第29話 ある男の記憶

 

 二十九



 俺様は……いや、虚栄を張っても仕方ないか。


 俺は……いや、僕は小さな頃、とても身体が弱かった。雨に少しだけ濡れても風邪を引く程に。

 その虚弱体質は小学校に上がってからも変わらず、そのせいでよく虐められていた。



「こっちに近付くんじゃねぇよ! お前はバイ菌なんだからなぁ!」


「ママからもお前に近付くなって言われてるし!」


「秀夫はバイ菌! 秀夫はバイ菌!」



 その日もいつもの如く、虐められていた。


 初めは酷い言葉に泣いていた僕も、この頃には既に慣れたもので泣く事も無くなっていた。

 だけど、この日はいつもとは違っていた。リーダー格だった男の子が言葉での虐めでは飽き足らず、遂に暴力を振るい始めたんだ。



「バイ菌はやっつけなきゃダメだから、やっつけてやる!」


「痛いっ! 止めてよ! ぎゃっ!」



 子供の暴力とは酷いもので、力の加減を知らない。そんなものだから、平気で一線を越えようとしてくる。

 僕は何度も何度も顔を殴られ、お腹を蹴られ……しかも、リーダー格が始めた暴力にその取り巻き達もこぞって暴力を振るい始めた。


 僕がいったい何をしたって言うんだ。ただ、身体が弱く生まれただけなのに。


 痛い。辛い。苦しい。……こんなに酷い目に遭うならいっその事死んでしまいたい。

 ママはどうして僕の事を弱く産んだのか。パパはどうして何もしてくれないのか。

 先生は自分の査定に響くと、僕への虐めを見て見ぬふりしている。


 力が……誰にも負けない力が欲しい――!


 力に恋焦がれながら、それでも力なんて手に入ることは無く……暴力を伴った虐めはそれからも毎日続いた。


 そんな毎日が一ヶ月続いたある日。あいつが転校して来た。



「今日は新しいお友達を紹介します。さ、自己紹介して?」


「俺の名前は『荒神 勇利』! 勉強は苦手だけど、運動は好きだ! 趣味で空手もやってる。みんな、今日からよろしくな!」



 あいつはニカッと笑い、自信たっぷりに自己紹介をした。

 顔付きはどこか女の子っぽいのに他の子達よりもしっかりした身体付きで、しかもとびきり明るい性格。クラスに馴染むのもあっという間だった。僕以外とは。

 身体が弱く、それで虐められている僕は必然的に人見知りとなり、そんな人見知りの僕が勇利君と馴染める筈がない。そう、思ってた。


 それでも勇利君が転校してからしばらくの間はありがたい事に、僕への虐めは止まっていた。理由は、僕を虐めていた連中が勇利君へと取り入る為だ。

 あいつは瞬く間にクラスの人気者へと駆け上がり、空手をやってるから僕を虐めてる連中も勝てないと判断したらしい。勝てないなら仲良くなれば良い。それで勇利君に取り入ろうと考えたみたいだ。そのお陰で、僕は一時の平穏を手に入れたんだ。


 だけど、その平穏も長くは続かなかった。


 何とか勇利君に取り入ったあいつらは、やはり僕への虐めを再開した。自分達よりも優れている勇利君を見ている内に劣等感に苛まれたらしい。

 そうして、その劣等感を解消する為に僕への虐めを再開したって訳だ。


 地獄が再び始まった。


 それから毎日罵られ、殴られ、そして蹴られる。生傷の絶えない日は無かった。

 だけどその虐めは勇利君の目の届かない所で行われた。勇利君に知られると、今度は自分達が勇利君にやられるからだ。



「お前は確か……秀夫っていう名前だったよな? 『山田 秀夫』、だよな? お前、毎日傷だらけだけど、空手とか格闘技とかやってるのか? だったら、俺と友達になってくれよ!」


