第11話 - DEATH


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「くふっ!? こほ! こほこほ!」

土を転びながらほこりがいっぱい口の中に入って不快感を覚えた。何度も咳を繰り返しながら荒い息遣いをする。周りはすべて見覚えのないところだった。

さび付いた鉄骨。ほこりが蔓延るドラム缶、用途の分からないはりがねと木材。どこかの工事現場の建物ようだった。

「ようこそ、矛院守優也君」

後ろから低い美声が鳴り響いた。ゆっくりと後ろを振り向くと、そこにはこの場で一番会って欲しくない人がにっこりと笑っている。

数日前、チャリオットと戦った白衣の男。『DEATH』カードの持ち主だったあの男がそこにいた。

たぶん名前は、


「土堂、帝……」


「まさかこっちの名前を憶えてくれるとは。思わぬ光栄です。これはありがたい」


彼はそう言いながら自分のポケットからタバコを取り出した。手馴れた動きでジッポーライターを手にし火をつけようとするがなかなか火が出てこない。何回かをもっと試した後やっと火が付くと彼は満足げに微笑み一服する。


「そんな怖い顔しないでください。こっちとしてはあなたは貴重な戦力なんですからなるべく仲良くしたいんですよ」

言葉の意味を分からなくて問い返すと土堂帝はもう一口を吹かした。煙の向こうから見える彼の口は笑っていたがその瞳は笑っていない。まるで毒蛇を連想させるデスの瞳は氷のように冷たく深海のように暗い。小野田や金崎は美しいと言う感想だっが彼は違う。意中が読めないその瞳はある意味で死者のようだった。恐ろしい。その短い間に肌で感じ取ったのは恐怖。そのような感覚とは間逆のさっぱりとした彼の白衣はより異質的だった。


タバコをすい終えた彼は箱からもう一本を取り出し火をつける。口から灰色の煙がもやもやと広がりそのにおいに咳が出てきた。それを気にせずデスは話を継いだ。

「言葉通りです。あなたは貴重な戦力。我が勝利のための不可欠な人材と言えるでしょう」

「何を……」

「もちろん」

土堂がタバコの灰をはたく。

「ストレングス、小野田麗音を殺すことです」

その声は低くて清らかな美声だったがそこには底を知れない執着が滲んでいた。強烈で見苦しいほど凄惨な何か。深い話は何も交わしてないけど、僕は彼がどのような人生を歩いていたかを汲み取ることができた。

苛立ちで背中に汗が出てきた。あえて動揺を隠しながらデスの言葉を笑い飛ばす。

「何を企んでいるか分からないが僕はこのゲームで最悪の札を選んでしまってな。戦闘能力は全くなく、できるのはせいぜい嘘をつくだけだ。ストレングスを僕がやっつけるなんて冗談じゃない。一気に殺されるのはこっちなんだよ。こんなくだらない能力の僕があんたの勝利に役に立わけねえだろう」

「さすがに嘘が上手な方だ。あなたならきっと、必ず小野田麗音を殺せるでしょう」

「無理だと言ったはずだ。僕にはできない。お前は僕を神様とでも思ってるのか?」

「確かにあなたは神様でない。でも僕の判断としてはあなたはこのゲームの頂点に立ってるはずです」

その確信に満ちた言葉は心臓を弾かせるのに十分だった。

「なぜなら、あなたはこのゲームの誰よりも恐ろしく、誰よりも優れた、言葉という能力を武器にしてますから。そうですよね?」

相変わらず微笑みを失わないまま死は真実を告げる。


「ジョーカー」


工事現場の天井で薄暗い光が点滅する。土堂帝の後ろに光が当たって彼の顔に暗闇を作った。逆光でできた影から見える土堂の姿は、まるで修羅の頂点に君臨する暴君にさえ見える。

「どうして……それを……」

気付いたら声がしゃがれていた。慌てる気持ちが隠れずそのまま露わになる。その時小さな生き物一つがデスの肩に現れる。黒い体に真っ赤な目をしているそれは、とても小さなネズミだった。土堂がその頭を人差し指で軽く撫でるとネズミ主の手が気持ちいいのか小さく音を出した。

「この子が教えてくれました。あなたがタワー、安城葉月を殺していた時のことを」

「はあ……?」

「あ、僕はですね、こうして動物とか昆虫、それ以外の生き物を操ることができるんですよ。この子たちの感覚を支配し共有することによって視覚、聴覚、触覚などが僕にも伝わります。そして見守ったのです」

