第10話


「ねえ、どうして、私を助けたの?」

「結果的にそうなっただけです。別に大したことはしていませんよ。おおかた、『敵だったはずなのにどうして?』と尋ねたかったのでしょうが、あなたの思い込みですし」


 青年は無関心そうに口を動かす。


「確かに僕は女王の味方ですが、あなたは彼女のオリジナルでもある。ミシェル・リベルテの目的があなたの目的でもあるのなら、手を貸すつもりではありましたがね」


 実にあっさりと言ってのけた。

 女王に対する忠誠心は本物だと言わんばかりに、イリュジオンは胸を張る。


「本当にそうなのかしら?」


 突っ込むなといいたげな態度を見せられると、逆に問いただしたくなってしまう。

 少しは怒るかと予想はしたけれど、相手の反応は変わらない。

 不機嫌そうでもなく、いつもと同じ無表情で、こちらを眺めるだけだ。


「ああ、でも、あなたに対する感謝の気持ちを行動で示した部分はありますね」


 急に思い出したかのように、口を開く。

 先ほどの『本当に忠誠心があるかいなか』という問いは、宙に葬られた。


「実は盗賊には素で捕まりました。助けてくれたあなたには感謝しています。うちの女王は見捨てる気でしたから」


 視線をわずかに伏せる。


「あの人、僕をアクセサリーとしか思っていない。こんな粗末なものをそばに置いたところで、自身の価値を下げるだけだというのに、おかしな話です。どうせアクセサリーとするのなら、もっと価値のあるものを身につければよかったのに。たとえば黄金など……いいや、それほどの輝きを持つものなど、本人以外はいないでしょうが。もしくはあの青年なら、該当しますかね……」


