第34話:姉妹愛

「最後にひとつ、訊いておきたいことがあるんだけど」


 門柱の前まで戻り、怜奈と再び向き合う。


「はい、何でしょう?」


 これは質問というより、確認だ。


 制服の胸ポケットには動画撮影モードのスマホが入っている。ノスタルジーへの共有のためだ。女性を盗撮するのは褒められた行為ではないが、ありのままを伝えるためには致し方ない。


「……はぁ」

「どうされました?」


 本当に気が進まないのだ。できることなら報告も計画もうやむやにして帰りたい。真相に気づかない振りをして、ノスタルジーに叱られた方がマシだ。いや、虚偽報告なんかしたら殺されるかもしれないな。


 想像が正しかったとしたら、ここから先、僕には何の得もない。下手をすればアイデンティティすら危うくなる暴露大会。話せば話すほど傷つくのはこちらなのだ。対して、怜奈が損することはない。当然のことを指摘されるに過ぎない。


 そう、これは状況をただフラットにするだけ。骨折り損のくたびれ儲けだ。


 だが、大抵のことなら許容できる僕にだって、譲れないものはある。


 お姉さんに関することだけは、絶対に曲げられない。


 ベタ惚れかよ。


 瞳を閉じて深呼吸を繰り返す。


 意志を強く持て。自分を信じろ。真実を探り当てろ。


「君は……」


 瞼をこじ開け、現実と立ち向かう。



「君は、お姉さんを愛してはいなかった」



 夕方の住宅街に、北風が吹きすさぶ。落ち葉が転がり、舞い上がり、空に吸い込まれていく。天上の、黒に近い紫色の闇を見つめていると、気持ちが押しつぶされてしまいそうだ。耳元がばさばさとうるさくて、鼻の奥がツンとする。


「……何を、おっしゃっているのですか?」


 乱れた髪を手櫛で整えながら、口元だけ笑みを作る怜奈。表情は揺るぎなく穏やかなままだ。


「私は彼女を心から大切に想っています。一緒に過ごした時間は短くとも、事件から七年が経とうとも、気持ちが風化することはありません。だからこうして現場に……」

「違う」


 僕は断言する。遺族の心情を踏みにじるなんて、不謹慎にもほどがある。人としてあるまじき発言だ。だけど僕は半分怪人で、人間を侮辱するのはある意味自然なことでもある。こんなつまらない言い訳をしてしまうくらい、僕も追い詰められていた。


「昨日僕がここを訪れた時、こう言ったよね。『三森鏡子の知人ですか?』って」

「当然です。花を持っている人が来たら、誰だってそう思います」


「事件が起きたのは七年前だ。常識的に考えて、当時小学生だった僕と、大学生のお姉さんが知り合いなわけがない」

「……!」


 怜奈は目を見開き、表情を強張らせた。


「普通はまず、この家の関係者だと思うんじゃないか? ましてや僕は制服姿だった。お姉さんと同時に行方不明となった子どもの同級生とか、幼馴染とか、選択肢はいくらでもあるはずだ」


 それらの可能性を一切排除して、真っ先に姉の知人とアタリをつけた。やりとり自体に不自然さはないが、会話のスタート地点がおかしいのだ。


「……それは、彼女から聞いたんですよ。小さい男の子の知り合いがいるって」

「お姉さんは就活が忙しくて一年実家に帰ってないって言ってた。僕がお姉さんと知り合ったのは事件の三か月前だ」


 風邪を引いた母さんの代わりに回覧板を持っていったのがきっかけだった。本来はポストに入れておけば良かったのだが、回し方を知らなかった僕は、迷わず家の呼び鈴を押した。手渡しでなければいけないと思ったのだ。それが出会いで、一目惚れだった。


「違和感は他にもあったよ。君はお姉さんのことを『彼女』や『あの人』と、まるで他人のような呼び方をしている。仲の良い姉への態度じゃない」


 僕が三森鏡子という女性を今でも「お姉さん」と呼んでいるのは、親愛の証に他ならない。たとえこの世からいなくなったとしても、怪人になっていたとしても、本当に相手を想っていれば、絆は簡単に薄れない。