土堂の手を受け入れていたネズミが彼の肩から下りてきた。ネズミは二つの足で立ってはきょろきょろ周りを見回す。

「あなたが一言の言葉で安城葉月を殺す場面を」

ネズミが小さい声を上げながら、自分の胸に手を出して死ぬ場面を演じる。歯ぎしりをしながらその芝居を見つめることだけが僕にできる精一杯だった。

他のプレイヤーを見張るつもりだったが逆に見張られていたとは。最悪の失敗だ。

突然不安感が走る。デスが自分の能力を使って小野田と僕を見張っていたのは分かる。でも、僕がジョーカーというのを知っているのはもう一人いる。チャリオット。金崎慶は、僕の能力を知っていた。彼の能力に関して詳しくは知らないけど、小野田と同様に内在能力系列の戦闘に最適化されていることだけは分かる。


そんな彼はどうやって僕の能力を知ったのだ?

僕の能力を、

誰に聞いたのだ?

震える声で口を開ける。最悪の可能性だけは、否定したかった。


「同盟を……結んだのか?」

土堂の口が耳まで裂けられた。

「正解です」

期待はいつも人を裏切る。最悪の可能性がより悪化しつつ加速して行く。

土堂帝はタバコの箱からもう一本を取り出して自然と口にくわえた。しかし今度は火をつけずに忘れてはいけないと言わんばかりに後ろに声をかける。暗いところにいてよく見えなかったが、洋服を着た酷く疲れそうな40代前後の男が目に入ってきた。初めて見る顔だった。


「彼があなたをここへ連れてきました。加峰さんの能力は空間を切り裂いてどこでも行けるんです。ようするにテレポートができると言っていいんでしょうか。まあ、ジョーカーとストレングスのペアはあまりにも脅威的でしてね。デミウルゴスはカードの能力が均等に成り立っていると言いましたが、それはあくまでタロットカードの能力です。小野田麗音自身は、その能力を引き出して頂点に立つほど恐ろしい人間……そして、そんな彼女をフォローするのは相手がどんな能力を持っているに限らず一発で人を殺せるジョーカーだ。僕らにはこの最強のペアを倒せる力が要りました。今のところ残りのプレイヤーは6人。

一人はストレングス、小野田麗音。二人目はジョーカー、矛院守優也。この二人組に対抗するのがデスカードの持ち主である僕と 『THE MAGICIAN』カードの持ち主、加峰明信かみねあきのぶさんです」

少し離れたところにいた初老の男が軽く会釈をしてきた。


「そしてチャリオット、金崎慶くんも欠かせないですね。まあ、それ以外に残った人と

して『HANGED MAN』カードの持ち主もいますが、彼女は強いけど、戦力にも敵にもならなさそうなので」

「待って」

何か違うことを感じて土堂を呼び止める。

「6人だと? 5月18日以降にまだ脱落者は出ていない。僕が知っている限り残りの人は6人じゃなくて7人のはずだ」

「あ、そういえばそうでしたね。言い換えます。今から6人でした」

その微妙な表現はなぜか寒気を感じさせた。獲物を前にした黒い蛇が全身に目を通す感覚。純粋に気持ち悪くて吐き気がする。

「さて、デミウルゴス。神であるあなたは今このゲームの成り行きをどこかで見ているはずです。そんなあなたが、残ったプレイヤーを忘れたりはしないですね?」

その言葉が終わる途端、宙にヒビが入った。何もない空が切れて黒い合間から巨神が手を伸ばす。空間は二分化されて、巨神がその姿を現した。圧倒的な威圧感はこの場にいるすべての人を脅かす。

「このゲームを主催して君たちに能力を与えたのが誰だと思ってるのだ?」

「もちろんあなたでしょう、デミス」

土堂は面白そうに笑いながら神に尋ねる。

「もう一度確認しますが、今残っているプレイヤーは?」

「聞くまでもない。7人だ」


デミウルゴスの言葉にデスはにっこりと笑う。また笑顔だ。初めて見た時からこの男は満面に笑顔を作っていたが僕にはそれが偽善的だという印象を離せなかった。まるで意識的に仮面を作り出してそれをかぶり、演じる。誰も彼の本音を知らず、本当の顔も知らない気がする。ならはたして土堂帝という人間は存在するのか?

