第五章 命・その3

「時間を稼いでくれ? どういうことだ?」


「そんなこと、ただの人間に言えるわけがないでしょう」


「その返事からするに、俺が知っておくべき内容だな」


 と、言い返したヒロキくんも相当にヒネていたが、この場合は正しい判断だった。ヒロキくんが、少し考えてから、ザクロに背をむける。


「君みたいな女の子には、アズサさんのときに使った手は使いたくないんでね」


 言いながらヒロキくんが歩きだした。訳がわからずにザクロと閻魔姫とボタンが見守る。ヒロキくんが電柱の前に立った。左右を見まわして目撃者がいないことを確認して、ついでに上もちょっと見あげてから


「見世物じゃないから、これ一回だけな」


 言いざま、いきなりハイキックを放った。これで電柱が折れたらマジですごいのだが、サイボーグや超能力者じゃあるまいし、さすがにそこまではいかない。ただ、すさまじい轟音が大気を揺るがし、一瞬、電柱が小刻みに振動した。同時にボトッと落ちてきたのは痙攣したスズメである。瞬間に伝わった衝撃で、飛び立つこともできずに意識が飛んだらしい。


 これがヒロキくんの、道場以外では誰にも見せたことのない、本来の実力であった。


「空手のゴッドハンドは正拳突きで電柱のスズメを気絶させられたそうだけど、俺は中、軽量級だから、さすがにそこまでいかない。ま、足だったら、思いっきり蹴り込めば、これくらいはなんとか可能になる」


 実際にはやりたくないって顔でヒロキくんが振りかえった。


「これ食らったらどうなるかって、想像つくよね?」


 青い顔でザクロは立ちつくしていた。閻魔姫もぎょっとしている。


「ヒロキって、本当に強かったんだ――」


「もちろん、俺も女の子に暴力は振るいたくない。申し訳ないけど、アズサさんに何を言われたのか、正直に話してくれないかな? 俺に脅されたって言えば、アズサさんも赦してくれるだろ。俺が悪者ってことにしちゃっていいから」


「わわわかったから! 説明するから!!」


 青い顔のまま、ザクロが仕方なさそうに白旗をあげた。


「それに、もうアズサ姉様も行動を終えているだろうし。――実を言うと、閻魔姫様の前でウロついて、注意をひきつけて時間稼ぎをしておいてくれと言われたのよ。そうすれば、閻魔姫様の家来もやってくるはずだ。その隙を突いて、人質をとると言われて」


「は? 人質をとるだ?」


「ええ。閻魔姫様には家来がいて、その家来の行動を抑制したいから、そういう手を使うって言ってたわ。まさか、その家来が人間で、しかも魂すら狩れない不死の魔人で、おまけに、女に暴力を振るおうとしない紳士で、あげくに、少し格好いい人だとは思わなかったけどね。アズサ姉様、どうして目の敵にしてたんだろ?」


「なるほど。俺の学校が終わってから行動を開始したのも、それが理由か。放課後なら、確実に俺は釣れるし、やられたぜ。それで人質ってのは?」


 ヒロキくんの口調に重圧がかかった。数秒、ヒロキくんを見て、ザクロがため息を吐く。


「やっぱり、私には、あなたの素性が見えないわ。アズサ姉様は、見るだけで、人間の名前や思考や周囲の関係をあてられるって言ってたけど」


 ザクロの台詞が小声だったのは、閻魔姫に聞かせないためだったのか。ヒロキくんがうなずく。


「ボタンさんも結界を張ってたし、死神さんにも個人差があるんじゃないかって思ってたけど、間違ってなかったようだな。それで?」


「アズサ姉様が言ってたわ。閻魔姫様の家来の人間には、周囲に、よく似た名前の人間がいて、その娘と仲がいいように見える。言うことを聞かせるには、その娘の命をこちらで掌握するのが良作だと」


「――ユウキのことか!」


 一瞬で悟ったヒロキくんであった。直後にザクロが後方へ飛び離れる。


「私が頼まれたのはここまでよ。今回のところは、これで帰るから」


 なぜか、少し名残り惜しそうな声音で言うザクロちゃんであった。


「あとはあなた次第ね。よかったら、また会いましょう。では閻魔姫様、失礼します。また」


 言うだけ言ってザクロが手を振り、同時に姿を消した。瞬間移動でズラかったらしい。小声の会話で聞こえなかったから、きちんと内容を把握できてない閻魔姫が不思議そうな顔でヒロキくんを見た。


「ヒロキ? どうしたの?」


「まっすぐ家に帰れ。ボタンさんの言うことをよく聞いてな。ボタンさん、家に帰ったら結界を張って、姫を表にだすな」


「わかりました」


「あ、ちょっと! ヒロキ!」


 閻魔姫の制止を無視してヒロキくんが走りだした。高校に舞い戻って下駄箱に飛びこむと、これから帰ろうとしていた晶ちゃんと出くわす。気を利かせて、少し時間を潰していたらしい。事情を知らない晶ちゃんがヒロキくんを見てニヤニヤした。


「あれ? ヒロキ、ひょっとして忘れ物? それとも、ユウキに言い寄られて、ビビって逃げだしてきたのかなー?」


「ユウキはどうした?」


「え?」


 笑いながら晶ちゃんが言いかけ、口をつぐんだ。尋常じゃないヒロキくんの形相に、理由はわからないけど、冗談言ってふざけてる場合じゃないと気づいたらしい。


「さっきまで一緒にいたんだろ? ユウキは?」


「ひとりで帰るって言って、先に教室をでたわよ。ヒロキがスマホで呼びだし食らって、ボタンさんからじゃないかって心配して」


「なんでスマホのことを知ってるんだ――」


 言いかけたヒロキくんが、晶ちゃんから視線を逸らした。少し離れた場所に、半透明のアズサが立っていることに気づいたのである。

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