帰りたくない!(1)

「……」


 うつむいたままのスズミさんを見て、僕は戸惑っていた。

 彼女に境内の木々の隙間から差す夏の光が当たっても、明るさを取り戻さない。


「あの、スズミさん……。誰からの電話だったの……」

「……あいつだった」

「あいつ?」


 僕ははっとした。あいつとは叔父さんのことだろう。スズミさんは叔父さんから暴力を受けているらしく、家に帰りたくないのだ。


「なんて、内容だったの?」

「週末に帰ってくるって。しかも会社の人を連れて」

「どういうこと?」

「さあ。どうせあいつのことだからわいわい騒ぐんでしょ? ほんと迷惑だよ」


 ため息をついて、社を見上げるスズミさん。まるでビクニさまにこいねがうようだった。恐怖に押しつぶされそうで、必死でこらえているのだろう。

 少しして、スズミさんは僕に顔を向けた。


「ねえ、いきなりで悪いんだけどキミとお昼にしてもいいかな」

「え」


 文字通りいきなりだったので僕は一瞬体が固まった。


「でも、おじいちゃんに聞いてみないと」


 まあ、おじいちゃんならオッケー出してくれると思うけど。


「ありがとう……」


 ホッと胸を撫で下ろしたスズミさんに少しばかり夏の光が差し込んだ。

 だけど僕は自然な疑問が浮かんでいた。


「あの、家に帰らなくていいの? まだ叔父さん帰ってこないんでしょ?」


 だがスズミさんは首を横に振った。


「いいのいいの。夏休みだし、どうせ帰ってもすることないし、それに……」


 さっきまで光り輝いていたスズミさんの顔が反転した。


「やっぱり、日中は家にいたくないもん」


 ***


 昼食を一緒にとることをおじいちゃんに伝えると、快く受け入れてくれた。

 昼食は炊き立てのご飯に熱いネギと豆腐入りの味噌汁、醤油しょうゆを漬けた大根葉の漬物、そしてだし巻き卵にゆず味噌を和えた焼きナス――。

 卯花家では一般的な料理だ。

 昼食は大体朝の残り物。事前に多めに作っているのだという。だけど、今回はスズミさんが一緒に食べるので、おじいちゃんが追加分を作ってくれた。

 テーブルの前に並ぶ料理を目にしたスズミさんの目はきらきらと光を放っていた。

 僕にとっては普通だけど、そんなに珍しいんだろうか……。


「うそ……すごい……! 本当に、食べていいんですか!?」


 両手を合わせておじいちゃんを見るスズミさん。おじいちゃんも珍しいのか少し驚きを見せながらも、嬉しそうに頷いた。


「いいんじゃよ? スズミちゃん」

「あ、ありがとうございますっ!!」


 さっとスズミさんは頭を下げる。

 彼女は僕の隣に座り、出された食事を味わいながら舌鼓を打っていた。さっきまでの落ち込みが嘘のように、嬉しそうに箸を進めていく。

 僕にとってそんなスズミさんが不思議でならなかった。


「ごちそうさま。 やっぱり、家庭の味っていいなあ……」


 食べ終わったスズミさんの目はなぜか潤んでいた。

 そして、ハンカチで目をこする。

 感動の涙みたいだけど、今日スズミさん結構泣いてるよな……。


「スズミさんはご飯とかってどうしてるの?」

「コンビニで済ませてる。まあ、あいつが買ってるときもあるけどね」


 スズミさんは一瞬だけ顔を俯けたが、すぐににっこりと笑い、


「久しぶりに食べた手作りのご飯だから、つい感動しちゃった」


