白ワンピースの女の子 3

 それからしばらく毎日のように、同じ白い幻影を見た。

 いったいどこで薬を盛られたというのだろうか。いい加減ストレスが募ってきているし、今日こそは現れないでほしいと思っている自分がいる。


 昨日の朝には2回、夜にまた1回見かけた。それまでは1日に1回が限度だと思っていたのに、急激な変化だ。定期的に連絡してくる親でも、いきなりたくさん連絡してくることはない。そういうときは緊急事態が発生したということであり、和成がまさに体感していることでもあった。

 昨日の電車ではを思い浮かべた日と同じ状況で、やはり顔を見ることはできなかった。と比べて駅が混雑しており、注視する暇もなかったというのもある。

 正直、毎日の面接と満員乗車、不意に現れて意識を割いていく幻影に疲れていたというのが本音だが。


 3回のうち1回だけ、にわか雨に煙る朝の街中で見かけた。会社の住所を確認するために入った裏通りの真ん中。雲間から差す光をスポットライトのように浴びながら、少女はそこに立っていた。

 唐突な遭遇に、和成は危うく傘を落としかけた。

 靄につられて揺らめく白いスカートに、首まですっぽりと隠す白い傘。両隣のビルのせいでうす暗いが、その分光を受ける傘が輝いている。写真の玉響たまゆらのように不確かだったものが、はっきりと形を成して目に飛び込んでくる。最近では慣れたと思っていた現象を、すっかり現実のものと思ってしまった。


 どれだけ雨の音を聞いていたのか分からない。数分。もしかしたら数秒かもしれない。

 気付けば晴れ間は広がって雨足は遠く、少女の姿も瞬きのうちに消えてしまっていた。足跡はなく、ただ彼女の立っていた場所だけが少しだけ雨を凌いでいるようだった。

 静かな朝に訪れた、なんとも明るさに満ちた不思議だった。


 異様な情景は、眠気の抜けない思考とおぼつかない歩きを止めるには十分だった。それまでより少しだけ長く、しかし短い偶然に、和成は戸惑いを隠せなかった。

 幻影の少女の気まぐれ、なのだろうか。気付いてほしくて出てきたのか。

 変わらないはずの日常。そこで続けざまに起こる変化に頭が追い付かない。勝負のための心構えは吹き消され、昨日最初の面接は「よりょひくおねがいしみゃふ」と個人的過去最高記録の噛み挨拶をして始まった。その後は恥がすべての記憶を上書きし、終わってからは恥しか残っていなかった。

 彼女は一体何を考えているのだろう。

 回らない頭のまま会社を出てから、その疑問だけが頭上を叩いていた。


   ***


「これはきっと自分の迷いが見せている予兆だ。彼女は僕に何かを伝えようとしていて、それは僕のこれからに関わるとても重要なことなんだ。未来も何も見えない、不安よりも哀れみで埋められていそうな僕の唯一輝けそうな将来。その鍵を彼女が持っている気がするんだ。そう考えれば、本人がもう一度現れて話してくれるまで待つしかないよな」


 今朝も当然のように見た幻影を思い出しながら、和成は呟いた。昨日の朝、煙るビルの合間で見たような衝撃はなかったが、雑踏の中で白いワンピースが揺れた気がした。

 これ以上変化に惑わされている場合ではない。午後も面接が控えている。一度気を引き締めて、自分に起こっている現象に対する心構えを作る必要がある。


 カフェの一角。午後の予定をカレンダーアプリで確認しながら、運ばれてきたコーヒーを口にした。和成の何気ない呟きに中性的な声が反応した。


「へえ、和成くんにも自分の欲望があったんだねえ。今までそんな素振り全く見せなかったのに、実は心の中では明るい未来をくれるお姫様が来るのを切望してたってことかー。ロマンチックな乙女みたいだねー」

「・・・何の話をしているんだよ、お前は」


 くつくつと、こみ上げる笑いをこらえる様子の隣人に顔を向ける。

 肩にかからない程度のボブカット。毛先を躍らせるように、上半身を揺らしている女性が1人。タイトスーツに身を包んではいるが、和成のような新卒仕様ではない。艶のある光沢は柔らかく、すでに自分の勝負服となっていることが見て取れる。ネイビーのシングルジャケットは女性的なラインを強調しており、それとは不似合いな子供っぽい笑顔と中和され、魅力をいくぶん上げている。すらりと伸びた脚は適度に筋肉がついており、行動的で活発な印象を与えている。


「いやいや、キミのことだよー、和成くん。周りの言うことにいつも流されっぱなしの漂流者。世界が認めるイエスマン。流れに逆らうことを嫌うキミが、まさか目の前の不思議現象に翻弄されてストレスを感じてる。聞けば、実在するかも分からないその正体を追いかけようとしているなんてねー。そんなの好奇心に従って動く子供みたいだよ?んー、君っぽくなくてなんだかかわいいねー」

「和佳奈、変な表現はやめてくれ。面接に影響する」


 角砂糖をたっぷり溶かしたコーヒーカップを口元に運びながら、山城和佳奈やましろわかなは悪戯っぽく舌を出す。自分の武器を把握しているのだろう顔は明るく、その一つ一つがいちいち魅力的に映る。目に入れすぎて慣れてしまったが、普通の人には稀有な現象よりもこちらの方がよほど毒だろう。大学で出会ってからずっと、彼女のこの仕草は変わらない。


「社会人になっても若者の街の一角で、昼間からのんびりしているお前と違って、僕は忙しいんだ。掴まないといけない未来が見えないからね」


 ブラックのままコーヒーを飲み干し、わざと音を立ててカップを置く。


「でもねー、和成くんこそ私の好奇心のど真ん中なんだよー。ストライクゾーンにがっつり入ってくる面白さの塊なの。そこにいるだけで私は不思議と満足しちゃう。まさに生き甲斐みたいなものなんだよー」


 和佳奈は甘ったるそうなコーヒーをグイっと飲み、楽しそうに息を吐く。カップを置いて、懐くような声で笑って言った。


「そこを否定してほしくないなー、せっかく休憩時間使って様子見てあげてるのにー」

「別にそこは否定してない。こんなでも長く付き合ってくれて、ちゃんと感謝してるよ。ありがとうございますです、はい」


 投げやりな雰囲気を隠そうともせず、就職活動が始まってからずっと使っている鞄をつかむとおもむろに席を立った。


「むー、感謝されてる感じが全然しないなー。心のこもらない言葉は届かないよー」


 レジに向かう背に和佳奈のつまらなさそうな声が刺さる。だが毒はなく、底抜けに優しい色が入っている。

 財布からお金を出しながら、和成は心の中で毒づいた。


 いつもいつも、アドバイスのタイミングが遅いからだよ。


 次あった時には詳しい話聞かせてねー、という和佳奈の声が背中に当たる。先ほどと違う少し高い声には女性らしさが加わり、色恋を気にする年頃を感じさせる。


 それにしても次に会うとき、か。次に和佳奈に会うまでに、都合よくワンピースの子が現れたりするものだろうか。幻覚なら自分の気分次第で変わるかもしれない。だが今すぐ会いたいかと言われたら、会いたくないのは確かだが、現れてくれたらいいなと思う自分がいる。

 

 色恋を考えるようになるなんて、まるで恋に生きるOLみたいだ。

 そのことを少しおかしく思いながら、和成はカフェを後にした。

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