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 夕夏からの連絡は、意外にもすぐあった。

 丁度、また新しく注射をしてもらった次の日だった。最初に会ってから二週間も経っていなかった。

 待ち合わせは駅前、人混みの中で夕夏の姿を探していたらスマホが震えた。私と違って――夕夏のことだから、きっと――人混みにも待ち合わせにも慣れているんだろう。私は迷子みたいに、スマホの向こうから手招く声に導かれた。自分がどこにいるのかもわからない私に、夕夏は愛想も尽かさず、丁寧に案内してくれた。ありがとうと何度も伝える私は、けれども情けなかった。こんな、待ち合わせもロクにできない二十歳過ぎの私。でも、こうしてトランスしてから初めての、同い年の友だちになれたのかもしれない。とても新鮮な気分でもある。

 駅前の交差点、バスターミナルと噴水の向こう側、ビルを背景に今日しかすれ違わない雑踏のなか、彼女はいた。鼻先が痛いくらいに冷たい陽射しがスポットライトみたいになって、高く手を振るあげた夕夏を照らしだしていた。なぜかしら、こんな寒い夕日でも、あの人の顔は明るい橙色に彩られて、暖かで、晴れやかだった。

 だから交差点で信号待ちをしている人の群れのなかでも、すぐに夕夏の姿を私は見つけることができたのだ。

 ずるいよ。

 夕夏の笑顔。白い歯が綺麗に並んでいた。私も笑顔に成った。寒いね、秋を飛ばして、もう冬が来ちゃったみたいね。早くどこかのお店にでも入っちゃおう。私はどこでもいいよ。夕夏ちゃんにお任せしてる。

「だって私、あんまり来たことなくって。友だちとか、そんな感じのひととか、まともに」

 こんなとき、どこに向かうのが普通なんだろう。私はそんなこともわからない。

 手近なイオンモールに向かう。買い物。服とか、その手の物を一緒に探す買い物。ああ、初めてなのか、私は。こうやって何の予定も無しに、誰かと、女友だちと一緒にアテもなく買い物できるのは。

 これも、ずっと昔から私が失い続けていた経験なのだろうか。こうして気ままに好きなものを見て回れる、こんな経験も。きっと……きっと、もしも私が昔からこうだったなら。交差点では、嫌でも、信号待ちをしている学生服に目が行った。

 巨大な店の中は、広すぎて、明るすぎて、眩暈。耳の奥が膜を張ったようになって、声が出し辛くなる。声が低く、太くなってしまわないか心配になる。

 大丈夫、大丈夫。声には出さずに。私は、どこからどう見ても、女の子だから。たぶん、きっと、そうとしか見られないから。

 見咎められる事もなく、女性服売り場を歩く。二年前、初めて女物を買った時は酷く奇妙な目で見られた。一年前は、自ら店員サンに打ち明けて似合う物を見繕ってもらった。何しろ、服の着方からして解らないのだから仕方なかった。

 そうやって積み上げてきた経験を、今の私は着ている。夕夏の一歩後ろで、あれ可愛い、これが似合いそう、なんて話をしている。

 今日は、先導者がいる。

「――どうなの、可愛い系? それともキレイ目な感じ? 彩ちゃんなら大人っぽいのも似合いそうだね」

 コートの掛かったハンガーたちを一つずつ手に取る夕夏に尋ねられて、私は口ごもる。可愛い系、キレイ目。どんな感じのものなのか上手く想像できない。

「キレイ目なのが良いかな。あんまり派手にしちゃうと家で怒られるし」

「んーん、気にしない気にしない。そりゃあ彩ちゃんの自由だから強制できないけど、着たい物着て大丈夫よ。なんで家族に怒られなきゃいけないのさ」

 窘めるような夕夏の科白は、けれどフランクで、何より服選びを楽しんでいるふう。

「てか、そんな可愛いのに我慢しちゃ勿体無いし。女の子なんだから」

 女の子なんだから、か。

 にか、と不敵に笑んだ夕夏に邪気はなかった。私はうっかりつられて笑ってしまって、もう振り切れてしまえと心を決めた。ここにいるのは、初めてこの前会った夕夏だけなのだ。昔の、あの、あの――もう思い出さなくて良い――ここには、私の過去を知るヤツなんかいやしない。

