不思議なお姉さん(5)

 息を切らせて、海堂と近村に視線を向ける風馬さん。海堂は目と口をぽっかりと開けながら、目の前の風馬さんを見ていた。

 それは僕にとっても、信じられない光景だった。


「な、何よ、スズミ。いきなり叫んで……」


 風馬さんは何も言わない。だけど、周囲の空気が変わったのは間違いなかった。

 海堂は気を取り直したのか、友人に向かって声を開けた。


「スズミ、あんた卯花の肩をもてっていうの? あんたのためを思っていったのよ? わかるでしょ?」


 一方風馬さんはハンカチで汗を拭うと、その訴えかけるような瞳を海堂に向けていた。


「ひどいよ、ゆかちゃん。人をいじめるなんて」

「いじめ? そんなつもりはないけど。あたしは事実を言っただけ」

「卯花くん、嫌がってるじゃない」

「は? 自業自得でしょ? 事実なんだから当たり前じゃないの」

「そうかな。卯花くんはゆかちゃんに何も悪いことしてないよ?」

「してるわよ! あたしたちの前にいること自体悪いことなの!」


 次第に海堂の口調が荒くなる。海堂の口から放たれる一撃は重いけど、風馬さんがいるからか衝撃は思ったより弱かった。

 風馬さんは一度目を閉じると、


「ごめん、ゆかちゃん。私ずっとゆかちゃんを友達だって思ってた。でも、いじめるなんて信じられない」

「な、なによ、スズミ……」


 海堂の威勢は一時的に弱くなる。


「今すぐ卯花くんに謝って」

「は? あたしがあのキモイ男に?」

「そう。ゆかちゃんの言葉で」

「……」

 

 今の僕にとって、風馬さんは救世主のように見えた。僕の心は自然と風馬さんに引き付けられていた。そして、いつの間にか彼女を応援していた。

 海堂は下唇を噛みながら地面に顔を向けていた。異変を感じたのか、近村が海堂の顔をのぞき込む。


「お、おい……ゆか?」

「……なんでよ」

「どうした?」


 海堂が顔を上げる。だが、その顔に僕は一瞬だけ身を引いた。

 海堂の眉は中央に下がり、目はぎろりとして風馬さんを睨みつけていた。

 まるで、僕をいじめていた時のような顔――。


「なんで謝んなきゃなんないのよ!! スズミのためを思っていったのに!! あんたこそサイテーよ!!!」

「……」


 その大声に、風馬さんは顔を下に向けた。

 海堂はぷいと振り向くと、近村の肩をつついた。


「行こ、元晴くん。スズミを信じたあたしが馬鹿だった」

「え、あ、ああ……」


 そう言って海堂と近村は廊下の先に消えた。

 階段の上で床を見て棒のように立つ風馬さん。僕にはその姿が攻撃に耐えてボロボロになった、小説の中の勇者にしか見えなかった。


***


 登校日といってもすることは夏の課題のチェックくらい。僕はぼっちだから、嫌でも夏休みの課題はほとんど済んでいた。

 夏休みは図書室も空いていないし、休み時間はトイレや体育館などを転々として、目立たないように気配を殺した。

 全然楽しくない登校日が終わり、僕は目立たないうちにそそくさと教室を出た。さっさと家に帰ろ。


 昼から部活がある生徒もいるらしく、体操着やユニフォームに着替えてワイワイしながら僕の目の前をかけていく。

 駐輪場に行こうとすると、僕の目は木陰のベンチに座るツインテールの女の子に引き寄せられた。

 風馬さん――

 彼女は顔を下に向け、千切った緑の葉っぱを眺めながら時折ため息をつく。彼女の周りはまるで時間が止まったかのように静かだった。

 ふいに僕は彼女に見とれてしまった。そして、今朝のことを思い出した。彼女は必死になって海堂の僕へのいじめを止めようとしていた。その姿ははっきりと僕の目に焼き付いていた。

 お礼を、言うべきだろうか。


「あの、風馬さん……」


 ふと彼女に声をかけてしまった。


「卯花くん……」


 顔を上げた風馬さんはハンカチで目をこすっていた。


「あの」


 言葉が詰まった。なんて声をかければいいかわからない。多分、風馬さんも複雑な事情を抱えているはず。僕が言ったところで、もし気分を悪くしたら――。


「ありがとう、ございます……」


 無難すぎる言葉……なのか?