デスはそのまま一手を上げて、指を弾く。大きな音が響き工事現場には静寂が訪れた。

「もう一度聞きますが、デミス。今残っているプレイヤーはこれで何人ですか?」

「聞かなかったのか? 先デミウルゴスが7人だと……」


「6人だ」


「みろよ。今もこうやって………………あ?」

全身に鳥肌が立った。土堂帝がこっちを振り向いて優しく微笑む。

「これで6人になりました」

彼の姿は恐怖そのものだった。この男は今、人を殺した……。

「人質にした人がいましてですね。彼女はここではなく他のところにいますが……まあ、その話はまた別の話です。こっちはこっちなりの話を続けましょうか」

何気なく土堂は話を続ける。頭の中が真っ白になり恐怖のみが全身を蝕んでいく。冷や汗で背中が気持ち悪い。息が荒くなる。死が、静かに僕の名前を呼んだ。

「あなたには小野田麗音を殺してもらいます」

言葉は残酷に僕の首を刺してきた。肺がつぶされ体中の臓器という臓器がすべて燃え尽きるようにお腹が熱い。一方で予想していた。だがせめてそんな最悪の結末はならないことを心のどこかでひそやかに望んでいたのだ。小野田と向き合って、互いを殺し合うそんな結末を僕はどうしても避けたかった。


「ふざけるなよ。そんなこと、やるもんかよ!」


「どうでしょう? 僕が予想するにはあなたは小野田を殺せざるを得ない」


土堂は自分の白衣から携帯を取り出した。スマホの画面は一つの画像を現している。画像はパッと見て何が何だか分かりにくかったが、それを理解する瞬間に僕は狂ってしまいそうだった。一人の女性が、口にテープを付けられたまま体がロープに縛られている。絶対に見知らぬわけがない人。僕にとって、たった一人の……。


「母さん……」


「小野田麗音を殺す気にはなりましたか?」


「土堂貴様ああぁ――――!!!」


「いやあ、そこまで叫ばなくても。こちらの要求に従ってくれるなら矛院さんの安全は保障しますよ」

「てめえ……!! だから僕に小野田を殺せと言ってんのか! 母さんを人質にして!」

「もちろんです。これぐらいの札がないとあなたは動かない。最強のペアを崩すにはそれに値する札を準備するべきでしょう」

「そんなの……、そんなの……!!」

できるはずが、ないだろう……。

お母さんと小野田の中で一人だけを選べと? 僕にはどっちだって……。


「デスの能力を使ったら、どの情報でもたやすく手に入れます。よってあなたの母の所在もなるべく簡単に手に入れました。あ、ちなみに矛院くん。これが何だか分かりますか?」

土堂の問いに顔を上げると彼は薄い銀色の何かを手に取る。それは手術の時使うメスだった。彼は自分の手でメスをあちこち回しながら鋭い表面を沿って指を走らす。

「そうです。あなたもよく知ってる通りこれはただのメスです。このメスには空間を裂くとか火が飛び出してくるとかの機能は一切ございません。僕のいうことが分かりますか? これは正真正銘のひたすら切るだけの機能を持つ道具です」

何も答えず土堂帝を睨むとやつは事々しく首を横に振り肩をすくめる。その姿はどこかピエロのようで僕はピエロの手で弄ばれる人形になった錯覚さえした。


「つまりこれであなたの母を刺すと」

「……」

「復旧されません」

奴の言葉がようやく分かってきた。

「マーダラーゲームの修正システムはですね。あくまで能力によるものです。能力によるものじゃなければそれはただのできごとに過ぎない。世界としては十分にあり得て修正する必要もないということになるでしょう。今のうちにあなたの母が世界線の修正を受けて復旧されるとかそういう妄想は止せた方がいいです。世の中って結構ねじれて理不尽なものでですね。あなたがそう簡単に母を救える方法などどこにも存在しないんです」

土堂帝はそこまでしてようやく笑いを収めた。初めて笑いが消えたその顔はただただ溜まってる煙草の灰を見ているようだった。色褪せた古いガネットのような瞳はどこかもどかしくて寂しい。