 僕はそんなスズミさんを見てさっき聞いた彼女の家でのことを思い出した。たぶん、まともに食事ももらえないのだろう。

 少し僕は後ろめたい気持ちになった。


「セイヤくん食べないの? とっても美味しいのに」

「あ……」


 我に返ると、僕も急いでご飯を食べた。

 食べ終わり食器を片付けていると、


「ごちそうさまでした! おいしかったです! セイヤくんのおじいちゃん、お料理得意ですね!」

「ほっほっほ。若い娘さんに言われると、ますます長生きせんならんのう。おいしいご飯は長生きの秘訣じゃ」


 おじいちゃんは得意げに笑う。

 まあ、中にはお母さんが作ったものも混じってるけどスズミさんのものはおじいちゃん作だ。


「おじいちゃん、健康に気を付けてるからね。長生きしないとビクニさまに顔向けできないんだって」

「へえ……。じゃあ、セイヤくんも長生きできるかもしれないね」

「それはわかんないけど」


 僕は苦笑いしながらも頭の後ろを掻いた。


「嘘じゃないぞ? 前も言ったが代々ビクニさまに仕えてきた卯花は長生きの家系じゃ。お前さんも健康に気を付ければ、きっとビクニさまが長生きさせてくれるはずじゃ」


 健康でいれば長生きできるって、当たり前のような気がするけど……。日本人の平均寿命は男女とも八十超えているし……。


 ――ビクニさまに仕えてきて、長生き……


 その呟きに僕は反応した。

 スズミさんは考え込むように、右手を顎につけている。


「スズミさん?」

「いや? 考えてみれば不思議だなって」

「どうして?」

「まあ、本当に健康に気を付けているからだと思うけど、ビクニさまに仕えてるから長生きって本当にご加護があるみたいだね」

「ははは……」


 僕は苦笑いしつつも隣を見ると、おじいちゃんはそうだと言わんばかりにうんうんと頷いている。


 食器を片付けた後、おじいちゃんは神社に掃除に向かい、僕らは居間で休んでいた。

 スズミさんは夜まで家に帰るつもりはないらしい。夕方涼しくなったら図書館で調べ事をするらしいけど。

 冷房の効いた部屋で涼しげな風が、僕らの髪を揺らして肌を冷やし、まるで家の中が朝の森のようにさわやかになる。


「はあ……。天国だぁ……」


 僕の前で天井を見上げてスズミさんは一息ついていた。


 だが、僕は必死に脳内でRPGで主人公たちの行動を考えるように、今後どうするか悩んでいた。


 休むのはいい。

 だけど……することがない。

 ぼっちだったから、一人で楽しむことはいくらでもあるけど友人と遊ぶことなんてないぞ……? さあ、どうする……。


「そうだ。気になってたんだけどさ、チカさんからのプレゼント、どうしたの?」

「へ?」


 僕の思考は中断した。

 スズミさんは首を反り返らせて、僕に逆さになったどんぐり眼を見せた。


「ほら、チカさんに初めて会った時セイヤくんもらってたでしょ? やっぱキミだけなんてずるいよ」

「まだ根に持ってたんだ……」


 思わず苦笑いする。


「ねえ、見せてもらって……いいかな」

「だ……ダメだよ! チカさん絶対開けるなって言ってたし」

「ちぇー、けち」

「……」


 顔を膨らませて恨めしそうなスズミさん。

 思わず僕はむっとして顔をそらした。

 とはいっても僕も気になっていた。今朝チカさんと会ったときも開けるなと釘を刺されたけど、それ以上に「ビクニさまが守ってくれる」「卯花うのはな神社の子供だから大丈夫」というチカさんの発言が意味深だった。


