過去からの届けもの 4

   ***


「今朝、起きたら白いワンピースを着た女の子が家の中に立っていたんだ。」


 バリスタが出したコーヒーに反射して揺れるランプの灯りを眺めながら、例の話を切り出した。朝の訪れとともにあった、謎の少女との邂逅。

 カウンターに置かれたかわいらしい小さな壷から角砂糖を次々と入れていた和佳奈は、動きを止めて顔だけ向けてきた。この同級生は何を言っているんだろう、最近就活で疲れているから幻覚を見たに違いない、そんなことをブツブツと言っているのが聞こえてくる。あまりにも片言な言い方だったので、まるで言葉を覚えたてのロボットみたいだな思う。断じて妄想に耽っているのだとか、現実逃避に幻覚を見たわけではないと、あらかじめ断ってから話を戻す。


「その子は昨日面接から返ってきたとき、なぜか知らないけど俺の部屋に一緒に入り、朝まで僕が起きるのを待っていたらしい。」

 今朝の騒動とそれに至る経緯を順番に思い起こしながら、和成はあるがままを話した。話している途中でさすがに状況のおかしさを実感し、ちょっと自分大丈夫かと思ったのは心の隅にしまったまま。

 多少の不安を隠して話し続ける眼前に、ピッとコーヒースプーンが現れ、話を遮った。


「ちょっと待って、和成くん、それは・・・」

 横から震えた声が聞こえてくる。和佳奈が先ほどまでのぎこちなさとは違う、驚きに満ちた顔を向けている。2人の縁は大学時代からとはいえ、さすがの彼女も目の前の男の出くわした出来事の不可思議さが伝わっていたらしい。


 それもそうだろう。朝起きたときに、目の前に知らない人間がいることのなんと怖いことか。目を開けたら天井にヤモリがいたりとか、顔を洗おうと洗面所に行ったら地面を黒いモノが駆け抜けたとか、そうした気持ち悪さはまた異質の恐怖があるといっていい。

 日本に限らず世界中いろいろなところを旅する彼女でも、まさかそんな体験をしたとは思えない。が、何かと勘の鋭い人間でもある。自分だけの空間、いわばプライベートスペースに混じる異物に対する嫌悪感を想像し、共感してくれているに違いない。


「めちゃめちゃ面白いじゃない!!なにその状況!??え、現実!?妄想なのよね?寝て起きたら知らない女の子がいたとか言ってるけど、ホントはその子をお持ち帰りしたんじゃないの!?昨日の夜に一人でやけ酒した帰りに目の前を歩いていた小さくてかわいらしい女の子を、一時の気の迷いから誘拐したりとか?そんな犯罪者まがいのことをして確かに現実なんだけどって、もう笑っちゃう!!どれだけ欲求不満なのよ!現実なのか夢の中なのか、ホントのところは分からないけど、そんな状況に陥るなんて相当ヤバいと思うよ!!本気で病院行った方がいいかもね~、あはは!」


 共感なんかしていなかった。むしろ馬鹿にしていやがる。この女…。

 怒るのも当然かもしれない。和成にしてみれば実際に目の前で起きていたことを述べただけなのに、それを妄言扱いしているのだから。その上で少女の出現を夢と現実の勘違いだといっているし、そのスジの病院まで勧められてしまうと尊厳まで傷つけられた感覚になる。

 隣で静かに聴いてくれるものだと思っていたものだから、突如として降ってきた笑い声にぽかんとしてしまった。目の前にある新聞紙を丸めて、おふざけでぺシーンと頭を叩かれたような気持ちだ。物理的に痛くはないけれど、音と威力の軽さに心を痛めた、という感じ。それは少しは痛いのだけど。


 カウンターの向こうでバリスタのおじさんが聞き耳を立てているようで、ちらちらとこちらの様子を目だけで見てくる。隣でくつくつくつと笑う彼女の隣に座り、注目の的になっていることが恥ずかしい。大笑いされていないことが、店内の人全員から見られることを避けられていると考えることにしたほうがいいだろう。

 店の雰囲気を考えると、邪魔者扱いされても仕方がないな。

 周りからの冷たい視線を背中に感じる。それにも動じず笑い転げる和佳奈を見ていると、だんだん殴りたい気持ちになったのは言うまでもなかろう。


 和佳奈の長い長い抑え笑いが収まるのを待って和成は続ける。

「い、一応本当に起きたことなんだぞ!頬もつねって確認したんだ!

 …それで、その子がとても大事な話があると言い出したんだ。それを聞いてみれば、僕が忘れものをしたなんて言い出した」

「へえ、それはそれはなんとも不思議なことを言い出す子だねー。忘れものばかりしているのを知っているみたいに言うわね」

「だから忘れっぽいわけじゃないって言ってるだろう。…そう、そんなはずがないんだ、近頃の僕が忘れものをしたなんて。当然、僕に忘れものをした覚えはないし、その子もそれらしきものを持っている様子はない。忘れものをもししていたなら、持ってきてくれているものだと思っていたからね」


 一度コーヒーで口を湿らせてから、続ける。

「彼女に詳しく聞いてみると、なんと僕の忘れものは記憶だなんて言い出したんだ。物覚えがいい僕に対してあんまりな言い草だと思わないか?」

「さっきから言ってるけど、キミの忘れもの、あるにはあるんだけどねー」

 あくまで自分の主張を貫こうとする和成に対し、財布から当人の学生証を見せびらかす和佳奈。目を覚ました回数よりも見てきた、冴えない一重のむくれた顔。自分の失態と過去を同時に突き付けられて二の句が継げないの見て、またくつくつと笑いだす。


「それと前から気になってはいたんだけど、物覚えと記憶力ってほとんど同じ意味だよー?キミ自身、作業では物覚え、勉強とか思い出では記憶力って言って使い分けてるんだ、なんて言ってたけどー?」

 そんなことを言っただろうか。

 首をひねりながらも、過去のやり取りを振り返ってみる。が、そうしたイベントがあった覚えはやはりない。ふわふわした彼女の虚言かもしれない。

 一方で自分の記憶の中にある言葉の定義さえあやふやだったというのは信じたくない。なにより記憶力があるというプライドが許さない。たとえ就活3年目の終わりの見えない荒野を歩いている真っ只中の素人学生でも、それなりの自負というものがある。立場が良かろうが悪かろうが、多少の矜持は持っていろというのが、死んだ曾祖父の口癖だったのだ。

 曾祖父に会った覚えがあるかと言われたら、正直自信はないのだけれど。


 しかしそれとはまた別の自信を持てていないことが、和佳奈に言いくるめられる原因の1つでもあった。理詰めで責められると弱いのだ。

「が、学生証の話はいい。使い分けのことも今は関係ないだろう」


 狼狽えながらも話を元の話に戻そうと、和成は椅子を回して向き直った。

 和佳奈も抑えこみ切れていなかった笑いをようやく止め、話の続きを促す。それほど面白かっただろうか?

「はーー、…あーはいはい。それで、その忘れた記憶っていうのは?何かわかったの?」

 笑いが収まった途端に、興味が失せたような気配があったのは、嘘だと思って続けよう。この女、いつかぎゃふんと言わせてやる。

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