第5話:どす黒い欲望



昼の神は山の向こうへ隠れ、代わりに夜の支配者が空を黒く染め上げていた。

空に浮かぶ星々や、大きく存在感を放つ月は夜の支配者の財宝で、使いきれず下々のためにそらへばら撒いた、というおとぎ話を思い出す。


 いつの世も持つ者は気前が良くて、持たない者はそのお相伴にあずかるしかない。


 気が滅入りそうになったロイドは空を仰ぐのを止めて、真っ赤に燃えるたき火へ視線を移した。


「すぅー……すぅー……」


 煙草を吹かしながら、たき火の向こうでごろんと寝転がっている少女をやる。


 彼女は仕立てのよさそうなマントに包まり、見るかに高レアリティな魔法の杖を無造作に地面へ置いて、安らかな寝息を上げている。

 身に付けている装備はロイドの使いふるした皮の鎧より遥かに立派なのは明白。

だからといって真新しくはない。新米の駆け出しではなさそうだった。

 装備品の質から少なくともAランク。ひょっとするとSランク級の魔法使いなのかもしれない。

 そして歳もたぶん若い。10代特有の大人になりかけのアンバランスさが強く見て取れる。


 10代で冒険者歴十年以上のロイドよりも遥かに格上。

再び感じさせらた格差にロイドは思わずため息を着いた。


 そんなロイドの様子に全く気付かず、歩き疲れた【リンカ=ラビアン】は簡単な食事を済ませてすぐさま眠りに付いていた。

 この分では街まで数日を要するだろう。


 リンカはここまで頑なに言葉を口にしようとはしない。

彼女を餌にロイドを引き寄せて、身ぐるみを剥そうとする悪い連中も現れない。

やはり”声を無くした”というのは本当の事なのだろうか。

ならば、何故という当然の疑問に行き着く。

 しかし”声が無い”ため理由を簡単に聞くことはできそうもない。羊皮紙を消費し、更にみみずが這っているような下手くそな文字で、長そうな身の上話を読むのは尚更ごめんである。そもそもそんなことをしてまで、この娘の身の上に興味はない。


「んっ……」


 不意にリンカは小さく呻きを上げて、寝返りを打った。

ホットパンツとブーツの間にあった、艶やかな太腿が僅かに擦れる。


 途端、ロイドの内にある”男の本能”が、みずみずしいリンカの太ももへ視線を着目させた。



 そういえば、以前街でこんな詐欺の話を聞いたと思いだす。


 突然現れた美しい女。女は男へ好意を示し、何度か夜を共にする。

そうして情が湧いたところで、女はすかさずこう切り出す――”私、美術家志望で作品を作っているんだけど売れなくて。応援すると思って買ってくれない?”

 彼女のためならばと一肌脱いで、金を払ったら最後。

金を散々搾り取られた挙句、気づいたら一文無しにされてしまう。


(もしかすると、美人局ではなくて、こっちのパターンかもしれないな)


 声が出ないのは本当かもしれない。そうして情を湧かせて街へ着いた途端、治療費を名目に金をせびるのではないか。さすがにそれだけでは唐突過ぎるので、一度や二度、身体を差し出してくるのではないか。


 考えれば考えるほど、それが真実であり、リンカの真の目的ではないのか思い始める。


(――だったら良いよな)


 立ち去ることよりも、どす黒い気持ちが沸き起こった。


 胸も程よくあり、細身だが、太ももの辺りは健康そうにむっちりしている。

唇も瑞々しい印象で、こんなに美しい娘は、高級な娼館でもそうそうめぐり合うことは無い。そんなリンカは、今、無防備に寝ている。


 声が出ないんだったら、助けだって呼べないだろう。

もし詐欺を働くために誘ってくる予定なら、こちらからやってしまっても問題は無い。

抵抗が激しければ、最悪は……


(良いよな、別に。もう人生どうなろうと……)