「勇利君。そいつと友達にならない方が良いよ? そいつ、陰湿だから」



 そんなある日の事。毎日傷だらけの僕に、勇利君はそう声を掛けてきた。

 それを、僕を虐めてるリーダー格の奴が横槍を入れてくる。僕と勇利君が友達になってしまえば、僕の事を虐められなくなるからだ。



「『ゆたか』はちょっと黙ってろよ! 俺は秀夫と話してるんだから!」



 諏訪すわ 豊。

 小学校に上がってから僕を虐めていたリーダー格の男の子。

 勇利君が僕へと話し掛けた今回の事が原因でその勇利君と対立し、やがて勇利君の親友へとなっていく男の子だ。



「僕は格闘技の類はやってないよ。生まれつき身体が弱くて、それを理由によく虐められるんだ。そこの豊に……!」



 僕は今までの仕返しとばかりに勇利君へと豊の事を告げた。

 すると案の定、勇利君は豊を問い詰め、そして――



「豊、お前……! 俺、虐めは嫌いだって言ったよな!? 何で秀夫の事虐めんだよ! お前が秀夫の立場だったらどんな気分になる? 俺だったら悲しくて嫌だ!」


「う、うるせぇ……! か、空手が出来るからって威張んなよ!? お前なんて俺にかかればボッコボコのギッタギタだかんなぁ!」



 ――喧嘩が始まった。


 結果は勇利君の圧勝。空手をやってるってのが嘘じゃないと証明された瞬間でもあった。

 でも、学校で殴り合いの喧嘩になれば、当然先生に怒られるし、親も呼び出されて注意される。勇利君は片親だったから、余計に辛そうにしてたな。


 それは置いておくとしよう。


 そしてこの日から僕への虐めは無くなった。僕の平穏が戻って来たんだ。

 だけど、それだけじゃ無かった。

 クラスのみんなが、僕を虐めていた豊以外のみんなが僕へと媚を売る様になった。身体の弱い僕へ、だ。

 弱者から強者へ。

 たった一日で僕の立場は逆転した。

 はっきり言って、快感だった。みんなが僕の機嫌を取る。最高だ。

 何故そうなったかは分かるはずだ。そう。勇利君だ。

 あいつが僕への虐めを無くそうと裏で動いていたんだ。



「勇利君。ありがとう。僕への虐め、無くなったよ。これからも仲良くしてね?」


「あぁ、任せろ!」



 これ程上手くいくとは。


 あの時、勇気を振り絞って勇利君に豊からの虐めを告白しただけはある。傷だらけの姿で虐めを告白されれば、正義感の塊である勇利君なら僕の思い通りに動いてくれるだろう。しかし、それがこうも成功するとはな。


 ――馬鹿は上手く使ってやるに限る……!


 こうして、僕は小学校で誰も逆らう事の無い地位を手に入れた。

 あぁ、豊の奴はその後も何度も勇利君へと挑み、その度に返り討ちに遭っていた。

 しかし、何度やられても向かって来る豊に対して勇利君はその根性を認め、いつしか仲良くなっていた。物語で良く目にする『喧嘩をすれば友達になる』というのはどうやら本当らしい。実際二人は親友とも呼べる状態になったからな。

 頭が悪い連中の馴れ合いにしか見えないが、僕にはどうでもいい。

 結局、豊とも友達としての付き合いが始まったけどな。


 その後小学校を卒業するまでの間、僕たち三人は仲良くしていた。僕だけは表向きだっただけど。

 中学校に上がってもそれは続いた。義務教育だから仕方ないが、僕は成績が良かったから進学校に進みたかった。……が、親の収入の関係で断念した。


 この頃の勇利君……勇利は、県内では負け知らずの問題児となっていた。もはや相棒と呼べる存在になっていた豊もだ。豊はそこまで喧嘩が強くはないけど、地元では勇利以外では負け無しだった。どうでもいいが。



「秀夫! 何かあったら、いつでも俺に相談しろよ?」


「勇利が都合悪けりゃ、この豊様でもオッケーだぞ?」


「やめてくれ。僕は君たち程野蛮人じゃないんだ。……まぁ、何かあったら頼らせてもらうけど」



 中学校の卒業式。僕……いや、俺は勇利達とその言葉で別れた。

 この頃の俺は身体もかなり丈夫になったし、それなりに力も付いた。だけど俺は、世の中が暴力の様な力では無く、頭の良い連中の手によって動いている事を理解していた。つまり、体力よりも頭の良い者が強いという現代の日本の在り方を、だ。これからは力よりも知識が、そして頭脳が必要となる。


 高校は公立の進学校へと進んだ。


 高校の三年間は順調過ぎる程に順調に進んだ。成績も学年一位をキープする程に。

 だけど……いや、やはりと言えば良いのか、絡んでくる不良というのは居た。

 そういう奴らは勇利の名前を出せば直ぐに解決した。ホント、あいつは便利な奴だ。


 高校を卒業し、大学へ進むと、俺はそこで初めて挫折を味わった。いくら人並みに体力が付いたとしても、やはり生来の身体の弱さが災いしたんだ。エリートコースから俺は外れた。


 この頃の勇利は全国に名を轟かす程の不良になっていたらしい。不良同士の抗争に巻き込まれた感じで、だが。それで、警察に何度もお世話になっていたとか。中学の頃、みんなに隠れてラノベを読んでいたのには笑えるが、基本的に心優しいあいつがそこまでの不良になるとは意外だった。