 しみじみと、思い出を振り返るように、彼は語る。

 女王の忠誠心に関しては、なんだかよく分からないままで終わりそうね。

 彼の話は嘘か本音か、判断がつかない。

 本人も、目を離すと消えてしまいそうなくらい、存在が不確かだ。

 もっとも、私も影が薄いほうではあるから、人のことを言えないけれど。


「そうそう、あなたの影の薄さは、僕のせいではありません。恨まないでくれますか?」

「え? そんなこと、気にしたことなんてなかったんだけど」

「いいえ、ありえません。先ほども考えごとをしていましたよね。なにやら僕を恨めしそうに眺めながら」

「してないわよ。そちらのことなんて、なにも」


 ひとまず、ごまかす。

 影の薄さに対する文句を彼にぶつけたわけではないため、嘘は言っていないわ。


「どっちもどっちとはいえ、僕のほうが優れているとは思いますがね」

「はぁ? どうしてよ?」


 聞き捨てならないわね。

 どちらかというと、彼のほうが存在感が薄いくらいよ。私なんて、幽霊じみた雰囲気がないだけ、マシでしょうや。


「僕は存在そのものが幻想です。本当に実在する・見えているように認識させているだけですから、実は高度なことをやっているのですよ」

「ああ、通りで本当に目の前にいるのかよく分からなくなるわけだわ。って、ええ? それってつまり、本当はいなかったりするわけ?」

「さあ、どうでしょう」


 なんだか、とらえどころのない人だわ。


 もしも彼の説明が真実だとすれば、私は今、なにもないところへ話しかけている可能性もあるのよね。

 うわー、『ねーねー、あの人一人でなに話してるの?』と、無垢な子どもに指を指される展開じゃない。

 いろいろな意味で寒気がしてきたわ。


 ひとまず、天井へ向けていた黒目を前へ戻す。

 急に周りの目が気になりだして、そわそわする。

 今のところ、城に仕える戦士の影は見えない。

 セーフかしら。


 肩から力を抜いたところで、やや幼さの残る青年の声が、鼓膜こまくを揺らす。


「こちらからも尋ねたい。あなたの目から、僕はどう見えていますか?」


 イリュジオンは神妙な顔つきで、こちらを見ていた。

 私も緊張してしまって、顔が強ばる。


 彼の繰り出した問いへの返答は、少し迷う。

 答え自体は心に浮かんではいるのよ。

 正解か不正解かはハッキリとはしなくてね。困ってしまうわ。


 とはいえ、精神的な問題に正解なんて、ありはしない。

 自分の思い浮かべたものが正しいと、信じるわ。


「人間よ、ただの」


 ルークに過去に告げられた言葉と似たようなものを、口に出す。


「たとえ幻想であったとしても、そこに在ると証明できればいいだけ。そして、それを信じてくれる人がいるのなら、幻想は本物になりうるわ」

「あなたは、信じてくれるのですか?」

「ええ」


 だって、今も彼は目の前にいるもの。

 見えているものを否定するなんてマネは、私でもできないわ。


「なら、よかった」


 青年は体から力を抜く。

 張り詰めていたものが溶けて、顔つきが柔らかくなったように思える。

 彼とも、もう別れなければならない。時間が残されていないのなら、一刻も早く女王と会う必要がある。


「しかし、本当に大丈夫でしょうか。あなた、絶対に女王に勝てませんよ」

「誰が戦うって言ったの?」

「いえ、あの女王、本当に言うこと聞きませんよ。絶対に戦う羽目になります」


 なんだか、似たようなやり取りをルークとした覚えがあるわね。

 彼のことでなんだかしんみりとした感情が心に宿るのを感じつつ、私は気を引き締めて、青年と向き合う。


「だからこそと言えますが、まあ、僕にまかせてくれませんか。そんなわけで、はい」

「なに?」


 イリュジオンが手のひらを差し出す。

 意味が分からなくて、首をかしげる。

 いったい、なにをしてほしいのかしら。


「杖です。持っていましたよね。あのガラクタ」

「どれがガラクタよ」

「黄金の杖です」

「ああ、もう、分かってるわよ。なんてったって本体の世界の住民は、私の所有物をゴミみたいにいうのかしら」


 不満を漏らしつつ、小さなカバンから折れた二本の杖を取り出して、青年に渡す。


「乱暴な渡し方ですね」

「そちらが悪いんでしょうが」


 唇と尖らせて訴えても、相手はおかまいなしだ。


「ああ、それと。この杖はいちおう女王の生み出したレプリカですので、所有物扱いは控えてください」


 ふん、だ。

 拾ったのは私だもの。所有物でも間違いはないわよ。

 私は彼に背を向けると、両手を組んで、ホールの出口を見つめる。


 ところで、杖を渡したのはいいのだけど、イリュジオンはなにが目的だったのかしら。

 不意に疑問に思ったところで、背中に声がかかる。


「できましたよ」


 軽い調子で繰り出された声に振り返ると、彼は両手で漆黒しっこくの杖を構えて、立っていた。


「なにそれ。どこから取り出したの? 趣味悪くない?」

「あなたの杖を改造しました」

「ウッソ? こんなに大きくないし、こんな色もしてなかったわよ」

「そりゃあ、改造した結果ですし」


 信用ならないわ。

 早く本物を出しなさい。


「いいから、持ってみてください」

「どれどれ……ああ、本当だ。私の杖に間違いないわ。完璧にフィットするもの」

「ええ……そんな要素であっさり納得するのですか?」


 漆黒しっこくの杖を受け取ってマジマジと眺めるていると、拍子抜けしたのか、イリュジオンがのけぞる。


 とにもかくにも、完成した武器はたいへん立派だわ。

 以前の杖は、王様が持っていそうで高価そうな見た目をしていただけで、センスがなかったものね。


 別に金色がきらいなわけではないし、むしろ、権力を持っていそうで好ましいわ。不変の価値があるというのかしら、『特別』という雰囲気がするわね。


 逆にいうと、見掛け倒しになってしまう可能性がある。


 ほら、黄金の杖は勇者と戦ったときに、ただの棒のように破壊されたじゃない。強そうなのに実際は弱かったという結果は、前評判通りよりも数倍恥ずかしいわ。武器として使うのなら、実用性を重視するほうがベストなのよ。


 一方で、漆黒しっこくの杖はどうかしら。

 一言で評価をすると、『かっこいい』だ。


 有彩色の影も見えないほど完全な黒に染まった杖は、重苦しい雰囲気を放っている。魔王が持っていそうな武器でもあるわ。表面も光沢があって、つやがある。決して派手ではないのだけど、細かな部分まで気を使って設計された形跡が見られるわ。これぞ、職人芸といったところよね。


 それにしても、漆黒しっこくね。この杖が私にピッタリだと考えると、少し皮肉が混じっているわよね。


 回答を求めるつもりでイリュジオンへ視線を向けると、すぐに彼は逃げるように壁のほうを見る。


「どうでもいいですけど僕の名前を勝手に当てないでくれますか? あなたが勝手にイリュジオンにしようと言い出したとき、意図せず本名を当てられたので焦りましたよ」

「無関係の話をして逃げるんじゃ――って、なに? 本名?」

「あくまで自称です。実際には名無しというべきでしょうか。女王を名付け親に指名した結果、断られました」


 ポカーンとして、口を中途半端に開けつつ、杖を下ろす。


「おかげで次に別人として顔を見せるときに偽名を考えるのに苦労しましたよ」


 へー、彼も苦労をしてきたのねー。

 イリュジオンという名前を自分で考えたのだとしたら、やはり『幻想』という意味を持つ言葉を選んだのかしら。なんだか、彼と同じ思考回路をしていたと照明されたようで、複雑な気分になる。


「その杖の使い方は……使えば分かります」

「説明を放棄したわね」

「別に要らないかと思いまして」


 確かに、要らない。


 漆黒しっこくの杖がいかなる能力を持っていたとしても、関係ないわ。私なら使いこなせると思うし、勝つか負けるかの勝負なのだから、要らない情報なんてくれなくても結構なのだから。


 さあ、武器は手に入れた。着実に決着の時は迫ってきている。


「転移させましょうか」

「頼むわ。その前に、一つ許可を得ておきたいの」

「なんでしょう?」


 青年が小首をかしげる。


 その質問に対する答えは、先ほどから思い浮かんでいたことだ。どちらかというと、女王と会って全てを解決したあとの問題でもある。だけど、これが許されるかどうかは分からない。だからこそ、全人類の意思の集合体であるイリュジオンに許可を求めたのだ。


「いいでしょう。全人類の代表として僕が許可を出します」


 彼は苦笑しつつも、全てを受け入れた様子で答えてくれた。


「ありがとう」


 心の底から出た言葉をかけて、背をむける。

 正直にいうと、内心にやや苦い感情がにじむ。だけど、やるしかないのだと心に決めた。

 そしてついに、足元に魔法陣が出現する。次の瞬間、私は女王のいる場所へ転移していた。

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