「よく考えてください。死んだ人は奇跡でも起こらない以上二度と戻ってこないんです」

彼はそこまで言って背を向ける。

「ストレングスを殺すまで3日を与えます。5月22日まで小野田麗音を殺しなさい。そうしないとあなたの母は死にます。加峰さん。彼を家の近くまで送ってくれますか?」

「……先生はとっても残虐な人ですね」

マジシャンカードの加峰という男がそんな感想を漏らした。その言葉に土堂はすぐにでも崩れそうに笑いながら肯定する。

「ええ、知ってます。たぶん僕は……死んだら地獄のどん底まで落ちてしまうでしょう」

すでに知っている。ゆえに救いなどそもそも求めない。自嘲的に口ずさんだその言葉に加峰明信は呆れた顔をした。マジシャンはデスの言葉に何も言わずただこっちに近づく。


「さすがにあなたは、このゲームで負けそうにない」

マジシャンが半肩に手を乗せると体が浮いてどこかで風が吹くような気がする。気を取り戻すとそこはもうほこりだらけの工事現場ではなく見慣れた住宅街だった。



あれからどれだけの時間が経っただろうか。

自然と目が覚めて携帯の画面を確認すると今日が5月20日の木曜日ということが分かった。時間は容赦なく進んで行く。一片の慈悲もないその流れが残酷すぎると思いながら2階から1階へ降りて行く。リビングルームは空いている。部屋にも台所にも母さんの姿は見えなかった。何度も電話をしてみたが携帯は電源が切られていた。誰もいない家の虚しさはこれが現実ということを立証する。無意味に冷蔵庫を開けてみる。腹が減ったが何も食べる気がしなかった。頭がぼうっとする。何をどうすればいいか確信が持てない。

自分の携帯がぶるると鳴っていた。


『どうしたの? 電話に出て、お願い』


小野田からのラインだった。

何も知らない、小野田からのラインだ。

昨日からもう13通もメッセージが届いている。何回か電話もかかってきたが、どれも出なかった。

僕が小野田に会ってどうすればいいのだ?

答えはすでに決まっている。小野田を殺さなくてはいけない。何十年間僕を育ててきた母と2週間弱会ってた小野田だ。仕方ないが、考えようがない話だった。

だから僕は、きっとこの後小野田に会えば彼女の敵になる。彼女を殺す側に立つ。

そんなことを考えているとき、また携帯が鳴った。一通のメッセージ。


『何かあったら私に話してよ。ずっと黙っていると私に知りようがないじゃない』

昨日からずっとこの様だった。

体の具合とかいきなりどこに行ってたとか。そんな類の心配だらけ。そんな彼女の心配に呆れてしまって、僕は彼女と話す気を失ってしまったのだ。

彼女は、僕が裏切られるとは全く思っていないんだろうか。どうしてここまで僕なんかを信用できるんだ? 小野田の隣にいる僕はいつでも言葉ひとつで彼女の命を奪うことができる。そんな僕を彼女はなぜ信じ込んでいるのか。

彼女が僕を信じている間にも、僕は彼女を殺す工夫をしている。


小野田が僕を心配してる間にも、僕は彼女を頭から消してしまいたかった。

その相反した状況が心のどこかで罪悪感をもたらしていたのかも知らない。

小野田に会う気がしなかった。

もちろんそんなのはただの嘘だ。

本当は、彼女に会うのが、とってもとっても怖いだけ。

自分の部屋に戻ってきてベッドに寝転がる。何も考えたくない。体はだるく心は重い。いっそ、ここで寝てそのまま死んでしまったらいいと思った。何もかもを放り投げて現実から逃げ出したい。そう思いながらゆっくりと意識は遠ざかって行く。

いつの間にか泣いていたと気づきながら、目を閉じると世界が暗転した。



「矛院」

僕は、人間を信用しない。

人が人を嫌うことに理由などがあるだろうか。最初の頃から僕たちはこのことをお互い知っていた。こいつは、僕とは合わないと。

問題は、彼が僕より強くて、僕は彼より弱かっただけだ。

「矛院。鞄持っててくれ」

「えっ、あ……あの……」

「ほら、頼む! 友達じゃねえか」

中学校の頃からだったと思う。

僕はどこでもいそうな平凡な中学生で、気が弱く、静かで、目立つことが好きじゃない人間だった。逆に池田は注目されるのが好きで、活発で、何もかもを挑んでぶつかるタイプだ。


