第8話  3

 三日後の午前中――。

櫻子と俊一は会議室で打ち合わせをしていた。もちろん「ミステリーゾーンを探る」の企画に関してだ。ラブホテルの怪奇に関しては第一弾であるので、特に櫻子は気合いが入っている。

「どう、取材は思うように進んだ?」

俊一の前に坐った櫻子は、両の指を組み合わせて訊く。

「ええ、何とかそれなりに」

「そう。私のほうもちょっと別の方向から調べて、ここにまとめてみたわ」

 櫻子は、五枚ほどのA4のコピー紙を俊一の前に置いた。

「これって、以前ブームになった時の各誌の記事ですね? 参考になります」

 俊一はそういいながら資料に目を通しはじめた。

「ところで俊一、あんたどう思う? あの壁の血――」

 櫻子は沼田にインタビューしたメモを見ながらいった。

「何とも判断がつきません。もし何かわかればと思って、壁を少し削って来たんですが……」

 俊一はカメラバッグのポケットから薬の錠剤でも入れるような小さなビニールを取り出して櫻子の前に置いた。

「よくやったわね、といいたいところだけど、この量じゃあ正直なところ鑑別出来るかどうか微妙ね」

 櫻子は、ビニール袋を摘んで天井の蛍光灯に透かして見た。

「すいません」

「それはいいんだけど、あんたが映して来た動画なんだけど……」

「はい、これです」

 俊一は、SDカードを櫻子の目の前に差し出した。受け取った櫻子は、すぐにノートパソコンに差し込む。

 やがて何が映っているかわからない薄暗い画面が立ち上がる。辛うじて動画であることが認められるくらいの明るさのまま、それがしばらく続いた。

 ようやく動画であることが認められた画面には、例の若者たちが部屋の前でたむろしているのが映し出された。

 櫻子は、血の手形のついた壁をアップで映した画面で一時停止をする。納得がいかないのか、何度もそれを繰り返す。そして首を捻った。

「やっぱりこれじゃあわかんないわね」

 呟くようにいった。

「そうなんです。僕も何度も櫻子さんと同じことをしました。自分でいうのも何なんですが、あまり鮮明でないです」

「でもここまで来たんだから、嘘でもなんでもいいから先に進もう。そうじゃないと締め切りに間に合わない」

「ええッ?」

「いいから。どうせこれを知ってるのは私たちふたりだけなんだから、それらしく記事を書けばいいの。これからあんたが記者としてやってけるかどうか試す時が来たんだから、頑張りなさい」

 櫻子は短い髪を耳にかけながら平然という。

「この記事僕が書くんですか?」

「あったり前じゃない。だって、あんたが現場を目撃して来たんだから、あんたが書いたほうがリアリティがあるでしょ? 私は次の号の準備をしなきゃならないから」

「はい」

「じゃあ、いまからすぐに取りかかって。槇原デスクが何をいい出すかわからないから。いいわね、今日中よ、今日中」

「はい」

 俊一は渋々返事をするのだった。

 資料を脇に抱えて自席に戻った俊一は、自販機で買ったホットコーヒーを飲みながら櫻子の資料に目を通しはじめた。ネットで調べたものと重複する記事もあったが、そのなかでも他社のミステリースポットの取り上げ方がずいぶん参考になった。

 三十分ほど資料を読んでいたあと、おもむろに鉛筆を手にした俊一は、一気に記事を書きはじめた。だが、すぐに手が止まり何かを考える仕草をする。そして何かアドバイスを貰おうと向かいの席の櫻子を見たが、彼女はどこかに電話をしていた。様子から長くなりそうだった。

 何度も書いたり消したりを繰り返したため、机の上は消しゴムのカスで黒ゴマを撒いたみたいになっていた。

 それでも何とかはじめて任された記事作成をすませた。七時半過ぎだった。かかった時間が長いのかどうかわからないが、原稿用紙二十枚ほどの記事を書いた。

 二度読み直ししたあと、櫻子に渡すと自分の取りかかってる仕事の手を止め、早速俊一の記事を読みはじめた。何度も前後させながら読み終わった原稿には、十ヶ所ほど赤ペンが入れられてあった。

『ベッドルームに向かって右側の壁には、血糊のようなあとがついていた。』

『ベッドルームに向かって右側の壁には、女性のに間違いない血の手形が付着していた』

 櫻子がいうには、「いくら確信がないといっても、曖昧な表現ではだめ。読者が信じ込める文章しなさい。最終的に濁した表現にすればいいんだから」

「わかりました」と返事をした俊一は、急いで原稿を修正にかかった。

俊一がすべてを終わらせたのは、十時近くだった。完成した原稿を櫻子に渡すと、すぐにチェックをしたあと、俊一を食事に誘った。俊一へのささやかな慰労だった。

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