【幕間】根負け

 湿気が漂い、基本的には薄暗くとも、木漏れ日によって所々が照らされる、広葉樹の森の中。新人である男女の背中を見送り終わると、隣で空色の髪の魚人族(シープル)の青年が心配そうにこちらを見上げている。

「さて、二人を送り出したんだけど……どんな策を考えてあるの?」

 青年ことラディスは、心配と同等に不満げな声を発している。

 彼とは何度も組んでは、大小さまざまな任務をこなしてきた。自分が前衛となり、彼には後衛として背中を預けるほどの仲である。

 また言い換えれば、ラディスも自分と同等の傭兵であり、今回のような隠密性の高い救出任務もこなしてきた経験者である。故に本来なら赤い髪の少女の仕事は、ラディスに任せるほうが適している。

 それは自分もラディスも同じ結論にたどり着いているからこそ、今回の決定に納得が行っていないのは、重々承知している。

「……ぶっちゃけ、無い!」

「はぁ!?」

 言い訳はしない。新人二人に任せたものの、その後については、本当に何も考えていない。しいて言えば、ラディスが探知系魔法を使っている上、自分も耳と鼻を駆使すれば、異変の読み取りは早い。どちらかに何かあれば、全力で助けに行くだけである。優先順位としてはカキョウが上で、ダインのほうはしばらく一人で何とかしてもらう程度と考えている。

「え、ちょ……、んー! やっぱり、僕が行けばよかったかな……」

 頭を抱えるのも分かる。自分だって、できることなら、ラディスを行かせたかった。

「じゃぁさ、何で彼女を行かせたのさ」

「まぁ、そのぉ……熱意というか彼女の意地に負けた」

「……はあぁ」

 うん、分かっていた反応。ラディスは頭を抱えながら、完全に呆れ返ってしまっている。

「いやさ、何を背負ってるんだか、何に怯えてるんだか分からんけど、行かせてあげないと、何かがポッキリ折れちゃいそうに感じてな」

 自薦ではあったが、推しそのものが強かったかというと、これまで経験してきた中では、正直言って弱いほうだ。危険を冒したがる奴なら、こちらの言葉は聞かずに、勝手に進んでいく奴等ばかりだった。

 だが彼女の瞳は、ここで何かを示さないと“何かが死んでしまう”、そんな曖昧ながらも命がけの綱渡りのような恐怖を抱いていた。

 恐怖する事は慎重、危険回避という意味では、大いに必要な心だ。傭兵を生業としているなら、どんな歴戦の者であろうと、皆どこかに抱き、それを隠し、自他共々奮い立たせ、狼の皮を被って突き進んでいるだけでしかない。

 結果、最後に生き残るのは、恐怖する自分を理解している臆病者なのだ。

 しかし彼女の恐怖は、目の前の物事に対するものではなく、自身の存在に関する、奥底の根底に関わる何かだ。

(んで……、コレをわざわざ俺に託すってか)

 手の中には、カキョウから預かった刀がある。シャムシールやサーベルなどの曲刀類の中ではかなりの細身であり、反りが浅く、鞘から三分の一ほど抜いてみれば、鏡のように磨き上げられた刀身が現れた。無一文で着の身着のままとは聞いていたが、簡易の手入れ道具を持ち歩いていると思えるほど、良く手入れがされている。

 慣れ親しんだ武器というよりは、この刀こそが彼女の半身であり、狼の皮、自身と自信の拠り所、全財産。ゆえに覚悟として、この刀を会ったばかりの他人である自分に預けたのだろう。むしろ、命の担保と言うべきか。

「ただまぁ、この世界で生きたいんなら、一度は痛い目を見ておかないとダメかなーって思ったのさ」

 今の彼女は、分厚い狼の皮で虚勢を張り、目先と根底、両方の恐怖から眼を背けているだけだ。根底はともかく、目先の恐怖は仕事の成否や、仲間となる同業者との連携にも関わるものである。オススメはしたくないが、仕事柄として危険性については痛みを持って知ってもらう必要が在る。

