第20話 ジェットコースター的生活

 俺が我に返った時、厚い布団と白い壁とが俺を包んでいた。ここはどうやら、保健室か。そういえば、部活をしていた記憶が無い。

「国之!! やっと目を覚ましたか……。」

カーテンの向こうから声がし、清水先生が駆け寄ってくる。「やっと」という表現に違和感を覚えて俺は時計を見た。どこにでもありそうな無骨な壁掛け時計。それが指す時刻は既に、午後6時を回っていた。消毒液の香りがやけに鼻につく。

「え!? 」

なんと、それはもう部活も残り30分を切った時間帯。俺は突きつけられた現実を理解しようとする。つまり、俺は何らかの理由で保健室に担ぎ込まれてずっと眠っていたのだ。もう部活も終わるこの時間まで。そういえば、いつの間にか体のだるさや重さが無くなっている。体が元気になった以上、とにかく部活に戻らなければ。主役がいないと返しが進められないかもしれない。なんとかまだ少しふらつきが残る体に力を入れ、立ち上がろうとする俺を清水先生が制した。

「まだ変に動こうとするな! お前倒れてたんだぞ!! 部活に行きたい気持ちも分かるけど、今は休んでろ。」

倒れていた。なんとなく担ぎ込まれる理由はそんな気がした。でも、倒れる直前は痛みなどがあったわけではない。いつの間にか意識が飛んでいた。

「でも……なんで倒れたか知りませんけど、もうだるさとかも無くなりましたし、大丈夫ですよ。早く行かないと練習進まなくなりますよ。僕は主役ですし。」

「台本は一応俺も読んだけど、主役だからって最初から最後までずっと舞台に居続ける訳じゃないじゃないか。お前がいないシーンの返しをやってるさ。こっちだって倒れた理由はわからんさ。だからこそ、一回ちゃんと検査受けるまで下手に動かない方がいい。」

「はい……。」

いつまで部活に出られないのか……。俺の心をひどく暗い物が支配した。申し訳なさと罪悪感が俺の心をさらにえぐっていく。本番まではあと今日を入れて12日。まだ一度も通し練習ができていないうえ、開演前後に行う前説やカーテンコールの練習もしていなかったはずだ。加えて、12日には部紹介も待っている。そこへ向けての練習も恐らくできていない。由香里先輩のことだから、きっちり原稿は練ってきていると思うが……。

「とりあえず、そこの保健室の先生に症状を話して明日にでも病院でちゃんと検査してもらった方がいい。」

もし明日検査を受けられれば、明後日11日には戻ることができる。さすがに前日だから部紹介の練習はするだろうし、それ以外のところも多少進展はあるかもしれない。そう思えば、多少気持ちが楽になった。

「わかりました。ひとまず、話してみます。わざわざ来てくれてありがとうございます。」

「おう。ってか部員が倒れたんだから顧問が保健室まで行くのは普通だよな? 多分行かないやつの方が少ないだろ。」

「そうですかね……。とにかく、こんな時に倒れちゃってごめんなさい。」

言い切ったとき、そこまで闊達に、テンポ良く言葉を返していた先生の顔が曇った。トーンも比例してやや落ち気味になる。

「別にいい……なんてことは悪いけど言えない。前にも言ったけど、お前は主役で、芝居の核になる存在だ。他のキャスト以上に演技力が求められる。そしてな国之、主役ってのはキツいんだ。華がある分。主役の演技や、それが好きになれたかどうかで芝居の評価の大勢が決まることもあるし、好感だけじゃなくて批判も一番寄せられやすい。だから、それに耐えうるか、意に介さないだけのメンタルも必要になってくるんだ。今回に関しても理由はわからんけど、見てた生徒の話によれば直前まで変な素振りは無かったらしいからそこまで心配はしてない。でも、今回そういうストレスが原因で倒れたんだとしたら、強くならないと駄目だぞ、国之。」

「はい!! 」

ストレスが原因で倒れた。その理由に心当たりは無いではなかったが、もし本当にそれなら果てしなく情けない話だ。それにしても、この先生の話だけは聞いていても長いなんて感じることは無い。想いが正直に伝わってくるからだろうか。真剣な目でこっちを見つめる清水先生を見返し、俺は改めてそう思った。

「きっとお前は来年以降、確実に先輩になるんだ。その時もまた責任感を持っていけよ。じゃあ、俺は悪いけど職員室戻るな。そろそろ部活も終わる頃だし。ちゃんと症状話しとくんだぞ。じゃあな。また教室で。」

「はい。批判をかわせるくらいには強くなります。さようなら。」

俺はベッドから半ば身を乗り出して先生を見送った。はっと今まで考えても見なかった現実を見せられた。今の1年生、つまり来年の2年生は3人。男子が俺しかいない以上、後輩に「男子としての演技」を教えられるのは俺だけだ。「先輩になるんだ」という重圧を改めて感じ、俺は身震いした。ふと、「部活も終わる頃」の言葉を思い出して時計を見ると、6時25分。確かに終わる頃合いだ。あわよくばと思っていた俺は諦めて、症状を話すことにした。

「あの……先生。」

「東田くん。やっと話せそうな感じかな。具合どう? 」

柔和な表情の保健室の先生は、俺の言葉に少し食い気味でついてきた。そういえば、清水先生と話している間ずっと彼は待ちぼうけを食っていたのだ。少し申し訳なく感じつつ、俺は話し出すことにした。

