僕が生まれて初めて好きになった女の子は妹でした。それでも僕らは恋をしてしまいました

駆威命『かけい みこと』(元・駆逐ライフ

罪の告白は懺悔に似て

 僕、逆月(さかつき)真昼(まひる)と逆月真夜(まや)は普通の兄妹(きょうだい)だ。

 特別にお互いを嫌っているわけではないし、特別に仲が良いわけでもない。

 朝起きたらおはようと言って、別々に登校して、僕が家に帰って来た時には真夜は自室にこもっていて顔を合わせる事もない。

 晩御飯を食べる時に多少会話をするくらいで、それ以降は言葉どころか視線を交わすことも無かった。

 そんなごくごく普通の兄妹だったのに、僕はいつの間にか真夜の事を、血の繋がった妹の事を、どうしようもなく好きになってしまっていた。

 どんぐりのようにくりくりっとした大きな瞳も、まっすぐで柔らかな黒髪も、いつも柔らかい微笑みを浮かべている口元も。真夜の全てがたまらなく好きだった。

 でもこれは絶対に許されない恋で、決して口に出してはいけない想いで、諦めなければならない感情だった。

 だから僕は自分を押し込めて、ずっと普通の兄妹を演じていた。

 そうしなければならないと、信じていた。

「ただいま~」

 学校から帰って来た僕は、いつもの習慣でそう口にした。両親が共働きなため別に誰がおかえりと言ってくれるわけでもないが、何となく気分の問題だ。

 僕は玄関に据え付けられた大きな姿見を見る。

 そこには黒髪黒目で印象の薄い顔をした、ザ・モブとでも言いたくなるような顔の男子高校生が映った。

 真夜のように愛らしい顔がついていたら……などと想像してみたが、僕は男にモテたいわけではないのですぐにやめる。

せめて女の子がもっと寄って来るようなイケメンだったらなぁと思ったが、父さんに文句を言っても可哀そうだからこれもすぐにやめる。

 多分同じような悩みを持っていただろうし。

 僕の中身を見てくれる様な誠実なたった一人の女の子に好きになってくれればそれで……それが贅沢なんだけどね。というかそんな誠実な女の子って……。

 真っ先に思い浮かんだのは真夜の顔だった。

「それは無理だよ……」

 僕は鏡の中の僕に諦める様に説得する。

 鏡の中の僕は、分かってるよとでも言いたげな表情で頷いた。

 僕は肩をすくめると、ため息を吐きつつ家の中へ入っていった。






 僕はリビングに入って荷物を下ろしたところでいつもと違う事に気付いた。

 テレビの前に備え付けられた大きめのソファに、僕の妹、逆月真夜が静かに眠っていた。

 いつもの真夜ならばこの時間は自室に居るか、外で友達とおしゃべりでもしているんだけど……。

「まあ、こういう日もあるよね」

 僕は一人納得して真夜を起こさない様にそっとキッチンまで移動した。

 夕食の時間までは少し間があるため、小腹を満たせるようなお菓子が無いか戸棚を探るとおせんべいの袋を発見したので、数枚失敬しておく。

 そうなれば飲み物も欲しくなってしまい、僕は紅茶の用意を始めた。

 ヤカンを火にかけている間にコップとティーバッグを用意すれば、お湯が沸くまでの間暇になる。

 僕の視線は自然と真夜の眠るソファへと吸い寄せられていった。……まあ、キッチンに立つとソファの背が邪魔で真夜の姿は見えないんだけど。

「……真夜、紅茶飲む?」

 小さな声で、真夜を起こさないように尋ねる。

 当然のように返事は無かった。

「……何やってんだか」

 もしかしたら僕は、真夜が眠っている事を確かめたかったのかもしれなかった。

 真夜が眠っていたら、真夜と一緒に居るこの時間を少しでも長く感じていられるから……。

――ピィィィッ!

