夜明け

第18話 朝焼け空に僕と笑う

 展望台行きのエレベーターと異なり、景色の見える窓のない完全な閉鎖空間。ウィーンと昇降機独特の音が響いて、カウントアップしていく回数表示と重力と浮遊感だけが、昇っていることを感じさせる。


 何か言うことも、言われることもなく。キーンと感じた耳鳴りにただ唾を飲んだ。


「『間モ無ク、屋上デス。非常用扉ヲ出ル際ハ、気圧ト強風ニ、ゴ注意下サイ……』」


 ポーンという音と共に自動扉が開くと、見えるのはどこからどう見ても業務用と分かる質素な通路。そして“非常用”の文字が書かれた鉄製の扉がある。


 どちらからともなく、エレベーターを降りて扉に近づく。ぐっと重いレバーを回し、ロックを解除して。


「せーのッ」

「せーのっ」


 チカラを振り絞って、押し開けた。

 途端流れ込む、むわりと蒸した夏の空気。差し込む明るい光が眩しくて、思わず目を細める。

 鉄製の足場でカシャカシャと音を立てながら、外に出る。間近に見える白んだ空が、朝の空気を感じさせて。


「本当に、あったのか……」


 目に入る、朝焼けに照らされた洋鐘ようどうひとつ。

 あの図面は正しかったとなればきっと、これが。


「『終焉の、鐘』」

「そう。これが、『終焉の鐘』だよ」


 ささやかな風の音の中、後ろから並び立つ足音が聞こえる。


「——私の用意した、ありふれたどこにでもある形の切り札」

絢香アヤカ……」


 にっと笑みを浮かべたその目は青色に染まり、ポニーテールも晴天を思わせるグラデーションが掛かっている。魔術学で習う限り、魔力の持つ色というのは基本的には変わらないのが原則だ。だからこそ、その異様さについて理解してしまって、心がグッと締め付けられる。


「ね、七海ナナミ。ちょっとだけ、お喋りしよっか」


 どう、なんて言わなくても、答えなんて判っているくせに。

 こくりと頷きで返して、手招きされるままに洋鐘を通り過ぎた壁際。隣り合わせに凭れ掛かった。


「綺麗な朝焼けだよね。まだ日が昇ってないなんて嘘みたいな明るさ」

「そう、だな。夕焼けとは似て非なる美しさがある」


 赤らむ雲と、影を差す雲、真っ白な雲。その後ろでは地平が紅に染まって、夜を押しやるみたいに深い藍色から水色、翠色、黄色が混ざり合いながら美しいグラデーションを見せている。


「なあ、絢香」

「なあに、七海」

「……どうして、僕に謎を解かせてくれたんだ?」


 御影市における三つの逸話。紅い月で御影市への何者かの侵入を知らせる『紅い月夜の魔物』、侵入者を外へと返すための仕組みである『イツツ杜の扉』、そして何かを終わらせるための『終焉の鐘』。

 その存在理由を解こうとしていた僕と師匠せんせい、解かせたくない側であった柳と早苗先生。そして解いてほしい側だと分かった絢香と駿や幸太、司たち。


「逸話の存在について正直なところ、助けがなかったらずっと知らないまま、思い出さないまま。解き明かすことも、——疑問に思うことすらなかったと思う」


 だからこそ、知る必要があると思った。


「なのに、どうして絢香や、他のみんなは……僕に謎を解かせてくれたんだ?」


 どうして、謎を解いて、この御影市という存在の違和について知らしめたのか。そしてその違和の原因を知りたいと感じさせたのかを。


「そうね。……どこから、話そっか」


 じっと、隣で壁に凭れ掛かる幼馴染を見る。いつも笑顔で溌剌としている絢香の、真面目な顔を見たのは久々だ。視線はずっと前を向いたまま、思考の整理が付いたのかすっと息を吸う音が聞こえて。