「可愛くなんかないよ。でも、可愛くなりたい」

 そうは思いたくない定型的な謙遜と共に、本心からの決意を言葉にする。

「夕夏ちゃんみたいに成りたいって思う」

 自分でも情けない声、口調だと思った。でも、こうして買い物している自分の姿を二年前は想像もしなかった。それなら、身に纏う服を少しくらい好きにしたって構わないだろうに。

 なのに、私の声は躊躇っている。

 夕夏は少し驚いたふうだった。

「いや、そんな、私みたいになんか成っちゃ。絶対、彩ちゃんの方が可愛いでしょうに」

 そんなわけないよ。私が否定して会話はループする。ありきたりでお決まりのループ。ずっと加わりたかったループ。毎朝のメイクと同じで、これもきっと私には面倒と感じられない。

 これとかどう、と夕夏は雪をイメージさせる落ち着いた白いダッフルコートを差し出した。ふわりとした柔らかなシルエットは女性らしさの特権だ。

 そのコートを試着した私の姿は想像以上に自然だった。

「わあ、似合ってるんじゃない? どう、彩ちゃん気に入った?」

 馴染むような感覚。でも、そんなはずない。ただの気のせい。女の身体に合わせてデザインされたはずの服は、私にとって根本的に着にくいはずなのに。事実、肩の部分が少し狭苦しい。なのに、ぴったりと馴染んでくれる。

「うん。丈も充分だし、色合いもちょうど良く落ち着いてるし。買っちゃおうかな」

 買わないと、ずっと気になって後悔する。そう思って私は思い切った。五桁の買い物は安くはないし、帰ってから文句をつけられるかもしれないけれど、それでも買って、レジを済ませた。

 更なる収穫を求め、エスカレーターに乗って上階に向かっている時、私は前を行く夕夏に尋ねた。

「やっぱり、その――やっぱりさ、夕夏ちゃんって私と同じなわけじゃん。だから……わかるのかなって」。

「ん? 何が?」

「……あのコートにしたってそうだなあって思ったんだけど。ほら、どうしても私、肩幅広いし……そういう部分、っていうか。隠し方とかサイズとか、わかってくれてる気がして」

 上手く言い表せない。訊きたいくせして言いたくない。確かにこれを表す言葉は用意されているのに、私は蓋してそっぽを向いている。夕夏ならわかってくれてる気がして。

 ああそれね。そう頷く夕夏は、その婉曲さを理解したようだった。

「私も背高いし身体こんなだし。そりゃ友だちとか店員さんとか雑誌とかで勉強もするけど、でもわかってくれない部分ってあるのよね。この服そもそもどう着るのー、とか、肩とか腰回りとかがピンポイントできつかったりするのとか。ネット調べても大したこと載ってないしさ」

 物憂い視線を、クリーム色の壁とキラキラとした照明のこじんまりとした売り場に投げかけていた。マネキンが着ているセーターとトレンチは、明らかに、私たちには小さすぎる。幾ら気に入ったとしても、あんな雰囲気の店の服を私たちは着られない。

「もう自分で体当たりして獲得してったの。私に合った、私の服の着方。どんな服なら体格隠せるだろう、どんなお店ならちょうど良さげなものを売ってるのだろうって」

 こんなキレイなひとでも、私と似た悩みを抱えている。当然だ、同じ高さに目線があるのだから。何でもひっくるめて共感する話し方は私たちの心細さを解消してくれる。

「夕夏ちゃんもそうなんだ。他のひとには言えないよね。こんなこと。女の子には――ああ、生まれつきの女の子ね――恥ずかしくて相談できないし。かといって男子とか論外だし。そもそも、わかってくれない部分なんだろうから」

 遠まわしの相談、もしくは愚痴。男として生まれてしまった身体の隠し方と、私たちらしい着こなし方。夕夏みたいなひとでも、私なんかと同じような苦労をしていると知って安心してしまう。

