第7話 あの日の理由

「まさか、本当にマザーコンピュータへアクセスできるなんて。ずっと逃げ回るばっかりで、鯨の中に潜り込むことすらほとんどできずに来たからなあ。この島に流れ着いてよかったよ。リッツのおかげで何か手がかりが掴めるかもしれない」

 リッツの前を歩くヴァンの足取りは軽い。弾む声のせいで、見えなくとも彼女がどんな顔をしているのか大体想像がつく。よかったね、とでも答えてやるべきなのだろうが、どうにもその気になれず、リッツは無言で足を進めた。

「リッツ?」

 怪訝そうな声をかけられて、リッツははっと顔を上げる。立ち止まり振り返ったヴァンがきょとんとした顔で彼を見下ろしていた。

「どうしたんだよ。すっかり大人しくなっちゃって」

「あ……」

「ああ、そうか。もうだいぶ遅い時間だもんな。眠くなっちゃったか」

 ヴァンは少し笑ってからかうような声を出した。わざと怒らせようとしているのが分かったので、リッツはきっぱりと短く答え首を振る。

「ちがう」

 明け方が近くなるまで外をうろついているのだから、本当は眠たい。だが今は寝ている場合ではないのだ。

「ねえ」

 リッツは両手を握りしめてヴァンを睨みあげる。

「ハロや、きみの友達みたいに、心のある鯨はどれくらいいるの」

 ヴァンはからかいに乗ってこないリッツを不満げに見下ろし、その固い表情にわずかに目を見張った。

「僕はロボットじゃないから、そんなに詳しく知ってるわけじゃないよ。ただ、友達に聞いた話だと、どの鯨も造られた時には人の心を持っていたらしい。長い時間のあいだに少しずつ心を失う鯨が増えていって、今では心を持つ鯨はほとんど残っていないそうだ」

「ハロは機械を動かしてた。心のある鯨だったら、運転手がいなくても、鯨を動かせるの? ロボットが自分自身を動かして海を泳ぐこともできるの?」

「なんだよ、急にどうした」

 ヴァンは笑みを引っ込め、リッツと目線を合わせてしゃがみこんだ。

「教えて」

 リッツが手を伸ばす。ヴァンの胸ぐらを掴み上げて詰め寄るつもりだったが、そんな勢いも力も少年の手にはなかった。縋り付くようなポーズになったリッツを見下ろし、ヴァンは静かに答える。

「できる」

「ハッチを開けることも?」

「できるよ」

「……じゃあ」

 リッツはぎりっと奥歯を噛みしめる。口元からじわじわと全身に力が広がっていく。力が入った体は強張り、喉が細かく震え出す。

「じゃあ鯨は、お父さんとお母さんの仇だ」

「亡くなった、のか。ご両親」

 ヴァンが動揺した気配が伝わってきて、リッツは彼女に見えないよう俯いたまま口元を歪ませた。

 みなしごを前にした人たちは皆おもしろいほど同じ顔をする。リッツが幼くして孤児になったことを知ると、大概の人は哀れみ気を遣うか、もしくは厄介者として扱うかのどちらかに分かれる。子ども一人で生きていくことはできないから、リッツはこれまで哀れんでくれる人たちに擦り寄り、守られて生きてきた。なにかと助けてくれる周囲の人たちにはとても感謝している。だが結局のところみなしごはどこまで行っても異物なのだ。家族がいない一人ぼっちの子どもは異質だからこそ例外として皆に優しくしてもらえるのだ。

 それをはっきりと自覚しているリッツにとって、同じ孤児であるヴァンにまで哀れまれるのは癪だった。腫れ物扱いは嫌いだ。心のなかで反抗心がむくりと頭をもたげ、それと同時に喉の震えが少しだけ治まる。

「お父さんとお母さんとぼくの三人で初めて鯨に乗ったとき、海の真ん中で勝手にハッチが開いたんだ。海水が流れ込んできて、鯨全体がひどく揺れて、人も荷物も波に飲み込まれていった。お父さんがぼくを座席の上の荷物棚に押し込んでくれて、ぼくは流されずに済んだ」

