空まで届け 港の音色

長月瓦礫

空まで届け 港の音色

『日本の音楽学校に通う学生二人。長期休暇を利用し、フランスへ訪れた』

 テレビの画面には、ゆるいウェーブのかかった若者が白黒の鍵盤を操り、そのすぐ隣で髪の短い黒髪が歌っている。モノクロの鍵盤を叩いて紡がれる和音と、奏者と観客を繋ぐ柔らかい声がロビーに響く。そこで手続きや飛行機を待っている客は、彼らにくぎ付けになっていた。

 空港ピアノ。空港のロビーにあるピアノを定点カメラで撮影し、演奏する人々を特集する番組らしい。友人からその話を聞いたときは、大して興味もわかなかった。

旅行先でもピアノを弾くのかよって。恋しいと思うことはあるかもしれないけど、弾くほどのことなのかってさ。というより、大勢の前で演奏するという場面を想像しただけで恥ずかしくなってくる。軽く馬鹿にしていたのも、恥ずかしさを隠したかっただけなのかもしれない。

 けど、電燈の明るさに虫が引き寄せられるのと同じように、ピアノに弾き寄せられた馬鹿が隣にいた。

普段は天パだの何だのと、散々からかわれているのに、音楽となると人が変わる。

楽器を持たせれば、金棒を持った鬼のごとく、その才能を発揮する。

その鬼の名前は霧崎奈波。現代に現れた最後の大魔王。唯一無二の絶滅危惧種。

俺がふざけて呼んでいたあだ名も、気づけば世界に浸透していた。

その日もアイツは当たり前のようにピアノの前に座った。

「どうせなら、盛大にやろうぜ」

「自粛しろって、誰かに命令されてるわけでもないんだしさ」

小説に登場する魔王よろしく、俺には反論一つさせないで演奏の準備を進めていた。

こうなったら、誰にも止められない。止めるだけ無駄だ。少々呆れつつも、どこかわくわくしていた自分がいた。

霧崎がひとつうなずいて、俺も歌いだす。

覚えているのは、ときどき交わるアイツの視線と体から湧いてくる熱意だけ。

気がつけば、演奏は終わった。一瞬、空気が静まり返ってから、空港のロビーから拍手喝采があがった。

真夏のゲリラ豪雨にでもあったような、不思議な爽快感がこみあげてくる。

『友達のおばあちゃんが好きだったんですよね、この曲。

それで弾いてみたくなって。天国まで届いてるといいんですけど』

はにかみながら、画面越しの俺が答えた。

画面が空港の紹介に切り替わって、ため息をついた。こんな形でテレビに出るとは思わなかった。友人から聞いていなければ、こんなものを見ることもなかっただろう。

たまたま番組を見ていた友人からの報告に感謝しつつも、気にせず放っておけばいいのにとも思う。感謝すればいいのかも分からない。

「そこまで気にすることか?」

霧崎は呆れてため息をつく。

「そういう問題じゃねえよ……だって、お前、テレビに出てるんだぞ? 

誰が見てるかも分からないし、もっと気の利いたことも言えたかもだし!」

「取材なんぞ散々やったから、もうどうでもいいわ」

「くそっ……これだから有名人は」

クッションを床に投げつける。そういえば、この前も自作の曲について、取材を受けていた。投稿した曲は全て動画サイトに投稿しており、再生数は100万を超えている。そのサイトで霧崎の名前の見ない日はないと言われているほどだ。

最近は雑誌やテレビで何度も取り上げられており、ネット以外の世界へ進出し始めている。

「けど、周りの反応も悪くなかったし、別にいいんじゃね? エリーゼさんも喜んで聞いていたと思うけど」

「そうだといいんだけどな」

テレビに視線を戻す。番組は別の空港に移り、黒々と光るピアノを映していた。

空港の世界を彩る奏者を待つために。

 それは突然の知らせだった。大学での講義もようやく終わり、長期休みに突入しようとしていた時期だった。

目の前でアイツの携帯が鳴って、いつものゆるい調子で電話に出た。

一瞬にして、霧崎の表情が固まった。

水面に広がる波紋のように、緊張が支配していく。

あいまいな返事を数回繰り返してから、電話を切った。

「エリーゼさんが亡くなった」

視点をさまよわせながら、そう切り出した。

「……マジで?」

部屋に重い空気が降りる。霧崎はどうしたらいいか分からないらしく、ぼんやりと手元の携帯を見つめている。彼女のふわりとした、木漏れ日みたいな笑顔を思い出す。楽しそうにころころと話す姿がもう見られない。冷たい棺桶の中で静かに眠る姿が想像つかない。

「そうか」

正直、この一言を返すので、精一杯だった。心の中に冷たい空洞が広がっていくのを感じていた。

 エリーゼさんは留学していた霧崎の面倒を見てくれていたらしい。

その間に俺のことを話し、ぜひ会いたいと話していた。

その念願がかなったのが去年の年末のことだ。

アイツに連れられて彼女の元に訪れた。俺とは初対面にも関わらず、優しく出迎えてくれた。背筋をまっすぐに伸ばして、相手を見つめる視線の中に決意のようなものを感じていた。