 私たちと同じように談笑している女の子たちとすれ違いながら、夕夏は達観しているように言った。

「この境遇の、MtFにしかわからないこと。男から女になろうとするときに遭遇する問題。MtFじゃなきゃ体感し得ない特有のもの。たぶんそうなんだと思うよ。

 例えばほら、私って前までスカートよく履いてたんだけど、それって実はトランスし始めた段階だとパンツスタイルって厳しいって知ってるからなんだよね」

 ……ああ、そのこと。察しがついた。

「そうだね。そんな事わかるのって私たちくらいかも。だって……ねぇ」

 そうだ、こんな話は私たちにしかできない。理解云々以前の話。私以前に社会が蓋をする会話。相手が元男じゃなければ伝わらないし、女子トークにはそもそも相応しくない。

「その点、スカートの方が本当は履きやすいんだよね。同じようなデザインのズボンでも、男物と女物じゃあ、つくりが違ってくるから」

「スカートかあ、私、一着も持ってない」

「買っちゃう?」「買っちゃう!」

 ひたすらに私たちは服を探しては買っていった。一人だったら知識もセンスも心もとないし、別の誰かとだったらこうやって好きなものを気ままに言い合えなかっただろう。買えば買うほど、私は夕夏から知識を吸い取ってゆく。最近の流行りは何か。色合わせはどうするか。今まで誰も教えてくれなかった、縁遠い知識が隣に溢れていた。

 私の財布の中身が尽きかけたところで夕夏とお手洗いに向かった。

 どちらへ入るのか、密かに気になっていた。

 夕夏は私に荷物の大方を預けると、全く自然に、堂々と女性用へと入った。その背中を見つめていた私とは対照的に、当たり前のようにしてそちらへと入ったのだった。

 確か、戸籍はまだ変わっていないんじゃなかったっけ。とすれば、私たちはどっちを利用するのが正しいのだろう。

 ある意味、夕夏の場合は単純だ。誰が夕夏の戸籍を推測できよう。あの姿の夕夏を、誰が看破できよう。

 やはり自然体で戻ってきた夕夏に、今度は私のぶんの荷物を預けた。紙袋を手渡したとき、ずっとその重さに耐えていた左腕が僅かに痙攣した気がした。

「やめときなよ」

 手前に位置した女性用お手洗いの前をあっさりと通り過ぎたときに、夕夏の声が後ろからした。

「え?」

 意味はわかってる。そんなに鈍感じゃあないし。もし私と夕夏の立場が逆なら、私だって夕夏を止めている。それが、私たちにとっての美徳だから。

 心の性とかいうよくわかんないものを大切にする、っていう美徳。

「やめときなよ、そっちは」

 この時の夕夏の声音は、これまでより気持ち低かった。

「まだ私には、早いよ」

 追いかけてまで、夕夏は止めにはこなかった。

 どうして私はこんなに弱いのか。同じ年を生きてきて、どうしてこんなに私と夕夏の間に差がついてしまっているのか。――卑屈さが頭から離れてくれない。

 こうやってトランスを初めて以来、このことを知っているひとは私と一緒にトイレに入らない。これまでは当たり前のように一緒に使っていたのに、私の心の内側に触れたことのあるひとたちは、何を言うでもなく気を使って、もしかするとバツの悪い顔になって私が男性用のお手洗いから出てくるのを待っている。

 心の性云々を蔑ろにする気があるわけじゃあない。でも、もし誰かに見咎められたら。心の内側が外面と同じだなんて、そんな都合の良いヤツばかりが生きてるなんてあり得ない。

 誰もいなかった。人のいないであろう場所とタイミングを見計らって選ぶことに、私は慣れきってしまっている。新しくできたばかりの立派な建物だと男性用お手洗いの入り口が開放的すぎることもないし、洗面台だって広々と造られていることが多い。ここのトイレもそうだった。手を洗った後、トートのなかの小さな鞄から取り出したあぶらとり紙を、厭にみっともなくてかる鼻筋にあてがう。

