第3話:出逢い

 チェフィーロが帰路についたのは、夜もとっぷりと更けた時分だった。大通りは夜でも人通りが多く、食事のためにレストランに入っていく人、家族の待つ家に急ぐ人、様々である。チェフィーロも今日は珍しく大通りを経て家へと向かっていた。

 「久しぶりに土産に菓子でも買って帰りますか」

 チェフィーロの声は弾んでいた。大通りにある洋菓子店 《シャリオ》のケーキは姉の大好物なのである。戴冠式前で疲れているようだし、執事長に頼んで美味しい紅茶と共にゆるりと味わっていただこう。そう考えて彼は店へと足を踏み入れた。

 「ねね様にはベリータルト、かか様にはショートケーキ、てて様にはシフォンケーキ、使用人の皆様には……」

 ショーケースの中に並ぶケーキを楽しそうに眺めながら呟く。店員の女が彼の容姿に顔を赤らめながら、お決まりになりましたら、お声かけください、とマニュアル通りには言っている。彼はむう、と悩ましげな声をあげた。

 その時、ふとショーケースの中にケーキ以外のものを見つけ、チェフィーロは目を丸くした。

 「これは……」

 「あ、それ素敵ですよね。なんでもオーナーの御友人の貴族の御子息さまがこの店のイメージを絵に描いてくださったそうなのですよ」

 話すきっかけを見つけた女が饒舌に語り出した。チェフィーロはその言葉を片耳に絵を食い入るように眺める。

 「このサイン……レダストゥリ侯爵家のティル様のものですね」

 仕事柄、人の絵を見ることも多いチェフィーロは一応絵師たちの名前とサインを記憶していた。絵画の界隈ではあまり見かけないティルのサインだが、彼は以前どこかで見た気がして記憶の糸を手繰り寄せていく。

 「ああ、そうそう、《プリエール・ラファーリア》です」

 「え?ええっと……」

 「帝立美術館所蔵の彫刻です。七年前に発見された旧時代の遺産でしたが、損傷がひどく、その修復にあたられたのがティル様です」

 そうですか、絵も描いておいでなのですね……。とチェフィーロは感慨深そうにその絵を眺めた。

 小さなキャンバスの中に色とりどりのケーキとティーカップが閉じ込められているようだった。色の使い方は少々奇抜で好みは別れるとは思うが、チェフィーロはこの色使いがけして嫌いではなかった。自分にはない色彩感覚である。また構図も非常に立体的で緻密、まるで飛び出してきそうだ。

 「この絵の世界が箱庭となったらどんなに素敵なことか……」

 うっとりとした目をしながら彼はそう口にした。一方、完全に置いていかれ、呆然とする女は、気のきいた返事をすることもできずにマニュアル通り、ご注文は、と聞いてくる。チェフィーロはそこでようやく本来の目的を思い出したようにはっと顔を上げると、失礼しました、と口にしてから、先ほど呟いていたケーキと使用人たちへとガトーショコラを注文した。箱に詰めてもらっている間もチェフィーロの心はその絵へと傾いていた。

 するとそこに……。

 「オペラとレジェルブレンドコーヒ―をくれ」

 いつの間にかチェフィーロの隣に立って注文したのは若い男であった。上品なしつらえのジャケットに伯爵を表わす小さな徽章が輝いている。……そういえば、今日は徽章を忘れたな、とかぼんやりと考えながら彼を見上げていると、その視線に気がついた若い男もこちらを見て首を傾げている。

 「僕の顔に何かついてます?」

 「……インクが」

 「え?あ、本当だ。いやはやお恥ずかしい」

 頬についた青いインクをハンカチで丁寧に拭き取りながら男は微笑む。しかし、その目の奥には深い闇のような底知れぬ光をたたえており、チェフィーロはつと目を細めた。

 「絵を描かれるのですか?」

 この男に少し興味を持ったチェフィーロは表情を柔らかくして訊ねてみた。すると、男は苦笑混じりに、まあね、と返事をしてきた。

 「これでも貴族の皆様お相手に御用絵師をやっているんだよ。その絵を描いたのも、実は僕なんだ」

 「え、それでは、貴方様がティル・レダストゥリ伯爵さまでいらっしゃいますか」

 「おや?僕のことを知っているのかい?」

 「はい!《プリエール・ラファーリア》を拝見しました。素晴らしい技術です、その上、絵もお描きになるなんて、多彩なご才能をお持ちでいらっしゃいますね!」

 キラキラと輝く目で語るチェフィーロに対して、ティルは一瞬だけ表情を暗くした。

 「ああ、あれね。絵師だけじゃ食べていけないし、いわば副業だよ。あれぐらい、誰でもできるさ」

 そんな自嘲気味な言葉を受けたチェフィーロは、はぁ、と首を傾げた。

 「そんなものですかね……」

 チェフィーロからすれば、一から何かを創り出すことよりも既存の作品をイメージを壊すことなく修復する方がよほど技術が必要だと思うが、どうやら彼の考えは違うらしい。

 「お待たせしました、オペラとレジェルブレンドです」

 「ああ、ありがとう」

 「お客様はお持ち帰りですよね、お待たせしてすみません…」

 「いえ、ごゆっくりどうぞ」

 ティルの手にはトレ―に乗ったケーキとコーヒーがる。併設されているカフェスペースで食べていくつもりのようだ。

 「君は絵を描くのかい?」

 「ええ、たしなむ程度でございますが……」

 自分も同じ御用絵師であることは黙っておこう。自分は彼のように依頼されたイメージの絵など描かずに好きなものばかり描いている。仕事としてきちんと依頼主の要望に合わせて描くティルのレベルと比べたら、自分の絵など完全に小遣い稼ぎのお遊びに等しい。

 しかし、そんなことは知りもしないティルは嬉しそうに笑いながら続けた。

 「よかったら飲み物をご馳走するから、君の注文したケーキが詰め終わるまで少し話さないかい?」

 「よろしいのですか?ぜひともご一緒したいです」

 彼の言葉に甘えて、チェフィーロはラズィカティーを注文する。甘みのある茶葉だが、ミルクをそえるか、フルーツをそえるかで風味の変わる不思議な品種の紅茶である。チェフィーロはママレードシロップをそえてくれるように注文すると、それを聞いていたティルが驚いたように目を丸くした。

 「驚いた、粋な飲み方をするんだね」

 とろけるような甘みのストレートがラズィカティーの飲み方として一般的に広く周知されているのだが、ママレードシロップを入れると、茶葉の香りが引き立ち、甘さも後を引かないすっきりとした味になるのである。チェフィーロは執事長からこの飲み方をおしえてもらってからは、ラズィカティーを飲む時はずっとこの飲み方である。

 「左様ですか」

 「ラズィカはとろける甘みが売りだからね、その甘みを中和させて飲もうとする人はあまりいないよ。でも、すっきりとした味わいのラズィカもまたおいしいんだよね。僕も実はその飲み方が一番好きなんだ」

 「おやまあ。それは気が合いますね」

 二人はその後、閉店近くまで語り合った。この二人が後に一世一代の大勝負をすることになるとは、この時は誰も予想だにしなかった。


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