 まさか、本当に開けても大丈夫なんだろうか……。


 なら、スズミさんも興味ありげだから、いいかな。


 軽い好奇心が僕の背中を押した瞬間だった。


「……ちょっと、待ってて」

「え?」


 いきなり立ち上がった僕にスズミさんは口をぽっかり開ける。


「持ってくるよ。プレゼント」

「ほ、ホントに?」


 ぱっと明るくなるスズミさん。瞳が輝き始める。

 僕は一回だけ、首を縦に振った。しかも、軽く。


 ***


 部屋に行き机の奥にしまっていた七色のカラフルな包装紙に包まれたプレゼントの箱を取り出すと、僕はさっそく居間に戻った。

 スズミさんはやっぱりうきうきしているのか、僕の腕の中にあるプレゼントの箱を、物を欲しがる幼い子供のような目で追いかけていた。


「はやく、早く開けてよ!」

「ちょっとせかさないでよ……」


 スズミさんの顔は箱に引き寄せられている。

 とりあえず僕はテーブルに箱を置くと、包装紙を広げた。

 現れたのは小さな長方形の木箱。しかし、かなり年季の入ったもののようで、表面は黒に近い焦げ茶色で触るとしっとりしていた。

 木箱をそっと開ける。


 蓋は裏返された。中を確認しようとする。


 しかし――。


 なっ……。


 僕の身体は一瞬でつま先から髪の毛の先まで凍り付いた。


 だが、両手で畳を叩く強い音で氷は割れた。


 はあ……はあ……。


 荒い息遣い。

 振り向くと、スズミさんが両手を畳につけ、俯きながら息を切らせていた。額から汗がにじみ出て、畳を濡らす。

 顔が、青白い……。


「す、スズミさん!?」


 いきなりのスズミさんの様子に僕は動転した。


「せ……セイヤ……くん……。箱を……閉め……て……」


 苦しそうにスズミさんは一言一言を必死で、口から吐き出す。


「わ……わかった!」


 とっさに木箱の蓋を閉めた。

 同時に、スズミさんはどさっと倒れこんだ。


「だ、大丈夫……!?」

「……。私は大丈夫……。キミこそ……大丈夫なの?」

「う、うん」


 そういうと、スズミさんは苦しみながらも微笑んだ。

 息を切らせて、汗を多量にかいてセーラー服がびしょびしょだった。


「少しだけ……休ませて」

「きゅ、救急車呼ぼうかな」

「休んだら元気になるから、たぶん大丈夫……」

「でも……」

「さっきより楽になってきたから」


 そう言って力なく微笑むスズミさんの顔を見ると、さっきよりも顔に赤みが戻り、息遣いも落ち着いてきたようだ。

 だけど、さっきあれだけ苦しんでいたんだ。


「ほんとうに、呼ばなくていいの?」

「うん……。だけど、今は休ませて」


 不安は残るが、とりあえず僕は台所に走ってお茶を汲み、自分の部屋にあったタオルケットと座敷の座布団を持ってきた。

 スズミさんはお茶を一口飲むと、座布団を枕代わりに横になった。

 僕はタオルケットをそっと彼女にかけた。

 彼女は静かな寝息を立てて眠りに落ちていった。

 眠っているスズミさんの顔色はすっかりと元に戻っていた。


 とりあえず、危機は脱したようだ。

 深くため息をつくと、僕はテーブルの上で何事もなかったかのようにちょこんと置かれている古びた木箱を眺めた。


 中身――一瞬だけ見てしまったけど……頭の中に深々と刻み込まれてしまった。この世のものとは思えないほど、怖かった。

 まるで般若のお面のような顔に、歯をむき出して不気味に笑う口。そしてコイの腹とヒレがついたような、真っ黒な “何か” 。

 ほんとうに見てはいけないものを見てしまった……。

 そして、スズミさんは箱を開けた途端苦しみ出した。たぶん、木箱の中にあった得体のしれない “何か” が原因だろうけど、なぜ苦しんでいたんだ? 幸い、すぐに木箱を閉めたので大事には至らなかったようだけど、もしそのままだったら……。


 ――箱は絶対に開けちゃダメ


 そうチカさんが言った理由が理解できた。

 でも、同時にある疑問が浮かんだ。


 なんでチカさんはこんな危険なものを僕に渡したんだ……?

 そして、中に入っていた “何か” 。あれは、いったい……。

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