第15話:二人のヒーロー

 ビルの二階の一室が、わたしに与えられた居住スペースだった。広さは雑居房より一回り小さいほどだが、一人で使えると思えば贅沢すぎるくらいだ。蛇口も、ガスコンロも、ユニットバスもある。畳の香りが心を落ち着かせてくれ、ようやく出所したことを実感する。


「あたしが使わなくなった家電とか布団を適当に運んであるから。少し質素かもしれないけど、あとは自分で適当に買ってね」

「い、いえ! こんなにしてもらって、むしろ申し訳ないです」

「じゃあ次は店内を案内するよ」


 階段を下りスタッフルームに入る。幸い他には誰もおらず、ほっと胸をなでおろす。

 モニターには店内の様子が映し出されている。店長と同じ、赤いジャンパーを羽織った女の子が数人おり、UFOキャッチャーの調整をしたり、カウンターでお客さんと話したりしている。


「しばらくは営業時間外の清掃とか、機械のメンテナンスが主な仕事だから。接客はある程度お店に慣れてからね」

「あ、あの」

「ん?」


 これは訊いても良いことだろうか。ただ、はじめのうちにはっきりさせておかないと後々もっと困ることになるかもしれない。


「その、わたしのことはどれくらい知ってますか」

「全部知ってるよ。少なくとも、ネット上で調べられるような情報なら」

「……そうですか」


 検索エンジンにわたしの名前を入れれば、一通りの情報は手に入る。

 サークルの先輩に暴力を働き、重傷を負わせ、右腕に麻痺が残る障害を与えたこと。

 被害者の父親が与党の議員であること。母親がその秘書であること。

 加害者の父親が職場の百貨店を退職に追い込まれたこと。母親が精神を壊しかけたこと。


「襲われたんでしょ?」

「え?」

「サークルの部長だっけ? 怖かったよね」


 心臓がどくん、と大きく跳ねる。


「あなたは何も悪くない、とは言わない。でも、個人的な感情として、あなたを助ける力になりたいとは思う」

「……どうして」


 ぐるぐると、拳銃のリボルバーのように感情が回転する。


「どうして、わたしのこと、信じて、くれるんですか」


 親も、サークルの仲間も、警察も、検察も、誰も、信じてくれなかったのに。


「少なくともあたしは、ネットの情報を鵜呑みになんかしないよ。あたしも胸でかいから、痴漢とかセクハラなんてこれまでに何度も遭ったし」


 抵抗するためとはいえやりすぎだ。

 過剰防衛って知ってる?

 暴行をネタに脅迫するつもりだったとか?

 本当は君から誘ったんじゃないの?

 女の子はすぐ感情的になるから。

 被害者の男の子、警察に内定もらってたんだよ?

 最近、冤罪も多いからねえ。

 スカートなんか履いてるから。

 もしかして、最初から殺すつもりだったとか。

 まさか君、怪人じゃないよね。


 この二年間、わたしは何十回、何百回と否定されてきた。犯罪者の言うことなんて、誰も信じてはくれなかった。デマばかり広まって、刑務所でいじめられたこともあった。


 心のリボルバーが、かちん、と止まる。


 わたしは店長の胸にすがりつき、大声をあげて泣いた。二年間ずっと我慢してきた本心を、一気に吐き出した。誰かが入ってきたらどうしようとか、ジャンパーに鼻水がついちゃうとか、余計なことを考える余裕はなかった。店長は黙ってわたしの頭をぽんぽんと優しく叩いてくれた。


「……ずびばぜん」


 十分後、両目を腫らして謝罪し、ようやく仕事の説明が始まった。

 シフトは大きく早番、準遅番、遅番の三種類。わたしは遅番要員となる。


「今さらなんですけど、わたしが夜中にゲームセンターで働いても大丈夫なんでしょうか」


 仮釈放の間は、いくつかのルールを守らなければならない。その中に、「犯罪性のある場所や人と関わってはいけない」とある。ゲームセンター未経験のわたしにとって、こういうところは正直「不良のたまり場」というイメージだ。


「それは大丈夫だよ。ウチは健全経営だから」

「はぁ」

「ウチはUFOキャッチャーとかキッズ向け筐体とかが中心で、いわゆる不良が長時間たまって楽しめるようなものは置いてないんだ。店内は禁煙だし、営業時間は二十三時まで。だからあんまり儲ってないんだけどね」


 からからと、陽気に笑う。


「スタッフも女の子が多いから安心してよ。ま、防犯上の理由とかもあって男の子もいないことはないけれど、できるだけ君とシフトが被らないようにするから。大抵はあたしも一緒にいるし」

「あ、ありがとうございます」

「もちろん、君の前科のことは誰にも言ってない。あたしの遠縁の親戚ってことにしてあるから、その辺は適当に話合わせてね」


 心の大部分を占めていた不安と緊張が、少しずつ解消されていく。これならやっていけるかもしれない。

 はじめはミモリさんや店長の優しさに懐疑的だったが、まずは他人を信じないことには自分も信じてもらえない。一歩ずつ、前に進んでいかなければ。


 夕方になり、早番と準遅番が入れ替わるタイミングで、従業員がスタッフルームに集められる。わたしの自己紹介のためだ。


「はじめまして。鬼形と申します。お姉さん……店長の紹介で、今日からこのお店でお世話になることになりました。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、ご指導のほどよろしくお願いします」