 リッツはぽつぽつと語りながら目を閉じた。そうすると、棚にしがみつきながら見たあの時の光景がひとりでに浮かんでくる。狭い荷物棚の中にすっぽり収まったリッツは、死に物狂いで棚の縁にかじりついた。揺れが激しく、気を抜くと海水の中へ振り落とされそうだった。リッツの目と鼻の先では暗く冷たい海の水が波を立てて暴れまわっている。乗客は一人また一人と水の中へ消えていく。隣の席に座っていたはずの母親の姿はとっくに見えなくなっていた。荷物棚にぶら下がるようにしがみついていた父親も、波にさらわれて消えた。ここで死ぬのだ。そう思った時、視界の先で開いたハッチががたがた揺れながら閉じていくのが見えた。どこか壊れてしまったのか、普段ならスムーズに開閉できるはずのドアがうまく動かない。波打つ海水越しではよく見えないが、白いなにかが引っかかっているようだ。それが人間の腕のような形をしていることに気付いた直後、白いなにかは外れて、何事もなかったかのようにハッチがぴたりと出入り口を封じた。

「お父さんもお母さんも、他のお客さんも、運転手も流されたけど、ぼくみたいに生き残った人は何人かいた。ハッチを閉じて、壊れかけた機械をどうにか動かしてこの島まで流れ着いたんだ」

「鯨がハッチを開けたから、鯨が両親の仇だと、そう言いたいのか」

「ぼくは今までずっと、鯨っていうのはただの機械だと思ってた。だから、あれは事故だったんだと思っていた。いくら昔のすごい技術を使ってるっていっても、物はいつかこわれる。それがたまたま、ぼくたちが乗っていたときだっただけだ。運が悪かっただけなんだ。でも、鯨が本当に心を持っているなら、そうじゃなくなる。鯨が自分の意志で動くことができるなら、ハッチをわざと開けることだって、できるじゃないか」

「つまり、ご両親は事故で亡くなったんじゃなく、鯨に殺されたと? さすがにそれは現実的じゃないよ。人の心を持ったままの鯨なんて今ではほとんど残っていないんだ。それに、もしそのときの鯨が心を持っていたとして、どうして乗客を殺さなきゃいけないんだ。そんなことをしたって何も」

「理由なんか知らないよ」

 弁解しようとするヴァンを遮って吐き捨てる。

「心があったのか、わざとだったのか、そんなこと今さら分かるわけないんだ。分からないことはいくら考えたって仕方ない。でももし、お父さんとお母さんが殺されたのなら、ぼくがそれを知らずにいたら、だめだ」

「なんで、だめなんだ」

 問いかけるヴァンの声は穏やかだった。リッツを責めることも諌めることもしない静かな声はやけに大人びて聞こえ、リッツの涙腺をじわりと刺激する。

「なんでって」

 みっともなくも声まで震えそうになり、リッツは一旦言葉を切ると腹に力を入れる。

「だって、だめだろ。ぼくの大切な人が殺されたのに、生き残ったぼくがそれを知らないで、のんきに生きてちゃ、だめだ」

「だから、鯨が嫌いなのか」

 リッツはぐっと唇を引き結び、ヴァンの問いかけに頷いた。これ以上口を開けば涙も嗚咽もこらえきれそうにはなかったし、そのどちらもヴァンに気付かれたくなかった。

「そっか」

 ヴァンは簡潔に答え、うつむくリッツの頭をぽんぽんと優しく叩く。

「悪かったな、いろいろ嫌な思いさせて。そろそろ行こう。夜が明ける前に戻らないと」

 リッツはもう一度頷いて、ヴァンの服を掴んでいた手を離した。ずっと握りしめていたせいで服にはくっきりと皺がついてしまっていたが、ヴァンは文句を言うでもなく前を向いて港の方へ歩き出す。その後に押し黙ったリッツが続く。

 リッツの心の中には嫌な気持ちがぐるぐると渦巻いていた。決して忘れていたわけではないのだが、むしろ一日たりとも思い出さない日はなかったが、思い浮かべてしまったあの日の光景が頭を離れない。両親は暗い海の中へ消えた。愛し尊敬した二人は死んでリッツだけが生き残った。両親は善良だった。罰を受けるような悪事を働いたことはないはずだ。それなのに二人は死んだ。そしてなにもできないリッツだけが今も生きている。リッツはあの日からずっと、その理由を考えている。

