第28話 部員として、役者として

4月15日の早朝、俺は昨日克己先輩に言われたとおり、グローブを返そうとあのグラウンドに立っていた。朝来てすぐ、少し清水先生にこんな時間に何をするんだと怪しまれたが、グローブの旨を話すと渋々ながらわかってくれたようだった。朝霧が少し冷たく体にまとわりついてくる。風邪すら引きそうな体感気温だ。しかし、気にしても仕方ない。むしろ、あれだけのミスを犯したのだからそれぐらいは受けて当然の罰だろう。俺はひたすらに待ち続けた。部員でも顧問でも野球部関連の誰かを。朝日を浴び、大方気温も上がってきた7時45分。最初にやってきたのは見覚えのある顔だった。

「確かお前……演劇部だったよな? この前朝練があるって言ってた。こんなとこで何してんだ? 」

野球部の伝統的な丸刈り頭に部活ジャージを着込んだ彼は、借りに来た日に最初に喋った相手にほかならない。俺は彼が「その人」と分かって一気に心が弛緩するのを感じた。

「あ、あぁいえ。あの、先輩、この間借りたグローブの件なんですけど、一つ使わないことになったのでお返しします。」

「ありがとう。っていうかあれでしょ?

そっちでまた別の物を借りてったんでしょ? ならまだしばらくはいいよ……」

その野球部の先輩はやけに目を逸らして言った。しかし、その目が驚きに変わったのは、俺の手の中、グローブを見たときだった。

「あれ、このグローブどうした? これ貸しててたやつだよな。どうしてこんなにちゃんとしてるんだ? 使えなかったはずなのに。」

「あぁ、それなんですけど、他のものを先に借りてたの知らずに、僕の早とちりで修理してしまって。ごめんなさい、勝手なことして。」

先輩は急に相好を崩した。なごやかで嬉しそうな笑みが顔に浮かんだ。俺はそんな彼の態度に少々面食らった。自分の勝手な言動の結果なのに、どうして喜んでくれるんだろう。

「いやいや、勝手なんてそんな。むしろありがとう!! 実はあそこにためてたグローブ、使えないものが多くてさ。いつか修理しようって思ってたから。」

まさかの告白に更に驚き、思わず固まる。

「そうだったんですか!? でも、あそこにあるやつくらいしかグローブとかバットとかはないんじゃ……。」 

「おお、固まるなって。実は、お前が借りてったところ以外にももう1段階使用頻度が高いものが保管されてるところがあるんだ。あそこならまだ壊れてなかったのに。どうして山上先生はあそこに案内したんだか。」

顧問にさり気なく毒づく彼に本来の目的を果たそうとグローブを渡した。

「時間取らせてごめんなさい。とりあえず、これ、ありがとうございました。」

「いや、こっちこそ修理ありがとう。バットはまだ借りると思うからまた返却よろしくな。」

「はい!! あの、先輩……」

もしチームメイトが同じミスを繰り返していたらどう思いますか。部活は違っても、思うところは同じなのかもしれない。俺が先輩に話しかけようとした時、、グラウンドにもう一つの影現れた。

「おー、小宮山(こみやま)、今日も朝練か。早いなー。さすがキャプテン!! 」

俺の目の前の先輩を小宮山と呼んだ男はすこし華奢で、でも下半身はかなりしっかりしている。足が速そうだ。彼はキャッチャーらしく、既に装備を整えてホームベース付近に立っている。

「大里(おおさと)! 早く行ってキャッチボールとリードの研究しようって言ったのお前じゃないか。」

「あぁ、そうだったな!! ちょっと待っててもらえるか? 」

「なんだよ、手短にな。みんな来ちゃうぞ! 」

どうやら小宮山先輩は俺に話す時間をくれるらしい。最初は話にくさを感じていたが、とても優しい先輩のようだ。これは主将を務めるのも納得できる。

「あ、さっきのは大里で俺とバッテリー組んでるやつな。それで演劇部の後輩君。さっき言いかけたことってなんだ? 」

先輩は少し苦笑いしながら言うと、こっちを向き直って問うた。ということは、小宮山先輩は投手だろう。遠くからは乾いたミットの音が聞こえる。大里先輩が何かしているようだ。

「先輩キャプテンなんですね……。あの、先輩は仲間が得点圏で例えばエラーみたいなミスをしたらどうします? それが得点につながったりしたら。」

「まぁ、ピッチャーだから味方のエラーとかで失点することもあるけど、しょうがないって感じかな。繰り返さなければいいって感じ。やっぱり投げてるピッチャーより他の野手の方が圧倒的に人数多いし、自分のまずいピッチングを好守備に助けてもらうこともあるしな。」

やっぱり、一度だけならそんな感じかもしれない。でも、問題はその先にある。

「じゃあもし、それが何度も続いたら、タイムリーエラーやパスボールで失点したり負けたりが続いたらどうします? 」

「なんだお前急に。そりゃ多少は怒るしイライラするけどさ、なんだかんだでいつも助けてもらってるからそりゃ強くは出れないな。そもそも、これもしょうがないって思うし、野球って実力主義だから、そういう人は結構すぐベンチと変えられたりするし。」

