2 後宮の生活 (2)


 * * *


 さて、時は少し前にさかのぼる。

 フェリアが朝の日課をしていた頃、時を同じくして王も日課にいそしんでいた。

 ダナン国王マクロンは、がっちりとした逞しい上半身をさらして木刀をりしている。

 こちらもフェリア同様、陽が昇る前に起き出しての日課である。濃いグレイの髪からあせしたたり落ち、しつこくの瞳は、ぶれることなく木刀の動きを見つめていた。

 三十手前のマクロンであるが、力みなぎる身体の美と呼応するように、おもちも若々しさを保っていた。きらびやかさとは違うマクロンの力強い美しさは、王城女官の瞳に熱がこもるほどだ。

 だが、この日課の場はマクロン専用であり、視線のわずらわしさはない。それゆえ、マクロンは木刀が空をる音と自身のす息しか聞こえぬこの日課を大事にしてきた。

 しかし、二カ月前よりマクロンのすいみんは障害がともない、きのスッキリしたかくせいはなくなった。気だるく起き、自身をしつし木刀をにぎる。だがその睡眠障害もやっと終わりを告げるための態勢が整った。

『後三カ月だ。後三カ月のしんぼうだ』

 マクロンはそう一心に唱えながら木刀を振っていた。

 ここダナン国での妃選びは、1~31番の妃候補がそろわねば開始されない。

 げた中から妃を選ぶのは王たるマクロンではあるが、勝手に選べるわけではない。三段階もの通過れいがあるのだ。

 まず、三カ月の交流。三カ月後にマクロンと妃候補の意向を合わせて残る妃候補を選ぶ。

 次に妃候補への九カ月間の教育。最後に、マクロンの意向を最大限聞き入れた王妃、側室らが決められる。

 妃候補らではあるが、皆、王城にいる間は『お妃様』と呼ばれている。正式なお妃様が決まるまで、会議などでは、都合上『○番目のお妃様』とつうしようされることが多い。

 妃選びのもんちやくは、かなり前から続いている事案だ。

 それはマクロンが王になった時にさかのぼる。

 マクロンが王にいたのは二十五歳の時である。父である先王のせいきよにより、玉座に就くことになったマクロンには課題が山積していた。

 まず、自身の勢力の弱さである。

 母は、マクロンの弟出産後にくなっており、母のうしだてはない。先王の血族は皆女性であったため、周辺国へととついでいる。これも後ろ盾にはならない。そして、時期の悪いことに、ダナン国のしきたりでは二十五歳の時に妃選びを行うことになっていた。

 娘を差し出して、王に取り入り権力を握ることを目論もくろむ貴族らに、『二十九になるまでの四年間で王政を安定させ、その後に妃選びを始める』と宣言したのはマクロン自身である。もちろん、貴族らは反対したが、『先王のが明けぬうちから、こんなどのけいを口にする不届き者は許さぬ』と正論をぶつけてだまらせた。

 それからの四年間はぐんふんとうこうかつな貴族らとわたってきたのだ。

 そして、二十九の時がきた。貴族らはここぞとばかりに妃選びをマクロンに迫った。

 マクロンとて力をつけた今ならばと、りようしようはした。だが、その妃選びの第一段階より前ですでにつまずいてしまった。

 妃候補が三十一人集まらない。集まらなければ妃選びの交流は開始されない。

 本来妃選びを統括するのは、政治から退いた長老たちの仕事である。長老らの事前調査を経て、会議を行い、三十一人を確保し、通達によって妃候補らは集められるはずであったが、貴族らが我先にと娘を王城に送ったことから当初より混乱が生じた。

 妃選びに関して、マクロンの意向が通るのは、交流三カ月が過ぎてからである。よってこの躓きの間、額に青筋をかべながら、マクロンはいっさいの口出しをしなかった。

 そして、集まったのは三十人。一人足りないという状況であった。

 慌てて貴族らに打診するも、びんぼうくじである31番目のお妃様に手をあげる者はいなかった。

 そんな状況であっても、すでに王城に入った妃候補を知らぬふりはできず、結局相手をせねばならない。相手といっても、いわゆる男と女の関係ではなく、単なる交流である。それも多種多様な妃候補らとの交流だ。

 ダナンにひめを出して協力したという姿勢を示すためだけに、他国からまだ十にも満たぬ姫が候補として送られてきていたり、気位ばかり高い姫の相手やら……自国の貴族の娘は特に大変である。皆、王妃の座を取り合うために目の色をかえてマクロンと接する。そんな者三十人の相手をすでに二カ月ほどしてきたのだ。睡眠障害が出てしまうのも頷ける。