「私ね、七海を看取った記憶があるんだ」

「……は??」

「今ここにいる七海じゃない、ずっと未来の——老衰した七海を、看取った記憶」

「ちょっ、待っ……」

「あ、嘘じゃないわよ? こんな場面でそんなことしないからね??」

「そりゃ分かってるって!!」


 だからこそ混乱してるんだよ!! とは言えないんだが。あー深呼吸深呼吸だ。よし、大丈夫だ自分、息をしているぞ。


「コ、コホン。……それで、未来の記憶がなんで絢香にあるんだ?」

「それはまあ、本ッ当にありえない奇跡みたいなものだよ!」


 くしゃっと笑みを浮かべる。思い出しているのか、そこには苦々しさのような、苦悶のような、心情が見て取れた。


「多分……強く悔やんで、過去を変えたいと願った未来の私が、過去の私に一つの結末を伝えてくれたの」

「僕の死に際を見せて?」

「そうそう、ひどい話でしょ? ……本当に、酷い話だよ」

「悪趣味すぎるな。でも老衰ってことは、僕はそれなりにちゃんと生きれたんだろ? その点についてはなんだ、悪くはないと思うんだが」


 生きてるうちに死に方の話なんてしたくもないものだが。その点については僕の理想でもある。病に侵されることなく、穏やかなまま誰かに看取ってもらえるならそれが一番。


「そうかもね。でも私にとっては違ったのよ」

「それが、僕の死が不服だったと?」

「んーん、そこじゃないわ」


 ゆるゆると振られる首に合わせてポニーテールが揺れる。


 




「『たった、一度で、いいから、——魔術を使ってみたかった』」




 目を、見張った。


「……それがアンタの最後の言葉だったの、七海」


 じっと、絢香が僕を見る。それでも息を飲んで、声も出なかった。胸が詰まるようにツキンと痛んで、心がいっぱいになる。


「人間は生きる限り、その結末は死に集約される。だから私は、その過程こそに意味があって、どう生きていくのかが大事だと思ってた」


 胸に手をあてて、ぎゅっと衣服を握りこむ絢香。


「アンタを看取ることができたという気持ち、寂しさ、悲しさ、苦しさ。最期のときに隣に居れた嬉しささえあった。それが最後の言葉で、絶望に変わったの」


 そしてつうと目尻から零れる光。




「ああ、私は——あなたの夢を食い潰して、……のうのうと生きてきたんだぁ、って」




「ッ、そんなことは!!」

「あるわよばか!! ……少なくとも私は、そうだったの」


 ぽろぽろと、とめどなく溢れる涙に、ただハンカチを差し出す。ぐずっと鼻を啜る音が響いて、それは嗚咽に変わって。みるみるうちに色が変わるハンカチを横目に、背中に手をあてて、さする。


『世界は残酷ね。すべての資源は有限で、食べる物も、住む場所も、……夢を叶える権利でさえも。こうして、奪い合うことしかできない』


 早苗先生の言っていた意味が、今になってほんの少しだけ理解できた気がする。自分の夢が叶うことは、誰かの夢を奪うこと。誰も円満に幸せを享受しているように見えたとしても、その不条理は必ずどこかで人知れず悔恨となって存在する。

 そのことに気が付いたからこそ、未来の絢香は。


 その想像に、つうと、涙が零れる。さりげなくそれを拭うと、どうやら落ち着いたらしい。スンスンとまだ鼻を鳴らしているものの、しゃくりあげることもなくなった絢香は、静かに壁に凭れ掛かった。


「ごめ、ハンカチありがと」

「いいよ返さなくて。ほら使っとけって」

「ん。遠慮なく」


 頬を抑えるようにして涙を拭われていく。赤らんだ鼻と目尻が、瞳と髪の青色と相まって目立つ。すっと頬に手を伸ばして跡に触れれば、そこに確かにある人肌のぬくもり。ぐっと零れ落ちそうな最後の涙を拭いとる。


「……ごめん、話、戻すわね」

「うん」


 朝焼けの色が濃くなる空。朝日の到来を思わせる、爽やかな風が吹き抜けていく。


「それまで私は、私たちは。この御影市っていう小さな世界らくえんで、慎ましやかに、楽しく、平和に過ごしていると思ってた。まるで夢をみる子どもみたいに」

「うん」

「でも実際は違った。無知だった私は知らなかっただけで、このまま進んでいけば必ず同じ結末に辿り着いてしまうのは明白で。だからこそ、今度は、七海の夢を叶えるために自分の時間を使おうと思った」

