第7話 ロビーで待ち合わせ 2

「た、貴子さん?」


「この姿の私は天乙てんおつっていうのよ。ちょっと待っててね、すぐに片すから……収束せよ」


 彼女がくいっと手を振ると、彼女の衣から布が切り離される。

 影を拘束しているそれは徐々に小さくなり、テニスボールや野球ボールよりも小さくなったかと思うと、光の雫となって天に昇っていった。


「す、凄い……」


「一応これでも十二天将だからね」


 Vサイン。

 天女のような衣の姿はとても高貴で優雅な印象を与えるのだけれど、神々しいだけにちょっと近寄りがたい雰囲気があった。だから彼女のこのアピールで、やっぱり貴子さんなんだと思えて私は安心できた。


「そっか、大牙と同じでしたね」


 十二天将っていうのは式神。文字通り神様だ。

 本体は別の次元にいるのだけれど、陰陽師の術式によりこの世界で存在し、力を振るえるのだという。

 もっとも、神の力そのままでは世界が崩壊してしまう可能性があるし、術式としての限界もあるから、実際振るえる力は本来の神様の力から比べるととても細やかなものらしい。でもこの威力。

 十二天将というのは、神様の中でもかなり格が上だというからそれでだろうか。


 普段の喫茶店での様子からでは全く想像できないけれど、大牙と貴子さんは、主の陰陽師、政さんの式神なのだ。


 これを初めて聞いたときに私は既に大牙の白虎の力を目の当たりにした後だったから、もう信じるしかなかった。


「大牙よりも格上な存在なのよ、私。何たって十二天将のリーダーだからね」


 高貴な姿で力こぶを作るポーズ。そのギャップに私は思わず吹き出してしまう。

 こんなリーダー、可愛いすぎです。


「あれ、何かおかしかったかな? まあいいか、合格よ」


 貴子さんが私に向かって微笑む。

 囮役として、合格ということなのだろう。

 でも、私はその微笑みを見て何となく後ろめたくなってしまった。

 車で言われた囮の心得を破ってしまっていたからだ。


「あの……私、『現場からみだりに動かないこと』なのに動いちゃってましたけど、いいんですか?」


「それはね、囮の勝手で動かれちゃったら困るってことだから、いいのよ。仕事で一番大事なことは仲間を信じること、信じて身を任せること。一番怖い一瞬に名前を呼ぶっていうのはね、その人を信頼してる証。私の名前を呼んでくれてありがとう。だから合格よ」


 この言葉で、私は素直に頷くことができたのだ。

 そして、本当の意味で『ハルズガーデン』の一員になることができた。



 それからは囮としての自分の役割を果たしてきた。きたのだけれど、今回の高橋さんの件は、いつもと違って路上や廃屋や工事現場や山奥じゃない。大人が沢山いる会社の中だ。勝手が違うと、私は訴えた。


「いやいや、だからこそ囮としてのお前の力が必要なんだよ」


「……どういう意味よ」


「考えてもみろ、いつもと違って人が多いところだ、そんなところじゃ迷い神が現れても立ち回れないだろ。それに建物の中で逃げ回られたらさらに面倒だ。それに、課長さんからの資料によると事態は相当進行してる、時間的な猶予もない。だから――」


