昨日は今日

「洗濯しなきゃ」幸恵(ゆきえ)は朝のルーティンワークを始める。頭の中に浮かぶ作業を自分の中で整理するためにいつも言葉に出してから動き出す。決まった動作で洗濯機を回してから隣の洗面台で化粧を済ませた。昨日の夕飯の味噌汁の残りを温めて卵焼きを準備をしている間に善雄(よしお)が起きてくる。

「…おはよう」ボソボソと呟いてから善雄が洗面所に向かう。朝は強い方なのに相変わらず挨拶だけは異様にテンションが低い。善雄の支度が終わるまでに幸恵は二人用のダイニングテーブルに納豆とネギ、味噌汁、ご飯、卵焼き、ミニサラダを並べていった。善雄はテーブルに着くと体にプログラミングされた通りに朝食を食べ進める。幸恵が次の作業と地下鉄の時刻表を思い出しながら時計を睨んでいると善雄が申し訳なさそうに言った。「今日、もしかしたらミーティングで遅れるかも。お店で待ち合わせでもいい?」耳には入ってきたが脳まで届かない。ようやく理解したところで今日が六回目の二月十四日である事を思い出した。瞬間に顔が熱くなり頭がジンジンと痛み出す。幸恵は下を向いて涙が出ない様に目に力を入れた。

「わかった」締め付けられた喉を落ち着かせながら何とか一言返した。いつもと同じ朝。でも昨日と全く同じ朝。二回目や三回目の様に取り乱す事はもうない。ただ抜けだせない今日という時間にひたすら悲しくなった。「なるべく遅れない様にするから」善雄は俯いた幸恵の顔を見て償うように言ったが、その顔はどんどん表情が無くなっていった。「せっかくの結婚記念日だから有給とっても良かったかもね。でも、高めのホテルも予約取ったしさ、楽しみじゃない?」善雄は明るい調子で付け足すが、話す程に幸恵の気持ちは沈んでいく。

「片付けるから置いておいて」自分の食器を流しに運びながら幸恵に言う。

「ありがとう。洗濯物干したら出ようか」七時四十五分。幸恵は終わりのない一日を受け入れた。耐えるしか方法がなかった。


なぜ二月十四日を繰り返すのか。原因は何なのか考える事ももう疲れてしまっていた。それでも気が付くと答えのない問いかけに頭をフル回転させている。体だけがレールを辿るように自動的に動いていく。幸恵は駅のホームに着くと一号車の四番目のドアの前で電車が来るのを待った。電車が到着して乗り込むと、毎日見かけるメンツが視界に入る。目を合わせないように奥へ進むとドア横の席に座って化粧をするOLがいる。昨日と変わらない光景に、なぜか幸恵は安堵した。少し混雑した車内で自分のスペースを確保してから携帯電話を取り出して仕事のスケジュールを確認する。予定表のアプリが勝手に今日を指定して詳細を表示するが見覚えのある内容に手が止まり、瞬間に今日が十五日だと錯覚していた事に気が付いた。一体何度これを繰り返しただろうか。携帯電話をバッグにしまい、暗い窓にうっすらと映る自分をただただ見つめ続けた。

駅に着くと迷路のような地下道を無心で歩く。都心は網の目のように地下鉄が通っているのに、乗り換えが不便なため仕事場までは歩いた方が早い。高層ビルの十五階。通路側に座る同僚にギリギリ聞こえるくらいの声で挨拶をしつつ、自分のデスクに座ると内線が入った。

「高崎です。ミランド社のLPにデザイン変更があって、詳細メール来てるからすぐに確認をお願い。締めは変わらないから出来たら一旦共有して」上司からの朝一の連絡も、来ることが分かっていれば何て事は無い。「承知しました。出来次第報告します」電話を切ると幸恵は何度も打ち込んだプログラムコードを思い出しながら淡々とキーボードを叩いていった。

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