第4話

 大事に至らなくてよかったのだが、額にガーゼが当たっているので、顔を洗うことができないし、風呂に入ってもシャンプーハットを被らないと洗髪ができないのが辛かった。

 三日後、再診で病院に行く前の晩のこと。ガーゼの下が気になって仕方がない良壱は、そっとテープを剥がしてみた。するとそこにある想像外の光景に一瞬身が固まった。

 皮膚の剥がれた傷口は、黒いビニールの釣り糸のようなもので縫合されており、皮膚から跳び出した黒糸は、まるでSF映画の『ザ・フライ』で主人公の躰から毛が生えてくる場面にそっくりだった。良壱は恐るおそる黒糸に触れてみる。毛というよりブラシに近い感触だった。だがそれも十日ほどで抜糸することができたので、それ以後はこれまでと同じ生活に戻ることができた。

 ところが、転倒事故以来良壱の身体にある変化が現れたのだ。

 例えば、夜中に地震の夢を見ることがあって、日本地図の映像が浮かび上がり、自分にはまったく縁のない地方がズームインされる。それが何を意味するのかまったくわからないまま目を醒ますのだが、夕方のニュースか遅くても次の日の朝刊に、夢で見た場所で地震が発生したと報道される。それが一再ではないのだ。

 地震の話ではこんなこともあった。ある日仕事が終わって同僚三人と飲みに行くことになり、行き付けの居酒屋で散々上司の悪口をいい放ったあとのことだった。ビールもなくなり、まだいいたりない良壱を含んだ三人は追加注文をした。新しいビールが届くまでタバコを吸ったり軽い雑談をしていたとき、良壱は向かいに坐ってるふたりに、

「いま誰か揺すらなかったか?」と訊いた。

 だが、申し合わせたようにふたりは何度も首を横に振った。

「本当にか?」良壱は強く念を押す。

「ああ。三戸、おまえもう酔っ払ったのか?」

 ひとりが訝しそうな顔で良壱を見た。

 良壱は間違いなく躰で振動を感じた。しかしそれを説明しようがないし、証明する手立てもないこと苛立ちを覚えた。

 次の日、社員食堂のテレビで観たのは、東北地方に震度4の地震が起きたというニュースだった。しかし良壱は居酒屋での出来事と地震のニュースが結びついていることを、昨日の同僚に話すことはなかった。

 自分が会いたいと思ったり、あるいは向こうが会いたがってる人がいる場合なんかは、当然シチュエーションの違いはあるものの、ほぼ100パーセントの確率で会うことができる。これぐらいのことは、お茶の子さいさい朝飯前のことだった。

 こんなこともあった――。

 午後から客先に出向くことがあって、約束の時間前に先方に着いたのはいいのだが、先方にどうしても外せない急な用ができてしまい、しばらく応接室で待たされることになった。

 出されたコーヒーを口にしながら持参の資料に目をとおす。しかしそれでも時間を潰すことができず、外の景色でも眺めようと思い窓際に立った。二階から見る景色はそれほどでもないが、いくらか気分転換にはなる。

 建物の前の通りは片側二車線の道路だがやや道幅が狭い。向かいにはコンビニがありなぜか駐車場はいっぱいだった。そこに一台の中年の女性の運転する軽自動車がやって来た。

 駐車場に入れようとしたが満車なことに気づいた女性は、余程急いでいたのか路肩に車を停めると、小走りで店内に入って行った。五分も経たないうちに買い物をすませた女性はビニール袋を提げてやはり小走りで車に戻って来た。

 良壱はその光景を上から見ていて「やばい!」と直感した。

 運転席に戻った女性が車を発進させようとした瞬間、後方から走って来たタクシーと烈しく接触したのだ。幸い人身事故には至らなかったので良壱は胸を撫で下ろした。

 事故が起きる直前の良壱の立っていた応接室の窓際というのは、冷房節約のためにブラインドが窓の半分だけ閉じられ、あとの半分はやや閉じられ気味になっていたので、左側はまったく外の景色が見られなかった。そんな状況のなかで良壱は左から走って来るタクシーと接触することを予感したのだ。

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