 鏡に映った姿は、誰のものかもわからない。

 髪は肩より下、胸のあたりまで伸びている。少しうねったり跳ねたりしていて、特別綺麗でもないし痛んでもいない黒い髪だ。面長で大きな眼、肉感的な唇、大きな鼻。母の二十歳くらいの写真と瓜二つの顔だち。その肌理はファンデとコンシーラーで否定されて、色白が強調されている。細く整った形を描く眉。うっすらと光の散ったようなアイシャドウが瞼を彩ってクマを消し、引き伸ばされたアイラインが瞳を強調する。右眼を緩く覆う前髪が、二重の左眼をより大きくする。唇には薄紅色のルージュ。

 落ち着いたクリーム色のロングコーディアンにワインレッドのセーターを着て、首元に薄紫のラピスラズリをつけている。ジーンズは細め。

 髪のうねりを気にして弄っていると、スーツを着た男のひとがトイレに入ってきた。そのひとは鏡を睨みつけていた私の姿をみとめると、半歩下がってたじろいだ。言葉未満の呻きのような、ああ、だとか、う、え、としゃにむに首を振る。

 またかよ。めんどくさい。

「大丈夫ですよ」

 とっくに忘れた低い声を出そうとしてみて失敗する。あなたは間違っていない、ここは男子トイレですよ、と伝えたつもりだった。

 結局、男は何かに化かされたような顔をして踵を返して退散していった。

「ねぇ、お前。誰」

 鏡から問いかけられた。財布の中身を半分以上注ぎこんで作りあげた虚像。子を遺す事を許さない身体。私は高いお金を払って、私に消えない毒を突きさしてもらう。私は不連続で出来損ないな生命に成ってゆく。

 誰だよ。わかりきってる問いと答え。

 ささやかな復讐。産まれた事に対する、社会に対する、私に対する、母に対する復讐。後ろ暗さを消すためにポケットからピルケースを取り出す。ホルモン剤とエチゾラムとSSRIが提供する鮮やかな悪夢だけが、こんな私にキレイなセカイをくれる。

 えずくような吐気は既に愉しい。

 トイレから出た私を夕夏が出迎える。持ってもらっていた荷物を返してもらった。大きな紙袋には、買い占めた私の服とアクセサリとが詰め込まれている。もちろん、女物の。

「だからやめといた方が良いって言ったじゃんか」

 眉根を歪めて、いけない事をした子供を咎めるような詰問調。私は何も悪い事をしていないのに身をすくめてしまう。だって、と逡巡する私の背中を夕夏は静かに、力強く押す。

「ほら、今度からはあっちあっち。女の子なんだから」

 そんな簡単に言って。良いよね、夕夏は。後は戸籍だけなんでしょ? 呑みこんだ言葉は喉のあたりで引っかかる。あのオジサンのような反応に慣れきっている私は、通報されて警察沙汰になるくらいならと頑なに女子トイレを使わない。夕夏みたいな才能と素養の無い私に、透明な壁が立ちはだかる。

 そんな壁を、彼女はいとも簡単に突き破る。誰も彼女を咎めない。女の子なんだから。

 この言葉は彼女には許された特権だ。東京の元カレがどうの、とぼやく顔も自然。

 女の子なんだから、彼氏がいても当たり前。女に成り損なった私は、男を好いても女を好いても、どっちを好いても叩かれるだけだ。

 強がって、私も彼氏がいると答えた。どこにもいなくなった彼氏を頭のなかでつくりあげる。私は女の子、だから彼氏がいても当たり前。男扱いされていた時には、まるきり、逆の話を強いられていたのに。それっぽい話をしてみせるのはさほど難しくない。でも、まるで妄想。妄想だからこそどこかが綻ぶ。私はそれを、ファンデで肌を誤魔化すみたいにして隠していく。強引に括られたLGBTの四つのアルファベットが、優しい顔をして私の恋愛対象を緩く縛り上げる。

 じゃあ彩ちゃんは男の子が好きなんだ、と言われた時に、その綻びは妄想から現実へ接近した。

「でも、私はどっちでも良いって言うか……」

 夕夏は、ふぅん、じゃあバイなんだ、とそれでも普通に返してくれた。――私の恋愛対象は男の子。それ以外なのだと口にすることは憚られる。ただでさえ私は異端者、障害者なのだから。