 僕の思考を、ヤカンの甲高い音が吹き消してしまった。

「っと、ごめん」

 慌てて火を止め、ヤカンの口を開ける。

「起きた?」

 ソファに確認の視線を向けるが、この位置からではよく分からない。とりあえず起き上がってはいない様だが。

 熱湯をコップに注ぎ入れ、ティーバッグを投入すると、僕は真夜の眠るソファへと移動した。

 ……これはあくまでも確認するためで他意はないから。などと心の中で言い訳しつつ、ソファを回り込む。

「……起こしちゃっ……」

 心配して損した、などとは思わなかった。

 真夜が目を覚まさないでいてくれたおかげで、僕はこうして真夜の寝顔を見る事ができるのだから。

 真夜は平均的な高一女子の体格より一回り以上小さい体を、更に縮こまらせて眠っていた。

 リスの様な真夜の寝相に、思わず笑みがこぼれる。

「……可愛いなぁ」

 笑み以外のものもこぼれ出てしまい、僕は思わず手で口を塞いだ。

 しばらくそのままの体勢で様子を伺う。

 どうやら真夜は寝ていて僕の言葉なんか聞こえていない様だった。

「……そういえば真夜は一度眠るとなかなか起きなかったっけ」

 それを思い出した僕は、だんだん気が大きくなってくる。

「真夜~、紅茶要る? 起きてるなら用意するよ~」

 念のために最終確認をしつつ、心の中では起きないでくれと、言葉と反対の事を願っていた。

 そして、真夜は目を覚まさなかった。

「……真夜」

 何度目かの名前を呼ぶ。今度は確認の為ではない。自分のためで、真夜の事が愛しいという気持ちが溢れ出てしまっただけだ。

「真夜」

 もう一度名前を呼ぶ。

「真夜」

 もう一度。僕は真夜の端正な顔から眼が離せなくなってしまった。

「真夜……」

 更に、もう一度。

 僕の中にある想いはどんどん募っていき、切なさで胸が苦しくなった。

 絶対に踏み込んではいけない。それを口にしてはいけない。

でも、もう無理だった。

 僕の中で膨れ上がった感情が、どうしようもないくらいに暴走してしまっていた。

「僕は……僕は……」

 僕の中で心臓がうるさいくらいに鼓動を刻む。頭の中にあるのは真夜のことだけ。真夜への想いだけだ。

 僕は服の胸元をぎゅっと握り締めると、

「好きだ」

 堪えに堪えて来た想いを、ついにぶちまけてしまった。

「好きだ。好きだ。好きだ。大好きだ」

 一度決壊してしまった想いは留まる事を知らず、溢れ続ける。

 それもこれも、全ては届かないと分かっているから出来る事で。

 眠っていて聞こえていないから言える事なんだ。

「家族としてじゃない。一人の女性として好きなんだ。なんでこんな気持ちになったんだろう。ダメだってわかってるのに、好きなんだ。妹なのに、好きなんだ。僕は真夜の事が好きで好きで、たまらなく好きなんだ……」