 暗い水路にはしばらく小さな波音と二人の足音だけが響いていた。やがて港へ続くドアが見えて来ると、ヴァンが気の抜けたため息をついた。

「リッツ、取引は終了だ。ハロから情報をもらったら、僕は約束通りこの島から出ていく。だからもう案内は必要ないよ」

 リッツは黙ってヴァンを見上げた。彼女の発言はリッツの事情を知ったことによる気遣いなのか、それとも単純にリッツが邪魔で追い払いたいだけなのか、どちらとも判別できなかった。ただ、少なくとも彼女の視線には哀れみを感じない。リッツはふと思った。ヴァンは一言もリッツの言葉を否定しなかった。その代わり肯定もしなかったが。

「あのさ」

「ん?」

「フランクさんに、きみのこと話そう」

「え」

「きっと助けてくれるから。お願いして、仕事をもらおう。仕事をしたらお金をもらえるから。お金があれば、次の島に行くときは密航じゃなくお客さんとして鯨に乗れるだろ」

 なんとなく思いついたことをそのまま口に出していた。リッツは言い終えてから自分の言葉を噛みくだき、自分が間違ったことを言っていないかと考える。密航者が更生するストーリーとしては申し分ないように思えた。問題はヴァンが素直に頷くかどうかだ。

 見上げたヴァンはぽかんと口を開けていた。少し不安になりながらリッツがもう一度同じことを繰り返そうとすると、言い終えるより先に彼女が笑い出す。

「どうしたんだ、急に優しくなって」

「べつに」

 笑われると気恥ずかしくなり、リッツはぷいとそっぽを向いた。人が親切で言っているのに、笑うなんて失礼だ。そう思うと少し腹が立った。リッツは早足でヴァンを追い越すと、港へ続くドアに手をかける。いつまでも彼女に構っていないで、さっさと帰って寝てしまおう。明日も仕事があるのだし、彼女は放っておいても港の人たちを害すようなことはしないだろう。

「あれ……」

 ドアを開けたリッツの目に眩しい光が飛び込んできた。反射的につむった目を薄く開け、リッツはその光が鯨の発着場であるプールの方から発せられていることに気付く。大きなドーム状の港全体はまだ暗い。天井には非常灯がささやかに光るのみだ。まだ港が動き出すような時間ではない。ではなぜプールに光が灯っているのか。暗い港を切り裂く眩しい光のコントラストに目がついていかず、リッツは細めた目を凝らし様子を伺う。

 眩しい光はちょうどリッツの仕事場のあたりに置かれているようだ。人影らしきものがちらちらと見える。忙しなく動き回っているように見えるが、よく分からない。

 ヴァンは眉をひそめると、リッツを引っ張って物陰へ隠れた。

「あいつらは何だ?」

「知らないよ。こんな時間に何してるんだろう」

 夜中でも港は完全に無人になるわけではない。毎日誰かが交代で見張りをしているのだが、それにしては見える人影が多い気がする。

「あ、動いた」

 管制室の中から人影が慌ただしく外へ走り出る。その人はリッツの机へ走り寄り、眩しい光を手にする。どうやらランプのようなものだったらしく、その人は光を掲げながらプールの方へ向かう。光の中へ中型の鯨が現れた。本来なら、港の鯨は全て水中の倉庫の中にしまわれているはずだ。リッツは思わずヴァンの顔を見上げた。

「ねえ、これって、密航じゃ……」

「静かに。もしそうなら、見つかるのはまずい」

「誰か人を呼んでこないと」

「ばか、見つかったらどうするんだよ。それに今から呼びに行ったって間に合うわけがない」

 二人が息を殺して見守る中、密航者と思しき人影は鯨の方へ近付いていく。鯨のハッチが開き、搭乗できる状態になると、人影は手にした光でハッチを照らす。数人の人間がハッチを渡り鯨の中へ乗り込んでいくのが見えた。遠目でよく見えないが、中には女性と子どもが混じっており、全員が大きな荷物を抱えていた。光を手にした男が最後に乗り込み、ハッチがゆっくりと閉まる。ドアがぴたりと閉まるのと同時に光も漏れなくなり、港はもとの暗がりへと戻った。リッツとヴァンの目が暗さに慣れるまでの間に、鯨は波音を立ててプールの中へ潜っていってしまった。

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