 でも、夕夏なら。親でも医者でもカウンセラーでもない、同じ異端者なら。喉ぼとけのあたりでつっかえていたものを呑み込んでしまった。

「バイともまた違うかな、パンセク、ううん、もっと……欲の無い、って言ったらどうなんだろう。性嫌悪、みたいな。私って性自認も曖昧だからさ」 

 ぽつり、失敗だったと気が付いたのは言ってしまった後のこと。む、と彼女は難しい顔をする。私は恋愛対象がどっちでも良いのでは無くて、もっと別の……伝えたい言葉は不自由なまま、私の内から出ていかない。

 私は。私は、男なんて。

「性嫌悪って何? いや、そもそもパンセクって何の略だったっけ……ああ、でも友達に同じようなこと言ってた子いたかも。アセクシャルだったかなぁ、恋愛感情が沸かないんだーって」

 そんなものかな、と微笑んだ私は、きっととてもぎこちなかったに違いない。何かをまた言おうとして、彼女は口をつぐんだ。良いよ、ごめんね、難しく言っちゃって。せっかくの買い物、暗くてややこしい話はこの華やかさとは似合わない。

 私みたいな奴は別だけど。

 私たちは薄ピンク色を基調にした、淡い彩りの売り場の集まりの前を歩いていた。さ、と切り替えるようにして夕夏は堂々とその中に入っていく。立ち止まった私を、一寸呆れたような、そんな可愛らしさで手招いた。

「女の子なんだから」その手は自然にそう告げる。彼女の特権をはっきりと口にされるより先に、私は下着売り場へ足を踏み入れる。可愛らしいものは好きだけれど、私には似合わない。そんな孤独な抵抗を正しい優しさが破壊する。イヤホンで麻酔をしているつもりになって、私は空っぽの耳を空っぽの感触で埋め込んだ。

 膨らみかけの私の胸にAカップのブラジャーがあてがわれて、その日は別れた。

 駅で、夕夏は十九時半の満員電車に詰め込まれた。頭ひとつぶん抜けた夕夏は、くら、と人混みに押されながら、折れてしまいそうな明るい笑顔を浮かべて私を置き去りにする。

 手を振るだけでも、私はこんなにもぎこちない。車体に映る、歪んだ姿の私。奥歯を噛み締めた。ブーツの中で無駄に力の込められた足の指が鳴った。そうでもしないと、凡そ女の子らしくない目つきで線路を睨んでしまう。

 私も帰ろうと、別のホームへと向かった。夕夏とは真逆の、ずっと田舎へと続く路線で待つひとの姿は少ない。こんな出で立ちをしていて目立たないかと心配していたけれど、こそこそとしていても逆に目立つだけだと知っている。

 それでも人目を気にせずにはいられない。変なひとに思われていないだろうか。買った下着が気持ち悪く思われていないだろうか。メイクは、髪は。服でいっぱいになった紙袋の持ち方は。うっかり知り合いに出くわさないだろうか。

 バカバカしい妄想。誰が私が下げた紙袋の中身にまで気が付くんだよ。透視されなきゃバレないだろうに。

 そうやって見渡していると、ひとつ、思い至った。

 ここで電車を待つひとたち。或いは、夕夏と歩いていてすれ違った、今日限りで一生会うことの無いひとたち。そのひとたち全員――男なんて論外、女のひとと比べても、夕夏はひと際美しいのだ。生まれつきなんて関係なくて、夕夏は全き美人サンでしかない。

 化粧をしていない女の子が前を通り過ぎる。その後ろに、くたびれた表情の女性が続く。けれども、彼女たちの誰ひとりとして、夕夏には敵わない。

 あまりにも、夕夏は、既に女性として美人なのだ。

 なんだよ、それ。そんなの絶対敵わないじゃんか。なんで夕夏はあんな綺麗に生まれて、私はなんでこんななんだよ。

 ホームの柱に背を預けた。夜の外気で冴え冴えとした冷たさが背骨をわしづかみにした。

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