 中学で別れた今となっては関係ないが。


 それよりも、俺の就職活動だ。


 挫折を味わった俺は負け癖が付いてしまったのか、結局三流の建築会社へと就職が決まった。

 それでも三流だからか、その会社ではエリートコースに乗れたが。



「あれ!? お前、秀夫だろ? やっぱり! 俺だよ、勇利だよ! 豊もここで働いてるぞ!」



 運命なのか、俺は勇利と豊、その二人と再開してしまった。

 あいつらは見習い職人としてこの会社に入って来たみたいだ。聞いた話によると、少年院からの斡旋らしい。力しか自慢する物が無い奴らに頭脳仕事は無理だし、厳しい職人の世界で更生させようというプログラムの一環だとか。

 それはともかく、今となっては俺の方が立場は上だし、社会での力も上だ。今まで色々とお世話になった分、今度は俺があいつらを守ってやるか。



「何なんだよ、あいつ! 秀夫は何も悪くねぇだろぅがぁ!! おい、秀夫! 俺があいつの事をぶっ飛ばしてやるからお前は心配しなくていいぞ!」


「あぁ、そうだぜ? 俺たち二人にかかれば、あんな奴軽く捻り潰してやるぜ!」


「やめてくれっ! あの人はこの会社の社長なんだから、素直に頭を下げてるんだ! だいたい、お前らが失敗したから俺が頭を下げてんのに、なんでお前らは暴力で解決しようとするんだ!?」



 就職して一年が経とうという頃、事件は起きた。

 勇利と豊がお客さん……施行依頼主に対して手を出してしまった。

 確かに『お客様は神様だから、神様である私が満足する様にお前らは黙って仕事しろ!』という態度の客だったからムカつきはしたが、それでもお客さんはお客さんだ。

 それに、そういう態度を我慢するのも家が建つまで。その後はアフターサービスはあるが、建築部門の俺たちは建物をお客さんに引き渡したらそこで関係は無くなる。


 それなのに、あいつらは、いや……あいつは我慢出来なかった。


 それでも、最終的には社長がお客さんの所に赴き、値引きを軸に交渉及び謝罪をした上で事なきを得た。

 そうして俺はこいつら共々頭を下げたって訳だ。今までお世話になった分あいつらを守ると決めたんだ。頭くらい幾らでも下げてやる。


 この時はそう思ってた。だけど――



「てめぇ、今、何て言った!? この野郎っ!!」



 ――また、問題を起こした。それも、何度もだ。


 一番初めに社長に頭を下げてから十年の月日が経っていた。

 今回もお客さんの態度にキレたらしい。

 この頃の勇利は結婚して子供が産まれ、随分と落ち着いてはいたけど、やはり事ある毎に問題を起こしていた。

 仕事の面では、一応一人前と呼べる腕前になってはいたが、しかしそれだけ。豊の方が腕前は上だ。



「おい、秀夫! お前の口からも言ってやってくれよ! 俺は手順通りに施行したってよぉ!」


「……限界だ。何でもかんでも力で解決しようとするんじゃねぇ! 小さい頃お世話になったからって今まで色々と世話してやったが、もう我慢の限界だ!」



 気付いた時には病院のベッドの上だった。



(許せない。許さない。よくも、よくも毎回この俺の努力を無駄にしやがる。今では俺の方が上だ。それを判らしてやる!)



 ベッドの上で、俺はその事ばかりを考える様になった。


 後で聞いた話によると、あまりにも一方的な勇利の暴力に俺はあっという間に意識を失い、更に追い討ちをかけられたらしい。そのせいで病院送りだ。その場に居たお客さんは恐怖のあまり、勇利の問題を無かった事にしたのだとか。よく、警察に捕まらなかったと思う。


 退院してから仕事に復帰し、その後勇利に会う度にネチネチと病院送りの事を口にし、更に仕事の事にも嫌味を言う様にした。

 勇利も、やはり俺の事を病院送りにしたのが後ろめたいのか、それからは俺に逆らう事は無くなった。

 豊は意外と世渡り上手なのか、それとも長い物には巻かれろという精神なのか、俺とは上手い付き合い方をしてると思う。軽い冗談と仕事熱心な態度。俺の豊に対する好感度は良好だ。


