第32話:対決未満

 病気でもないのに二日連続で学校を休むなんて、両親が殺されて以来だ。今日はスクールバッグの他にペスト衣装を入れた一泊用トランクも携えているため大荷物だ。使うか使わないかはさておき、所持していることが大事なのだ。小道具の用意をしたり、長電話をしたりで、出発が昨日より一時間も遅れてしまった。


 ノスタルジーには、尾行をつけないように忠告してある。万が一横槍を入れられても迷惑だし、嘘をついたところですぐにバレることくらい、あっちも理解している。それに、昨日のバレバレの監視ではうっかり怜奈にも見つかってしまいかねない。


 電車で二時間の距離は、近くもなく遠くもなくで、どうにも時間を持て余してしまう。車内で仮眠をとれば、あの夢の続きを見られそうな気がするが、今の僕には遠ざけておくべきことのような気がした。ここで決心が揺らいでしまえば、色々な人の人生を壊すことになってしまう。


「散々他人の人生を振り回してきた僕が言うことじゃないか……」


 多少ゴネたところで結末は変わらない。僕一人の思惑で世界は滅ばないし、常識も価値観も変わらない。あくまで影響力を持っているのは魔王軍という器であって、僕個人に大した力はないのだ。そこをはき違えると、痛い目を見る。


 あれこれ考えを巡らせたところで、結局は来るべきところに戻ってくる。ゴールははじめから決まっている。だから余計な心配をする必要はない。


 目的地で下車し、昨日も寄ったスーパーで大きな供花を購入する。この二日間、お花代だけで一万円近くの出費だ。経費は出ない。


 実家手前の曲がり角で立ち止まり、ゆっくり内側を覗いた。


 案の定、怜奈は家の前にいた。表情は硬い。その隣では、スーツ姿の女性がペンを走らせていた。少し離れた位置で、無精ひげの男がカメラを連射している。おそらく雑誌かウェブのアポなし取材だろう。被害者遺族兼ヒーロー候補生という肩書きも大変そうだ。


 インタビューは十分ほど続いた。はじめは緊張しがちな顔つきだった怜奈も、終盤は年相応の無邪気さを出す余裕を持っていた。ビフォーアフターの写真を並べて見せてやりたいものだ。


 反対側に歩いていった二人組を見送ってから、顔を出す。


「あ、佐藤さん。こんにちは」

「昨日ぶり。さっきのは突撃取材?」


 軽く手を挙げて応える。


「ええ。週刊誌のネクストヒーロー特集らしいです。本当は正規の手続きを踏んだ取材以外は断るように言われているのですが、押し切られてしまって」


 眉を寄せ、声を小さくする怜奈。


「あ、そのお花……」


 僕が提げている花束は、中身がバラならプロポーズでもするんじゃないかというほどの大きさだ。


「どうもありがとうございます」

「命日は今日だからね。大きければ偉いってものじゃないけれど」

「そんなことないですよ。……七年も経つと、風化しますから」


 家の前には、小さな供花が一つ。きっと怜奈が置いたものだ。親族であれば多くは墓参りの方に行くだろうし、アパートやマンションが乱立するこの住宅街では、七年もすれば住民はだいぶ変わってしまう。両隣の家の表札は、僕の知っているものではなくなっていた。


 ましてや、怪人の被害者なんていくらでもいる。大規模施設が襲撃されて百人規模の死傷者が出ることもあるし、戦いに敗北して命を落とすヒーローだっている。

 怪人被害に限らず、事故や自然災害、殺人など、ある日突然命を失ってしまうのは、珍しいことではないのだ。だからこそ僕らは、怪人という人間ならざる者の存在を認知している。共存するにせよ拒絶するにせよ、まずは受け入れなければ先には進めない。


 怪人がいるからこそ、ヒーローは生まれ続けている。NHDAは全国に拠点を作り、雇用の創出にもつながっている。ヒーロー関連のグッズやイベントの収益は国益となり、児童や高齢者への福祉、生活保護、医療制度の充実といった社会保障に結びつき、結果的に国民へ還元される。


 皮肉にも、怪人の存在が人間の幸福を支えているのだ。


 もちろん、それをすんなり許容できるほど人間は強くないし、合理的でもない。


「怜奈さんは着いたばかり?」

「はい、少し前に。花を置いた直後に取材を受けてしまったので、まだ供養の時間を取れていないのですが」

「じゃあ僕もご一緒してもいいかな?」

「ええ、ぜひ」


 僕らは空き家の前で少し話をした。途中、母さんのパート時代の上司と、父さんの同僚が花を手向けにきた。二人とも、事件から七年が経って「ようやく気持ちに整理がついた」と言っていた。僕は二人の息子であることは隠し、あくまでお姉さんの知人として二言三言、言葉を交わした。


『夕焼け小焼け』のチャイムが流れる頃には、あたりは薄暗くなっていた。怪人体質になったとはいえ、今日は少し肌寒い。怜奈も隣で両腕を抱くようにさすっていた。何時間もこんな寒空の下で素肌を晒して突っ立っていたら、そりゃあ寒くもなるものだ。


「僕はそろそろ帰るけど……怜奈さんはまだ?」

「はい、あとちょっとだけ。ここを離れるのが名残惜しくて」

「そっか」


 僕はスクールバッグから使い捨てカイロと水筒を取り出し、手渡した。


「夜は冷えるから使って。あと水筒は、返さなくていいから」

「え、でも、悪いですよ」

「言っただろ? 君のこと、応援するって」

「あ、ありがとうございます……!」


 下心や打算などこれまで数えきれないほど遭遇してきただろうに、素直に受け取れるのは賞賛に値する。


「……あなたに会えて良かったです」

「え?」

「私は、自分の進もうとしている道が正しいのかずっと迷っていました。ヒーローは世間で思われているほど、賞賛を浴びる仕事ではありません。戦いに負ければ税金泥棒と叩かれるし、アイドルもどきとか芸能人気取りとか揶揄されることもあります。仲間であるはずの人間にも後ろ指を差されるこの仕事が私に務まるのか、正直不安でした。

 でもあなたのように、純粋な気持ちで誰かを想ってくれる人がいる。それを直に感じたことで、なんだか元気が湧いてきました。あなたが応援してくれれば、私はこれから先、きっと頑張っていけると思います」


 怜奈の差し出す手を、僕は握り返す。


「君ならきっと、強いヒーローになれるよ」


 踵を返し、来た道を戻る。


 僕は今日、この街でトランクの中身に着替えることはないだろう。


 ここに来た時点で結論は出ていたのだ。


 なぜなら怜奈を堕落させるためには、はじめからペストとして現れるのが最善策だったからだ。目の前でマスクを外し、僕こそが姉を死なせる原因を作った者であること、今は怪人として人々を悪の道に誘(いざな)う仕事をしていること、NHDAと魔王軍は表裏一体で、すべての国民は手のひらの上であることを暴露し、正義の心をくじく。


 だが僕は思いついていたのに、実行に移さなかった。


 怜奈の信念に、くじけたのだ。


 僕の、僕らの、完敗だ。


「あ、そうだ」


 曲がり角に入る直前、僕は足を止めて振り返った。


「最後に一つ、訊いておきたいことがあるんだけど」

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