第16話 忘れ得ぬ夜

 部活の帰り道、俺は決して褒められた理由ではない遅刻の訳を美智に話していった。何故かあいつは興味津々だった。

 4月5日の夜、俺はぼんやりと椅子に座り、その日の壊滅的な演技を改めて思い出していた。初めて演じる主要人物、しかも主役。環境の変化や準備の不足からきっと困惑していたのだろうが、それにしても初歩的な滑舌などすらこうも出来ないものとは。「日常の意識によって変えられる。」暖かく胸に残る先生の言葉を信じ、まずは基礎から始めることにした。俺は口を開け、口の開き具合を確認しながら発声を始めた。前に先輩から聞いた話によれば、きちんと正しい形に口が開いているかどうかも滑舌の良し悪しに大きく影響するらしい。

「あーーえーーいーーうーーえーー……」

口の開き、形を確認しながら発声していく。昼間よりは格段に声の出が良くなっていた。緊張していたせいもあったのかも知れない。俺は発声しながらも、ドカドカとこちらへ向かう足音を捉えていた。思わず身が強張り、声が硬くなる。程なくして俺の前に仁王立ちした影はよく見知った物だった。

「国之!! このうちで発声なんてしたら周りに迷惑でしょうが! そんなことしてないで早く寝なさい! 」

「母さん……そっか、うちではだめなんだっけ。わかったから声抑えるよ。ってか、母さんの方がバカでかい声出してんじゃん……」

「なんか言った? まあ、いいや。とにかく早く寝なさいね。」

「はーい……」

悪いがそんな簡単に言いつけに従いたくはなかった。発声練習は出来ないとしても、まだ出来ることはたくさんある。俺は気を取り直して、背景設定書である自分史を書くことにした。自分の役は当然、主役の柿田(かきだ)光輝(こうき)。性格、趣味などまで書いていく。きっと彼はバリバリの体育会系だろう。バントが得意なら、手先も器用かもしれない。そして一番時間をかけるのは、彼のここまでの人生だ。先生も言っていたとおり、役は生きる一人の人間であり、舞台に出ていない間も人生がある。それを演じる自分に引き寄せて繋ぎ止めるのが自分史だ。柿田の場合なら、きっと小中ともに野球、それもピッチャーをやってきているだろう。ピッチングスタイルは変化球主体の技巧派で打たせてとる。そのためイニングを稼げるとして中学から軟投派エースを担ってきた。しかし、高校では監督に直球主体の転向を指示される。打撃でも本来は小技が得意な2番バッターだったが、高校ではヒットでランナーを返す4番に据えられる。もがいていたところ、新任の江東(えとう)監督がやってくる。江東ののびのびとした指導にきっと彼は開放感を感じたのだろう。どんどんと成長していく。ということは、きっと柿田は江東に感謝しているはずだ……。

 どんどんと考えているうちに止まらなくなり、気づけば下書きを終えて、時刻は日付を越えようとしていた。作業を終えると、突然の頭痛と疲労感に襲われた。もう寝なくては。寝る前にせめて確認しておこうとスマホを見ると、最新の着信を示す一番上に、一美からのメッセージが入っていた。一気に目が覚めた。

「ちょっと、去る山(さるやま)の話させてもらってもいい? 」

「去る(さる)山(やま)」は、奏先輩が書いた去年のクリスマス公演の脚本で、既成脚本と見まごうえげつない出来だった。俺と一美はその時の助演出だった。演出が途中離脱した中で作った本ではある。しかし、今更なんだと言うんだろう。

「いいよ、どうした? 」

既読は一瞬でついた。1分と待たずにメッセージが帰ってくる。

「あの時、私達あれで良かったのかな。今更言ってもしょうがないけどさ、なんか柄でもなく後悔しちゃって。」

色々と問題はあったと思う。前半を最後までやりきれなかったせいで本番にはセリフミス、フリーズするなどかなりのイージーミスが連発した。公演の反省会でも随分と叩かれた。上演しない方が良かったんじゃないかとまで言われた。でも、俺達は演出の奏先輩がいない中でできるだけのことをやった。それだけは間違いない。思いを込めて伝える。

「あれでいいとは悪いけど俺は思わない。でも、俺たちは確かにあそこで限界まで努力をした。それは間違いないと思う。」

「そっか……。もしさ、もし国之が、もう一回だけ去る山を上演できるとしたら、どうする? 」

「そりゃ、まずは自主練習には絶対行かせないよ。それから、ちゃんと要点を抑えたらとにかく通して流れを確認してもらう!! 」

そう。今回は自主練習に行かせてしまったことも失敗の1つだ。奏先輩が休む前、どうして自主練習にいかせてくれないんだとメインキャストが息巻いていた。俺はそれを見、奏先輩が離脱してからは行かせたのだが、それが大誤算だった。今は俺の中では頑張った記憶が薄れ、本番を不完全な形態で終えてしまったことへの後悔が強くなっている。

「やっぱり、そうだよね……。さっき国之が言ってくれたように、私達は頑張った。でも、未熟だったからこそあそこまでしか出来なかった。もう、頑張ったって記憶より悔しい記憶のほうが今更増えてきてて……。」

同感だ。俺だって叶うならもう一度やりたい。でも……。

「一美、気持ちはわかるけど、もう去る山は終わってるんだよ? 」

「わかってる。でも、あれが幹彦と一緒の最後の舞台な訳でしょ? そう思うと、懐かしくて悔しくて、忘れられなくて……。」

また幹彦の名が出てきて、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じた。確かに、あの公演は本番の出来以外は完璧な所が多かった。幹彦の描いた宣伝画像だってそうだ。俺はあれほど魅了された物はあまりない。