 それから更に十年の月日が経った。俺たちは四十三歳になっていた。

 俺は順調に昇進し、建築部門の取締役部長になった。豊は大工部門の頭を張り、勇利は相変わらずの平大工だ。


 あの夏の暑い日。久しぶりに俺は……俺様は現場を視察していた。

 すると勇利の奴、仕事も大してこなしてないのに帰ろうとしてやがった。



「良い身分だなぁ、給料泥棒ってのはお前みたいな奴の事だなぁ! ギャッハッハッハッハッ!!」


「くっ……っ!」



 俺様のストレスの捌け口は勇利になっていた。

 あれ程強かった勇利が、今じゃこの俺様に言い返す事さえ出来ない。スッキリするぜ。


 何だかんだで順風満帆。冴えない三流建築会社の取締役部長ではあるが、俺様は満足していた。いや、満足したつもりだった……



「はぁ〜あ。今日は休みだし、何をしようかねぇ。何故か俺様には嫁が来ねえし、嫁が居ねぇって事は当然彼女も居ねぇ。お陰で休日はやる事が無ぇ。つーか、何で俺様はモテねえんだ!? 自分ではイケメンだと思ってるんだがなぁ……。この目が原因か!?」



 朝起きて、洗面所の前で鏡に向かって問い掛ける。

 顔パーツのバランスは良いし、四十三って年齢にしちゃ若くも見える。やはり目、か。

 俺様の目は、瞳の左右と下側の三方向に白目が見える目だ。俗に言う『三白眼』ってやつだな。そのせいで目付きだけが非常に悪く見える。

 ネットで調べたところによると、三白眼は犯罪者に多いらしい。甚だ不本意だ。俺様は犯罪なんて犯した事無いし。


 まぁいい。

 どうせ暇だし、会社に休日出勤でもして明日からの仕事に備えるか。


 こうして俺様は会社に向かった。


 会社に着くと、電話番の受付の女が一人だけ出社してた。探せば他にも出社してる奴(電話番やアフターサービスの連中の事だ)が居るかもしれないが、俺様の仕事とは関係ない以上どうでもいい。



「おぅ、ご苦労さん」


「あ、山田部長、おはようございます。あれ? 今日はお休みの筈では?」


「ん? 明日の仕事のチェックしに来た。つーか、嫁が居ねぇから暇なんだよ」



 在り来りな会話をし、俺様の言葉に笑う女。冗談だと思ってる様だ。



「山田部長、意外とイケメンなんだから、もっと自信持った方が良いですよ? あ、もしもし。〇△建築です。ご要件は?」


「意外ってのは余計なお世話だ! ……それじゃあな」


「それでしたら後日改めて――」



 電話の対応を始めた受付の女に言葉を残し、俺様はエントランスを後にして部長室へと向かった。

 しかしこの受付の女、俺様をイケメンだと言う割には見向きもしねぇ。やはり身体の力が弱いからか? 地位は高くなったが、身体付きは貧弱だからなぁ、俺様。


 俺様の戦場……もとい職場、部長室へと入り、明日の予定を確認する。朝から取引先との打ち合わせに始まり、昼食はその相手との接待。それが終わると幾つかの現場の視察、か。相変わらずの予定だな。


 明日の予定に辟易したその時だった。世にも恐ろしい声が響いたのは。

 直後、俺様の目の前に大きさが1m程の謎の発光物体が現れやがった。



「な、何だったんだ、今の声は!? 世界を重ねるだとか、古の盟約が何とか……。――っ!?」


『汝、力を欲するか?』



 灰色に点滅する発光物体はそんな事を聞いてきた。

 力? 力が欲しいか、だと?

 欲しいに決まってる!

 そもそも力があれば……力さえあれば、小さな頃から虐めに遭う事もなく、勇利の奴にデカい顔をされる事も無かった。学校で人気者にもなれた筈だ。力さえあれば……!



「欲しいに決まってるだろう!」


『そうか。汝が欲しがる力……我にも無い。無い故に、我も欲している』



 無いんかーい! カッコ笑って言葉が頭をよぎった。

 こういう場合、大抵は『ならば力を授ける』って続くと相場は決まってるが、まさかそんな答えが返ってくるとは。予想の斜め上を突いてきやがる。



『我は何も持たぬ存在として産み出されしもの。それ故、何者よりも力を欲している。汝の魂は我と似ている。故に我は汝の前に居る。汝、我と共に力を求めよ。我は【虚無】なり』



 虚無と名乗った物体はその言葉を俺様に告げると、俺様を呑み込んだ。そう、呑み込んだんだ。そうとしか表現出来ない。

 俺様の目の前一面の空間が発光物体の灰色に染められると、俺様はそのまま灰色に取り込まれた。どうやら融合するらしい。

 その後、身体の中に異物が入り込んだ様な、体内を百万の虫が這いずる様な不快な感覚に蝕まれ、やがて俺様は意識を失った。

 意識を失う寸前、ガシャーンというガラスの割れる様な音やガラガラガラと何かが崩れる音、それにグチャグチャという肉が磨り潰される様な生々しい音などが聞こえた気がしたが、それよりも受付の女がどうなったのかの方が気になった。無事でいてくれれば良いが。

