第11話 心の底

 奏先輩は、返す言葉も無く黙っている。部室を相変わらずの厳しく張り詰めた空気が包んでいる。長い長い沈黙を破ったのは、健太先輩の言葉だった。

「奏、なんでみんながお前を見てるかわかるか? 」

奏先輩は、「わからない」の代わりに首を小さく振った。

「そっか。多分それは、みんながお前にできると信じてるからだ。やってほしいからなんだ。」

「え…?」

奏先輩は思わず呟いた。恐らく、俺達の目線からは「どうするんですか? 」という不安の色しか感じなかったのだろう。

「奏先輩も、そういえば元美術部でしたよね? 先輩ならできるんじゃないですか? よろしければ、お願いします。」

美智がそれに追髄する。「美術部」という言葉に奏先輩は少し震えたように見えた。俺も、絵などが描ける方では無いため元美術部の上手い人に描いてもらえるならそれが一番だ。しかし、今度は克己先輩が次に上げた声にそんな一筋の希望は打ち砕かれた。

「なぁ、どうして自分からやろうとしないんだ? 悪いけど俺には、自分が広報って役目から逃れるために人に責任を押し付けてるようにしか見えないんだ。」

この言葉に俺も、美智も、健太先輩も、恐らくほぼ全員が虚をつかれた。確かにそのとおりなのかもしれない。全員の心の中に無意識にあった感情を指摘され、言葉に詰まる。部室を再び、冷たい静寂が包んでいった。

「なら、どうして克己はやらないの? 多分、何かをしようと思ったら、まずは自分がやり始めて見本を見せるのが筋なんじゃない? 」

隣から多少の怒気を含んだ声が飛んだ。好美先輩が克己先輩の論理の欠点を叩く。今度は克己先輩が押し黙る番だった。部室を包む沈黙がさらに重く苦しいものになっていく。

 俺は自分の、そして先輩の行動に衝撃を受け、今の状況とは関係ない自問をしていた。自分では部活が好きで、部活のためならなんだってできると思っていた。しかし、こういう場面で率先して出ていけないとなると現実は違うようだ。きっと俺は部活のいいところ、楽しいところだけを好きになり、そういうところだけを日々経験し、部活の美しい面、楽しい面だけを見て、部活が好きだとしていたのではないか。それは、真の意味で部活が好きとは言えないのではないか? 酸いも甘いも噛み分けてこそ、本当に部活が好きなんだと言えるのではないか? 先輩達に関しても、普段すごく積極的で色々と発言していくのに、こういう場で出られないのは俺に衝撃を与えた。心の根底にはさっき克己先輩が言っていたことも確かにあるのかもしれない。とにかく俺はその「酸い」を経験しようと、真の意味で部活を好きになるためにも「広報をやります」と発言しようとした。その刹那、ある人物が口を開いた。

「私も、奏ならできるって思ってます。でも、奏一人に任せてしまう必要は無いのかなって思います。確かに今までの演劇部では、演出や係一人に仕事が集まっていて、それでうまく行ってたところもありますが……今回は分担しませんか? 」

恐る恐る口を開いたのは、由香里先輩だった。

「今回、幹彦が抜けるだけで、その代わりすら決められなくなってるのは、きっと幹彦に任せすぎてたせいもあると思います。だから…」

突如由香里先輩は言葉をつまらせた。後の言葉を察したように、由香里先輩に背中を押されたように、奏先輩が発言する。

「皆さん、色々と考えてくれてありがとうございます。私、広報をやります。」

戦いに一応の決着がつき、部室の雰囲気は少し軽くなる。奏先輩しか候補のような人が上がらなかった以上、受けるしかないという重圧もあったかもわからないが。でも、と奏先輩はある条件をつけた。

「私は広報をやります。でも、聞いてください。皆さんにも協力して欲しいんです。さっき由香里が言ってくれたように、今回、元々広報をやる予定だった幹彦が抜けてからこんなになってしまっているのは、きっとみんなが幹彦のことを頼りにしすぎたからかなって思います。だから、主導は私がしますが、ポスターの色を塗ったり、パンフレットやビラを作るのを空いてる皆さんに分担してお願いしたいんです。私は演出ですし、あまりパソコンが使える方でもないので……。責任逃れでは無いですけども、ひとまず、できるだけ早くポスターの下絵などを考えて書いてきます。後は、元美術部といっても、本当に卓越して絵が上手い訳でもないので、色々とアドバイスしてくれれば嬉しいです。ひとまず、みなさん協力よろしくお願いします。」

由香里先輩の言葉に続く衝撃かつ斬新な提案に、俺達は少なからず言葉を失った。しかし次第に納得していった。それならまだできるのかもしれない……。

「わかりました。」

最初に言ったのは、好美先輩だった。初めに反駁した彼女が納得したことで、一気に雰囲気は決定に傾いた。奏先輩は、既に広報のことも考えているのか、盛んに部活ノートに書きつけている。終始静観していた清水先生が、取りまとめるように口を開いた。

「みんな、話し合いお疲れ様。確かに、奏や由香里が言うように仕事の責任を完全に一人に寄せたからここまでガクガクしているんだと思う。これからは、一人に任せすぎず、後はきっちりみんなで共有などして、仕事の分担ができるようになればもっといい。一人に仕事を任せすぎるのは、負担が大きくなるだけではなく、任せれば任せるほどその人一人の作品になることも意味している。演劇において、一人の独断の作品というのはあってはいけないことだ。だから、分担して責任を分け合って、そういう意味でもみんなで作品を作っていこう。」

「はい!! 」

全員が、納得とともに唱和する。突如現れた懸案事項は、由香里先輩の名案と奏先輩の勇気で何とか収束した。かくして、終わるように思えなかったミーティングが終わり、皆が帰宅の途につき、安堵の表情に戻っていく。ふと見ると、助演出の二人を中心とした何人かが奏先輩の所に集まって話し込んでいる。その中で、好美先輩がふと呟く。 

「なんで幹彦はいなくなったんだろ…。この場にあいつがいたらひょっとしたら……」

ひどく思いつめたような声。帰宅の途につく俺の心に、その言葉は深く深く突き刺さった。

「先輩…!! どうしてそんなこと言うんですか…? 幹彦は自分で決めて、自分の将来のために決断したのに、その決断を否定してまで部活に尽くせって言うんですか…?」

俺は思わず好美先輩を問い詰めてしまった。

「いや、ごめん。そんなつもりは無いんだ。でも、もし幹彦がこの場にいたら、こんなにいがみ合うこともなかったのかなって。それに、」

先輩は一旦言葉を切った。そして、

「こんなに気付かされることもなかったのかなって。」

満面の笑みでそういった。だから幹彦には感謝してる。そう言いたげだ。俺も、思いもよらない言葉に思わず笑顔になった。笑顔の俺を前に、

「なんて、冗談だよ。今日はエイプリルフールだからね。」

先輩はうそぶいだが、とても冗談には聞こえない。しかも、冗談とは言っても嘘とは言っていない。きっと心の何処かの本心なんだろう。今日もきれいな夕日を背に帰る。俺達のにぎやかな声が、夕闇に染まる街にこだましている。ふとLINEを開くと、幹彦とのトークに一言、「今までありがとう、大好きだ」とLINEが来ていた。面食らい、そして喜んだが、これもエイプリルフールの冗談に違いない。俺はただ立ち尽くすしか無かった。みんなの影が遠ざかっていく。つくづくみんなたちが悪すぎる。少し憤りながらも俺は中々歩き出すことが出来ない。日は着実に沈んでいく

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