月の庭の格闘家《ピエロ》

雪銀海仁@「演/媛もたけなわ!」商業連載

第一章 巨月《ラージムーン》のアストーリ

第1話~3話

       1


 城壁を囲む深い森が、微かな葉音を立てた。

 アーチ状の石の城門の下、シルバはおもむろに夜空に目を遣った。遙か天上では無数の星が清らかに輝いており、それは悠久に似ていた。

 ひときわ巨大で、深い青に朧げな白を纏う惑星。シルバたちの故郷、地球である。

(ったく、来るなら早く来いってぇの。雑魚と遊んでる暇は、一秒たりともないんだからよ)

 心の中で毒突いていると、地球の中心に小さな点が見えた。シルバは視線を逸らさないまま、組んだ両手首を回し始めた。

 接近する赤い点は加速度的に大きくなり、シルバの目にも全容が見えてきた。

 人型の物体だ。綺麗な起立の姿勢で、頭から飛来してきていた。

 ごうっ、と人型の物体は空気を切り裂いた。鈍い音を立てて、シルバの眼前の草地に頭をぶつける。

 物体は土煙の中、死んだかのように俯せで倒れ込んでいた。

 だがまもなく、ぎぎぎと両手がぎこちない動きを見せ始め、物体は手を突いてむくりと起き上がった。

 落下速度と地面の抉れを考えると、ありえない頑丈さだった。

 人型の物体は、ぴったりとした赤色の服を身に着けていた。継ぎ目は存在せず、手袋・靴下の白色と目の位置の黒色、胸の真ん中に宝石のような球体の水色が際立っていた。

(桃色、黄色、青、緑ときて、今日は赤でお出ましかよ。プレップ・スクール入学前の子供の、お絵描きみてえな色のセンスだ。こいつら案外、身体がでかいだけの幼児だったりしてな)

 シルバが憮然としていると、赤服はしゅばっと右足を前に出して軽く屈んだ。両手は手刀で、僅かに右が高い位置にある。

 小さく息を吐いて精神統一したシルバは、両足を開いて重心を前に置いた。右腕は、顔を庇う位置である。

 シルバの用いる格闘技はカポエィラ。人類が地球にいた時代に、奴隷だった民族が編み出していたものだった。

 赤服を見据えたシルバは、右手と左足を引いた。両足を三角形の軌道で動かしつつ、ガードの手を変えながら、ゆらゆらと赤服に近づいていく。カポエィラの基礎動作、ジンガだった。

 接近を許した赤服は、慌てた様子でハイ・キックを放った。

 シルバは右手を突いて、ぐっと上半身を左前に倒した。赤服のキックが空を切る。

 シルバは右手を起点に跳び、斜めに回転。踵落としを決める。

 肩に食らった赤服の姿勢は、がくりと下へと崩れた。すばやく立ち上がったシルバは、その場でスピン。

 勢いを付けて跳躍し、左、右と足の甲を赤服に見舞う。滞空時間の長い、アルマーダ・コン・マルテーロゥである。

 脇を蹴られた赤服の身体は、ぐんと飛んでいった。ジンガの体勢に戻ったシルバは、五歩ほどの距離の赤服を注視する。

 赤服は、頭から落ちていた。普通の人間であれば、大ダメージは免れない。

 しばらく倒れていた赤服だったが、やがて、すうっと立った。次の瞬間、初めと寸分も違わぬ構えを取る。

(相っ変わらず弱いくせに、信じられないぐらいしぶてえな。動作の妙な機敏さといい、薄気味が悪りいったらねえ。

 時間稼ぎで適当にあしらう手もあるっちゃあるが、きっちりぶっ倒してやるか。そうすりゃ地球のお仲間も、恐れおののいて巨月ラージムーンには来ねえだろ)