 俺様の事を好きじゃなかったとしても毎日顔を合わせてるから少しは心配にもなる。


 もう、どうでもいいか。


 もう……何も……考え…………られ……な……い…………




 ☆☆☆




 意識が回復した時、俺様は身体に違和感を感じた。そう、違和感だ。虚無と名乗る存在と融合した感覚とは違う違和感がある。

 普通なら、どれだけ気を失ってたのか、とか、あの後どうなった!? とか、そういうのを気にするものだが、俺様が感じた身体の違和感はそんな事を気にしてるレベルでは無かった。



(声が出ねぇ! 何も見えねぇし、手足も動かねぇ……! 匂いも感じねぇし、耳も聞こえねぇ! だけど、何だ? 辺りに何が在って、何が居るのかが分かる。それに……何をすれば良いのか、も!)



 本能と呼べば良いのか、俺様は直ぐ近くに居たものを取り込んだ。動けなかった以上、そいつが俺様の身体に触れるまで待ったが。



(動ける様にはなったが、これは……)



 俺様の身体に触れ、取り込んだのはトカゲだった。何故トカゲだと分かったのかは分からない。超感覚とでも呼べば良いのか、とにかくトカゲだと分かった。


 ともあれ、トカゲを取り込んだ事で動ける様になり、視界も聴覚も触覚も得たのは良いが、これでは言葉による意思の疎通はおろか、肝心な力を得たとは言い難い。

 だが、自ら動けるという事は、俺様の欲求に適った力を求める事が出来るという事。俺様は力有る存在を探し求め、当ても無く彷徨い始めた。


 程なくして、俺様の求める存在へと辿り着く。そう、人間を見つけた。



(見つけた……! これで、この不便な身体からオサラバ出来る!)



 恐らくは農民だと思われる人物。そいつは俺様の性別と同じ男だが、中年だった俺様とは違い、まだ少年の面影を残した若い男だ。

 何故農民だと思ったのかは分からないが、そいつの服装は、中世ヨーロッパの貧乏人を連想させるものだ。だから農民だと思ったのか? まぁいい。

 顔付きは白人と日本人を足して二で割った感じで、意外とイケメンだ。そして優しそうな顔をしている。まぁ、今の俺様にとってそんな事はどうでもいいが。

 俺様は、僅か20cm程度の小さな身体を慎重に且つ大胆に、しかも素早くその男へと走らせ……それ程逞しくも無い若い男へと触れる。触れると言っても、ズボンと布靴の隙間である足首にそっと身体を寄せる事だが。



「えっ!? あ……あぁ……!」



 若い男は何かに驚いた様だが、既に俺様はその男を取り込んだ後だ。もはやどうでもいい。

 若い男の身体は物理現象を無視する様に小さくなり、俺様に吸収された。そして俺様はと言うと、トカゲの身体から人型へと変わり、大きさも身長が180cm程となった。

 トカゲと人間を吸収してその特徴や力を得たが、鏡が無い以上俺様の容姿を確認する方法は無い。まさか、トカゲ人間なんて事は無いよな?



「あー、あー、あいうえお、かきくけこ。勇利の頭は脳筋だ。……よしっ!」



 人型となった身体で、視覚、聴覚、触覚、嗅覚などを確認し、次いで言葉を発する。味覚は後回しだ。そして思惑通り、身体は俺様の自由に動かす事が出来た。

 初めにトカゲ、次いで人間。二種の生命を取り込んだ俺様だが、そのお陰なのか、それとも虚無と呼ばれる存在が持ち得た力なのか。その二種の生命を取り込んだだけで、俺様の身体に得も言われぬ力の奔流を感じられた。今まで生きてきた四十三年では感じる事が出来なかった感覚だ。



「身体の底から力が湧いてきやがる……っ! 何がどうなったか分かんねぇが、何て素晴らしい力だ!」



 よく分からないが、どうやら俺様は他生物を取り込む事で尋常じゃない力を得る事が出来る様になったらしい。

 だが、素晴らしいと思えるこの力にも制限があるらしく、取り込んだ力を行使出来るのは直近で吸収した三つまでの力らしい。今の現状で言えば、後一つの生命まで……つまり、トカゲ、人間、後もう一つの何かを取り込んだ力を俺様の力として振るえるという事だ。


