六畳二間のシンデレラ

如月芳美

第一章 負債総額一千万円

第1話 思わぬ負債

 白檀の香りが髪にまとわりつく。

 お葬式は初めてじゃない。二回目だ。だけど、一回目はよく覚えていない。まだ三歳だったから。

 とは言え、たくさんのお花があったことはなんとなく覚えている。白いお花がいっぱい。今思えば、あれは菊だったのだろう。

 二回目の今はもう高校生だ。喪主という肩書も付いている。でも、何をしたらいいのかわからない。全部叔母さんたちがやってくれている。あたしはぼんやりとしているだけ。


 家族葬……というらしい。大きなお葬式じゃなくて、家族だけで小ぢんまりやるお葬式。お金も無いし、あたしに選択権は無い。家族なんてあたし一人だし、親戚も叔母さんのとこだけだからそれで十分。叔母さん夫婦が取り仕切って、勝手に全部決めてやってくれた。


 昔からこの叔母さんは苦手。面倒見はいいんだろうけど、やたらとうちのことに首を突っ込んできて、いろいろ口出ししたがるんだ。

 だけどそのおかげで今こうしてお葬式も出して貰えてるから、あたしは何も言えないし、言える立場にない。

 

 悲しんでいる間もなく、いろいろなことに忙殺される。あたしにとってはその方が都合がいい。現実を見なくて済むから。


 葬儀が終わってロビーでぼんやりしていると、扇子をすごい勢いでパタパタと動かしながら叔母さんがやって来た。まだ八月の末、ただでさえワイン樽のような体格なのに、真っ黒い喪服は見ているこっちが暑く感じる。その上、和服だと歩幅が狭いせいか、巨体がちょこまかとせわしなく動くので、余計に暑苦しく見える。


すみれちゃん、今日、一人で大丈夫?」

「はい。大丈夫です。いろいろありがとうございました」

「葬儀屋さんの支払いとか、香典返しとか、そういうのもあるから、香典は私の方で預かろうか?」

「いえ、自分で全部やります。支払いも、役所の手続きも、香典返しも、全部」


 叔母さんが訝しむような眼であたしを見る。


「そうは言っても、保険とか遺産相続とかいろいろあるのよ? 大丈夫?」

「はい、大丈夫です」


 っていうか、今何も考えられないよ。次々いろんな事言うのやめて。悪いけど少しほっといて。


「これから一人でしょ? もう大きいから一人暮らしできると思うけど……」


 あ、そうか。うちではあなたの面倒は見れませんよ、ってことか。


「大丈夫です。もう高校生ですから。一人でやって行きます」

「家賃とかどうするの? 賃貸マンションでしょ? もっと安いところに引っ越さないと。それにこれからの生活費とかどうするつもり?」

「バイトしますから」

「でも学校もあるのに?」

「これから考えます」


 もう頼むからほっといて。少しの間でいいからあたしを一人にしてください。


「こんなことは言いたくないんだけど……」


 扇子をせわしなく動かしていた叔母さんの手が止まる。

 何だろう。言いたくないなら言わなきゃいいのに。


「お父さんにお金貸してたのよ」


 え? どういうこと?


「お父さんが……叔母さんに借金ですか?」

「家に借用書があるから今度見せるけど……」

「あの、お父さんの借金って、いくらあるんですか?」

「うん、まあ、一千万ほど」


 一千万?

 うそ……あたし、どうやって返したらいいんだろう。学校辞めてすぐに働かなきゃならないんじゃないの? それも普通の商売じゃダメだ。水商売とか。でもあたしの年齢じゃ雇って貰えない。


「勿論返済は菫ちゃんが社会人になってからでいいのよ、利子も付けないから。その代わりと言ってはあれだけど、これ以上貸してあげられるお金はないから。それはちゃんと考えておいてね」


 どうしよう。借金があるってことは、当然だけど貯蓄があるとは思えない。これからどうやって生きて行ったらいいんだろう。

 あたしが呆然と突っ立っていると、唐突に知らない男の人が割り込んできた。


「あの、失礼ですが。ご両親を亡くされたばかりの高校生に、いきなりそういう話はあまりにも配慮に欠けるんじゃありませんか。見たところご親戚の方のようですけど、親戚なら尚の事、彼女の立場が考えられるものだと思いますが」


 誰、この人? 体格は貧相だけど、眼鏡の奥に意志の強そうな瞳。


「あら、どちら様? 菫ちゃんの学校の制服のようですけど」


 あ、ほんとだ。うちの学校の制服。叔母さんよく見てる。


「申し遅れました。菫さんのマンションの管理人で手代木てしろぎ玲央れおと申します。菫さんとは同じ学校で、僕は三年に在籍しています」


 へぇ、こんな人居たんだ。っていうか、マンションの管理人? 管理人さんの息子さんかな。代理で来たんだろうか。もしかして家賃の話をしに来たんだろうか。


「お金の話は葬儀の場ですることではないと思います。そういった事は一段落ついてからになさるべきじゃありませんか」

「え、ああ、まあ、そうね。じゃ、菫ちゃん、また今度ね」

「あ、はい、ありがとうございます」


 叔母さん、ばつが悪そうに行ってしまった。っていうか、この人何者なんだろう?


「すみません、出過ぎた真似をしました。ただ、ちょっと……あなたのご親戚の方を悪く言う気はありませんが、いくら何でもあれは無神経過ぎます。誰も頼る人がいなくて心細いことくらい、他人の僕にだってわかるのに。本当に一人で大丈夫なんですか?」

「大丈夫で……す」


 あれ? やだ、どうしちゃったんだろう。今までなんとも無かったのに、急に涙が出て来ちゃった。あ、うわ、どうしよう、止まらない。やだ、なんで?


「我慢なさってたんですね」


 やだちょっと、そういう事言わないでください。恥ずかしいです。だけど、だけど、そうなんです、あたし、我慢してたんです。初対面なのにそういうこと見抜かないでください。


 どうにもこうにも涙が止まんなくって、でも、その人はずっと黙ってあたしのそばにいてくれた。ひとしきり泣いて落ち着いたところで、あたしはとんでもない事を口走ってしまったんだ。


「あの……すいません、今夜、一緒にいて貰えませんか?」

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