「今はまぁ、なんとかマシって感じですね。最初感じてた体の重さとか、だるさも無くなりましたし。多分特に変わったことはなかったんで、疲れてたのかなって思います。」

「そっか。なら良かった。聞いてたところ、早く部活に戻りたいみたいだね。今日のうちに問診票書いて病院の方に送るから、できるだけ早く検査を受けて、復帰できるようにしような。演劇、やりたいだろ? 」

「はい!! 」

検査を受けさせてもらう病院は去山町にある割と大きめの場所のようだった。その後、俺は先生に聞かれたことに淡々と答えていった。先生は手早く手元の紙を書いていき、途中電話なども挟んでいた。書き終わると俺にこう告げた。

「一応、空いているから明日にでも検査できるとのことだ。多分最低でも半日かかるとは思うんだけど、大丈夫そう? 」

「親は空いてると思います。僕も、下手に学校行っても先生とかにまた止められるだけですし、明日受けに行きたいです。」

「わかった。病院の方にそう言っておくよ。あ、親御さんにはもう言ってあるから、今日のところは迎えに来てもらったら? 」

「はい。そうしようと思います。ありがとうございました。よろしくお願いします!! 」

時刻は既に6時40分過ぎ。なぜか今日は歩いて帰る気も起きず、先生の言うとおり俺は迎えを呼んで家に帰った。

「国之!! 倒れたってどういうこと!? 何があったのよ!! 」

母さんは俺が車に乗り込むや否や驚きの声とともに質問攻めにした。

「特に目立ったこともないから多分大丈夫だよ。きっとちょっと疲れてただけだって。明日検査してくれるみたいだからはっきりすると思うよ。半日かかるから、学校休むことにはなると思うけど……。」

 家に帰り着いた俺は最低でも部活のことを確認しておこうとスマホを開いた。いつの間にか手に馴染んでた愛機で手っ取り早くLINEを開く。見た刹那、俺は思わずスマホを落としてしまった。鈍い音とともに画面に薄くヒビが入る。演劇部員のほぼ全員との個人チャットに「国之、急にどうした!? 」「大丈夫か!? 」などとメッセージが来ていたのだ。普通の人には言いにくいことなのかもしれないが、じっくり考えるタイプの由香里先輩達も送っているということはきっと俺の性格を分かってくれているのだろう。二重の意味で嬉しくなり、俺は喜びの声を上げていた。一つ一つ見て、返していく。LINEには「転送」機能があるが、今ばかりは使う気は毛ほども起きなかった。メッセージに個性が出ていて本当に面白い。一美からのメッセージへの返信が異常に長くなってしまったが。

 その中で、一際長かったメッセージは由香里先輩だった。

「国之、大丈夫…? 私と、あと克己が倒れるところ見てたけど、ちょっと倒れ方激しかったよ……。でも、変な様子も無かったからストレスで疲れすぎて倒れちゃったのかな。国之はほんとに頑張ってる。部活で最近色々あったのに加えチーフと主役までやって。私にできる事は何も無いかもしれないけど、話くらいなら聞くからいつでも頼ってね。明日来れるかわかんないけど、また劇づくり一緒に頑張ろう!! 」

本当に心が温まった。部活に存在する価値を感じて心からありがたかった。

「今日は国之が出ないシーンの返しと前説、カーテンコールをやったよ。」

今日やったところを教えてもらい、ひとまず進んでいることに安心する。渡りに船だ。予定を聞き、俺は明日検査に行くことを思い出して連絡する。

「すみません、明日、今日のことの検査に行くので多分学校ごと休みます。ごめんなさい… …。」

急速に眠気に襲われ、反応を見る間もなく、俺のスイッチが切れた。寝ていたほうが心地よいまどろみに沈んでいく。その沈む感じが、どことなく今日のあの時に似ていた。

 翌日の朝早く、俺は学校を休んで母の運転する車で件の病院へ向かう。ついた途端、病院特有の匂いが周りに立ち込める。俺は気持ちをはやらせて検査に向かった。MRIやら血液検査やらを指示に従ってこなし、検査が終わったときには既に3時過ぎ。ここまでなら部活に行けそうにも思うが、学校を休んだ身で部活だけ行くわけには行かないし、何より検査結果が出るのに時間がかかった。ようやく診察室に通された時、俺は台本を片手に半ば眠っていた。医師の診断は、やはり「ストレスによる突発的なもの」ということで、特に目立った異常は無かった。活動の許可を得て、俺達は病院をあとにした。

 この日もLINEのメッセージは来ていて、そのほとんどが検査の結果を尋ねるものだった。

「ストレス性のものでたいしたことなかったです。心配かけてごめんなさい。」

俺は返信をしてからまた台本の読み込みに入る。今日は部紹介の練習とカーテンコールの練習をしたそうで、俺も2日間芝居から遠ざかっている。せっかく許可も出たことだし、感覚を戻しておかなくてはまずい。俺は読み込みの中でふと思い出した。部紹介のことを俺は何も聞いていない。胸を冷たい感覚が襲う。明日は部紹介前日の11日。最後の練習があるだろうし、奏先輩に確認しようと俺はスマホを取る。

「奏先輩!! 部紹介って、どんな感じになってますか? 全然何も聞かされてないんで教えて下さい!! 」

既読はすぐついた。奏先輩にしてはやけに早い。

 しかし、問題はそこから先だった。なぜか不意に夜風が体を撫でる。春にしてはやけに冷たいそれは俺の心ごと冷やしていくようだった。

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