 強大な力を求める旅が始まった。



「強大な力と言えば、やっぱり悪魔だよなぁ」



 そう呟きながら、俺様は荒野を彷徨う。


 世界が重なるだとかは分からないが、この世界で目覚めて分かった事がある。それは、この世界が学校で習った中世ヨーロッパを思わせる世界だという事だ。しかもそれだけじゃない。何と、魔法が実在する世界なのだ。

 魔法が存在するとなれば、当然魔物も存在する。現に、俺様は魔物と遭遇している。魔物、だと思える存在の事だが。

 見た目は人間の様だが、明らかに豚の顔が付いている。

 後で知った事だが、豚の顔を持つ人型の魔物は『オーク』と呼ばれるらしい。



「俺様がトカゲ人間なら、コイツは豚人間ってか!? ふん、呆気ない」



 これも虚無と呼ばれる存在の特性なのか、どうやら俺様は取り込んだ生物の力を数倍にして使えるらしい。

 初めに取り込んだトカゲの時点で、そのトカゲの数倍の力を使えた様だし、その後の人間を取り込んだ事でトカゲの数倍と、人間の数倍。つまり、元の俺様の力から考えると数十倍の力を得た事になる。ハッキリ言って、そこら辺の人間なんぞ雑魚という事だ。当然、オーク如きは軽く殴れば殺せた。



「だが、まだだ。もっとだ! もっと、力が欲しい……!」



 今までの俺様が感じた事のない力による高揚感に酔いしれ、虚無と呼ばれる存在の力を求める心を受け継いだのか、俺様は力をより求める様になった。

 見るからに筋骨隆々(腹回り以外)のオークを一撃の元に屠ってもその欲求は治まるどころか、増す一方だった。


 そうして俺様は悪魔を求めて彷徨う事にした。

 勇利じゃないが、多少なりとも小説などを読んだり、RPGゲームをしたりで、力を持つ存在と言えば悪魔だろうという事は知識として知っていた。

 それに、オークと呼ばれる魔物が存在するこの世界なら、悪魔と呼ばれる存在さえも居るはず。期待に胸は高まる。


 どれほど彷徨ったのか。恐らく百年は下るまい。

 やはり虚無の影響なのか、俺様は人間の寿命を超えても歳を取ること無く生きていた。相も変わらず悪魔を求めて。


 それだけこの世界を彷徨っていれば、当然他の人間にも会うし、街や都などにも立ち寄る。今、俺様が居る街は、どうやらハポネ王国と言う新興国家の都市らしい。ちなみに、建国してからまだ十年程だとか。それ故に、街の規模はまだまだ小さいが人々の活気に溢れている。

 なんでも、首都……この場合は王都と呼べば良いのかな? 王都であるこの街の名前は『トキオ』と言うみたいだ。今となっては懐かしい日本の首都を匂わせる名前だな。


 そのトキオの街で分かった事が一つある。どうやら普段の俺様の姿は、あの時吸収した若者の姿だという事だ。服飾店の姿見鏡でその事が確認出来た。まぁ、トキオの街往く人々が俺様を見て怖がらなかったからそうじゃないかとは思ったが。

 ちなみに魔物との戦闘時にを出すとトカゲ人間……リザードマンの姿に変わるらしい。らしいと言うのは、そんな場面で鏡なんて物は当然無いからだ。だが、魔物を殴る際、俺様の腕が緑色の鱗の生えた物になっている事からそれが分かった。


 それはともかく、俺様はトキオの街で服も手に入れた。

 それまでは魔物や食料として仕留めた動物の毛皮などを纏っていたが、さすがにそれだと恥ずかしい。

 この世界の金……『ゼニ』は無かったが、魔物を仕留めて肉を食べた際に見付けたルビーみたいな物で服と交換出来た。

 後で知った事だが、どうやらそれは魔石と呼ばれる物らしい。見た目は動物でも、体内……まぁ心臓の中などにその魔石があれば魔物らしい。見た目が魔物っぽい俺様の心臓にも魔石があるなんて事は無いよな?


 服を手に入れたトキオの街から程近い森林の奥深く、そこで見付けた洞窟の最奥で、俺様は念願の悪魔を見つけた。どうやらその洞窟はダンジョンと呼ばれる物らしい。

 それはどうでもいいが、そこで見付けた悪魔は……デーモンロード。4m程の巨大な身体に纏うは鋼の筋肉。頭からは大きな捻れた角を二本生やし、背中からは巨大な蝙蝠の羽根。正に悪魔そのものといった姿だった。

 取り込んだ事で悪魔の位と種族名が分かったが、とにかくこいつは恐ろしい力を秘めていた。


 だが、俺様も伊達に百年は彷徨ってはいなかった。


 トカゲと人間以外にも取り込んだ生命がいた。俗に言う龍だ。

 中世ヨーロッパを思わせる世界でドラゴンじゃなく『龍』を見つけられたのは僥倖だった。龍とは、ドラゴンなんぞよりも遥かに高次元の存在だ。それと言うのも、ドラゴンとは違い神通力を持ち得ており、更に意志の力で天候を操り、あまつさえ人語を操る。正に魔物の王とも言える存在。そんな至高の存在を俺様は取り込む事が出来たのである。どうやって取り込んだかについては省く。……こっそりだよ、悪ぃかっ!


