第2話:十一位の女

「初めまして、花村ちぐさです。ご存じの方もいるかもしれませんが、高校に通いながらヒーロー活動をやっています。それで前の学校では出席日数が足りなくて留年しちゃいまして……。なので学年は皆さんより一つ上になるのですが、同級生としてフランクに接してもらえると嬉しいです。どうぞよろしくお願いします!」


 歓声が、上がった。さながら試合終了のホイッスルが鳴り、応援しているチームの勝利が確定したサポーターのようだ。

 二学期も終わりに近づいたタイミングで、この女がうちの学校に転入してきたのはおそらく完全な偶然だが、まるで「ヒーローもの」の第一話である。


 とはいえ僕から進んで接点を持とうとはしない。当たり前だ。身バレして直接的な対決に発展したとして、ケンカすらしたことがない僕が勝てる可能性なんて一パーセントもない。それに転入初日の彼女はまさしくデビュー直後の花村ちぐさそのものだった。休み時間になるたび、席を囲うように人が群がり質問の矢が降り注ぐ。いくら人気最前線を退いたとはいえ、さすが現役。クラスでやや孤立気味の僕が立ち入る隙など一片もない。


 転入から一週間もすれば、花村ちぐさは学校のアイドルの地位を揺るぎないものにしていた。体育館でバレーボールをやれば学校中の男子が授業を抜けて押し寄せ、昼休みには男女問わず昼食のお誘い。学校の案内を申し出る者、ヒーロー研究会に勧誘する者、学校のイメージガールを依頼する教師。公開告白も二回あった。

 花村ちぐさはこういう輩の対応に慣れているためか、表面上はニコニコしておりテレビで観る彼女そのものだった。影で「十一位の女」と嫉妬する女子もいたようだが、圧倒的な支持の前では何のダメージにもならないようだった。


 さて、僕は悪の手先とはいえ、普段はただの高校生である。週に五日学校へ通い、授業を受け、テストに臨み、夏休みを待ち望む。友達も恋人もいないとはいえ、文化祭は心躍るし、クリスマスも何気に楽しみだ。高校生活の中で、大人になるための準備を着々と進めている。心を育てている。ホームルームで積極的に意見を出しはしないものの、名指しで問われればそれなりに答える。昼食はいつも一人だが、体育前の着替えはこっそりトイレでする恥ずかしがり屋だが、おおむね普通の高校生と変わりない。


 普通って何だよ。


 時にそんな自問自答もする。



「げ」


 その一言は、思わず僕がつぶやいたものだったか、それとも仮面の剥がれた彼女がこぼしたものだったか。


「あなたもここでお昼?」


 花村ちぐさはすぐにいつもの営業スマイルを張りつけ、探りを入れてくる。


 ここは校舎三階、特別棟の片隅にある空き教室だ。僕は毎日ここで昼食をとっている。昼休みにわざわざ本校舎とは別棟の最上階に来る輩は十中八九、一人になりたい者と相場が決まっている。


 だから僕は言葉をかけたりしない。黙々とお弁当を、もくもくと咀嚼する。


 級友とはいえ知り合い未満の相手に形式的な挨拶を交わす必要もあるまい。仕事の時は、他の営業所の怪人であろうと目下の新人であろうと、それなりに愛想良く振る舞っている。いつ彼らの手を借りることになるかわからないし、社会人として最低限の礼儀はわきまえるべきだと思っている。利害関係といってしまえばそれまでだが、お互い気持ち良く仕事ができるに越したことはない。


「私、花村ちぐさって言うんだけど、あなたも同じクラスだったよね。……えっと」

「……」

「お花の村に、ひらがなで『ちぐさ』って書くの。よく『千の草』と間違えられるんだけど」

「……」

「画数が少ないから書きやすいんだけどね。もうちょっとカッコいい名前が良かったかも」

「誘導しなくても、別に名前を覚えてもらっていないくらいで機嫌を損ねたりしないよ」

「……あう」


 どこまで意識的なのかは知らないが、仕事柄誰にでもフレンドリーに接する癖がついてしまっているのだろう。大衆の支持によって成り立っているヒーローという職業は、いわば全員がファン候補、すなわち顧客のようなものだ。取引相手の名前を認識していないなんて、社会人としてありえないことだ。