「……友人以外と話す時は、立ち振る舞いや敬語に注意するようNHDAから指導されているので……」


「確かに君は、僕にもアポなしの記者にも丁寧で礼儀正しかった。でも両親のことは、『お母さん』『お父さん』って言ってたよね」


 怜奈の瞳が大きく揺れる。大人びたヒーロー候補生の女子高生の、虚像が少しずつ瓦解を始めていた。


 出会ったばかりの頃の態度も、おそらく演技だろう。氷のように冷やかな双眸は、接していくうちに徐々に温度を取り戻していき、別れる直前には温かさを感じるほどになっていた。大抵の者であれば、整った容姿に柔らかい物腰も相まって、自然と好印象を抱いてしまう。僕だって、事前に写真を見たり取材の様子を覗いたりしなければ、まんまと騙されていたかもしれない。


 写真の中の怜奈が穏やかな顔つきをしているのに、特別な理由はない。これが彼女の自然体なのだ。はじめはわざと相手に冷たい印象を抱かせ、時間の経過に合わせて親しみを演出する。自分を好きになってもらうために。


 姉の知人であることの決めつけ。

 執拗なまでの他人扱い。

 自分に好意を抱かせるための演技。

 これらから導き出される結論は一つ。


「君は人気ヒーローになるために、お姉さんを道具扱いしているんだろう?」


 自分でもびっくりするほど、冷たい声をしていた。


 泣きたくなった。こんな風に思っている人がいること自体受け入れがたいのに、それが実の妹なんて、認めたくない。だって、たった二人きりの姉妹なのに。


 今すぐ否定してほしい。今回ばかりは僕の見当違いであってほしい。本当は姉のことが大好きで、片時も忘れられなくて、それ故に何度もここに来てしまうのだと嘆いてほしい。ファンを作るためのイメージ戦略だなんて言わないでくれ。


「……ここまで完璧に見抜かれるなんて初めてです」


 願いとは裏腹に、怜奈の回答は僕の憶測を事実と断定するものだった。

 緊張の解けた怜奈の表情は、まるでグラビア撮影の被写体のようににこやかだ。


「一般的に次女が生まれたら、今まで長女に注がれていた両親の愛情はこっちに傾くって言いますよね。ですが、私が物心ついてからもお母さん・お父さんは彼女のことが大好きでした。過保護って言葉を知らなくてもそう思えるくらいに。もちろん私もそれなりに愛されていましたが、満足できませんでした。独占欲が強いんですかね? 両親と彼女の三人が笑っている姿を見ると、嫉妬しちゃうんですよ。いつしか『姉なんかいない、うちは三人家族だ』って思うようになりました」


『未だに家族を失った実感がなくて』


 昨日怜奈が口にした言葉は、まったく違った意味を持っていた。

 認識していないのだから、姉を失った実感などあるはずがないのだ。


「肉親が死んで、その態度はどうかと思うけど」


 普段の僕だったら、決して口に出さなかった。他人が何を考えようと、自分には関係ないはずなのに。


「姉妹といったって、一緒に暮らしたのはたったの十年程度ですよ。物心ついてからのカウントなら、ほんのちょっとです。小学校からの同級生の方が、よっぽど付き合い長いし、相手のことを知ってます。そんな中、あの人の死を悲しめと言われたって、無理がありません?」

「……お姉さんが助けた少年のことも、本当は恨んでいない」

「はい、まったく。むしろ、邪魔者を排除してくれてありがたかったです。これは私の持論なのですが、怪人と自然災害って同じなんですよ。台風で家が壊れたり、地震で知り合いを失ったりしたとして、災害を憎みますか? 違うでしょう。恨む対象は対策を怠った自分自身、すぐに救助してくれなかった消防隊、堅牢な家を建てなかった建築会社、保険金の支払いを渋る保険会社といったところです。怪人も同じ。圧倒的な力を持つ者に一方的に虐げられた、それだけのこと。彼らは特定の人間に恨みを持ってなんかいません。ただの災厄として、存在している。そんな者たちを呪ったところで、お門違いですよ」