 マクロンの木刀が空を斬った。

『やっとだ。やっと後三カ月だ!』

 苦行の二カ月で精神的にも肉体的にもマクロンは限界に近づいていた。

『なぜ私が、ままごとなどせねばならんのだ!』

 木刀が空を斬る。十もいかぬ姫の相手のことである。

『なぜ、笑みもせぬ女と美味しくもない茶など飲まねばならんのだ!』

 木刀が空を斬る。気位ばかり高い姫の相手のことである。

『なぜ、こうすいくさい女とダンスせねばならんのだ!』

 いっそう、木刀は空を斬った。浮かび上がったようえんな妃候補らをたたき切っていた。どう見ても、マクロンに心を寄せているのではなく、王妃の座に心を持っていかれた妃候補らである。マクロンのこめかみには青筋が浮いていた。

「王様」

 木刀が止まる。青筋の顔のままマクロンは声の主の方に視線を向けた。

 マクロンに声をかけたのは、騎士隊長のビンズである。

「おはようございます。今日もらしいたんれんですね」

「世辞はいい。用件を言え」

「本日からお妃様選びが開始されます。本日は十五日ですので、15番目のお妃様との交流から始まりとなります」

「……そうか」

 木刀を持つマクロンの手に力が入る。あれほど、鍛練によって後三カ月だと自身をしていても、今日がやっと始まりで、まだ三カ月もあるという事実に思わず身構えた。

 その内心は重い。最初の一カ月こそ気を使い、集められた妃候補らにがおを向けていたマクロンであったが、心を伴わぬ交流に……マクロン自身を瞳に映さぬ妃候補らに、気持ちが冷めていくのはいたし方なかった。

 そのマクロンの横顔に陽があたった。マクロンは昇った陽に向かっていつものように心の中で祈った。

『今日もお願いします』

 日課を終えたマクロンは、さっさといやな事を終えようと、気持ちを最も冷えさせる15番目の妃邸に向かった。


 その15番邸にて、マクロンは早くもへいしていた。一言二言言葉をわし、退こうと画策していたが、15番目の妃ミミリーはマクロンにしなだれかかり、しつようあまえてくる。

「マクロンさまぁん、ミミリー、つろうございましたの。だって、十五日にしか会えませんでしょお? ミミリー、さびしかったんだからぁ」

 しなだれかかられた左半身にとりはだがたつ。マクロンは、『ヒッ』と声をらしそうになったのをなんとかこらえた。

「すまぬな。だが、これがしきたりである。さて、我は仕事に向かう。ゆっくり過ごせ」

「むぅ」

 ミミリーは頰をふくらませ、マクロンのうでを離さない。

「また、おしになって。来ると言ってくれなきゃ、離さないんだから」

 マクロンの鳥肌が全身におよんだ。

『辛抱だ、マクロン』……マクロンは自身を奮い立たせる。ミミリーは夜のお渡りをせがんでいるのだ。

「ああ、わかった。来るよ」

 マクロンはじやつかんひきつった笑みをミミリーに向ける。

「きゃ、ミミリー、うれしい!」

 首にきついたミミリーにより、マクロンの全身が粟立った。もう限界だとうつたえている。心も体も……。マクロンはミミリーをいくぶんごういんがして足早にもんへ向かった。

「ああ、また来るよ。次の十五日にな」

 邸を離れると同時にマクロンはさけんだ。ミミリーの足が走らんばかりに動き出す寸前で、マクロンはさつそうと仕事に向かった。いや、げた。走った。逃げ切った。

 その背後の邸で、15番目のお妃様の警護を担当している騎士らは顔を青くしている。この後、どんなとばっちりを受けるのかと思って。


 ビンズはフェリア邸を担当騎士にたくし、王の元へと向かっている。ちゆう、15番目の妃邸の横を通り過ぎる時、女の金切り声がひびいた。ビンズはこめかみをさえる。

『すまんな』と担当騎士の苦労を理解しながらも、そこは心の中であやまり足を動かした。あのお妃様以上に機嫌が悪い主の元に向かうために。

 そして、マクロンは予想通り不機嫌であった。

「ビンズ、全力をくし今日を三カ月後にしろ」

 顔を合わせて早々の無理難題に、ビンズは引きつった笑いを向けるしかない。

 マクロンはそれでも心底しんけんにビンズにもう一度言い放つ。

「もしくは、残りを一カ月にしろ。すでに二カ月は相手をしてるだろ!」

 マクロンは感情をあらわにした。初日がまさかの15番目の妃では心身ともにひんである。辺り構わずわめいているようだ。日課の鍛錬によってなんとかおさえていた感情がせきを切ってあふす。そこに王たる平静さはない。

 マクロンとて、妃選びが必要なことも十分に理解している。してはいるが、二カ月間毎日神経をすり減らし接してきたつかれがピークに達していたのだ。

「私にそんな権限はありません。それに、三カ月の期限がないと……31番目のお妃様には会えません。ご辛抱を」

 ビンズは単なる騎士隊長であって、マクロンの要望に応えるのは、そのしきたりを任されている長老たちである。その長老たちもマクロンの機嫌の悪さのとばっちりを受けないように、すでに別室になんしているようだ。