「そうだね。なまじ、腕に自信があるみたいだからこそ……だね」

「まぁな。……とまぁかっこよく語ってみたわけですが、マジで選んであげないと、恨まれそうで怖かった」

「アハハ。うん、台無し」

 綺麗に上げておいてから、本音で落とす。ここまでが俺達の、緊張をほぐすためのお約束。

「あとはダインのほうだが、聞いていた話よりはマシ……いや、むしろ良く出来過ぎていると感じるな」

 ダインと言う変わった経歴を持つ青年の育成任務は、元々予定されていたものであり、ゆっくりと手ほどきするはずだった。

 そんな中、今回のシスター誘拐事件が予定の全てを狂わせた。急遽決行が決まった掃討作戦とシスターの救出任務。ただでさえ、神経を使う任務に加えて、無理矢理開始させられたダインの育成。実戦経験も無く、家の外に出たことのない真の箱入り。養家が貴族ということもあり、勝手ながらも傍若無人の世間知らずな、絵に描いたようなダメ坊ちゃんを想像し、早くも胃に穴が開くのではないかと危惧していた。

 ところが、蓋を開けてみれば、こちらの言葉に必死に耳を傾け、何処か一歩引き、何を考えているのか分からないほど黙考する。良い言い方をすれば、落ち着いた青年。

「やっぱり、そう思う?」

「まぁな。なんつーか、手探りな時期なんだろうけど、こう……どこか無意識に自分を殺してるなーってな」

 悪い言い方をすれば、歩く人形。今はまだ多くのことを学ぼうとする姿勢が見受けられ、質問などによる口数も多い。しかし、それは彼が生きる上で必要である情報法の収集であり、好奇心や興味本位などの“欲を満たすための行動”は少なく見える。

 その点で言えば、カキョウの我侭に近い志願が、年齢相応の行動力とも言い換えれるほど、ダインの落ち着き方には薄気味悪さを感じる。

「まぁ、状況に慣れてくれば、もう少しは自分を出し始めるんじゃない?」

「だと良いんだけどな。……ただまぁ、いつ暴走するか注意しないとな」

「暴走する前提なんだ」

「ああ、確実にな。無意識に自分を殺してる奴ってのは、自分の本質や本性を知った途端、その情報量に押し潰され、脳が考える事を放棄し出すはずだ」

 ダインの場合、押し殺している感情や欲望は、“誰かが望む自分の姿”という歪な心の箱の中に、押し込められているはずである。

 自分を知ることは、心の箱を開けること。清濁すべてが混ざった混沌の底をのぞき見ること。誰かが望む自分の姿が崩壊すること。十八年の歳月によって溜め込まれた、自分の知らない自分と言う未知の情報に耐えられるだろうか? どう変化してしまうのだろうか?

 中でも一番危惧するのが、一時的な精神崩壊を引き起こし、殺意と本能だけで動く狂戦士状態となってしまった場合である。背丈なら自分の方がギリギリ勝っているものの、体格や筋肉量はダインの方が明らかに勝っているために、止めるとなれば一苦労。

「まぁ、悪化しないように、ゆっくりと教育していきたいもんだね」

 彼の内に秘めたるものが、鬼じゃないことを祈るばかりだ。

「凄いね……まだ、彼とはそんなに話してないのに、そこまで分かってしまうものかい?」

「実家の影響って奴さ。ガキん頃から、いろんな人間見てきたからな。特に、“ヒトの本質”に溢れる実家なもんで」

 実家は、従業員が客の隣に座り、少々過剰な接待と美味しいご飯を提供する『クラブ(接待飲食店)』を営んでいる。この接待で心を大きくした客を、幼少の頃から近くで数多く見てきたために、ヒトの心の機微については若干鼻が効く。