 冷たく決意したシルバは、どんっと地面を蹴って赤服に一気に近づいた。急停止の後に、ベンサォン(押し倒す前蹴り)を放つ。

 赤服の胸部にキックが入った。尻餅をつくが、またしても平然と立ってくる。

 以降もシルバは、多彩な蹴りを次々と繰り出した。しかし、赤服にはダメージが行った様子はない。

 三分弱が経過して、ピコンピコンという高音とともに、赤服の胸の球体が赤く点滅を始めた。

 お構いなしのシルバは、高速のジョエリャーダ(膝蹴り)。鳩尾に受けた赤服は、二歩分ほど後ろに倒れた。間髪を入れずに、ジンガで追撃する。

 だが赤服は、唐突にふわりと浮いた。そのまま上昇を続けて、シルバの身長の倍ほどの高さへと至った。

(あれだけズタボロにしてやっても、逃げ回った時と同じオチ。つくづくくっだらねえ。サービス精神、皆無ってか。遣り甲斐も蹴り甲斐も、あったもんじゃねえな)

 腰に手を当てたシルバが、苛立ちを顔に出した。

 すると、転んだ体勢だった赤服の身体は、飛来時と同じ様になった。そのままごうっと天空の地球に向かって、音のような速度でまっすぐに飛び去っていった。


       2


 夜勤の警備を終えたシルバは、年季の入った木の門扉を抉じ開けた。十人は通れる幅の門を抜けて鍵を掛け、静まり返った町並みを行く。

 寮の自室で二時間の仮眠を取る。午前八時、目覚めたシルバは、昨日の残りの麦粥とスープを掻き込んだ。この手の簡易食を好んで食べているわけではないが、それだけ朝は慌ただしかった。

 シルバは眠気を振り払いながら、白の半袖シャツと、青のコルダォン(腰から膝下まで垂らした帯)の付いた白の長ズボンを着ていった。カポエィラのユニホームである。

 支度を終えたシルバは靴を履き、廊下へと出ていった。

 廊下は幅が広く、クリーム色の天井は身長の倍ほどの高さで美しいアーチを成している。

 壁は茶や焦げ茶のレンガでできており、爽やかな光が大きな窓から射し込んでいた。窓枠に施されている彫刻は、どれも緻密である。

 前方から、二人の男子生徒が親しげな雰囲気で話しながら歩いてきた。年齢は、十六、七あたりで、素朴な赤茶色のブレ(ズボン)と羽織りの上着を身に付けている。質素だな、とシルバは思った。

「おはようございます」

 二人はシルバに目もくれずに、気のない調子で挨拶をした。

「おう、おはよう」と小さく返事をしたシルバは、(軽く見過ぎつぅか、舐め過ぎだろ。年が割と近いから、わからんでもないけどよ)と首を捻る。

 この星、巨月ラージムーンは、百五十年ほど前、地球の環境悪化に苦しむ人類が作り、移住してきた人口の星とされている。重力、気候、大きさなども地球と同じ。

 アストーリ国は、巨月ラージムーンに存在するたった一つの国とされていた。周囲には高々とした石の城壁があり、人口は約九百人だった。

 人種の概念はずっと昔に失われており、様々な容姿の人々が住んでいた。

 敷地内には一般人の住居などに加えて、唯一の学校であるアストーリ校の施設が点在していた。それぞれの建物の間は、整備された土の道と芝生から成っていた。

 国中の十二歳から十七歳が通うアストーリ本校には、一般的な教養に加えて、地球時代の数少ない遺産である種々の格闘技も、多くの時間を使って教えられていた。

 二十二歳のシルバは両親不明の孤児で、十二歳で孤児院からアストーリ校の寮に生活の場を移した。

 昨年に卒業し、教員には去年から就いていた。ただ、受け持ちは最低学年の修身の授業と課外活動のカポエィラ・クラブだけで、教員としての実入りは少なかった。

 昨晩の警備仕事は、生活資金を稼ぐために当局から受注したものだった。

 アストーリには、城門付近に謎の人型の物体がしばしば出現していた。死者こそ出ていないが、襲われて怪我をする者もいたため、毎日数人が警護の任務に充てられていた。

 寮の建物を出たシルバは、扉に続く石の階段と踊り場を下りて道を歩き始めた。

 周囲の芝生には青々とした広葉樹が点々と生えており、寒さの残る風に揺れていた。

 生徒とすれ違いながら、五分ほど歩く。やがて、開けた草地に辿り着いて足を止めた。

 草地の周りには、三角屋根で煉瓦造りの建物が隙間なく並んでいた。染物屋、仕立て屋などの店先では、店員がきびきびと動いており、人々の生活の営みを感じさせる。

 草地の中央では二十人ほどの生徒が三列に並んで、賑々しく話し込んでいた。だがシルバに気付いた者が他をつついて、シルバが草地に入るころには、すっかり静かになっていた。

