月の庭の格闘家《ピエロ》

第31話～32話

　　　　　　　31

　以後二人は、隣接した位置取りで攻防を続けた。

　テンガの手刀が、斜め上からシルバを襲う。

　シルバは側転で躱すべく、真左へ跳んだ。両手の間からテンガを見つつ、百八十度に保った両脚を頂点でぐるりと回旋する。

　着地際にばしっと、シルバの左足がテンガの手を払った。

　エリコーピテロを完遂したシルバは、柔軟に体勢を戻した。すぐに前のめりに移行し、頭突きをしようとテンガへと突進する。

（手を取られるから、いいようにやられんだ！　カベサーダなら、どうあがいても対応できねえだろ！）

　確信しつつシルバは進む。やや前傾になったテンガは、右膝を持ち上げた。

　構わずシルバは、激突。双方、後ろにバランスを崩す。だが、シルバのほうが復帰が早い。

　一歩大きく踏み込んだシルバは、半円の軌道で左足を振った。テンガは有ろうことか、身体を落として膝立ちになった。蹴りは、テンガの頭上で空を切る。

　シルバの瞠目の次の瞬間、テンガは両の手刀で以て、外から軸足を打ち付けてきた。

　足払いをされた形になり、シルバは左によろめいた。固め技に移る気なのか、テンガが膝で躙り寄ってくる。

　しかしシルバはとっさに手を突いた。すぐさま横向きの、蛙のような姿勢を取った。一瞬の静止の後に、左膝を立てた状態になる。

　テンガの追撃が迫る中、シルバは後ろに伸びていた右足を始動。弧を描いて、するりと前に滑らせた。

　地に遣る手を右手に変えて、捻れた側転を敢行。右、左の順で足を前に振り、甲でテンガを狙う。

　攻撃は、二発ともクリーン・ヒットした。テンガは左に倒れていき、がつんと肩を打った。

　シルバが側転から復帰すると、テンガがふらふらと立ち上がるところだった。

　畳み掛けたいシルバは、再び頭からテンガに向かった。

　まだ立ち直れないテンガの額に、シルバの頭突きがぶち当たった。ガンっと鋭い音がして、テンガは後方に落ちていった。仰向けになって一秒、二秒。テンガは、微動だにしなくなる。

　ウォルコットと同様に、テンガはしだいに消えていった。尻目に見ながら、シルバは次に現れる難敵に思いを馳せ始めた。

　　　　　　　32

　シルバとテンガの激闘の一方で、リィファは、白髪のフランと対峙していた。死の宣告からややあって、フランはおもむろに身構えた。軽く握った右手は腰に、開いた左手は真っ直ぐ、肩の高さに据えている。

　フランの引き裂くような笑顔に、リィファは強い圧力を感じていた。

（大丈夫。私は勝つ。必ず勝てる）と自己暗示のように繰り返しつつ、飛び込むタイミングを計り続ける。

　ふぅっと、リィファは長い吐息をした。が、終わる間際、フランの身体がぶれた。

　ぱんっという音が自分の顔からした途端、頬がびりびりし始めた。フランの、電光石火の攻撃の結果だった。リィファは堪らず、後ろに仰け反る。

（一足飛びからの、掌底での攻撃。意識の死角を突いてくる上に、あの超スピード。……反応が間に合わない！）

　混乱しながらも、リィファは姿勢を制御した。だが、視野のどこにもフランの姿はない。

「見えなかったかしらね。形意拳（けいいけん）。八卦掌の次に会得したの。歩法は進歩と跟歩の組み合わせ。単純に見えるけど、その実、とてつもなく深遠な体系なのよ」

　歌うような声が背後からして、リィファは振り返った。

　余裕の佇まいのフランは、少し遠くに立っていた。縦にずらして重ねた両腕を、斜め上に置いている。

　リィファが僅かに動くと同時に、フランも前に出た。上半身を先行させ、鞭のように手の甲を撓らせてくる。

　刺突を横に掻い潜り、フランはリィファの額を打った。額を鋭く打たれて、リィファはくらりとくる。

「三つ目、通背拳（つうはいけん）。力感はなくても火力は抜群」

　どこまでも愉快げに、フランは呟いた。

（そんな。八卦掌だけでも手一杯なのに、二つも積まれちゃあ対応が……」

「四つ目。鷹爪翻子拳（ようそうほんしけん）」

　フランがゆらりと始動して、遮二無二リィファは構えた。今度はどうにか動きが追えた。右の張り手で、フランの顔面を迎え撃つ。

　左手で受けたフランは、すぐさま手首を抓んできた。フランが爪を立てる。五指がリィファの、肌にめりめりと食い込んでいく。

（ああっ！）常識外れの痛みに、リィファの思考が飛んだ。握った右手を引き込んで、フランは蹴りを放った。

　ガスッ！　鳩尾にまともに入った。痛みに加えて、強い吐き気がリィファを襲う。

　二ヶ所の激痛に朦朧としていると、フランはさらに引いてきた。同時に足を払われ、見事に投げられる。

　背面の全体に疼痛を得つつ、リィファは自ら転がって逃れた。よろよろと立ち上がって顔を上げると、フランが凄惨な笑みで見返していた。