「……そう、だったんだな」

「ええ。それが例え、この御影市せかいを壊し、自分自身をうしなう結果になったとしても——それで七海の夢が、叶うならいいと」


 ああ、そうなのか、と。その言葉に納得せざる負えなくなった。僕の嫌な予測というのは当たって、この街の外側には世界があって。

 この世界で正しく人間であるのは、僕ただ一人であるということに。


 絢香がとんっと壁から背を離して、カンカンと鐘へと歩み寄る。


「最後の逸話、『終焉の鐘』。これはアンチ魔力術式が組み込まれた音色によって、御影市という魔術結界を終わらせる鐘よ」


 目の前、小さな鐘一つ。それで御影市は消えおわる。


 横を見れば、朝焼けが綺麗だった。

 綺麗、だった。


「ね、七海」

「なに?」

「夜明けだよ」

「そう、だね」

「だからさ、……目を覚まさなきゃ、ダメじゃない?」


 ぴくり、と身体が揺れる。言わんとしたことを理解してしまったから。

 そろりそろりと視線を向ければ、みるからに泣き止んだばかりの顔が、にっこりと笑みを浮かべていた。


「一緒に、鐘を鳴らそう? それでできたらさ、海を見に行ってよ。私ホンモノの海を見てみたいし。それで魔術師になって、誰かを助けて。そんな未来はきっと——素敵じゃない?」


 すっと差し出されたてのひら。腕にはさっきの戦闘で負った傷がみえるけれど、血は一滴も流れ出ていない。

 鼻の奥がぎゅっと詰まったような感覚で、じわりと涙があふれてくる。


「あのさ、それは、……ひきょうだとおもうんだけど」

「こんな卑怯な幼馴染でも、七海は許してくれるでしょ?」

「……うるざい゛」


 ガッと手を取り握れば、引っ張られる。隣に並び立って、風に吹かれてふらふらと揺れる鐘に取り付けられた紐を、二人で握った。

 零れる涙は、拭っても拭っても止まらない。これで全部最後だなんてことは、薄々分かっていたはずだった。それでも、想いはとめどなく溢れて、もうどうしようもなくなっていて。


「ちょっとちょっと、泣きすぎじゃん」

「おまえごぞ、ざっぎまで泣いでたじゃん!」

「確かに、それはそう。でもほら、拭ってハンカチ!」


 返されたべちょべちょのハンカチで涙を抑えて、深呼吸をして。なんとか涙の量を減らせば。ひゅうと風が拭い残した涙の跡を乾かした。


「絢香」

「なに」

「ありがとう。僕の大切で最高の幼馴染」

「どういたしまして、私の大切で最高な幼馴染」


 にいっと笑顔を浮かべて見せれば、にかっと溌剌な笑顔が返ってきて。どちらからともなく頷きあって、それから静かに呼吸を合わせて。


「せーのッ」

「せーのっ」





















 リーンゴーンと、鐘が鳴る。

 その穏やかな音色は、どこまでも広がるように響き渡って。


 短剣で術式を切った時のように——街を象る魔力が霧散しはじめた。






















 リーンゴーンと、鐘は鳴り続ける。


「七海」

「っ、絢香、おまえ」


 ぐっと眉根を寄せた苦し気な表情。崩れていく街と同じように、その存在感が薄らぎ、欠けていく。むしろ、一番近くでアンチ魔力術式を受けたのに、これほど残っているのは絢香の意思の強さがあったからだろう。


「いいの、聞いて! 七海、私の最期の言葉」

「ああ、聞くよ。願望でも懺悔でも怨嗟でも、何だって聞いてやる!!」


 霞のように透けた手を、それでもそこにあると信じて握る。崩れていく足場。それでも、薄れていく手のぬくもりは本物であると感じていたい。

 空に舞い上がる魔力の破片。幻想的な景色の背景に浮かびあがる絢香。手を離さないようにぎゅっと握る。


「成瀬七海!!」


 消えていく足場、宙ぶらりんになった僕を支える絢香の両手。幼馴染の模られていた足はもう消えてしまった。


「なんだ!! 篠原絢香!!」


 合わせて名前を呼べば、にっこりと満面の笑みに涙を浮かべて。






「    、     !」






 最期に握っていた手が離れて、遠く彼女は空の彼方へ消えていった。

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