 ぱちぱちと、まばらな拍手。高校生から大学生が中心で、年上らしき人は見当たらない。


「鬼形ちゃんは引きこもりだったから知らないことも多いと思うけれど、一個ずつ丁寧に教えてあげてよ」


 引きこもり、引きこもりかー。確かに刑務所の敷地内で二年間を過ごしたけど。

 ふと、部屋の壁に背中を預けている人物と目が合う。


 この空間にいる、唯一の男の子。たぶん高校生。

 見た目は年相応だが、どことなく達観した雰囲気がある。


 無意識に、身体が硬直していた。いくら年下とはいえ、高校生ともなれば腕力はわたしより上だ。押さえつけられたら振りほどくことは難しいだろう。


 駄目だ、余計なことを考えるな。


 わたしができる限りの愛想笑いを浮かべると、少年も柔らかい笑みで返してくれた。意外と可愛い表情に、なんとか邪念を振り払うことができた。


 これはリハビリだ。どのような環境だろうと、今後男の人と関わらずに生きていくことなど不可能だ。それに、今は想像もつかないけれど、いずれは恋人を作って結婚だってすることになるかもしれない。


 挨拶が終わり、いったん遅番のシフトまで自由時間となった。服や下着の類に、食料も調達しないといけない。スマホは……しばらく要らないな。

 出所後の、初めての食事はカップラーメンだった。刑務所の中では薄味の食事ばかりだったので、こういうジャンク感のある塩分たっぷりのごはんが身に染みる。


 そして夜十時、初仕事。みんなと同じ赤ジャンパーを着てフロアに出る。

 店内にほとんどお客さんはいない。カップルが太鼓ゲームに興じているくらいで、あからさまな不良も、酔っ払って騒ぐ学生もいない。

 十時までは四人体制だったが、うち二人は十八歳未満のため残りの時間は店長と二人きりだ。週末は、閉店時間まで三~四人はいるらしい。


 まずはトイレの清掃から。ホースで便座と床を洗った後、雑巾とブラシでそれぞれ磨く。洗剤を補充し、ハンドドライヤーに溜まった水を捨てる。ゴミ箱の生理用品は、黒いビニール袋にまとめる。


 トイレの次は、店内の掃除だ。筐体を一つひとつダスターで拭き、床の汚れや靴跡は、バフィングマシンで綺麗にする。はじめは振動の大きさに身体の主導権を奪われそうになったが、操作に慣れれば清掃好きの家来を従えているみたいで面白い。


 十一時半を回って、ようやく一通りの清掃が終了した。


「うん、初めてにしては上出来上出来」


 学生時代のアルバイト経験が生きた。コンビニの業務は浅く広くだから、多くの体験が役に立った。


「ずっと気になってたんですけど、あのフィギュアってアニメのやつですか?」


 わたしが指差したのは、UFOキャッチャーの筐体に所狭しと敷き詰められた、金色の男。全身から輝きを放っており、肩パットからポインテッドシューズのつま先に至るまでゴールド一色だ。顔は上半分がマスクで覆われているものの、口元の笑みはまるで王子様のようだ。


「ああ、これはリアルなやつだよ」


 リアルなやつ。

 つまりは現実世界で活躍するヒーローか。


「名前は確か……『ブリリアント』だったかな? ヒーローランキングでここ数年ずっと首位を獲得しているメンズヒーローだよ。実は異世界から来たとか、国の総資産の十パーセントを保有しているとか、某国の王子とか、色んな噂がある覆面ヒーローだね」


 もともとヒーローやアイドルに関心はなかったが、姿も名前もまったく知らない。


「怪人を倒すだけじゃなく、地域のゴミ清掃や老人介護のボランティアにも参加してるんだって。ここまで善人だと、かえって胡散臭いよねえ」


 世間でどれだけ賞賛されようと、ヒーローなんて所詮は正義の味方の真似事だと思っている。彼らには逮捕権すらないのだ。それに、ヒーローなんてものが本当にいるのなら、どうしてあの時わたしを助けてくれなかったのだと逆恨みしてしまいそうになる。

 それに、ヒーロー関連の商品の五割は国税だというじゃないか。結局は国の金儲けの道具じゃないかと邪推したくもなる。


「じゃあ、こっちの黒いのは?」


 金色のヒーローと同じくらい、あるいはそれよりも多数のグッズ展開を見せる黒色の鳥人が気になった。フィギュアをはじめバスタオル、マグカップ、壁掛け時計、コースター、スナック菓子のパッケージなど様々だ。


「こっちは四堕羅の『黒の貴公子』ことレイヴンだね」


 出た、ヨンダラー。

 黒の両翼、長い爪、目元を覆う真っ赤なマスク、アメコミのヒーローを想起させる細マッチョな体躯。確かに女子中高生あたりに人気がありそうだ。


「魔王軍大幹部の一人らしいんだけど、アンチヒーローっていうの? 己の正義に従うってモットーの怪人らしくてさ。市民を助けたり、ヒーローと共闘したりしているなんて目撃情報があるらしいよ」


 怪人が市民を助ける? 普通に考えればあり得ない話だ。なんのために怪人をやっているのかと問い詰めたくなる。彼には彼なりの矜持というものがあるのかもしれないが、存在が矛盾しているではないか。


「特に女の子には優しいんだって。集団レイプされかけた中学生を助けるために、男を皆殺しにしたって噂も……あ」

「いえ、気にしないでください」


 同情や気遣いは不要だ。実際、わたしは未遂で終わったわけだし。


「と、とにかく、今はこの二人の関連グッズが主力商品なんだよ。グッズの種類は、ゲームセンター用のものだけでもそれぞれ二百を超えるんじゃないかな」


 ヒーローと怪人。対極の存在でありながら、紙一重であるようにも思える。

 どっちが好きかと問われれば、なんとなくレイヴンに興味がある。ファンとまでは言わずとも、どこか惹きつけられるのだ。


 それは、自己紹介の時に壁にもたれかかっていたあの少年に抱いた感情に似ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る