 その龍の力に人間の知能。まぁ知能の部分で言えば俺様由来の物だけどな。

 そこへ絶大な魔力と魔法を操る力を持つデーモンロードだ。こいつを取り込めば、この世界で俺様に敵う者は居なくなる筈だ。


 ――かつて恋焦がれた最強の力で、この世界を支配してやる!


 俺様はデーモンロードへと襲い掛かった。


 その時の姿は、当然龍人の姿だ。リザードマンの姿でも良かったが、俺様はデーモンロードを力で屈服させたかった。



「遂に……遂に俺様は最強の力を手に入れた……!」



 デーモンロードは見た目も恐ろしいが、その実力も恐ろしく強かった。物語で良く目にする魔王とは、恐らくこのデーモンロードの事ではなかろうか。それ程の恐ろしい魔力を誇っていた。

 4mを誇る巨躯から放たれる灼熱の炎の魔法に極寒の氷の魔法。真空の刃を発生させる巨大な竜巻の魔法など、どの魔法も俺様に大ダメージを与えるものだった。


 だが、俺様も負けてはいない。


 龍の神通力でもって発生させた雷雲からの雷や、更には超重力。時には自らの強大な力での肉弾戦。

 それらを駆使してコツコツとダメージを与え、弱りきった所で吸収してやった。



「溢れんばかりの魔力に強大な力。更には、この巨体。この世界を支配するに相応しい姿だ! さしずめ『龍魔人』といった所だが、名前が秀夫のままだとどうにもしっくりこねぇ。これからは【ベリアル】と名乗るか……!」



 デーモンロードを吸収した俺様の姿は、正しく龍魔人……いや、魔王といったもの。デーモンロードの巨躯をベースに龍の角と鱗、そして背中には禍々しい四対の羽。恐らく顔付きはそれに相応しい恐ろしいものだろう。

 その身体の力は言うまでもなく強大。ダイヤモンドでさえ軽く握りつぶせる力に龍の神通力、更には強力無比な魔法の数々。俺様に敵う奴は居るはずが無い。


 こうしてベリアルを名乗った俺様は、手始めにトキオの街を襲う事に決めた。服でお世話になったとかは、もはやどうでもいい。


 脆弱な人間共は儚い抵抗をするが、俺様にはまるで通じない。トキオの街はあっという間に火の海に包まれた。



「な、何だ、こりゃあ!? グオォォォォォッッ!!?」



 虫けらを潰しまくってご機嫌だった俺様を、突如として不可思議な現象が襲った。目に見えない透明なバリアの様なもので包み込まれちまった。そしてそのまま、森林の奥深くへと転移させられた。



「いったいどうなってやがる!? この森から出られねぇっ!!」



 その森林から俺様は抜け出す事が出来なかった。

 行けども行けども森林は途絶えず、挙句の果てには元の場所へと戻される。俺様は途方に暮れた。

 念願の力をようやく手に入れ、これからって時にこの出来事だ。頭に来るぜ。


 それから俺様は千年以上をこの森林で過ごした。

 もしかしたら二千年以上かもしれねぇが、千年を超えた辺りで数えるのを止めた。


 毎日、森林に居るゴリラと虎を足して二で割った様な魔物を喰らい、そして寝る。そんなくだらない生活を送っていた俺様に、ある時謎の声が聞こえた。



『これから訪れる者と闘ったら自由にしてあげましゅ』


「何!? 本当か!? おい! 答えやがれ!」



 空耳だったのか、それとも力の行使に飢える俺様の幻聴だったのか。謎の声はそれっきり聞こえなくなった。やっぱり幻聴かもな。


 だが、それから程なくして変な三人組が俺様の前に現れた。三人組と言っても、果たしてそいつらを人として表現して良いのかは分からねぇ。

 一人は小娘だ。コイツは見るからに人間っぽいから人として数えても問題ねぇ筈だ。特徴は、新雪色の髪の毛に真っ赤な瞳。ピンクと朱色が混ざった様な小洒落こじゃれたローブを着てやがる。歳の頃は十二か十三か。どっちにしろ小便の匂いが取れねぇ様な糞ガキだ。