真逆、正反対の二人。あいつはいつも人に囲まれて、その頂点に立っていた。

僕は大体一人で、本を読んでたりしながら時間を過ごす。別に誰かの上に立ちたいという欲心もないし、流れるまま時間を過ごせばそれでよかった。

「なあ、矛院。一緒にバスケしない?」

「……ごめん。僕はいいよ」

最初はただの興味だった。

「あ、矛院。数学の宿題やってきた? よかったら見せてくれ」

「一応、やってきたけど……」

「うわあ、よかったあ! 頼む! ちょっと助けてくれ!」

それが二度も三度も繰り返されて、

「今日一緒に帰ろう! お前いつも一人で帰ってるんだろう」

ちょっとだけ、いらっとしてきた。

池田文徳は人に気遣いしながら馴れ馴れしく近づいて来る。すべての人を自分の輪に引き付ける彼ならではの柔軟な人間観。それはいい。人との関係を一瞬にして狭めるのは彼の長所だ。が、ゆえに短所として作用もする。人間性というものは定められたものではない。その意味で彼のやり方はあまりにも強引で互いの違いを受け入れなかった。

異なる性質、異なる考え、異なる価値観、異なる理想。すべての多様性を否定して画一的な基準を求める。これがまともだと言う基準を提示し、人間をその基準に合わせようとする。そして基準から離れた人間はどこか足りないものとして扱いされ同じ集団から外されるのだ。

価値観への慫慂。

すべての暴力はそこから始まる。

人間である以上そんなことが可能なわけがないのに。


「マジで気持ち悪いんだよ。相手のことバカにしやがって……」


友達になりたかったらゆっくりと時間をかけてくれ。

断れたとして僕をそっけない人間だと言わないで欲しい。

自分のことは自分でしろ。責任感とかは持ってないのか。

僕もお前も人間だから、僕にお前の存在を強要しないでくれ。

そんなくだらないことまで、僕がいちいちどうやって説明する?

説明したら? それで傷つかない自信はあるのか。


「とんま」


彼はいつの間にか僕のことをそう呼んでいた。


「どうだ? お前に似合ってるあだ名だろう?」

基準に至らない人間だった僕は、集団から外され始めた。

そして暴力の最も恐ろしいところは、


「あ、とんま。ごめん~、ちょっと参考書のお金足りなくてな。貸してくれない?」


存在するだけで加速して行く。


「わりぃ! 親の誕生日で忙しくてなりそう、宿題、俺の分も頼む!」


そしていつの間にか正当化され、


「矛院。パン買ってくるとき、俺の分も頼む」


「あ、オレの分も」


「僕もちょっと」


たやすく周りに伝染する。


「いじめ?」


黒川先生は、眉をしかめながら首を傾げた。


「そーには見えないけどなあ。おめえの勘違いじゃねえのか?」

「先生も矛院がいつも周りに馴染まず、浮いてると思うけどねえ」

「それは、クラスに馴染もうとする、おめえの努力が足りないんじゃなかろうかねえ」


僕は、人間を信用しない。


「あれ? なんだよ、とんま。同じ学校じゃねえか!」


僕は、人間を、信用しない。


「いきなり私にそんなこと言っても、何もしてあげられないわよ」

「自分でやれよ。俺まで引っ張るな」

「それでどうする? 自殺でもやるつもり?」


信用、しないんだ。


「しゅうちゃん」

母はいつものように笑いながら訪ねてきた。

「学校は楽しかった?」

そんな母に、僕はいったいどう答えたらよかったんだろうか。

「まあ、それなり」

僕にできることは、ただそれだけのことだった。



世界が暗転する。

目に映る映像がノイズがたっぷり入っていて、古いフィルムのように点滅する。

雨の日。池田に呼ばれた。

小さなボックスに、犬の死体があった。彼の手から、でっかいシャベルを渡される。

「飼い犬の最後ぐらいはやってくれないとな」

「そんなに大切だったら、自分でやればいいだろう……」

「……とんまのくせにいちいちうるせえな。ぶち殺す前にやれよ、バーカ」

「うわ、へたくそ……なにそれ?」

「ああ、もう使えねえな! お前いったいできることなんなんだよ?」

「どれだけ待たせるつもり?」

「使えねえ、とんままったくつかえねえ」

「犬はかわいいけど、おめえはダメだな。まともなもんでもねえし。犬以下じゃねえ?」

頭が、ちょっとだけぼうっとしてきた。

「あの、池田。ひとつだけ聞いていいか?」

「なんだよ」

「今日呼んだのは、僕だけ?」

「はあ? こんな天気に呼べる人間ってとんまのてめえしかねえじゃん」

「そっか、じゃあ……」

遠くないところで、雷が落ちた。

「今ここでお前を殺しても誰も知らないよな?」

そのシーンを基点に、目が覚めた。

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