入門初日

「今日から仲間になる南郷尚志なみさとひさしさんです。皆さん、色々面倒を見てあげてください(微笑)」

 弟子たちが正座している中、大岩鉄之進宗師おおいわてつのしんそうしがわざわざ尚志を紹介した。

 尚志は立ち上がり、皆にお辞儀をした。


「ウオッ! でっけえ!」

「柔道か相撲をやってたな、ありゃ」

合気あいきで投げられるかな」

 尚志を見てそんな声があちらこちらから聞こえてきた。

 皆からの注目を浴びるのも無理はない。

 尚志の身長はゆうに一七七センチ、体重は百十キロ前後。

 道場をパッと見渡してもこれだけの体格の持ち主は尚志以外は誰一人いなかった。


 紹介が終わるとすぐに稽古が始まった。

 まずは段位が上の者から順に一人ずつ大岩の技を受ける。

 初めの一手は座り技からスタート。

 一番最後の尚志も兄弟子たちの投げられる様を見て何とか受け身を取ることが出来た。


 <確か技をかける側を”り”と言い、技を受ける側を”け”と言うんだっけ>

 尚志は武術一般の独特な言葉の使い方を思い出していた。


 全員が技を受け終わると、はかまを穿いた高弟たち四人がそれぞれ道場の四隅よすみに移動した。

 以下、黒帯、茶帯、白帯の順番に弟子たちは四隅に立つ高弟の内の一人を選び並んでいく。

 道場の中に四つの列ができた。


 尚志がどの列に並ぼうかと迷っていたら、

「ねえ、ここに並びなよ。南郷くん」

 と声をかけられた。

 声のする方へ振り向くと、メガネをかけた茶帯の人が笑顔で手招きをしていた。

 その列に並ぶと尚志は思わず他の三つの列を見比べた。

 他の列は大体が十五人から二十人は並んでいるが、この列は尚志を含めて三人しかいない。

 

 まずは尚志に声をかけた茶帯でメガネの人。歳は三十代後半に見える。中肉中背。道着を脱いだら昭和の猛烈サラリーマンといった感じでエネルギッシュな感じがする。

 

 次は列の先頭に立つ袴の男。

 尚志を見て微笑んでいるが、只者ではない雰囲気を身にまとっている。

 あたかも殺し屋、刺客、組織の用心棒というような。

 やや細身の体格で髪型はオールバック。歳は五十前後だろうか。

 

 最後にこの日が稽古初日の尚志。

 以上の計三人。


 なぜこの列だけ人数が少ないんだ、と尚志が不思議に思っていたら茶帯の男が尚志の肩を叩いた。

「さあ、稽古を始めよう。才川さいかわさんはもう準備ができている」

 茶帯の男の言う通りだった。

 才川という袴の男はすでに正座している。


 茶帯の男は才川に向き直ると、小走りで距離を詰め正座して才川の両手首を両手で掴んだ。

 その途端、

「ヒョエ~ッ!!」

 と叫び声を上げながら茶帯の男は凄まじい勢いで投げられた。

 まるでギャグ漫画のような光景。

 それでもクルリと一回転してキチンと受け身を取ったのはさすが茶帯と言うべきだろうか。


 続いて尚志が技を受ける番になった。

 正座している才川に向かって両手首を掴んだ瞬間、

「アア~~ッ!!」

 と悲鳴を上げながら尚志は凄まじい勢いでブオンと投げられた。

 まるでカートゥーンのようなやられ方。

 それでもクルリと一回転してキチンと受け身を取れたのは、才川の技の勢いが尋常ではなかったからに違いない。

 さすがは袴を穿いて列の先頭に立つだけの実力はある。

 いや、あるどころではない。

 投げられた時に身体にGがかかった。

 あたかもジェットコースターで急速落下した時のような。

 悲鳴を上げずにはいられない。

 大岩の技とは全く質が違う。

 尚志は投げられた直後にあれこれと考えたがすぐに列に並び直した。


 才川が技をかけ終わったので、今度は茶帯男が技をかける番。

 尚志は茶帯男の両手首を掴む。

 茶帯男の技は前の才川と比べると平々凡々。

 尚志は普通に受け身を取れた。


 次の番の才川が茶帯男の両手首を掴む。

 技を受け才川は華麗に受け身を取った。

堀内ほりうちくん、フォロースルーを丁寧に」

 才川は茶帯男の堀内にアドバイスをした。

「はいっ!」

 堀内は元気よく返事をした。


 いよいよ尚志がになった。

 正座した尚志の両手首を掴んでくる才川に対し、見よう見まねで技をかける。

 不器用で無様な技だったが、才川は普通に受け身を取った。

 次は堀内に技をかけた。

 それを見ていた才川が尚志に近づいてきた。

「う~ん。上体はぶれているし肩は力が入りすぎ。でも今はタイミングを合わすことだけを考えて。が手首を掴んできたらボーッと待つんじゃなく、が自分の手首を受けの手の中に差し入れるように。今日はそれだけを意識しなさい」

