第6話 君の名は⑥ 世話焼きとエルフ

 僕はボロ布に包まり、さめざめと泣いた。

 全身を水の触手で洗われたあとは、裸にまで剥かれてしまった。

 上下のスウェットとTシャツ、靴下とおまけにパンツまで剥ぎ取られ、いまそれらは枝葉に渡された麻紐に吊るされ、ゆらゆらと風に揺れていた。


 僕の目の前にはパチパチと燃え盛る焚き火がある。

 木の枝に刺さったヤマメっぽい川魚が焼かれ、香ばしい匂いを漂わせている。

 この魚も、女の子が触手を使い、あっという間に採ってきたのだ。


 女の子は今、僕の足の具合を見てくれている。

 水に浸かっただけで不思議と足の腫れは引き、痛みもなくなっていた。

 彼女は今、腰に下げたポーチから握り鋏とヤスリを取り出し、僕の爪を切って整えてくれている。


 甲斐甲斐しいというか、世話焼きというか。

 男としての尊厳を失った僕には、もうどうにでもしてくれとお腹を見せて服従したい気分だった。


「エント」


 焼きあがった魚が差し出される。

 丸一日ぶりの食べ物だ。

 僕は洟をすすり上げてから受け取る。


 見た目は普通の焼き魚だ。特に変わったところはない。

 思い切ってかぶり付くと、口の中に淡白な白身魚の味わいが広がった。

 ふっくらホコホコとしていて、塩気は足りないが、鼻孔に抜ける爽やかな、ハーブのような香りがする。


 ガフっ、ガフガフ、とあっという間に食べてしまう。


「モニア、エント」


 おかわりを差し出され、僕は遠慮なく腹に収めていく。

 伸び放題だった僕の足の爪を整え終わった女の子は、

 今度はポーチから畳まれたハンカチ、みたいなものを取り出した。

 広げてみるとそれは大判サイズの、何かケモノの皮のようだった。


 ホントなんでも入ってるポーチだな、と感心していると、

 女の子はそれを僕の足裏にあてがい、足の形に合うように握り鋏で切り出していく。


 ようやく分かった。靴を作ってくれているんだ。

 大体の形に切り終えると、針と糸を取り出す。

 折り目をつけて、靴底には足の形に切り出した皮を二重に敷いて、

 縁は丈夫になるように糸を通してギュギュっと補強していく。


 5匹目の魚を食べ終える頃には、立派な一組の革靴ができていた。

 足首の部分は麻紐で縛る仕組みだ。


「ポル・トン」


 言われ、履いてみると意外なことにかなり具合が良かった。

 立ち上がり、歩くと、普通の靴を履いている感じがした。

 なんの生物の皮なのか知らないが、薄くて頑丈で、おまけに衝撃にも強そうだ。


「あ、ありがとう」


 言葉なんて通じない。そのはずなのに、女の子は今まで一番の、とびっきりの笑顔を見せてくれた。

 僕は――、自分の顔が急激に赤くなるのを自覚していた。


 ミノムシみたいな間抜けな格好なのに、カラダの奥が思い出したように熱くなる。

 僕の周りの身近な女の子は、幼なじみの心深だけだった。

 友達なんて呼べる関係の同年代の子は、男子だろうと女子だろうといなかった。


 この子は、歳は僕と同じくらいか幼く見えるのに、なんというか雰囲気がすごく大人っぽい。

 この森辺で自給自足みたいな生活をしているのだから、僕なんかよりずっとしっかりしているからかもしれない。


 見つめ合う僕らを不意に邪魔するものがあった。

 干してあるスウェットからピピピっと電子音がしたのだ。


「――――ッ!?」


 飛び上がった女の子が僕を庇いながら、鋭い視線をそちらに向ける。


「いや、大丈夫だよ。単なるアラームだから」


 僕は女の子の肩を優しく叩きながら前に出る。


「ウェルムト、イルグゥ!」


 止めようとする声を無視してポケットの中をまさぐる。

 すっかり忘れていたが、防水機能付きのスマホはあれだけ水浸しになっても壊れた様子はなかった。


 時刻は9時ちょうど。

 清流でカラダを洗って、ご飯を食べて。

 感覚からして目覚めたのは朝の7時くらいだったのだろう。

 いつもは昼近くまで寝ているから、こんなに早く起きたのはいつ以来――


 気がつけば、僕は地面に仰向けに押し倒されていた。


「え、ちょっと、何を――」


 未だ電子音を響かせ続けるスマホ。

 それを握る僕の手首を真っ白になるほどの力で押さえつけ、真上から女の子が睨みつけていた。

 反対の手には、今にも振り下ろさんとする水の剣が見えた。


 そして。

 もつれ合った時にはだけたのだろう、フードが降りて、彼女の素顔が白日の元に晒されていた。


 ああ、ゆうべは月明かりだったし、遠目だったから気が付かなかった。

 やっぱりというか――、とんでもなく綺麗な子だった。


 零れる金色の髪と翡翠色の瞳。

 かなり活動的な格好をしているのに、日焼けなんて無縁の白い肌。

 今は桜色の唇を食いしばり、眦を立てて僕を睨みつけている。


 そして見間違いでなければ、その耳は細長くピンと尖っているのだった。


「エ、エルフ……?」


 不用意なつぶやきに、憎悪すら浮かべて、彼女は僕を睨み続けるのだった。

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