「ん、どうしたの?」


 不思議そうな顔を僕に向ける風馬さん。


「え、あ、あの……朝のことですけど……」

「ゆかちゃんたちのことだね」

「ええ、まあ」


 風馬さんは顎に手を当て、考え込むしぐさを見せた。そして、


「ねえ、卯花くん。一緒に帰っていいかな」


 意外すぎる風馬さんの発言に、僕の心臓は飛び出しかけた。だけど、すぐに冷静に戻る。

 そもそも風馬さん、今日は部活じゃないのか? 八百中では夏休みでも半日は部活があるのに。


「風馬さん、部活はいいんですか?」

「サボったの。行く気……なくなっちゃったし」


 風馬さんはもう一度ハンカチで目をこすった。だけど、時折涙がぽろりと流れ落ちる。

 それは僕が初めて見る、風馬さんの涙だった。


***


 セミの声が街路樹にしみる人通りの少ない静かな八百駅までの道を、僕と風馬さんは並んで歩く。僕は周りに目玉を動かしながら、他の生徒に見られていないか確認していた。新たないじめのネタにされないか、怖いから。

 しかし、隣の風馬さんがこちらを気にしながら、


「気にする必要なんかないんじゃないの?」

「え」

「誰も見てないって」

「そ、そうですね……」


 頭がかゆくなり、顔が熱くなる。

 でも風馬さんの声は低く、暗かった。彼女の横顔はうつむき気味だった。


「その……元気、なさそうですけど何かあったんですか?」

「……」


 まさか、今朝のいじめが関係してるのだろうか……。


「今朝の海堂さんとのことですか?」


 風馬さんはゆっくりと首を上下させる。


「でも、友達でも許せないことだったから」

「風馬さん……」


 ようやく口を開いた風馬さんが放った言葉に僕は足を止めた。


「許せないって、いじめがですか?」


 風馬さんは一つ頷く。


「私、ゆかちゃんの平気で意地悪するところが苦手なの。でもそれ以外なら一緒にいて楽しいし、私自身友達といるときが幸せだったから」

「そうだったんですか……」

「だけど、ショックだった。いくらゆかちゃんでもあそこまで酷いことするなんて、信じられなかった。だから、私もあんなこと言ったんだと思う」


 風馬さんは地面に顔を俯けていた。

 まるで、自分の行いを後悔しているようだ。


「あの、あれから海堂さんに何か言われたんですか?」

「もう友達じゃないってね……」


 風馬さんが部活をサボった理由の一つが、海堂に絶交され、バレー部に入りづらくなったことだった。ただ、それ以上に海堂は風馬さんの友人だった式川さんや浜田さんにも、風馬さんとは関わるなと口添えをしていたらしい。

 そのため、クラス内でも部活でも話しかけづらくなってしまい、生活が一変したようでつらかったのだという。


「はあ……。明日から学校行きたくないなあ……」


 そう言って風馬さんは高く青く澄んだ空を見上げた。

 風馬さんの話を聞いて、僕の心に罪悪感が生まれた。彼女に謝りたくなった。でも、風馬さんの後悔の念が強くにじみ出た横顔が僕の言葉を遮った。


「だけど卯花くんもとてもつらかったと思う」


 風馬さんは悲しげだけど優しそうな顔を僕に向けた。


「……はい」


 なぜか僕の身体は熱くなった。風馬さんから視線がそれる。


「僕のほうこそ、ごめんなさい」

「謝らなくていいって。キミは悪くないから」

「そう、ですかね」

「私だってゆかちゃんとずっと友達でいたかったの。だから、どうしてもやめてほしかった」

「……」


 友達でいたいから、いじめをやめさせたかった。

 悪いのは確かに海堂だけど、あの時僕が風馬さんと一緒にいなければ、彼女と出会ってなければ僕は今朝いじめられずに済んだのだ。

 つまり、風馬さんは傷つなくてもよかった。


「はあ……」


 ため息が漏れてしまった。


「キミまで暗くなってどうするのよ。いじめる方が悪いんだから、今は気にしなくていいじゃない」

「そう、なんですか?」

「まあね。……私もキミのつらい気持ち、わかるかもしれない」


 そういうと風馬さんは顔を横に向け、前を見た。


――あなたの気持ちがわかる


 いじめに同情してくれる人もいないわけじゃない。だけど、大体うわべだけだったり、僕自身にも原因があると言ってまともに取り合ってくれない。

 でも風馬さんのその言葉はなぜか違う気がした。理由はわからない。でも、あれだけ真剣に海堂と近村のいじめを止めようとしていた。ひょっとしたら、風馬さんにも何か思うところがあったのだろうか。友人のため、という理由のほかにも――。


「その……風馬さん。どうして気持ちがわかるんですか?」


 風馬さんの足はぴたりと止まった。顔を俯け、瞳を隠す。


「そうだね……」


 しばらく僕と風馬さんの間に何もない時間が流れた。十数秒ほどして、


「ねえ、時間もあるしどこか二人きりになれる場所知らない?」

「え?」


 二人……きり……?

 彼女の返答に僕は戸惑った。風馬さん、何を考えてるんだ?


「た、例えば神社とか……」

「なら、卯花神社がいいね。あそこなら気持ちも落ち着くし」


 なんで、うちの神社? ふと単語が飛び出しただけなのに……。


「これから卯花神社に行っていいかな」

「いいですけど……。でも、風馬さん平川地区に住んでるって言ってましたけど逆方向ですよね?」

「まあ、いいでしょ? 私も今は……帰りたくないから」


 そう言って風馬さんは喉が渇いていたのか、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。そして、不安と笑みが入り混じった不思議な表情で僕を見る。

 僕はその様子を不思議そうに眺めていた。

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