「分かってるよ。多分国之だって分かってる。てか、一番辛いのはきっと国之だよね。わかってるはずなのに、割り切れない。だって、まだ一年生なんだよ……、これからもまだまだ一緒にできると思ってたのに。」

俺は、一美の姿に10日前の自分を重ねた。LINEの向こうの一美の顔が浮かんで見えた気がした。今にも泣き出しそうな、でも我慢した顔で一美は綴る。

「幹彦が転学するって聞いた瞬間、やっぱり信じられなかった。でも、今になって分かってきた。部活に行ってももう会えない。もう幹彦はいないんだって。分かった途端、今までのこととか全部蘇ってきて」

共感しかない。全て俺と全く同じ「症状」だ。色々と言いたいことはあったが、今は聞き役に徹しよう。しばらくLINEは帰ってこなかった。きっと本当に画面の向こうであいつは泣いているんだろう。そう思うと、無機質なスマホが少し温かみのある物に思えてきた。しばらくして、ようやく返ってきたメッセージに綴られていたのは幹彦への想いだった。

「もう、あいつがいないってわかっててもふとした時に思い出しちゃうし、関係ないこと考えてるはずなのにあいつのこと思い出すし、しょっちゅう胸痛くなるし、ちっちゃなことで最近イライラするし」

幹彦のことを思っていたのは俺だけでは無かったのだ。その事実に少し驚いたが、考えてみれば当然のことなのだ。それ以上に俺はこのメッセージの内容に愕然としていた。これは俺と幹彦の友情とは異質なものなのではないか…? 呆然とする俺の前に、また白いフキダシが現れた。

「国之と同じくらい演劇が大好きで、部活が大好きで、いつも来るたびにワクワク幸せそうにしてた幹彦が、そんな簡単に学校を辞めて、この部活を捨てる訳ない。ねぇ、本当に幹彦は進路のために転学したの? 」

「え?」

俺はまた驚いた。俺達は、転学理由について、清水先生からは詳しく聞いていなかった。そのため詮索するしかなかったのだが、高校の転学理由として学びたいことや将来のため以外の理由を俺は見つけられなかった。

「逆に聞くけど、何か考えられることってある? 」

「いや、特には……。でも、絶対におかしいと思う!! クリスマス公演後なんて、国之にも話しかけて来なかったじゃん!! 」

「でも、それってただ俺にまだそのこと知られたくないけど、隠すことも出来ないから黙ってたってことじゃないの? 」

「だとしてもどっか引っかかる……。」

俺はさらに考えようとしたが、その上にのしかかってきた大きな白に阻まれてそれはかき消された。

「もっともっと幹彦と演劇を作りたかった!! 思い出を作りたかった……一緒にいたかった……。」

これはよもや愛の叫びと言っていいだろう。俺の頭に浮かんだ一美も、声を枯らして叫んでいる。俺は再び、頭をげんのうで殴られたような大きな衝撃を受けた。決定打が出ないうちに言いたいことを言おう。きっともう言えなくなってしまうだろうから。

「でも、一美はクリスマス公演の過ちを繰り返さないためにこうやって助演出になって、劇と向き合っていこうとしてるんでしょ? 過ぎたことは変えられない。だったら、俺達にできるのはただ失敗を糧に成長して、より良いものを作るだけだろ。」

最後はありきたりなことしか言えなかった。体の力は抜け、俺はいつの間にか床に崩れ落ちていた。満身創痍の俺に、ついに満塁ホームランが打ち込まれた。

「聞いてくれてありがとう。国之。気持ちの整理がついた気がする。気力を出して頑張らないとね。あと、私、ほんとにもしかしたらだけど、幹彦のことが好きなのかもしれない。明日からもよろしくね、国之。」

これを最後に、一美からのその日のLINEと俺の気力は完全に途絶えた。時刻は既に0時。かれこれ2時間以上話していたことになるが、全く時の経過を意識していなかった。幹彦の件でほんの一瞬抜け落ちてはいたが、やはり耐えられない。俺は何となく分かっていた事実に改めて呆然とした。自分の想いは実らない。失って初めてわかる想いというやつだ。あいつが好きなのは俺じゃなくて幹彦だ。俺も、学祭の頃からあいつのことが気にはなっていたが、いつの間にか完全に心を持っていかれていた。あいつといるだけで部活がバラ色だった。俺の何がだめだったのか。どうすればよかったのか。ひたすら悶々として、到底眠る気にもならず、眠気すら起きなかった。ようやく「かもしれない」だからワンチャンス残っているだろうと一区切りつけられたのは、朝日が昇った頃のことだった。

 かくして、俺は寝坊した。あれだけ働いたあとに1時間睡眠では足りるはずもない。話し終えると、目を輝かせて聞いていた美智は突如破顔し、いたずらっぽい笑顔になってつぶやいた。

「そっか……やっぱりか!! いや、なんか結構前から一美おかしいなって思ってたんだよね……やっぱりかー!! 」 

美智は自分の予想が当たって大喜びしているが俺は到底賛同できない。あいつの気分の上昇に反比例して俺の気分は下がっていく。いつの間にかこっちを見つめていた美智は、いつに無く優しい目をしていた。

「まぁ、そんなこともあるよ。前向いていこう? 」

優しく肩を叩かれた。こんな優しさを見せられるなんて思わず動揺した。

「ありがとう。明日からもよろしくな。頑張ろう。」

「うん。国之もよろしくね。」

ふと空を見上げる。今まで見たことのないくらい満天の星空が眼前に広がっていた。うしかい座、おとめ座、からす座、しし座……。一際輝く夫婦星が少し憎らしい。既にエイプリルフールが終わってしまったことを不意に思い出す。これほど4月1日が恋しくなったのは初めてだ。さらなる失意と後悔にくれる中、不意に頬を温かい雫が伝った。

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