「君に冷たくされたところでその悪評を広めたりなんかしないよ。話す友達もいないしね」

「……ふうん」


 ワントーン低い相槌を打ち、花村ちぐさはようやく教室に足を踏み入れた。

 室内の机は五列七行で配置されている。僕は廊下側、前から三番目の席で弁当をつついていた。この位置なら外からも廊下からも人の視界に入らないし、日差しも当たらない。わざわざ入室しなければ発見には至らない、完全なる死角だ。一方で廊下から近い分、見つかってしまうのではという心理的圧迫感もある。この女がどこに座ろうが勝手だが、ゆっくり昼食をとりたいのなら窓際にでも座るだろう。


「よいしょっと」


 ところが予想に反し、花村ちぐさは僕の真横に着席した。


「……一人になりたいんじゃなかったの?」

「この教室には人が寄りつかないって噂で聞いたから」

「じゃあどうしてわざわざ」

「あなた、私に興味ないの?」


 半目で眉を吊り上げた花村ちぐさの顔が、僕の目の前にあった。


「……と、おっしゃいますと」


 から揚げを箸の間で持て余したまま、僕は問うた。


「あなただけよ。二年A組で私に話しかけてこなかったの。根暗そうなオタク男子だって、新曲を口実に近づいてきたのに。この一週間、見向きもしなかったじゃない」

「さすが芸能人様は、他人の視線に敏感で」

「芸能人じゃないわ、ヒーローよ。……って言っても落ち目だけどね」

「ヒーローの本質は写真集の売り上げでもコンサートの動員数でもないと思うけど」

「それよ。あなたは私のことを知らないわけじゃない」


 何やら瞳に熱を帯び始めている。変なスイッチを押してしまったか。


「そりゃ、ティーンヒーローの元祖だしね」

「あなたは人見知りでも恥ずかしがり屋でも無口でもない。先生と話す時は普通だもの。友達がいないって言ってたけれど、できないんじゃなくて作らないだけ。その理由も面倒とか一人が好きとかっていうんじゃなくて、純粋に『必要としていないだけ』に見える」

「考えすぎだよ」


 普段人外とばかり接しているから、同級生と触れ合うに慣れていないだけだ。


「違う。あなたは私を特別視していない。しないようにしてくれている」


 それは当たりかもしれない。人から注目されるというのは必ずしも嬉しいこととは限らない。小学校の頃、両親が怪人に殺されたという話はあっという間に校内に広がり、教師や同級生の母親からはむやみやたらに同情の言葉をかけられた。周りの連中は僕の前で家族の話題を避けるようになり、授業参観の作文もうちのクラスだけ「僕(私)の両親について」ではなく「将来の夢」だった。あの時はなんて発表したんだっけ。


 箸を置き、花村ちぐさに真正面から答える。


「僕はクラスメートに付加価値なんて求めない。君は芸能人でもアイドルでもない。だから僕は、君に憧れないし、好意を抱いたりもしない。チヤホヤもしないし、空き教室で二人きりになったからといって、浮かれたりもしない」


 もちろん、客観的に見て花村ちぐさは可愛いと思う。くりっとした瞳、やや丸みを帯びた鼻、桜色の唇は、一つひとつが整っていながらも完成しきっていない、十代ならではの可憐さと美しさを両立している。明るい栗色のショートヘアに緑色のカチューシャは、シンプルながらも活発な花村ちぐさのイメージにぴったりだ。

 この子がただの女子高生だったとしても、充分に魅力的だと思う。むしろヒーローという仕事は、彼女の健全な精神の育成を阻む枷となりうるのではないか。ただでさえアイドルだの歌手だのCM女王だの、肩書きが多いというのに。


「僕は君を特別扱いしない。だから、僕の前ではキャラを作らなくていいよ」


 会話が途切れる。無言で見つめ合う。

 花村ちぐさは返答に窮しているようだ。同級生、しかも年下にこんな上から目線のことを言われて、腹を立てているのかもしれない。これで嫌われて疎遠になってしまったら、ヒーローの動向を探るチャンスを潰したと上から怒られるだろうか。その時はその時だ。


 僕は弁当に向き直り、再びから揚げをつかむ。


 がつん。


 鈍い音とともに、茶色の肉塊が箸から滑り落ちる。そのままころころと机の上を横転し、床に落下した。

 驚き半分、怒り半分に、ゆっくりと左隣を見やる。

 花村ちぐさが、机をくっつけていた。


「一緒に食べよ?」

「……はい?」

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