「そうだったね。でも、やっぱり凄い分析力だと思う。普通なら、もっと年取って、色んな経験をしてから分かってくるもんじゃないかな?」

「どうだろうなぁ。そこんとこは、俺とは違った“普通じゃないもの”を持っているラディス君に言われても、ねぇ?」

 この自分の隣居る青年は、多くを語らない。一度、聞いてみようとしたが、その時の悲痛な顔が今でも忘れられず、それ聞こうとはしていない。

 ただ、自分の鼻によれば、生まれ育ってきた環境に嫌気を指しつつも、最大限に活用しようとする足掻きに似た何かを感じ取ってしまう。

「そうかな? それこそ育った環境によるよ」

「だから、ブーメランだっつーの」

 結局、話は堂々巡りとなってしまう。カキョウの危なっかしい部分も、ダインの出来すぎた部分も、ラディスの足掻きも、自分の嫌に効く鼻も、最終的には育ってきた環境次第。そこに“普通”も“普通じゃない”も存在しない。今ここにいる自分たちが、どのように行動するかが全てである。

「……ん?」

 ソレは少し遠い位置から入ってくる、小さな男同士の会話。耳を済ませれば、表側に行ったダインのほうは小屋の前にいる見張りと接触した様子。

 いよいよ事が動き出しそうなので、背中の皮袋に収納してあったバルディッシュを取り出し、組み立てた。代わりにカキョウから預かった刀を皮袋の中に入れ、背負いなおす。

「こっちは接触した。そっちはどうだ?」

「うん、小屋の壁に張り付いた。順調に……あ、あー……」

 苦笑いと頭を押さえたラディスから、嫌な予感がはっきりくっきり鮮明に伝わってくる。

「……入っちゃったか」

「入っちゃったね」

 お約束通りの展開に、頭が痛い。

 彼女なりに極めて安全と判断したのかもしれない。ただの無謀、勇み足なのかもしれない。いずれにせよ、彼女は入るなと言っていたにもかかわらず、小屋の中に入ってしまった。命令無視で減点っと。

 こうなってしまえば、自分が表にいるダインの援護もしくは離脱の支援に回り、ラディスがカキョウを追って裏手に回るしかなくなる。

(これなら、初めからカキョウとラディス二人で向かわせた方がよかったか)

 今考えたところで、後の祭り。とにかく今は、目の前の新しい状況に注意しなおさなければならない。

「でも、おかげで中の状況も少し分かったよ。シスターは無事。外傷も見られない。……たぶん、中も大丈夫」

「……そこまで分かるもんなのか?」

 中と彼が包むように表現したのは、体内への攻撃の有無。女性誘拐事案であるために、とりわけ強姦された跡の有無についてである。

「まぁ……身体の成分で一番多いのは、水分だからね。もんのすごく集中すれば、ぼんやりとだけど分かるよ。あまり、使いたくないけど」

 誰だって好き好んで使うような能力でもなければ、使うような場面が起きる事自体が許されないのである。

「今は、仕方がないって」

 無事に帰ってくるというのは、単純に命が繋がれたを意味するだけでなく、その人の尊厳も守る事までが、一つのくくりと思っている。

 そういう意味では、現状は間に合ったと見ていいだろう。

「ッ!?」

 しかし安堵の時間は、即座に消え去った。

 肌を突き刺すような、巨大にして強烈な空気振動。そして急速に膨れ上がる、小屋の中の異質な気配。

「トール、これ転移系の魔法だよ! 転移数は一体。でも、かなり巨大な奴!!」

 情報と状況から、カキョウが転移魔法の罠を踏み抜いたという線が、一番濃いだろう。

 一体の巨大な何かという言葉に、悪い予感を超えて、悪寒が走る。

「クッソ! ラディス、ダインのところに急行するぞ! なんか攻撃力の高い魔法を、いつでも撃てるよう準備しておいてくれ!」

「分かった!!」

 本心としては、真っ先に小屋の中の状況やら、カキョウとシスターの安否やらを確認したい。だが、何の情報も掴めていない状態で、異変の中心に飛び込むほど愚かでもない。

(無事でいてくれよっ!)

 だからといって、見捨てる気はさらさら無い。この場にいる誰もが、今現在の最善を尽くすために行動しているのだから。

 獣道すらない木々の間を、ガムシャラな全力疾走で駆け抜ける。

 目の前では、小屋の入口部分が爆発に似た弾け飛び方で粉砕され、ダインと見張り役二人が小屋に釘付けになっている。

 森の木々を揺らさんばかりの、耳障りで下品な笑い声。

 一番回避したかった、自分達だけでの“戦闘”が、今始まろうとしていた。

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