新間(妹)レポート⑤

 あの日…全国高校サッカー選手権決勝から…私は生き甲斐を失ってしまったかの様に脱け殻みたいにただ生きていた。


 日向君の怪我は想像以上に重く、回復しても元のプレーが出来るかは分からないらしい。


 私は責任を感じていた。いつも見てたのに。日向大輔の事は、私が誰よりも一番見てたのに…。私は彼の身体の異変に気付く事すら出来なかったんだ。



 姉が私を見舞いに誘ってくれたが、私にはその資格が無いと断った。でも、帰って来た姉に、「貴女が行かなくて良かったかもしれない…」と言われ、日向君の現状を知るのが更に怖くなってしまった。


 あれだけ香田君に負ける事を恐れ、拒んでいたんだ。勝負に負け、サッカーまでも失ったのだとすれば、心中を察するのは容易な事だった…。




 あっという間に6ヶ月が経った。


 大学には通ってるし、何事もなく生活していた。でも、心の中はあの時のまま…脱け殻の様に生きて来ただけだ。



 テレビでは、オランダで大活躍して帰国した香田君のニュースが流れていた。


 香田君のサッカー人生は、あの選手権決勝を境に、劇的に好転している。


 片や日向君は…未だに復帰する気配すら無い。


 あんなに競い合っていた二人の現在。形式とはいえたった一度の勝敗で、こんなにも差がついてしまうなんて、神様はなんて残酷なんだろう…。



 香田君に罪は無い。そんな事は分かっている。でも、彼は知っていたのだろうか?


 自分がただただ純粋に日向君を越える為にサッカーをしている間、日向君がどれ程の重圧と戦っていたのか?それを考えただけで、私の心の中を仄暗い感情が占めて来る気がした…。




 …気が付けば、日向君がリハビリ入院している病院の前までやって来ていた。


 夕方になって降って来た雨は、徐々に強くなって来ている。



 …きっと、香田君が帰国したニュースは日向君の耳にも入っているだろう。あれだけ各局テレビで報じていれば、嫌でも耳に入る。


 私には、彼に会う資格は無い。自分が一番よく分かっている。でも、こんな私でも何かしてあげられる事があるかもしれない。


 彼がどん底まで落ち込んでいるのなら、私も一緒に落ちてあげる位出来るかもしれない。そんな馬鹿な事を考えながら、私は此処に来たのだ。


 …今思えば、この時の私の精神状態は異常だったのかもしれない。



 だけど、私はその場に現れた、香田に目を奪われた…。


「…君は確か…日向の追っかけの…」


 驚いた事に、香田君は私の事を認識していた様だ。


「…追っかけじゃありません…」


「ああ、そうだったのか。…すまなかった」


 そう言って、香田君は病院に入って行こうとしていた。



 私の中で、今の日向君に香田君を会わせたらいけないと、頭の中で警鐘が鳴った。


 今の、絶望のドン底の日向君が、自分が失った輝きに充ちた香田君と会ったら、今度こそ壊れてしまうと云う予感がしたからか?…それとも…



「待って下さい!」


 気が付けば、私は香田君の腕を引っ張っていた。


「日向君に会うつもりですか?」


「…………ああ」


「貴方に…貴方には、人の心が分からないんですか!?今の貴方と日向君が会っても…日向君が喜ぶと思いますか!?」


「………それは分からない。…別人の様だって…高橋からは聞いてる。俺が行った所で、アイツは何も変わらないかもしれない。でも、ただ…俺がアイツに会いたいんだ」


 やっぱりだ…。やっぱりこの人は、何にも分かって無かったんだ…。


「貴方が行っても変わらない?ははっ…本気で言ってるんですか?貴方が会いに行ったら…日向君にでしょうが!!」



 …今、やっと分かった。心の何処かで引っ掛かっていた感情に。


 何故、私の中で警鐘が鳴ったのか。


 私は、香田君に心底嫉妬していたんだ。日向君に特別視されている事に…。私には、何も出来ないと云うのに…。



 なのに、この人は…


「日向君は!日向君はずっと、貴方に負けたくない一心で頑張ってた!悔しいけど、今の日向君を変えられるとしたら、貴方しかいないのよ!私じゃ駄目なの!なんでそんな事位分からないんですか!?」


