」


 話は親父や俺にも及んだ。親父はゴリラに似ていると、口を滑らせてしまったが、王様はゴリラを知らなかったらしい。まぁ異世界だからなと安心していると、「ゴリラとは何なのだ」と追撃を受けた。

 しょうがないから、うほうほとゴリラのまねをしてみると、王様は天幕の外まで響くような笑い声を上げた。


 王様自身の話も聞いた。母ちゃんと王様はとても仲の良い兄妹で、母ちゃんは嫁に行かないで王様の宰相になると言って聞かなかったらしい。自分の学問で王様を支えたいと。


「アンは美人で賢いから縁談もひっきりなしに来たのだが、嫁に行っては俺の役に立てないと全部独断で断ってしまってな。派手に喧嘩になった。いや、俺は嬉しかったのだが、表だっては叱るしかあるまい。アンはふてくされるしで、あれは本当に困った……」


 困った、という割には懐かしそうに笑っている。ああ、王様は母ちゃんのことをほんとに可愛がっていたのだなと、自然に思った。

 なのに、王様と思い出話を重ねるたびに、俺の心は真っ黒になっていくようだった。息がしづらい。


 不意にじんわりと涙が出た。


「お、おい。どうした……?」


 王様が慌てて、ハンカチを渡してくる。俺は固辞したが、王様は手ずからハンカチで涙を拭ってくれた。ますます涙腺が緩む。


「……もし母ちゃんが生きていれば、王様と再会できたのにと思うと。悔しくてなりません。お、俺が母ちゃんを殺したようなものです……。俺が生まれてこなければ……。ごめんなさい、ごめんなさい王様……」


 子供のようにしゃくりあげながら懺悔する。いつも抱えていた悔恨がここまで大きくなっていたことに、今初めて気づいた。

 王様は俺を抱きしめた。背中を優しく叩いてくれる。


「何を言う。アンがお前が生まれてくることを望んだのだ。自分を責めるな。アンはお前を産めて幸せだったと思うぞ」

「で、でも……」


 本当にそうだろうか? 母ちゃんは本当に俺を恨んでいないのだろうか? 

 そんな疑いを俺の表情から読み取ったのか、王様がふんと強気に笑った。


「兄たる俺の言葉だぞ、信じろ。……まぁ証拠がないわけでもない。見ていろ」


 王様は虚空に手をかざす。王様の身体から魔力がほとばしり、白い光が溢れる。王鳴だ。

 一瞬後、王様の手には母ちゃんの肉声が録音されたボイスレコーダーが握られていた。


「煙突掃除人の子供がアンの肉声が聞ける装置が異世界にあると言っていたが、……さてこれはどう使うのかな」


 王様は俺にボイスレコーダーを手渡した。慌てて操作して、再生する。……これが証拠?


 母ちゃんの声が流れ出す。

 昔は何を言っているかわからなかったが、今はスヴァリアの煙突の精が鶴に煙突語で通訳してくれて、その言葉を鶴が更に日本語に訳してくれる。こんな具合に――。


【ヘイセイ○○年××月△△日。今日は銭湯のボイラーの使い方を学ぶ。私の国にいた煙突の精をこの世界で初めて見た。言葉は通じないようだったが、身振り手振りでお腹の子のことを頼んだ。いつまでも我が子とこの銭湯を見守っていてくれますように】


 鶴が母ちゃんに俺のことを頼まれた日のことだ! 鶴は俺の言っていたことは正しかっただろ? とどや顔して見せた。


 レコーダーはその後の母ちゃんの毎日を次々と伝えてくれた。

 つわりが軽かったこと。食べ過ぎて太り、兄さんが自分と気づいてくれるか不安なこと。タカアキさん(親父の名前だ)のことがとても好きで、幸せだということ。


 ――俺は親父と一緒にいる幸せも俺が奪ってしまったのか。胸が痛い。


「まぁまて、落ち込むな。最後のメッセージを聞いてからでも遅くない。今だけ早送りにせよ」


 最後のメッセージ。――出産直前だ。


【ヘイセイ○〇年□□月〇〇日。とうとうこの時が来ました。お医者様からこの世界でも出産は命がけだと聞きました。だから、もし私が死んでしまった時のために、涼太にメッセージを残します。

 ――涼太へ、生まれてきてくれてありがとう。思いがけないお母さんの死であなたが悲しんでいないかどうかとても心配です。でも大丈夫。たとえ私が死んだとしても、私はあなたの側にずっといます。一緒にいてあなたの成長を喜び、あなたが悲しいときは慰め、あなたに幸多からんとずっと祈っています。どうか悲しまないで、あなたの人生を生きてください。あなたが生きていることがお母さんの喜びです。お誕生日おめでとう涼太。タカアキさんと銭湯をよろしくね】


 それきり、母ちゃんの日記は終わった。


 ぼろぼろと涙が流れる。王様が俺の涙を拭いながら言う。


「我が妹は最期までお前のことを欠片も恨んでいなかったぞ。無論俺もだ。むしろお前が健やかに成長し、俺を救うまでに勇猛果敢な人間になってくれたことを喜ばしく思う。……今までずっと自分を責めてきて苦しかったな。もう大丈夫だ」


 もう駄目だった。涙腺が決壊し、俺は声を上げて泣いた。天幕の外にいるだろうみんなは、さぞかし驚いているに違いない。でも止まらなかった。

 王様は小さな子供のようになってしまった俺を、再び抱きしめた。


 おれは涙に震える声で、「ありがとう……ありがとう……」と呟いた。

 母ちゃんに、親父に、鶴に、そして王様に――謝罪ではなく、感謝の言葉を。

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