 そうして僕はさんざん自分の気持ちを伝えた後で、

「ごめん。好きになって、ごめん」

 謝罪をするしかなかった。もう一度、この気持ちを封じ込めるしかなかった。

 一生外に出さないためにも。真夜に迷惑をかけないためにも。

「変だよな。妹の事を好きになるなんて、頭おかしいよな」

 ……でも。

「好きなんだ。いつの間にか好きになってた。僕にとって一番魅力的な女の子は真夜だった。理由なんてないんだよ……」

 僕は最後にそう言い訳がましく呟くと、目を瞑って俯いた。

 唇を引き絞り、僕は心の中で自分に確認する。

 もう、この気持ちをしまえるか、と。

 答えは、少し難しい、だ。

 だから僕は握りこぶしを作り、少し強めに額を殴る。一度、二度……と殴り続け、だんだんと痛みが積もっていく。

 胸の痛みが現実の痛みに紛れて分からなくなった頃、ようやく心の中の自分は頷いた。

「……うん」

 僕は意味も無く頷いた。

 そして、

「ごめん、真夜。変な事言って」

 謝ると、ゆっくり目を開けてもう一度頷いた。

 真夜はまだ目を瞑っている。

真夜が目を覚ましていない事に安堵しつつ、ゆっくりとソファを離れ、キッチンに戻った。

 すっかりぬるくなってしまった紅茶を喉の奥に流し込む。

 後味は酷く苦かった。

 僕は出していたお菓子を元あった位置に戻すと、コップを洗い、ティーバッグをゴミ箱に突っ込む。

 そうして僕がここに居た痕跡を全て消してから自室に戻ろうと荷物を背負った瞬間。

「ひぐっ」

 真夜のしゃくりあげる声がした。

 思わず僕の心臓が跳ね上がった。

「うぐっ……えぅ……」

 幻聴だと思いたかった。でもそれは現実の声で、何度頭を振っても真夜の泣き声は消えなかった。

 僕は調子に乗っていた数分前の自分を激しく罵る。とんでもない失態を冒してしまった。

「ま、真夜?」

 真夜は僕の呼びかけに答えず、必死に声を押し殺して泣いていた。

 きっと僕の言葉が優しい真夜を傷つけてしまったのだろう。僕という在り得ない人から告白され、どうすることも出来ず、混乱した結果泣くしかなかったのだろう。

 こういう場合僕が取るべき行動は一つしかなかった。

「……あ、ああ。真夜やっぱり起きてたんだ。ひ、引っかかった? 冗談だよ、驚いたでしょ?」

 全てを嘘にする。

 それ自体が嘘くさくても、真夜が乗ってくれさえすれば、僕らはいつものような普通の兄妹に戻れ……。

「嘘っ!」

 るわけないよ、ね。

「嘘だよっ。お兄ちゃんが本当の事言ってるか、嘘ついてるかなんて、私分かるもんっ」

「いや、本当だよ……ってなんだか分かりづらいけど、本当に冗談だったんだよ。びっくりしただろ?」

「嘘っ! 分かるって言ったよ!」

 真夜は珍しく大声を上げると、ソファから跳ね起きて僕の所にまでやってくる。

 真夜の大きな瞳からはとめどなく涙が溢れ、頬に幾つもの筋を引いて零れ落ちて行った。

「見てたもんっ。私、お兄ちゃんの事ずっと見てたもんっ!」

 真夜は抑えきれない感情をぶつけるかのように声を張り上げる。

 真夜は怒っていた。

 今まで見たこともないほど真夜は怒っていた。

 それぐらい、僕の行動が許せなかったのだろう。

「酷いよ、お兄ちゃん! なんでこんな事言うの!?」

「ごめん……。軽い冗談のつもりだったんだ……」

「それ嘘でしょ!? 嘘だよね!? お兄ちゃんは私に本気で告白した。告白したんだよ!」

「…………ごめん」

 どれだけ嘘を重ねようと、もう真夜にはバレてしまっている様だった。

 だから真夜の剣幕に押される形で、僕はついに認めてしまった。

 ――終わった。

 今まで我慢し続けたものが、ようやく吐き出せたからか、それとも真夜にこうして嫌われた事ですっぱりと諦められるから。あるいはその両方か。

 いずれにせよ、僕の心は不思議と安らいでいた。

「なんで……なんでこんなことをしたの!?」

 ――好きだったから。

「私がどう思うとか考えなかったの!?」

 ――考えた。でも止められなかった。もしかして、という可能性より衝動を優先してしまったんだ。それだけ真夜の事が好きだったから。

「酷いよ、お兄ちゃん!」

 ――本当にごめん。謝る事しかできない。

「こんな事されたら……。私……私……」

 きっと僕の事を気持ち悪いって思うだろうな。

 二度と顔も見たくないとか、絶対一緒に住めないとか……。

 ――辛い。辛いけど、これは僕に対する罰なんだ。好きになっちゃいけない人を好きになってしまった……。

「――諦めようと思ってたのに!」

「……え?」

 想いもよらない言葉が真夜の口から飛び出した気がして、思わず僕は真夜の顔をまじまじと見返した。

 真夜は頬を紅潮させ、体を小刻みに震わせながら続ける。

「好きになっちゃいけないから。きっとお父さんとかお母さんとかお兄ちゃんに迷惑かけちゃうから諦めようって思ってたのに……。お兄ちゃんがそんな事言うからぁ……」

 僕は何が起こっているのか完全に理解が追い付いていなかった。

 そんな空っぽの僕の心と胸の中に、真夜が甘える様に飛び込んで来た。

 真夜は僕の胸に顔をうずめると、短く嗚咽を繰り返す。

 その涙にどんな意味があるのか、僕は分かっていなかった。もしかしたら真夜も分かっていないのかもしれないけど。

「私もお兄ちゃんが好き。大好きなの」

 ……ああ、ようやく僕も理解したよ。

 真夜も僕と同じ想いを抱えていて、だからあえてそっけない振りを続けて、普通の兄妹を演じていたのだ。

 何故そんな事をしなければならないのか。そんな理由は一つしかない。

許されないと決まっているからだ。

 遥か昔から誰かにそう決められていたからだ。

 でも、と僕は思う。

 じゃあなんで好きにならないようにしてくれなかったんだよ。互いに好きになる事すら不可能だったら、僕らはこんなに苦しまずにすんだのに。

 真夜はこんなに泣かずにすんだのに。

 僕の胸に、嬉しいという感情と後悔が同時に押し寄せる。

 きっとこれから僕らは普通の道を歩めない。

 誰かを傷つけて、僕らを産んでくれた人たちを裏切って、愛し合ってしまうから。

「真夜……」

 僕は腕に力を込めると、真夜を優しく抱き返した。

「ごめん。好きになってごめん」

「ち、ちがうよぉ……」

 真夜が顔をこすりつける様にして頭(かぶり)を振る。

「私が……私が私を止められなかったからだよ……。ごめんね、お兄ちゃん。好きになってごめんなさい」

「僕が悪いんだよ。僕が自分を止められなかったから……」

「私が悪いの……。だってだって、悪いことをしてるのに……私、私ね? 想っちゃったの。考えちゃったの」

 それは僕だって想ったことだ。だから僕は真夜の言葉を先取りする。

「……嬉しい」

 真夜が大きく一度頷いて、そして、顔をあげて僕の目を見つめる。

 僕も真夜を見つめ返した。

「酷いよね。一番最初に想ったのがそれだったの。私は自分の事しか考えてなかったの」

「僕も同じだよ。真夜が好きだって言ってくれて嬉しかった。だから、僕も悪いんだよ」

 そういった僕は一度深く息を吸い込み、

「それにね」

 腕の中で泣いている真夜の両頬に手を添えると、

「もっと酷いことをこれからするから」

「おにい……ちゃ……ん……」

 初めからそうなる事が決まっていたかのように僕らは引き合い、惹かれ合って……。

「大好きだよ」

「んっ……」

 僕ら僕ら兄妹は、禁断の果実に手を出した。


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