(つくづく十二、三のガキどもは、誰かに命令されてんのかってぐらい群れたがるよな。俺は絶対にああじゃなかった。子供のうちは鬱陶しいぐらい活発なほうが、あとあと良いのかもしんねえがよ)

 漠然と考えたシルバは草地の端から、「授業開始だ。いつも通りに広がれ」と、厳しく聞こえないように叫んだ。

「了解です! シルバ大センセー! あたし、全力で広がっちゃいます!」

 列の端から甲高い声がするや否や、一人の女子生徒が飛び出した。腕を大きく振って伸びやかに走っていく。

(まあ、こいつに関しちゃ、あらゆる意味で地に足を着けるべきだがな)

 言葉を失ったシルバが固まっていると、女子生徒は身体を横向きにして、大きく踏み込んだ。そのまま、両足を大きく開いた側転宙返りを決め、シルバに向き直った。 悪気を全く感じさせない、渾身の笑顔だった。

「センセー、どーお!? アウー・セン・マォン、うまくなったよね! センセー、夜勤って聞いたから、こりゃ負けてらんないなって思って、あたし、昨日、徹夜で練習したんだよ! もうさもうさ。達人級と言っても過言じゃないでしょ!」

 女子生徒の声は馬鹿でかく、生徒の中には耳を塞ぐ者までいた。負けじとシルバは声を大きくする。

「ああ、達人達人。ジュリア、お前は、やかましさの達人だ。だーれもお前には敵わねえよ。好きなだけ誇れ」

 ジュリアは前に出した両手を握り込んだ。抑揚を付けた「センセー、ひどーい」の後に、ぷくーっと頬を膨らます。


       3


 草地のほぼ全面に散らばった生徒たちは、シルバの掛け声に合わせて準備体操をしていった。

 この日の授業は、格闘技の練習試合だった。シルバは試合の前に生徒たちに柔軟体操を命じた。生徒たちは、仲の良い者同士で示し合わせて二人組を作っていった。

 シルバが立ったままなんとなく生徒を眺めていると、「センセー」と弾んだ声が背後から聞こえた。

 シルバはさっと振り向いた。視線の先では、直立するジュリアが愉快げににーっと笑っていた。

 ジュリアは、カポエィラ・クラブのたった一人の会員である。顔は小さくてやや丸く、まっすぐな黒髪は肩で切り揃えられている。

 目は黒く大きく、持ち主の意欲を映していつもキラキラしていた。

 身体は細めで背も大きくはなかった。だが、並外れた行動力と飾り気のない可愛らしさでどこにいても注目を集める存在だった。

(ジュリアは将来、美人になんだろな。だから、どうだって話だがよ)と、シルバは冷静に予想を付けていた。

「センセー、あたしと組もうよ。柔軟体操の時は、どーせとってもお暇でしょ? 時間とゆう限りある資源は、ユーイギ(有意義)に使わないといけないんだよ」

 ボールを右脇に収めたシルバは一呼吸を置いて、静かに返事をする。

「というかジュリア。お前はいっつも俺とだよな。良いのかよ? お前と組みたいって奴はいくらでもいるだろうが。」

「いーのいーの。友達とは毎日お喋りしてるけど、先生とは、一日二回しか会えないからね! あたしの愛を平等に振り分けるには、ここでセンセーとペアを組むのがベスト・オブ・ベストな選択なんだよ! わかってくれるかな?」

 一気に捲し立てたジュリアは、笑顔をシルバに固定したまま両足ジャンプを始めた。

「わかった。そんだけ深い考えがあんなら、お前と組んでやる。ただしこの授業が終わったら、言葉ジャパニーズの勉強をしなおせ。それがお前のベスト・オブ・ベストだ」

 シルバはジュリアを見返しながら、やや冷たく突っ込んだ。

 慕われて悪い気はまったくしない。だがどうしても「ありがとう」を口には出せなかった。

「うん、ありがと! センセーのお墨付きも得られたし、あたし、今日も今日とて本気を出しちゃうよ!」

 ジュリアは元気に即答し、二人は柔軟体操を始めた。

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