〇八 位階



 判じかねるまま、行はすぐに話を変えた。取っ組み合いの喧嘩になっては面倒だ。

「それで、むつ、爺ちゃん将軍から伝言があるって聞いてたけど、いったい何て?」

「はい。列椿国軍総大将、正二位しょうにい萬祖主よろづおやぬしたたよりの託言たくげんを申し伝えます。今回のいくさに限り、別千千ことちぢゆくに位階、従二位じゅにいを与える。以上です」

 それを聞いて行は、寝床に潜り込んだらそこに百匹の百足むかでが隠れていたというような気分を味わった。そしてその百足は、自然に集まったのではなく、国軍総大将自らがしかけたものなのだ。何ともやり場がない。

「うわぁ、あたしに丸投げってことだなあ、それ」信任が厚いのは何よりだが、将軍とて歴戦のつわものであるから総大将なのであり、つまり手抜きとしか思えない。「お前が全部命令していいよって、そういう」

 普段、様々なものごとを努めて覚えるようにしているしずだが、何もかも、というのではなく、覚えるのをあえて避けている事柄もあって、位階はそこに含まれた。話が見えないので、また行の顔を覗き込みながら尋ねた。

「従二位とは、偉いものなのですか?」

「この国で三番目だよ。三番目!」、で済ませられる軽いものではない。委任するにも限度というものがある。職務放棄だと将軍を罵りたかった。「正一位しょういちい六葉帝ろくようていのみに許される位階だけど、今はいないから空位。国王が従一位じゅいちいで、爺ちゃん将軍が正二位、あたしはその次!」

 六葉帝を戴くという体裁の諸国連合全体を見渡しても、十指からはこぼれるにせよ、二十なら入る。列椿の国は諸国連合のうちで一、二を争う大国であるから、三番目で済むのだ。そう思うと、行はうっすら寒気がする。行が王より上に立ってしまう国がいくつかある。知れれば、外交問題になりかねない。

「ゆっちにだけ? 私たちにも何かないのかしら」

 行の憤懣ふんまんの受け皿になってやろうとは夢更ゆめさら思わず、むしろ不平等を感じたあらたが言った。

「それも含めて、あたしの好きにしろってことだよ。従二位となれば、一時的に位階を与える権限、あるからね」代行を立てるというていで、従二位以上の者はそれが許される。「自分より下の位階なら、どうとでも」

 それを聞いたささやは、目の前にある、自分のぶんの苺が盛られた器を、対面に座る行に向けて押し出した。

「ゆっち、苺が大好きだったね? 僕のぶんの苺、あげるよ」囁は手をつけるのが遅かったので、まだ多くが残っている。行の器は空だった。「別に好きじゃないし。もういらないし」だとしても、厚意の押し売りには違いなかった。

「そういえば、ゆっち、肩がこって仕方がないと言っていたわね? ほぐしてあげましょうか?」改は肩を揉みほぐすのが巧みで、兵たちを労ってやると相当に喜ばれる。「全く言ってないし。立場上、発言を捏造されると切実に困るんだけど」とはいえ、いかに優れた技術でも、無用なものは無用だ。

「ふたりとも、あたしから位階がもらえるとわかったとたん、露骨にをするのやめない?」

 行は呆れることにせわしなく、将軍を憎いと思う気が紛れたが、それでふたりに感謝をしようとは思えない。

「あ、あの、ゆっち、向こう一週間の炊事洗濯、わたくしがやりますから」

 おずおずと、沈は申し訳なさそうに言う。厚意を売ろうとしてこれでは、下心を察してくれと言っているようなものだ。

「従二位になった時点で、そういうの全部、下働きの人がやってくれるから。というか、どうしてしずっちまでかなあ」

「その、わたくし、一度でいいから君王苑くんのうえんに行ってみたいと、かねがね思っておりまして、ですが、えっと、高い位階を持たないと入れないと聞きますから……」

 君王苑とは、王の所有する広大かつ荘厳な庭園だ。一般には開放されておらず、俗にかみかたと称される、従三位じゅさんみ以上の位階を持つ者のみが、足を踏み入れることを許される。

 囁と改の下心は一蹴できても、それが沈となれば、さらには理由も聞かされたとなると、どうにも行には無下にしづらい。戦場に赴けば、行は沈と組みで行動することが多く、そのぶんだけ世話になっている。だが、仕事上の都合も当然ながら無視できない。

「さっちゃんとあっちゃんは、上のほうの位階でかまいやしないんだけど、しずっちは情報を出す役だから、この場の全員が命令できる位置じゃないとまずいんだよ。つまり、睦より下の、正八位しょうはちいが限度。それじゃ君王苑には入れない」

 ひとたび意気を持つと、沈は誰よりも粘り強いのだと、行は知っている。この説明で引き下がるわけがない。

「そんな……お慈悲を、どうかお慈悲を」

 沈は空色の瞳にある涙の膜を、見る間に厚くしていく。沈はこのことを記憶して忘れないだろう。すげなくした記憶をそこに残すか、あるいは一年後も覚えていて感謝されるのか、行には逡巡のしようもなかった。

「ああもう、仕方ないなあ! さっちゃんとあっちゃんは正三位しょうさんみ! しずっちがひとつ下の従三位! そんでもって睦がさっちゃんたちと同じ正三位!」

「は、」

 面食らったのは、外野を決め込んでいた睦だった。

「あの、それは、どういう……」

 理解が追いつかない。受け入れがたい。正三位がどれほどの高みであるか、睦ならばよく知っている。

「どうもこうもないよ。従三位になったしずっちに睦が命令するなら、正三位にするしかないじゃんか。それもあたしの権限のうちだよ。得体のしれない小娘に位階を与えるより、軍の選り抜きにそれを許すほうが、よっぽど健全だと思うけど」

 睦には、どうとも言いがたかった。確かに睦は国軍に属し、出自や経歴も含め、認められているからこそ、従七位じゅしちいの位階さえ賜っている。しかし、国軍総大将からひとつの戦を一任されるほどの圧倒的な力は持たない。比べようがなく、睦はそれでも何かを言おうとして口を開いたまま、しかし何を喋れるでもなかった。

「とにかく、戦が終わるまでは、睦は正三位だから。この首府に限って言えば、爺ちゃん将軍以外、睦より偉い人って軍にいないんじゃないの。日頃の憂さを晴らすなら、今のうちだよ」

 地方を任された将を考えなければ、軍のうちで睦よりも上に立つ者が総大将ただひとりになることは事実で、また、何かとけちをつけてくる上官の顔が浮かびもしたのだが、それは言うべきではなかったし、報復を実行するべきでもなかった。

「あ、睦、しずっちを君王苑に案内してあげて。あたしの印を預けとくから、位階の書類は代筆してよ。あたしはこれから軍議に出てくるから、今日は解散、自由時間! 睦も君王苑でのんびりすること!」

 睦はこの後、上官に指示されていた他の仕事をこなすつもりだった。しかし従二位である行に休めと言われたからには、働くべきではないのだろうし、軍の統制の面から言っても、今や下僚かりょうとなってしまった者の命令に従うことはできない。諦めるしかなかった。





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