「はい」

 才川のありがたい助言に尚志は素直にうなずいた。

 彼は怖い見た目と違って親切なのかもしれなかった。


 教わった技を三人全員がかけたので列は一巡して、また才川が先頭になった。

 静かに待っていると大岩が新しい技を教えにやって来た。

「才川さんの列はいつもだけど、今日はまた一段と少ないですね(微笑)」

 大岩が言った。

「ええ、この南郷くんが来なければ二人で稽古するところでした」

 才川が言った。

「少数精鋭の方が早く強くなれます。ねっ、南郷くん」

 堀内に呼びかけられたが尚志はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

「なかなか武張ぶばってますね、堀内さんは。人数が足りないのでゆっくりと稽古をしてください。でないと私がこの列にかかりきりになってしまいます(微笑)」

 大岩は次の技を彼らにかけると、技が一巡した列の方へ行ってしまった。


 新しい技をかけても三人しかいないのですぐに列は廻ってしまう。

 この調子で稽古をしていたので、尚志は疲れてきた。

 道場の時計を見ると稽古開始から二十分しか経過していない。

 終わるまで残り一時間と十分もある。

 

「南郷くん、大丈夫か? 才川さんの技は凄まじいから皆がこの列に並ぶのを嫌がるんだ」

 大岩を待っている時に堀内が話しかけてきた。

 なるほど、他の列を見ると先頭に立っている袴の弟子の技も才川ほどには冴えていない。

 全員が楽しそうにおしゃべりをしながら和気あいあいと稽古をしていた。

 しかし尚志が入門前にイメージしていた稽古風景は正しくあのような光景だった。

「いつもなら黒田くろださんや佐嶋さじまさんや伊勢いせさんが並んでくれるのだが、全員がお休みとは珍しい日もあるもんだ」

 才川がポツリと呟いた。

 その横顔は少し寂しそうだった。


 やがて技は座り技から立ち技へと移った。

 稽古はますますハイペースに。

 この時点で受け身を二百回は取ったであろうか。

 そして尚志の状態はといえば……。

 目が回る。

 ヒザと腰を痛めた。

 頭が痛い。

 肩を上下させ口でハアハアと息をしている。

 見た目が死にそう。

 つまり、惨憺たる有様であった。


「ねえ、南郷くん。キツかったら休んでいいよ」

 見るに見かねて堀内が救いの手を差し伸べてくれた。

 しかし、

「いや、せっかくですがもう少しだけ頑張ります。若さと目方では誰にも負けていないつもりです。初日から稽古についていけないなんて情けない。僕にも意地があります」

 息も絶え絶えに尚志は言ってのけた。

「えらいっ! そうでなくっちゃ! 君は強くなるぞ!」

 堀内はなぜか喜んでいた。


 尚志は言葉通りに頑張った。

 警視庁の採用試験に落ちて笑った連中を見返したかった。

 高島に会った時、恥ずかしくない自分でいたかった。

 ここ最近の鬱屈や不平不満をすべて稽古にぶつけて解消したかった。

 だが、肉体はそろそろ限界を迎えようとしていた。


 「今日はこれくらいで勘弁してやるか」

 才川が尚志を投げ飛ばした後にそう言った。

 尚志はこんなセリフを言われたのは生まれて初めてだったし、リアルに聞く日が来るとは思いもしなかった。


 気が付くと稽古は終了していた。

 スポーツセンターの武道場は後三十分ほど使えるということなので、熱心な弟子たちは自主練習していた。

 もちろん堀内も才川に稽古をつけてもらっていた。

 <あれだけやってまだ足りないのだろうか?>

 

 とにかく一刻も早く道場から外に出てコーラをがぶ飲みしたい気分だった。

 <ここでやっていけるかな? イヤ、やるしかない! 才川さんくらい強くなってやる>

 尚志は拳を固め、足を引きずりながら一人道場を後にした。

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