「君は、どうしてヒーローになろうと思ったの?」

「皆から応援されて、愛されて、お金も貰えるのですよ? 目指さない理由がどこにあるというのですか? 肩書きとしてこれ以上のものはありませんよ。赤の他人に媚を売るのは面倒ですが、幸いなことに周囲は私に同情的ですから。公務員は将来も安泰ですし」


 この胸ポケットに隠してあるスマホを出したら、怜奈はどんな反応をするだろう。僕に媚びるのだろうか、それとも暴力に訴えるのだろうか。


 そんなことをしたって僕の腹いせに過ぎない。みじめなだけだ。どちらにしろ、本心が変わることはない。人の気持ちは簡単には変わらない。第一、怜奈の考えを正す義理などないのだ。


「お姉さんは、賞賛のためでも、お金のためでもない。本心で少年のために動いたんだ」


 それでも、口は勝手に動いていた。


「打算だけで行動しても、真のヒーローにはなれない」

「私は別に、伝説的な英雄になりたいわけじゃありませんよ。警察官が全員、正義のために働いていますか? 看護師は命を本当に尊いものと考えていますか? 怪人は根っからの悪でないとなれないものですか? 必要なのは、気持ちじゃなくて行動です。どうせ他人の思惑なんてわかりっこないのですから」

「そうだ。本気じゃなければ、想いは伝わらない。人は価値観も、優先順位も、環境も、両親からの教えも違うのだから当たり前だ。それでもちゃんと伝わった。助けたいって気持ちが、人として生きてほしいっていう願いが。だから僕はここにいる」


 あの時お姉さんが本気で助けようとしてくれたから、僕はここにいる。人の道を外れようとも後悔せずに、信じた道を必死に突き進んでいる。


「どちらの考えが正しいというものでもないでしょう。そんな一辺倒な世の中ではないのですから」


 正義と悪がいる。ただ、世の中にあるのはその二つだけじゃない。正義じゃないから悪というわけでもなければ、悪でない限り正義だという根拠もない。そんな簡単に割り切れないからこそ、人間同士だって対立するんだ。


「でも、羨ましいです」

「え?」

「対象が人にしろ、仕事にしろ、何かに本気になれるということが、ですよ。私がヒーローを志したのは単なる合理的な判断で、言い方を変えれば一種の消去法ですから。もっと他人への思いやりがあって、自分以外も愛せて、現状に満足できていたら、私はもっと簡単に幸せになれたのでしょうね」


 そこまで悟っているのなら、これから進もうとしている道が長く険しいこともわかっているのだろう。常に危険と隣り合わせで、いくら国民のために尽くしてもネット上で罵倒され、ヒーロー同士の派閥争いに巻き込まれることもあるかもしれない。


 それでも怜奈は、自らの欲望を叶えるためにヒーローになることを決めたのだ。いくら彼女の思想に賛同できなくとも、否定する権利はない。


 ここでヒーロー候補生の怜奈を潰すことは簡単だ。魔王軍に電話を一本入れれば、五分もしないうちに怪人の大群が押し寄せてくるだろう。

 少女一人に何を本気に、なんて油断は禁物だ。思春期の女の子の持つ熱量に、同世代の男子はどうあがいても太刀打ちできやしないのだ。


 だが今は何もしない。怜奈はまだプロヒーローではないからだ。可能性の種をすべて排除しようとしたら、人類の半分は抹殺対象になってしまう。それくらい、人の潜在能力は無限大なのだ。


 今度こそ僕は、来た道へと足を向ける。


「昨日の言葉を撤回するつもりはないから」

「……え?」

「君がヒーローになったら、応援するよ」


 そして、全力で立ち向かおう。怪人として。

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