 犯罪者になってしまえば何もかも踏ん切りがつくのではないか。

自ら底辺へ落っこちて、それを言い訳に暴れまわった方が楽ではないのか。

 それなりの絶望と、無いに等しい希望――希望がないなら、絶望一色に染まって、獣のように生きればいい。


 目の前で無防備を晒している獲物を逃すのは勿体ない。


 ロイドは意を決して立ち上がる。

しかし一歩を踏み出すたびに、心臓が嫌な鼓動を発する。

 それは欲望を押さえ込もうと、理性が静止を促しているか、否か。


 覚悟を決めたはずなのに、リンカとの距離が縮まるに従って、恐れが膝を震わせ、胸を強く締め付ける。


 しかしロイドはその度に、リンカの程よい胸を蹂躙し、瑞々しい彼女の太ももへ腰を激しく打ち付ける、といった夢想を膨らませた。


 こんなチャンスは滅多にない。この子はきっと、不憫なロイドを憐れんだ天上の神が与えてくださった慰みものに違いない。そんな自分ばかりに都合のいい解釈を思い浮かべながら、彼は静かに前へと進み続ける。



 やがてロイドは眠るリンカの前に達した。

彼の黒い企みなどつゆ知らず、若い彼女は無防備を晒している。

そして彼は屈みこみ、彼女へ手を伸ばす。


「……ッ!?」


 理性が一気に蘇り、伸ばした指先がピタリと止まった。

 固く閉じられたリンカの瞼から、幾つも涙が零れ落ちて、乾いた地面へしみこんでゆく。


 この涙が意味するところは正直分からない。

しかしこの涙は、寂しさ・辛さ・心細さといった負の感情に起因しているというのは分かった気がした。


 その時、リンカが呻きを上げて、固く結んでいた瞼を開ける。

慌てたロイドは薄闇の中でもはっきりと黄金と分かるリンカの髪へ触れる。

そして岩のようにごつごつした手で、果実のように柔らかいリンカの頭を撫で始めた。 


「……?」


 リンカの目線はまるで"なにをしているの?”と状況が理解できていない様子だった。やはり相変わらず言葉は無い。


「な、なんだか泣いてたからな。少し心配になって! む、昔飼っていた猫が寂しそうに鳴いてる時こうすると安心していたようで、むぅ……」


 黒い企みのことなど言える筈もなく、ロイドは口から出まかせを吐きだした。するとリンカは笑みを浮かべて、彼の愛撫に身を委ねだす。

 その様子は本当に”小動物”のようで愛らしかった。

撫でているだけで胸がじんわりと熱を帯び、欲望に染まっていた心が綺麗に洗い流されてゆく。


 もう黒い企みも、どす黒い欲望もどうでも良くなっていた。

例えこの子が詐欺師の仲間でも、美人局の餌でも構わない。 

 騙されて命以外だったら持って行かれても良い。


 だって彼は、例え気の迷いと言えど、こんなあどけない少女へ最低の行いをしようとしていたのだから。数瞬遅ければ、ロイドはリンカへ取り返しのつかないことをしてしまっていたのだから。


 だからロイドはせめてもの償いにと、リンカが満足するまで髪を撫で続ける。彼女も不思議と嫌がる素振りをみせなかった。むしろ心地よさそうにさえ見えた。


「すぅー……すぅー……すぅ……」


やがてあどけない彼女は再び安らかな寝息を上げ始める。


「全く……簡単に人を信じるんじゃないぞ」


 自分が言えたことではないのは分かっている。しかし何の打算も無く、純粋にリンカを守ってやりたいという気持が芽生えたのは、黒い欲望が一週回った結果である。


 ロイドは無防備に眠るリンカの前へどかっと座り込んだ。

そして自分の限界まで起きつづけ、周囲の気配に気を配るのだった。



*続きが気になる、面白そうなど、思って頂けましたら是非フォローや★★★評価などをよろしくお願いいたします! 


また連載中の関連作【仲間のために【状態異常耐性】を手に入れたが追い出されてしまったEランク冒険者、危険度SSの魔物アルラウネ(美少女)と出会う。そして幸せになる】も併せてよろしくお願いいたします!

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