第6話 私、入籍しません

「大丈夫だよ。別れたから」

 まさみの予想外の言葉に晴人はすぐには理解が出来なかった。

「なんでだよ! 意味わからないんだけど。別れた? はぁ? どうして? 」

「理由なんてないよ」

「移植はどうするんだよ? 彼氏から肝臓を移植してもらうんじゃなかったのかよ? 」

「移植はしない」

「移植しないと死ぬんだぞ。分かってるのかよ! 」

 晴人の声が大きくなったがそれとは対照的にまさみの声は落ち着き払っていた。

「分かってるよ。でも私は彼から肝臓を分けてもらって助かる価値なんてないの。だから移植しないの」

「なんだよそれ……。彼氏が言ったのか? ふざけんなよ」

 まさみの言葉に晴人は目を見開き、家の鍵を持って家を出ようとした。

「違うよ。彼は関係ないの」

 まさみは晴人の腕を掴んだ。

「それじゃあ誰がそんなふざけたこと言ったんだよ! 」

 まさみはしばらく黙っていたが、ぽつりぽつりと話し始めた。


 まさみと颯太はお互いの家族に結婚式の前に入籍をするという話をするとすぐに、まさみは真理子から呼び出された。今度は家ではなくカフェだった。まさみは家だと手土産を持っていく必要があるので、カフェで待ち合わせするのは気が楽だった。

「お忙しいところごめんなさいね」

「いいえ」

「結婚式より前に入籍することになったのよね? 」

「はい。お義母さんにお礼をしたかったんです」

「お礼? 」

「はい。お義母さんがブライダルチェックを受けたらって進めてくださったから、私の肝臓の病気が分かったんです。ありがとうございました」

 まさみは頭を下げた。

「ああそのことなんだけど……。あなたは本当は肝臓に病気があることを知ってたんじゃないの? 」

 まさみは真理子が何を言っているのか分からず聞き返した。

「えっ? 」

「あなたは颯太の肝臓目当てで結婚したんじゃないの? 」

「そんなんじゃありません! 」

 まさみは大きな声で反論した。

「本当かしらねぇ」

「私と颯太さんは愛し合っているから結婚するんです」

「愛し合っているなら颯太の体にメスを入れることに悪いとは思わないの? 」

「それは……。申し訳ないと思っています」

「颯太の体はどこも悪くないのにあなたのせいで体に傷をつけるのよ。颯太の体を傷つけてまであなたの命には価値があるの? 」

 まさみの手は軽く震えていた。

「それに移植したら無事に赤ちゃんが産まれるかどうか分からないじゃない」

「担当医の先生は問題なく妊娠は出来ると言ってくれています」

「どうかしら? それで流産する可能性だってあるでしょ? 」

「でも移植が原因で流産する可能性は少ないって……」

「全くゼロなわけではないでしょう。子供に障害が出るかもしれないのよ。よくそれで問題ないって言えるわね」

 まさみは俯いた。

「颯太のことが好きなのよね? 颯太のことが本当に好きなら身を引いて。あなたみたいな健康じゃない人とは颯太は釣り合わないわ」


 まさみは颯太の仕事が休みの日に会いに行った。まさみはカフェに入って颯太を待っていた。

「お待たせ。急に会いたいってどうしたの? 」

「全然大丈夫だよ。颯太に返したいものがあって」

「なに? 」

 まさみは小さい紺色の箱をテーブルの上に置くと、颯太の顔色が変わった。

「婚約指輪返すね」

「何言ってるの? 」

「私はあなたと結婚できません。ごめんなさい」

 まさみは颯太に頭を下げた。

「婚約破棄ってこと? どうして! 」

 颯太はまさみの言葉が理解出来なかった。

「本当は颯太のことそこまで好きじゃない。そんな人に肝臓移植してもらうのは申し訳ないから」

「嘘だ! 信じない」

 颯太はまさみの言葉が信じられず声が大きくなった。しかしまさみは落ち着いた様子で淡々と別れの言葉を告げる。

「颯太が信じなくてもこれが本当なの」

「それじゃあどうして僕と付き合ったの? 」

 颯太は苦しそうに呟いた。

「颯太が医者だから。院長の息子だから付き合ったの。それだけ」

 颯太はまさみの言葉に呪いをかけられたかのように動けなくなった。

「騙していてごめんね。でもこれが私の本当の気持ちだから。今度は騙されちゃ駄目だよ」

 まさみは打ちひしがれている颯太をそのままにして席を立った。まさみは店を出ると肩を震わせて足早に立ち去った。


 晴人はまさみの話が終わると口を開いた。

「彼氏のために身を引いたのか? 」

「違うよ。そうなんじゃない」

 まさみは自虐的な笑みを零した。

「疲れちゃったの。彼と結婚したらずっとお母さんに色々言われるのかと思った。それにもし赤ちゃんに何かあったら私は罪悪感で耐えられないと思ったの。結婚しても颯太とは幸せになれない。それなら別れた方がお互いのためだよ」

 晴人は今までにこんな辛そうなまさみの顔を見たことはなかった。晴人は慰める言葉が思いつかず、黙った。コップの雫がポタリと流れた。

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