少女マンガに出てくる主人公のように、偽りのない純粋な反応を見せながら、様々な話をしてくれた。ただ、少しボケていたところもあったから、全部が本当かどうかは分からない。それでも、笑顔を絶やさずに生きていた。

「それで、他には?」

霧崎によれば、葬式などは向こうで手配してくれるらしいから、急ぎで来なくてもいいとのことらしい。

余裕のある時に行った方がいいのかもしれない。積もる話もあるだろうから。

 そして、エリーゼさんのことを聞いてから、霧崎は姿をくらましていた。誰に聞いても居場所が分からず、電話にも出ず、何をしているかも分からない。

しかし、ネットゲームには相変わらずログインしているのだ。

履歴を見たとき、少しだけ安心した。

 ひょっこりと姿を現したのは数日後のことだった。3月に入って、寒さが少しずつ和らいできたころだった。

駅前のファストフード店で昼食をとっていた俺を見つけ、慌てて店に入ってきた。

何事も無いように俺の前の席に座る。

「よう、久しぶりだな」

少し上ずった声で、俺に声をかけてきた。

「心配かけて悪かった」

「こっちは本物の幽霊になっていたかと思ってたんだがな」

「突然姿を消したりして、本当にすまなかった。ちょっと整理してたんだ。

いろいろと」

何のことかはすぐに分かった。なるほど、いくら大魔王と呼ばれようとも、こいつなりに思うところはあるのだろう。彼女と過ごした時間自体は俺よりも長い。

少し考えてみれば、当然のことだった。

「けど、もう大丈夫だ」

はっきりと、そう言った。その眼に迷いはなかった。

「で、いつ行く?」

前のめりになって、話始めた。あれこれと話し合った末に、ゴールデンウィークを利用して、行くことになった。ちょうど大学も休みだし、向こうでゆっくりと過ごせるはずだ。

「じゃあ、そういうことで」

その日は久しぶりに一緒に昼食をとって、霧崎と別れた。胸のうちに抱えていたもやもやしていたものがすっきりと落ちるのを感じた。とりあえず、何かお菓子でも持って行こうか。そう考えながら、家路についた。

 あれこれと過ごしているうちに、ついに出発日を迎えた。近所のコンビニでせんべいを適当に買ってから、空港に向かう。霧崎と合流してから、飛行機に乗る。

彼女の親族が空港まで迎えに来てくれるとのことだ。

親族と言われて、エリーゼさんとよく似た笑顔を浮かべる男の人を思い浮かべた。

彼も音楽好きで、この前は話が非常に盛り上がった。今度は一体、何を話そうか。

他のみんなも元気にしているのだろうか。飛行機の中でいろいろと考えているうちに、意識は次第に遠のいていった。

 半日以上かかって、ようやく現地に着いた。

携帯の時計は現地の時間になっている。

様々な言語が飛び交い、まるで聞き取れない。

さて、俺たちを迎えに来ているはずだけど。

空港のロビーを見回すが、それらしき姿は見えない。

「なあ、あれ」と、霧崎が俺の肩を叩く。

 そっちにいたのかと思いながら、指さした先を見る。しかし、その先には黒い光を放っているピアノが置いてあった。その横に小型のカメラが設置されていた。

空港のロビーにピアノ。演奏している姿を撮らせてくれと言わんばかりの、誰かの忘れ物であろうと思われるカメラ。何とも興味深い光景だ。

動画サイトで演奏している動画は何度も見たことがある。

そのほとんどが屋内だったり、コンサートの映像だったりする。

屋外で演奏しているのは見たことがない。

「いやいやいや、全然違うから」

 俺は頭を横に振る。何見つけてんだよこいつ。全然関係ないじゃないか。

再び辺りを見回すと、霧崎はピアノに弾き寄せられていた。

お前は電燈に群がるコガネムシか。そう思いながら、俺も慌ててついていく。

ピアノのふたを開け、適当にぽろぽろと鍵盤を押す。

「ま、こんなもんか」

アイツはひとり呟いて、椅子を引いた。

「お前、何をするつもりだ?」

俺が疑問に思いながら、そう言った。はっと気がついたように、俺の顔を見た。

「……弾き逃げ?」

適当に弾いた後、すぐに立ち去るつもりだったらしい。

無意識の行動だったのだろう。それにしても、他に言い方はなかったのか。

「ていうか、誰のカメラだ?」

よく見たら、周囲にも何台かカメラが設置してある。全体を映すためだろうか。

ずいぶんと凝った動画を作るつもりだったんだな。

さすがにこれだけやっていたら、忘れようがない。

どういうことなのだろうかと思っていると、声をかけられた。

「すみません、ちょっといいですか?」

「はい?」

何だろうと思いながら、二人で声をした方を向いた。これが全ての始まりだった。

「さすが、大魔王とその右腕ですね。素晴らしい演奏でした」

取材を一通り終えてから、俺たちは合流した。

迎えに来てくれた人もその演奏を聞いて、俺たちを見つけたらしい。

「きっと、天国にも届いていますよ」

彼は笑いながら、車に荷物を詰め込んでいった。

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