 二人目はデカい男だ。……男、だよな? 平安時代の着物みたいなのを着てやがり、左右のこめかみからそれぞれ鋭い角を生やしていやがる。顔の見た目が女っぽいが、身体付きからして男だろう。角が生えてるから人として数えるのはどうかと思える。

 そして三人目。この世界が幻想的な世界だと感じさせる奴だ。水……だと思うが、とにかくその水が女の形になった奴だ。コイツは人として数えらんねぇだろうなぁ。


 ともあれ。



「やっと……やっと見付けたです! ここのキーモンスターを……!」


「やりましたな、ユーリ様! 拙者にお任せあれ! 『龍水裂斬!』」


『ワタシだって……! 水よ。命を育む水よ。一時だけそのことわりをワタシに委ねておくれ……。水流よ! 鋭き刃となりて、切り刻め……! アクアブレード!』



 小娘がキーモンスターだのと訳の分からん事を口にした後、デカいのと水の女が攻撃してきやがった。デーモンロード以来となる強力な攻撃だ。

 さすがの俺様でもダメージは避けられない程の威力だ。水で出来た巨大な水龍や、やはり水で出来た巨大な大剣が、辺りの大木をいとも容易く薙ぎ倒しながら俺様に殺到して来やがる。


 だが――



「拙者の攻撃が効かぬだと!?」


『ワタシもダメみたい……!』



 ――俺様は全くダメージを負わなかった。


 俺様が強くなり過ぎちまったのか、それともこいつらが弱ぇのか。どっちにしろ久しぶりの戦闘だ。やってやるぜ!



「このベリアルに恐れず向かって来るとは馬鹿な奴らだ。簡単に死ぬんじゃねぇぞ? 『ブリザードブレス!』」



 先ずは様子見って事で、俺様は吹雪を吐き出した。辺り一面は途端に凍り付く。



「寒いだろう? 次は温めてやるぜ。『フレアトルネード!』」



 次は焦熱炎の竜巻を発生させる風属性と火属性の合成魔法だ。凍り付いた森林がたちどころに火の海と化し、範囲内の樹木が根こそぎ天へと吹き飛ばされる。この森林に棲息する魔物は今の二つの攻撃の内、一つでも喰らえば一瞬で死ぬ。こいつらも例外じゃねぇだろう。



「ビックリしたですぅ……!」


「何だと!? ――結界魔法かっ!!」



 どうやら、ちっとは歯応えのある奴らの様だ。俺様の小手調べの攻撃を耐えるくらいは。

 だが、遊びはここまでだ。次からは本気の力でやってやるぜ!

 ……あの謎の声の話が本当なら、こいつらを殺せばこの不可思議な森林から出られるはず。


 俺様は全力で攻撃を始めた。




 ☆☆☆




「これで、トドメです……! 『混沌の焦熱炎カオスフレア!』」


「グアァァァァッッ!! この【ベリアル】様が貴様の様な小娘如きにぃぃっっ!!!」



 何なんだ、あの小娘! 俺様の攻撃が何一つ通用しやしねえ……!

 攻撃にしたってそうだ。百本の剣を縦横無尽に操りやがる!

 挙句の果てにはあの馬鹿げた威力の魔法……!

 俺様の強靭な筈の防御力を容易く貫きやがった!


 ……このままじゃ死んじまう。


 俺様は辛うじて残ってる体力を振り絞り、ベリアルとしての力の僅かをかき集め、初めの無力だった物体へと姿を変えて死にゆく肉体から飛び出した。

 幸いな事に、あの小娘やその仲間の連中が俺様を追ってくる事はなかった。


 だが、そんな事はどうでもいい。いや、良くはないが、とにかく力を回復させねぇと復讐する事も出来やしねぇ。


 回復にどれだけかかる? 数日なんて事はねぇだろう。一ヶ月か? それとも一年か?

 ……どれだけ喰えば回復する?


 回復する事と復讐する事で頭がいっぱいだった俺様は気付いていなかった。小娘と戦っている最中、本来の全力が封じられていた事に。更には、肉体から飛び出して直ぐ、不可思議な森林から脱出していた事を。

 そしてその場所で、力を回復する為に長い眠りに就かなけりゃならなかった事も。






 ――いつの間にか眠っちまった様だ。


 だが、小娘にやられたダメージは回復した様だ。今度はさっきの様にはいかせねぇ。


 しかし、眠い。

 後少し……もう少しだけ眠ろう……


 俺様が目覚めたその時は……


 あぁ、楽しみだなぁ……

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