第12話 怪しいセミナー 1

「会社、家庭を問わずあらゆる場所でストレスは発生します。それはストレスというものが、人が自分の置かれた状況に対し対応しようとした結果として起きるものだからです。つまり、ストレスを感じるのは心が弱かったりするからではなく、当たり前のことです。まずは皆さんそれを念頭において、このセミナーはリラックスして聞いてみてくださいね」


 セミナーの先生のハキハキしたしゃべり方は本当にストレスがなさそうで羨ましい。

 私なんか生きてるだけでストレスなのに……、おっといけないこの思考はダメなんだった。でも、私自身のこれまでの人生、今置かれている状況を思うと、愚痴の一つでも言いたくなってしまうのは許して欲しい。

 悪神に取り憑かれるわ、望んでもいない呪われた力を押し付けられるわ、もう散々なのだから。


 そういう意味では、私には格好のセミナーといえるかもしれない。


 今私は、高橋さんの会社、東風はるかぜソリューションの大会議室にいる。

 ここはその広さを生かして、入社式や表彰式をはじめ、人数の多く集まる会議や、こうしたセミナー、研修にと多目的に使われる部屋らしい。


 今日は高橋さんが嬉しそうに話していた水曜日の定時退社デー。

 なのだけど、帰宅を急ぐ社員さんの群を横目に見ながら、私と大牙はここにやってきた。

 帰る人の多さに自分達しかいなかったらどうしようと思っていたから、会議室の中に入ったとき、人の多さに圧倒されてしまいそうになる。


 会議室に来たのは言うまでも無い、定時日に行われているというセミナーに参加するため。

 高橋さんによると、最近調子の悪い社員が多くなってから特に参加するように部課長から社員に進められているのだという。この参加者の多さ、さもありなんという感じ。


 できるだけ多く入れるようにと偉い人が考えたのか、会議室には隙間無くパイプ椅子が並べられている。机は無い。

 何とか二人並んで坐れる席を確保して一息ついた。


 席の上に置かれていた『やってみようストレスコーピング』と書かれた資料を手に取る。

 このカタカナ用語は馴染みの無い言葉だけれど、高橋さんから聞いたところでは、ストレス軽減の対処法を教えてくれる内容だということだから、そういった意味合いの言葉なのだろう。

 パラパラとめくってみると、『ストレスを構成する要素』とか『ストレスコーピングの種類』とか書かれている。

 うん、難しそう。とりあえず説明を聞いてみることにして資料を閉じる。


 時間ギリギリだったせいか、私が資料を諦めた直後に、会議室の扉がパタリと締められた。

 そして会場前方に置かれた教卓のところに、肩くらいの髪の長さのネイビーのスーツを着た女性が立ってお辞儀をする。

 セミナーの講師さんのようだ。会場側も皆でお辞儀を返す。


 それからセミナーが始まった。

 手元の資料と同じものがプロジェクターで前方のスクリーンに映し出される。

 当然会社員向けの内容だから、中学生の私には十分にはわからないところもあったけれど、それでも講師の先生の語りはわかりやすかった。

 資料はわざとわかりにくく作ってあるのでは無いかと思うほどに。


 しかし、隣の人物はあまりセミナーの内容に感銘を受けていないみたいだ。

 最初は怪しい人物がいないかキョロキョロして周囲を確認していたが、特に気配が無かったせいか、今はあくびをする始末。

 このままだと居眠りすら始めかねない。

 だから、私は注意しておこうと思ったのだ。


「ちょっと大牙。先生のお話ちゃんと聴きなさいよ」


「聴けと言われてもな。こんな内容俺が聴いても意味が無いぞ」


「いやそれは大牙には意味ないかもしれないけど、セミナーに参加してるんだから内容とか関係無く聴かないと」


「お前、また目的忘れてないか」


 このセミナーに参加した目的、それは――



 

