第24話 私たち、BBQします④

 まさみは柳がいる支店長室の前に立っていた。大きく息を吐いてからノックをすると柳からどうぞという返事があり、彼女は覚悟を決めてから部屋に入った。

「失礼します」

 柳は部屋に入ってきた相手がまさみだと分かると表情を分かりやすく歪ませた。

「何しに来た? 」

 柳は持っていた書類を乱雑に机の上に放り投げた。

「昨日は夫が大変失礼なことをして申し訳ございませんでした」

 まさみは頭を深々と下げた。柳は大きくため息を零した。

「こんなにも不愉快な気持ちになったのは初めてだ……。これからの身の振り方を考えるんだな」

 柳の声は冷ややかだった。まさみはその冷ややかな声に背筋が凍りそうだった。

「大変申し訳ございません」

 まさみは更に頭を下げた。

「さっさと出ていけ。お前の顔なんか見たくもない」

 柳は吐き捨てるように言った。

「本当に申し訳ございませんでした」

 まさみはもう一度頭を下げてから部屋を出た。まさみは支店長室を出ると、自分の手が震えていることに気づいた。彼女は自分の部署に戻ろうとすると名前を呼ばれた。

「高橋さん。大丈夫? 」

 それは昨日のバーベキュー大会に参加していた先輩の女性社員だった。彼女は心配そうな表情を浮かべている。

「柳さんに謝ったんですけどお前の顔なんか見たくもないって言われちゃいました。私、会社クビになっちゃうかもしれません」

 先輩社員は励まそうとして声が大きくなった。

「大丈夫だよ! もしクビになっても旦那さんお店やってるんでしょ? 旦那さんの仕事手伝えばいいし、それにいざとなったら女の子なんだから旦那さんに養ってもらえばいいじゃない」

 先輩社員に悪気がないのは分かっている。しかし先輩社員の言葉は柳の言葉よりもひどくまさみの心を傷つけた。まさみはこの仕事が好きで誇りを持ってやってきた。絶対に辞めたくない。辞めるなんて考えられない。それなのに養ってもらえばいいなんて言葉で片付けられてしまうほど、まさみは自分がやってきたことは大したことではなかったのかと悔しかった。しかしまさみはあまりの悔しさと悲しさから反論する気力を無くした。彼女はただそうですねと薄笑いを浮かべることしか出来なかった。

 社員が出社してくるとまさみはバーベキューに参加していた社員にもう一度謝罪をして回った。社員たちはまさみを怒らずむしろ励ましてくれたが、その配慮がむしろ辛かった。まさみは飯尾にも謝りたかったが、彼は中々見つからなかった。


 晴人は店を閉めてから、二人分の夕食を作っていた。彼はぐつぐつと煮えている鍋を見ながらため息を零した。

「許してくれるわけないよな」

 晴人はまさみと長い付き合いで何度も喧嘩したことがあるが、まさみがあんなに感情を剥き出しにして怒る表情を見たのは初めてだった。昨日、バーベキューから帰ってきたまさみは一言も晴人と話さず部屋に入ってしまった。今朝も彼女は晴人と顔を合わせないように早く家を出て行った。まさみが怒るのは無理はない。まさみは出世どころかあの支店で働けなくなってしまうかもしれない。しかし晴人は柳に対して我慢出来なかった。晴人が料理を作り終えた頃にまさみが帰ってきた。彼は玄関に向かった。彼は今日も無視されるかもしれないと思いながらも出迎えた。まさみは晴人の顔を見ると泣き出しそうな顔になった。晴人は驚いて彼女に駆け寄った。

