第3話 一日目は終わったのに、二日目は始まらない

 早朝、まだ朝の六つの鐘が鳴る前。

 王宮侍女たちは敷地の片隅に立つ小さな屋敷へやってきた。

 朝食と手拭などを届けるためだ。

 候補の少女たちが起きる前に、こっそり玄関においていくのだ。

 屋敷は昔の王族が避難所として使っていたものだった。

 もちろん災害からのという意味ではなく、公務からのである。

 疲れた心と体をやっくり休ませ、英気を養って再び公務に向かう。

 だが、ここ何年かはこの屋敷を使う王族はいなかった。

 年に一度くらいは掃除がされていたが、地下室などは放置されていたので、これを二人で掃除するというのはかなり大変なことだろう。

 皇太子妃候補の試練とは言え、普段家事などやり慣れていないだろう少女たちに同情しながら、木立を抜けて屋敷の前に向かうと・・・。


「アンナぁ、まだカーテンはお釜に入れちゃダメぇ ?!」

「まだ埃が落ちていませんわよ ! もう少し風に当ててある程度落ちてからにしましょうよ !」


 王宮侍女たちはあり得ない物を見ていた。

 きれいに揃えられた芝生の上では大釜がグツグツと煮えている。

 美しい木々の間にはロープが縦横無尽に張られ、カーテンと思しきものが干されている。


「これは一体・・・」


 呆然と立ち尽くしていると、少女の一人がこちらに気が付いた。


「おはようございます! 朝ごはんを持ってきてくださったんですよね。アンナぁ、一休みしましょうよ」

「おはようございます、皆様。お食事の配達、ご苦労様でございます。ところで大至急お持ちいただきたい物がございまして・・・」


 金髪縦ロールのご令嬢から数枚の紙を手渡される。


「お昼までに食材以外のものをお届けください。調味料と食材は夕方まででお願いいたします。もしご存知ないものがございましたら、わたくしの実家におたずね下さいませね」


 紙にはぎっしりと家事に必要なものが書いてる。

 成人前のこの少女たちが考えたのだろうか。


「アンナ、朝ごはん、サラダとパンよ。ハムとオレンジもあるわ。やったわね」

「早速お掃除に使いましょう。皆さん、お料理に使ったオレンジの皮、捨てないでこちらにお持ちくださいな。わたくしたちで有効利用いたしますわ」


 ポカンと少女たちの言葉を聞いていた侍女たちだったが、ハッと我に返り急いできた道を戻る。

 少女たちの要求する物はあまりにも多すぎるのだ。

 これだけの物を何に使おうというのだろうか。

 とにかく、急いで揃えなければ。

 ただ物を届けるだけの仕事と思っていたが、実は物凄く重要な任務なのではないか。

 侍女たち半分はオレンジの皮を手に入れるために厨房へ、もう半分はまだ出勤していないであろう宗秩省そうちつしょう総裁の執務室へと急いだ。



 朝食にオレンジが出たということは、皮が大量に残されているということ。

 ラッキー、これで簡易洗剤作ろう。

 乾燥させてクッキーに練りこんでもいいし、入浴剤にしてもいい。

 テレビとかで紹介されていた裏技。

 よもやこちらで使うとは思わなかった


「なんとかお掃除の道筋は見えてきたわね。って、アンナ裏技知りすぎ」

「大好きだったのよ、ああいった番組。忙しいから家事の省力化には力を入れたわ」


 朝ごはんを食べながらエリカとアンナは少しホッコリした時間を過ごしていた。

 突然変な手紙をもらったのは一昨日。

 急降下で皇太子妃候補になったが、もしゲーム通りだったら今日はもう二日目の授業のある日。

 それがなぜか大掃除をするはめに。

 目の前の汚れをなんとかして生活を確保するために、自分たちについて話しあう時間などなかった。


「家名を名乗らないように言われているの。選ばれなかった時の為らしいわ。だから名前だけでお許しあそばせ」

「あたし平民だから最初から家名はないし。別段気にはしないから」


 現世の立場はともかく、気になるのは前世のほう。


「と言っても、あたしはただの専業主婦だったし。特に珍しい人生じゃなかったわ」

わたくしはバレリーナだったわ。後もうひとステージ終えたら引退するはずだったの」

「なにそれ、かっこいいっ !」


 エリカの小さい頃、学年雑誌には必ずバレエ漫画が連載されていた。

 薄幸の天才バレリーナが苦労の末に大成する物語。

 ただバレエが好きな少女が世界的なバレリーナになる漫画。

 テレビで録画中継があれば必ず見ていた。

 だが当時の地方にはバレエ教室はなく、図書館には教本などはなく、バレエのバの字にも触れられなかったのだ。


「いいなあ。あたし、子供たちが独り立ちしたらバレエを劇場で見るのが夢だったの。その前に死んじゃったけど」

「それは残念。ぜひ見ていただきたかったわ。わたくしも基礎のレッスンは続けておりますけれど、こちらにはトウシューズがありませんもの。あちらと同じ物をお見せするのは無理だわ」


 レッスンは毎日の習慣だから、よろしければご一緒する ?

 うれしい ! こちらで真似事だけでもできるなんて !

 和気あいあいとした朝食を終えた時、時刻はまだ七時前だった。



「これだけの物品と調味料、一体どうするつもりなんだ。店でも開くつもりか」

「食材が明朝ではなく今日の夕方というのもよくわかりませんね。あと私の知らない物が多いのです」


 宗秩省そうちつしょう総裁の執務室。

 教師役の青年たちを前に総裁は現状を上手く把握できずにいた。

 もっともそれは青年たちも同じだ。


「初めての慣れない家事に戸惑う少女たちを、自分たちが優しく厳しく指導するのではなかったのですか」

「そのはずだったのだがね」


 王宮侍女たちのご注進で屋敷に駆け付けると、少女たちは大釜でオレンジの皮を煮だしていた。

 屋敷にあった古いバケツやたらいに小分けにすると、引き続きそれを持って台所へ行く。

 窓から覗くと、すでに部屋の埃は落としてあったのか床は埃の山になっていた。

 そこに欲しい物リストにあった茶殻を撒いていく。

 床に万遍なく撒かれた茶殻。

 二人は台所の端からそれをほうきで掃いていく。

 あっという間に床の埃は一掃された。

 埃まみれの茶殻を集めて庭に勝手にあけた穴に放り込むと、次はオレンジの皮の煮出し汁で拭き掃除だ。

 こうして台所は使用可能な状態になった。

 少女たちはお互いの拳をぶつけ合い勝利宣言をしている。

 それが午前中の話。

 昼食をはさんで今は家中の窓を磨いているという。


「これは掃除に一週間もいらないのではありませんか。授業の前倒しは出来ませんか」

「いや、予定通り一週間後でよろしい。そう通達しているのだから、多分彼女たちもそれを頭に掃除計画を立てているのだろう。しばらくは様子見でいこう」


 真に危機に陥った時、人はその本性を暴露するのだという。

 だからこそのいきなりの掃除だったのだが、本質以前に彼女らの別の扉を開いてしまったようだった。


「ねえねえ、アンナ。次はどこを掃除する ?」

「二階の共同浴場はどう ? 部屋のお風呂、小さいわよね」

「そうね、手足は伸ばして入りたいわ。あ、先生たちの控室はいつしようか」

「一番最後でいいんじゃないかしら。とりあえずわたくしたちには関係ありませんもの」

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