「俺が…?俺なんて、アイツにとったら取るに足らない存在だっただろう?なんでアイツがそんなに俺を…」


「分からないわよ!でも、ずっと見てきた私には分かる…。もう、日向君を救う事も、引導を渡す事も…貴方にしか出来ないって事…」


 私は、その場に膝を着いた。悔しくて…自分の無力さが情けなくて…。



「…正直、俺に何が出来るかは分からない。でも、いつまでも自分には会いに行くなんて言ってられないと、腹を括って来たんだ…。だから、俺はアイツに会いに行く」


 そう言い残し、香田君は病院へと入って行った。



 彼は言った。自分にはと。私と同じ事を思っていたんだ。


 もしかしたら、彼は本当は日向君の身体の異変に気付いていたのかもしれない。だから、日向君が怪我をした事を自分のせいだと責めていたのかもしれない。



 私はあの日…歴史的瞬間に偶然にも立ち合ってしまった。なら、最後の瞬間にも、私は立ち合わなければいけない様な気がして、香田君の後を追い掛けた…。




 香田君は屋上に向かっていた。


 時間的には、一度は日向君の病室に行ったのだろう。でも、居なかったから…。


 …私も悪い予感がした。まさか…日向君は…




「何をやってんだ!!!」


 屋上から、香田君の叫び声が聞こえた。それは、私の悪い予感が当たった事を意味していた。



 屋上を覗き込む。そこには、今にも飛び降りそうな場所に立つ日向君がいた。


 目の前が真っ白になった…。


 姉には聞いてたけど、これ程までに日向君は絶望の淵に立っていたのか?その間私は何をしていた?脱け殻の様だった?違う…ただ逃げてただけじゃないか。



「何してんだよ…何をしようとしてんだよ!?」


「…よぅ、日本代表のエース様じゃないか。落ちぶれた王様の姿を笑いにでも来たのか?」


 二人の会話が聞こえて来る。どうやら私の存在には気付いていない。



 激しくなって来た雨のせいで、所々聞こえない部分はあるが、……日向君が、長年抱いていた心の叫びを聞いた。そして、香田君の声も…。



 そして、確かに日向君の口から、あり得ない言葉が飛び出したのを聞いた。



 “タイムスリップ”。



 非現実的なその言葉は、でも、私の長年の疑問の答えの様な気がした。


 何故、日向君のプレーは子供離れしていたのか?


 タイムスリップが本当なら、その答えも、そして、何故香田君に固執していたのかも分かるかもしれない。



 …日向君の口から語られたのは、普通なら到底信じられる話では無かった。

 でも、柵越しに土下座をしている彼を見て、本当の話なんだなと思える自分がいた…。



 香田君への異常な程のライバル心はその実、強烈な負い目だったのだろう。それこそが彼をここまで追い込んでしまった元凶だったのだろう…。


 だから、彼は負ける事を恐れたんだ。一度でも負けてしまえば、自分の存在意義が失われる事を恐れていたんだ。



 …気が付くと、香田君も柵を越えて、日向君の隣に移動していた。


 日向君の言った通りなら、香田君は人生を大きく狂わせられた張本人でもある。場合によっては、日向君に対して怒りをぶつけても仕方がないだろう。


 でも、香田君はそんな事思って無いだろう。私は日向君を見続けると共に、香田君の事も見続けて来たから分かる。



 そして…口調は厳しかったが、香田君の口から出た言葉は、やはり日向君に対する感謝だった。


 香田君は常に冷静なプレーヤーだった。初めて彼のプレーを見た私が抱いた印象は、退にサッカーをする子供だった。でも、日向君に打ちのめされ、その後、幾度となく対峙する時だけは、熱く燃えていた。


 香田君は、日向君がいたからこそ、退屈から開放され、サッカーを楽しむ事が出来たんだ。そんな彼が日向君を恨んでいる訳がない。



「……俺もお前も、天才なんかじゃ無い!努力したから…誰にも負けない程努力をしたから、今があるんじゃないのか!?」



 …“天才”。


 天才って、何だろう?誰がどう見たって、あの二人は天才だ。でも、当の本人達はそれを否定している。



 そうだ。私はあの二人が必死に練習していた事を知っている。あの二人は確かな努力を積み重ねて、天才と呼ばれる実力を身に付けたんだ。


 天才という言葉で片付けるのは簡単だ。でも、それではあの二人に失礼なんだ。あの二人は人生を懸けて努力を重ねて来たんだから。



 雷鳴が轟いた。雨は更に勢いを増し、二人を叩き付けていた。



「いいか?お前は復活するんだ!絶対に!絶対にまた同じピッチに並び立つんだ!」


 ……ああ…、やっぱり、香田君は凄いな…。


「…好き勝手言いやがって。お前を勝たせる為に復活しろだ?…ふざけんな。俺は常勝の王様だぞ?お前なんて…眼中に無いんだよ!」


「へっ…、嘘付くなよ。もう、眼中に位は入ってるだろ?」


 二人が拳を突き合わせた。



 やっぱり、私は香田君には敵わない。彼だけが、日向君を前に進める事が出来たんだ。一緒になって落ちようと思っていた私なんかとは全然違う。



 あの二人は、必ず、同じピッチに立ってくれるだろう。そんな気がした。


 なら、これからの私には一体何が出来るだろうか?


 …私は、もっと日向君に必要とされたい。いつまでも、いつまでも逃げてちゃ何も変わらないんだ。



 そして必ず、今度は私が日向君を支えるんだ。



 どんなに時間がかかってもかまうもんか。


 絶対にもう一度、日向大輔をピッチに立たせて見せる。それが日本国民の…いや、“私の願い”なのだから。

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