「辛抱ももう限界だ」

「……ええ、騎士らもそのようですね。15番目のお妃様の邸から金切り声が響いておりました。私もさっさとこの任務から解放されて、本来の騎士の仕事がしたいものです」

 ビンズは同調しながら、マクロンのいらちを落ち着かせようとする。

 マクロンの無理難題には応えられない。しかし、一案なら持っているビンズは、それを告げた。

「すべてのお妃様と平等に接するため、交流は朝の一時とする。これは候補が決まらず、二カ月ほど長く王の身がこうそくされていたことで生じた仕事のていたいを補うためでもある。ということをお妃様選びの長老会議に進言したいと思います。騎士の本来の仕事も不都合が出てきましょう。何せ、百人もの騎士が城下町の治安から引いたのですから」

 ビンズの提案に、マクロンは平静さをもどし、王たる顔に戻った。

流石さすがだ、ビンズ。やはり持つべきものは、友であるな」

 マクロンは立ち上がり、ビンズのかたに腕を乗せた。その腕をビンズが煩わしそうにポイとはらうが、マクロンはお構いなしだ。

「さあ、行こうビンズ。さっさと長老たちを頷かせるぞ」

 マクロンはビンズをるように、逃げた長老たちの部屋へと連れていく。

 その後、ビンズの進言が通り、マクロンの心の負担が軽減されたのは言うまでもない。


 * * *


 夕方になり、ビンズは今朝フェリアに頼まれた物を手に、邸宅を訪れた。

 邸では、三人の騎士が邸のしげった雑草をりいい汗をかいている。そのおくで、フェリアが今朝と同じように鍋を温めていた。

 かまを持った騎士らとお玉を持ったフェリアの姿がビンズの目に映っている。その光景にビンズはいつしゆん固まった。ここはお妃様の邸のはずだよな……との思いが頭をかすめたのだろう、こめかみを押さえていた。

「頭、痛いの? ちょっと待ってて、薬草をせんじるわ」

「いや、いい、いいです。単にあり得ぬ光景に現実とうしていただけですので」

「いい加減慣れてくれないかしら? 初日から私を知っているのに、今さら私がその辺の令嬢らしくあったら、逆にしいでしょう?」

 フェリアはニンマリ笑ってビンズをいたわった。加えて担当騎士らは、はぁとため息をつきながら肩を落とすビンズをブックックと笑っている。

「まあ、いいわ。とりあえず、食べるでしょ?」

 今朝と全く同じように、フェリアは騎士らに食事を振る舞った。

 魔獣の骨からをとり、魔獣の干し肉を加え、臭みを抑える薬草と、たっぷりの根菜を煮込んだスープである。リカッロの野営箱の材料で作ったものだ。長期間保存できる固いパンもついている。パンをスープにひたして食べる典型的な野営はんだ。

 ぼくであるが、騎士らが作る野営飯とは違い、格段に美味しい。食欲をそそる料理に皆したつづみを打つ。

「根菜だけじゃなくて、豆もあったら最高なのだけど」

 フェリアは鍋をかき混ぜながら呟いた。

 ビンズはここで気づかねばならなかった。だが、フェリアの規格外にのまれていたのだろう。次のフェリアの一言で、その失念がさらされた時には、騎士らの顔は青ざめた。

「食事も出してくれないなんて、ダナン国の国庫ってだいじようなの?」

 そう、この一言で。ビンズはゴックンとスープに浸してやわらかくなったパンをのみ込んだ。そして、フェリアに勢いよく頭を下げた。もちろん、他の騎士らもである。

 フェリアはとつぜんの騎士らの行動に、頰を引きつらせる。その真剣な様に、楽しい夕げが一変し若干まどっている。

 そして、謝罪と言い訳を聞くことになった。

「なるほど、つまり本来は侍女が運ぶのね。それをいらないと言った私に対しての、あの女官長の仕返しってことね。私に頭を下げさせて、食事をお願いさせたかったわけか」

 フェリアはニヤリと笑った。ここでくやしがらないのがフェリアである。この気骨が、カロディア領ではんりよを得られなかった原因でもあるのだが……。悔しなみだを流す程度の心の弱さがあれば、それを包もうとする腕はあっただろう。

 フェリアはお玉を王城に向けた。

「上等よ! 侍女も食事もいらないわ。売られたけんは買わなきゃ、カロディアの女の名がすたるってものよ!」

 それは、すがすがしいほどのたんである。

「ですが、それではダナン国の、いえ王様の顔がたちません。召したお妃様に食事をあたえぬなどとは」

 すかさずビンズはそう言って、騎士に食事を持ってくるように指示した。だが、フェリアはそれを止める。

「食事はいらないわ。代わりに材料を持ってきて。王様はちゃんと私に食べ物を与えたことになるわ」

 お玉はまだ王城を指している。後宮の妃邸とはとうてい思えぬみような光景であった。


 フェリアの後宮生活二日目は、こうして幕を下ろした。

 こめかみを押さえたビンズのもんの表情とともに。

 騎士らの何かを期待するような瞳のかがやきとともに。

 そして、フェリアとマクロンが出会うのはまだ先である。なぜなら、三カ月に一度しか三十一日は来ないのだから。

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