「どうした!? 何があった? もしかして三谷に会って嫌なこと言われたのか? 」

「ううん。違うの」

 まさみは少し潤んだ瞳で首を横に振った。

「とりあえず座ろう」

 晴人はまさみの手を取ってダイニングテーブルの椅子に座らせた。晴人もまさみの向かいに座った。

「何があった? 」

「飯尾くんに全部聞いた。本当にごめんなさい」

 まさみはそう言うと頭を下げた。

「そっか。聞いたか……」

 まさみの言葉に晴人は項垂れた。

「あの時言わなかったのは私の為だったんだよね」

 晴人は昨日の柳との会話を思い出していた。


「晴人さんとお会いできて本当に嬉しいです」

「僕も会えて嬉しいです」

 晴人はぎこちなくも笑顔を浮かべた。

「僕は高橋さんの結婚が自分のことのように嬉しくてね」

 柳はアルコールで赤くなった顔を綻ばせた。

「ありがとうございます」

「だって病気しちゃったでしょ? すごく心配してたんだよ」

 晴人は自分が思っているよりも柳は悪い人間ではないのかもしれないと思った。

「ご迷惑をおかけしてすいませんでした。でももう大丈夫なんで」

「うん。本当に良かったよ。晴人さん、どんどん飲んで食べてください」

 晴人はこれなら柳の機嫌を損ねることを言わずに済みそうだと思っていた。


「でもどうして高橋さんと結婚しようと思ったの? 」

 晴人は柳の言葉に違和感を覚えた。柳の言葉にはまさみは結婚するほどの魅力はないというような口ぶりだったからだ。その晴人の違和感は当たった。

「確かに仕事は出来るけどねぇ。女の子が仕事出来ても仕方ないでしょ」

「そうですかね」

 晴人は拳を強く握った。

「そもそもだけど女の子はすぐ辞めちゃうでしょ。だから困るんだよ。責任感ってものがないのかね」

 晴人が口を開こうとした時、飯尾が口を挟んだ。

「高橋さんはめちゃくちゃ責任感あると思いますよ。僕が一回お客さんをめちゃくちゃ怒らせちゃった時には、高橋さんが助けてくれて、しかも怒ったお客さんから契約取ってきちゃったんですよ。本当に凄いですよね」

 飯尾は晴人の紙コップにオレンジジュースを注ぎながら、晴人に目配せをしてきた。飯尾の目は抑えてくださいと言っていた。晴人は分かったという意味を込めて飯尾が注いでくれたオレンジジュースに口をつけた。

「でもねぇ……」

 柳は納得していないようだった。

「そういえば晴人さんって古着屋さんしてるんですよね? 」

 飯尾は自然に話を逸らした。

「はい。公園から車で十分ぐらいの所に店があって」

「だからおしゃれなんだね! 晴人さんはかっこいいねぇ。すごくモテたでしょ? 」

「いやそんなことはないですよ」

「背は小さいけどイケメンでオシャレだよね」

「ちょっと柳さん! 」

 飯尾は柳を窘めた。

「別にいいですよ。本当のことですし。小学生の時はよくチビって言われましたから」

 晴人は本当に怒ってなかった。いつも言われてきて慣れているからだ。

「でも晴人さんはイケメンなんだから女の子なんてよりどりみどりでしょ」

「別に俺はモテませんよ」

 晴人は苦笑いを浮かべて首を横に振った。

「だからね。不思議なんですよ。なんで晴人さんが高橋さんと結婚したのか。だってごつくて、尻なし・胸なし・色気なしの高橋さんと結婚したんだろうって」

「え? 」

 柳の言葉に晴人は言葉を失った。柳は冗談のつもりなのか笑っている。晴人は一瞬柳が何を言っているのか理解できなかった。しかし彼は柳の言葉を理解すると途端に言いようもない怒りを覚えた。

「柳さん。飲みすぎですよ」

 飯尾は柳をきつめに窘めたが柳は飯尾の言葉を聞いていない。

「ほら隣でバーベキューしてるあの子! いいじゃないですか。ボインちゃんでお尻も大きくて」

 ボインちゃんと呼ばれた女性は怒りと不快の表情を浮かべている。

「……するな」

 晴人はぽつりと呟いた。もう我慢の限界だった。

「うん? どうしました? 」

「まさみを馬鹿にするなって言ってるんだよ! 」


 それが晴人が激怒した理由だった。

「晴人は私の為に怒ってくれたのに、私は自分のことばかりで。本当にごめんなさい」

 まさみはもう一度晴人に頭を下げた。

「いや。俺が悪い。本当にごめん。我慢できなかった。俺のせいで居づらくさせて本当にごめん」

 晴人は深く頭を下げた。

「ううん。晴人は悪くないよ」

「それでまさみはどうなる? もしかして左遷とか? 」

 晴人は恐る恐るまさみに聞いた。

「そのことなんだけどね……。私じゃなくて柳さんが異動することになった」

「えっ? 」

 晴人は想像していなかった言葉に目を丸くした。

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