「『ハルズガーデン』というのがまず何なのかというところから説明してもらってもいいかしら」


 立花さんのツッコミは、その可愛らしい外見によらずとても手厳しいものだった。

 想定外だったのだろう、大牙が頭を搔いている。


「迷い神を退治するための組織だ」


「『迷い神』って何なの?」


「だーーーーっ、俺には無理だ。何だか天乙と話してるような気持ちになってきた。晴子ちょっと変われ」


 いきなり振られた。

 体を肩の両側からガシッと捕まれて矢面に立たされた。


「そんな急に言われても私困るよ」


「丁度いいじゃない。説明の練習になるから言ってみて」


 優しそうな雰囲気で私に微笑む立花さんだけど、さっきの大牙とのやりとりを見ていると、これは気を抜けないぞ、と私の勘がささやく。

 でも、こう背を押されてしまってはやるしかない。

 高橋さんに続き、大牙も使い物にならなくなってしまったし。

 男性ってどうしてこうメンタルが弱いのか……今言っても始まらないけれど。

 よし!


「『迷い神』っていうのは、人に取り憑いたりして悪さをする悪霊です。それを退治するのが『ハルズガーデン』、私たちの組織なんです」


 ちょっと簡単すぎる様な気もするんだけど、こんなものでよかっただろうか? 私は彼女の顔色を伺う。

 そして安心する……和やか、くずれてない! これは合格かな?


「そっちの子に比べて説明が上手ね。それでいいの。説明というのは相手にわかりやすくするもの。時には例えを使ったりする必要もあるけれど、簡単な言葉で済むならそれが一番なのよ」


 いつのまにか手が伸びてきて、頭を撫でられている。

 とても心地よい。やっぱりウチの中学の先生になってくれないかな。私褒めて伸ばされるタイプ、多分。


「でも、今の内容だと初めての相手を納得させるのは難しそうだから、お客様に営業するときには、過去のお客様の事例を用意して、どんな悪霊にどう対応してきたかとか、悪霊をそのままにしておくと何が起きるかとか説明できるといいわね。説明資料にお客様からいただいたプラスのご意見とかもあると二重丸よ」


 まさかのダメ出し。でもやっぱり悪い気はしないのだ。

 言っている内容が納得できること、何よりも自分のために言ってくれているのがわかること、その相乗効果なのだろう。

 だから私は期待に応えられなかったことで、申し訳ない気持ちになる。


「すみません……」


「謝らなくてもいいの。最初から出来る人なんて誰もいないわ。大事なのは、一度言われたことをちゃんと消化して自分のものにすることよ」


「はい! 私頑張ります!」


「何だかあなたを見てると、一年前の茂君を思い出すわ。手の掛かる子で、何度も同じミスを指摘したこともあったけど、めげないのよね」


 何となく、高橋さんの方はと見ると、窓の方を向いたままこっちを見てくれない。あれは照れているのだろう、そうに違いない、きっと。


「ところでさっきの話って、もういいのかしら?」


「さっきの話って……何ですっけ?」


「こらこらこらこら、晴子。それくらいは覚えておいてくれよ。さっき俺が訊いただろ、何か変わったことがなかったか、って」


「あーそうでした」


「うん、もういいや、変わってくれ」


「はい……」


 何のためにチェンジしたのか意味不明になってしまったけれど、今大事なのは立花さんに取り憑いた迷い神の謎を解くこと。そう私は自分に言い聞かせて大牙と交代した。


「ここまでの話だと、どうやらその迷い神というのが私に取り憑いていた、そういうことみたいね」


「話が早くて助かる。問題は、あの迷い神がどこであんたに取り憑いたかなんだ。さっきの話だと女子トイレでという可能性はあるが断定はできない。だから、思い出せる範囲、話せる範囲で教えて欲しい」


「つまり、いつもと違うことか……そういえば一つ不思議なことがあるの」


「不思議なこと」


「会社のスケジュールを見ると、先週ストレス対処のセミナーに参加したはずなんだけど、全然記憶がないのよね」

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