終章

巨星墜つ

 新聞のお悔やみ欄に大岩鉄之進の訃報を見つけたのは、桜が満開の頃だった。

 享年九十歳。

 斎場は山手線の某駅近く。

 お通夜は明日。

 たまたま明日は水曜なので『南郷鍼灸接骨院なみさとしんきゅうせっこついん』の休診日に当たる。

 仕事をする気分ではなかったので早めに治療院を閉めた。


 天気予報では雨の確率30%だったが次の日は嘘のように晴れている。

 喪服に着替え、早めに家を出た。

 蒼天会はとっくの昔に退会したがそれでも尚志の青春だったのは間違いない。

「俺が合気を使えるようになったのは九割九分九厘大岩先生のおかげだ」

 昔、才川がそう言っていたのを尚志は思い出した。


 斎場周辺は人で溢れていた。

 受付では見知った門下生が忙しそうに働いていた。

 案内されるまま部屋に入ると坊主の読経が聞こえ、正面には大岩宗師の遺影があった。

 順番に焼香を済ませると今度は通夜振つやぶいに案内された。

 尚志の座った席のテーブルには大きな寿司桶が置かれていた。

 適当につまみながらビールを飲んでいると様々な会話で賑わっていたので思わず聞き耳を立てた。


「亡くなる前日まで普通に稽古をして普通に弟子を投げ飛ばしていたらしい」

 と話す者がいた。

「蒼天会は誰が継ぐんだろう? 後継者なんて決めていなかったぞ」

 と口に出す者がいた。

「昔、蒼天会の会計係が月謝を全部盗んだ話は知っているか? だから月謝の金勘定は大岩宗師自らやるようになったんだ」

 と喋る者がいた。

 果ては、

「うわあぁぁ~ン。まだ早いよォーッ! せっ、せめて百歳まで生きて稽古をつけてもらいたかったッ。オオォォ~ン」

 と大声で男泣きする者まで現れる始末。

 ある意味お通夜らしいといえばお通夜らしかった。


 ぼちぼち切りの良いところで席を立とうとすると、

「なんかデカイのがいるから尚志じゃないかと思えばやっぱり尚志じゃないか」

 尚志の頭上から声がした。

 見上げるとやや白髪が混じった総髪に口ひげの男が笑っていた。

「伊勢さん! ご無沙汰です。最後にお会いしたのは十五年前くらいになりますか」

 尚志は懐かしんだ。

「もうそんなになるか、とりあえずここに座るぞ。よっこいせっと」

 伊勢は尚志の正面に座った。

 それからお互いの近況報告が始まった。


「そうか、尚志は治療院を開業したのか。俺たちみたいなのは人に使われるんじゃ面白くない。やっぱりトップを取らないと。まあ、いつか遊びに行くよ」

「ええ、お待ちしています。で、伊勢さんは確か結婚されたとか」

「ああ、先月息子が生まれたよ」

「それはおめでとうございます」

「バカッ! 声が大きい。お通夜の席だぞ。おめでとうはマズイだろう」

「あっ、ついウッカリ。すみません」

 視線をあちこちから感じるので周りを見渡すと皆が尚志を見ていた。


「なあ、久しぶりに地麦にでも行くか。話の続きはそこでまた」

 伊勢が提案した。

「いいですね。でも潰れてなきゃいいんだけど。あのマスターも結構な歳でしょうし」

 尚志が言った。

「ま、そんときゃそん時だ。さ、行こう。こんな辛気臭い所からはおさらばさらば」

 最後に伊勢も凄く失礼なことを言って立ち上がった。

 二人は斎場を後にして電車に乗った。


 夜の七時過ぎ、二人は駅を下りてから地麦へ向かうために公園の中へ入った。

 桜は満開。

 今が見頃。

 夜桜を楽しんでいる花見客も結構いた。


「覚えていますか? 昔、蒼天会でお花見をした時のことを」

 桜の樹の下で尚志は言った。

「忘れるもんか。俺はここで尚志にサバ折りにされたんだ」

 伊勢が笑って言った。


「あの時はすみません。でも楽しかった。不幸に負けるもんかと武張っていた青春でした」

 満開の桜に見惚れながら尚志はしみじみと言った。

「へっへっへ。青春なら俺がいつでもよみがえらせてやる」

 言うなり伊勢が殴ってきた。

「なッ! 何をするんですか」

 尚志は叫んだ。

「今からやるのは大岩先生に手向けるとむら稽古けいこだ。行くぞッ!」

 伊勢のフックを咄嗟に摩擦歩まさつほかわした。

「おお、やるじゃないか。そうこなくっちゃ、へっへっへ」

 伊勢が笑ってステップを踏んだ。

「僕だって昔の僕じゃない。今から証明してみせます」

 尚志が意拳の構えを取った。


「オイ、アレを見ろよ」

「ハハ、面白え。ケンカだケンカだ。ハハハ」

「誰か警察を! 早く!」

 公園の花見客が集まってきて好き勝手な事を言っているのが聞こえた。

 尚志も伊勢も、喪服は破れ、ワイシャツは血で赤く汚れている。

 実力は拮抗しているせいか決着がなかなか着かない。

 殴ったり殴られたり、蹴ったり蹴られたり、投げたり投げられたり。


 だがなぜか二人ともその顔には満面の笑みを浮かべていた。

                               (了)              

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