先輩は暖かい笑みを持って答えてくれた。聞いてくれて答えてくれたのはすごくありがたい。だが、一つ演劇にない要素があることに気づいた。ベンチ制。演劇ではどんなにまずいことをしようとその役職の代わりはいないのだ。先輩は、「同じミスを繰り返す人はすぐベンチに下げられる」と言っていた。つまり、ベンチのない演劇において、それはやはり見切られることを表している……。

「そうなんですか……。」

俺はそう言い放つのが精一杯だった。せめて聞かなければ良かった。

「ほんとにどうした。全然元気なくなったじゃないか。」

そう言って彼は俺の頭をわしゃわしゃと撫でた。普通なら少し引く所だが、今はその暖かさが心地よく、ありがたかった。一つ思い出したように先輩はつぶやく。

「そういやお前、結構野球用語知ってんな!! もしかして野球好きか? 」

「野球は好きですけど、何より今回やる劇が野球に関わるもので、色々と覚えたんです。」

「おお!! そうだったのか。あのさ、今度野球の地区大会があるんだけど、1つ勝ったら全校応援になるから、よかったら来てくれないか? 」

まさかの誘いに驚く。が、ここまで色々としてもらったわけだし、自分も応援はしてみたいので、是非とも行きたいところだ。

「もちろんです!! 先輩、主将として頑張ってください! 」 

「ありがとう! それじゃ、そのときはよろしくな。俺はそろそろあいつのとこ行って練習しないといけないから。じゃあな。」

そう言って先輩はホームベースヘ駆けていった。スパイクによって巻き上げられた土煙が少し先輩達の姿を霞ませる。

「時間取らせてごめんなさい。ありがとうございました!! 」

そう言って俺も踵を返すことにする。用は済んだ。後は、後は……。できるだけ周りに迷惑をかけないように、みんなの物を壊さないように新歓公演を全うするだけだ。時刻は8時15分。小宮山先輩には30分以上も使わせてしまったことになる。申し訳なさも感じつつ、俺は歩みを進めた。朝焼けが尾を引いた空には、雲ひとつない快晴が広がっている。きれい過ぎる空が少し眩しかった。

 部活が始まる。ミーティングでは、みんなの視線が気になる中だがとにかく昨日のことについて報告しなくてはなるまい。

「すみません、道具チーフです。皆さん、グローブの件は僕の確認不足でした。本当にごめんなさい。ひとまず、奏先輩達に追加でグローブを借りてきていただき、自分が誤って修理に出してしまったグローブも無事に野球部さんにお返しできました。以後気をつけます。すみませんでした……。」

みんなからの返答はミーティングの場では無論ない。視線が痛く、この上なく居づらい雰囲気だ。幹彦の件以来のこの場を逃げ出したい気持ち。しかし、今回に関しては完全に自業自得なので向き合わなければならないだろう。

「ひとまず。今日は最初に芝居の通し、その後ひたすら返して芝居をまた固めていきます。あと、もうおそらく変更点もないと思うので今回の芝居を安定させて、いつでも同じパフォーマンスができるようにしてください。お願いしますね。」

前に先生が言っていたいい役者の条件、「いつでも安定した演技」。やはり改めて奏先輩はついていきたいと思えるいい演出だと思った。

 多分、自分の持てる演技のベストをすれば、それがひいてはダメを出される返しの時間短縮に繋がり、みんなに迷惑がかからないことにつながる。そう思った俺は今までのダメの回収も含めたベストの芝居をしようと心がけた。

「国之! 今日もいいじゃん!! やっぱ主役にして良かったわ。この芝居を安定させればあんたは最強だ! 」

通しが終わり、反省の冒頭に俺は奏先輩にこんなセリフを言われた。しかし、きっと彼女は知らない。この出来は一過性の物で、努力で持続できるのも限らないということを。そして、俺が部活をやめようと思っていることを。いかに演技ができようとそれ以外が駄目なら意味がない。俺はそこが最も成ってないのだ。

「ありがとうございます!! 」

俺も嬉しい気持ちはあったのでそう答えたが、やはり頭の中を禍々しい気持ちが包んでいた。その後の返しでも主に自分ではなくどちらかと言えば周りにダメが飛び交った。険悪にはならない建設的な、効率的な練習。気合の入った練習が続いていく。

 その日の帰り、由香里先輩があるチラシをミーティングで持ち出した。

「えー、社会人劇団ワンハーフの芝居が5月頭に北去山駅前の市民会館であるそうです。見に行きたい人は挙手! 」

「はい!! 」

一秒と待たず何人かの手が上がった。由香里先輩の手には一面の星空とタイトルが書かれたポスターが握られている。しかも、ワンハーフといえば去山演劇部のOBが所属している……。いつもなら真っ先に手を上げるところだ。今回も無論行きたい。ものすごく行きたい。でもやめておこう。5月なら俺が部活を抜けた後になる。部活を辞めた後まで、元部員と積極的に関わるのは無理だろう。きっと、他でもない部員達が許さない。

 行きたい気持ちを押し殺して手を挙げずにいる俺。今のところは悟られずに済んでいるようだ。辛いが、これでいい。俺が動かぬほうがきっと全てうまく行く。なぜだか少しだけ泣きたくなった。

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