 ここまで説明してもらえれば、大牙の言いたいこともわかる。


「一網打尽にするために、私の囮としての力が必要だって事?」


「わかってるじゃねえかよ」


「でも私子供だよ、大牙みたいに変化できないから自然に会社に入るのはちょっと無理だよ」


 現実路線で押してみた。


「そこは大丈夫、貴子お姉さんが会社員コーデも大人メイクもしてあげる。晴子ちゃん身長あるから、ごまかせるごまかせる。もちろん一応術もかけたげるけどね」


 さすが神様、何でもありだ。

 けれど、私の懸念事項はそれだけじゃないんですよ。


「学校どうするのよ。夜に行けっていうの? 大牙」


「中学生のお前を夜働かせるのは労働基準法的にマズいからな。それにお前門限あるだろ」


「じゃあどうするの? お昼にって、私学校あるんだけど……」


 中学生を夜に働かせることはできないといいつつ、学校に行くべきお昼に仕事をしろというこの矛盾。どう考えても無理。私の体は一つしかないのだから。


「主にお願いして、適当な式神に学校の方を身代わりしてもらえばいいわ」


 ここでまた貴子さんが柔軟すぎる案を出してきた。


「ナイスだ天乙てんおつ、そうしよう、それでいい。晴子、お前友達いないって言ってたから人間関係も問題なさそうだし万々歳じゃないか」


「大牙、喫茶店ここでは天乙じゃなくて貴子さん、オーケー?」


「お、オーケーです……貴子様」


 まさかの身代わり式神。漫画か何かに出てきそうなそんな使い方をしてしまっていいものかと思ったけれど、ふと政さんを見ると、意味ありげに私に頷いている。気にするな、大船に乗った気持ちでいろということらしい。


 外堀どころか内堀まで埋められてしまった感じ。

 どうしよう、もう何も断れる要素がない。どころか、自分が何を気にして抵抗しているのかさえ、もう思い出せない。人生、あきらめが肝心?


 そんな頭が弱っている私に、大牙は最後のトドメを刺す。


「今主と視線交わしてたけど、俺の言葉は全部主の言葉だからな。晴子、これはお前にしかできない仕事なんだよ」


 こう言われてはもう、降伏するしか無かった。

 悔しいからこれだけは言っておく。


「私のこと、ちゃんと守ってよね、大牙」


「ああ、約束する。っていうか俺がお前を守らなかったことなんて一度だってないだろ」


「それはそうだけど、今回は特に一緒にいてほしいの。いつどこで迷い神に襲われるかわかんないから」


「了解。けど、どんなときだって俺たちはお前のこと気に掛けてるからな、それは忘れないでくれ」


 この大牙の言葉に、私はふと思い出す。


「ひょっとして高橋さんに私の苗字を北条って言ったのって……」


「お前を狙ってるあの悪神やその眷属がいるとは限らないけど、用心するに越したことはないからな。念のため名前の漢字も四季の『春』の方でいっとこう」


 名前とはその人物を縛るもの。逆に言うと知ればその人物を縛れるもの呪えるもの。

 古来、本名のことを諱と言って口にするのを憚っていたのだと、歴史の授業で聞いたことがある。


 じゃあ人をどう呼んでいたのかと先生に聞いたら、役職名とかを利用していたのだと教えてくれた。

 役職の無い普通の人はどうするのだろう、田中さんみたいに多い苗字が二人いたら役職名では被りで困らないのだろうか、様々な疑問はわいたのだけど、それはまた別のお話。


 今回私の名前を偽ることで、少なくとも高橋さんの会社では私の存在はみなもと晴子はるこでは無くなる。悪神に狙われている私としてはこれが重要なのだ。おまじないくらいの効果しかないかもしれないけれど。


 しがらみの多い自分の身が本当に嫌になる。

 いつか開放される日が来ることを願って、一日一日を大事に生きるしかないか、来たるべきその日まで。


 でも北条春子か。なんだか、政さんの妹になったみたいで、これはこれで嬉しい。奥さん、だと今の年では政さんがロリコンになってしまうからそれはまずい。


 ……そういえば政さん、恋人とかいるのかな?


 あんなに無口だから、愛を囁こうにも囁けないとは思うけれど、今はLYNEやメールっていうものもあるから絶対にいないとは言いきれない。

 長身痩躯のイケメンには違いないのだ。私だって、視線があうとドキッとするする。

 いるとしたらどんな人なのだろう。


「おーい、晴子、聞いてるのか?」


 私の妄想スイッチは、大牙によって無残にも切られてしまった。


「聞いてるわよ。ちなみに、さっき、私のこと『友達いない』っていったのだって覚えてるんだからね!」


「お前、そんなに前に言ったこと、まだ根にもってたのかよ……」


 最後に何とか一矢報いることはできたみたいだった。

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