〇五 頭目



 ささやは、いつも思い出す。

 あの日、抱えていた思いを、あの瞬間の景色を、自分ひとりだけが残された、世界の終わりにも似た光景を。

 そのことばを言うたびに。

 それは、があるから。

 そのぶんだけ、思い出せるものを、焼きつけておかなくてはならないと思うから。

赫焉かくえん

 囁の咎言、それは――

 ――ひとつのみやこを焼き消してしまった囁のみが持ちうるもの。


 耀かがよう炎の海、その浅瀬が、そこにはあった。

賭場の地下、六魂りくたまの悪徒たちがたむろしていた広間は、水深を持たない、ごく低い炎に満たされ、そしてそれは、悪徒たちの足首から先だけを炭にした。

 わずかの間の夢のように、体を預ける足先を欠いた悪徒たちが倒れ込むよりも早く、炎は霧散した。それでも、石灰岩でできた床は熱され、そこに転がった者たちを焦がした。

「温泉ととうもろこしに感謝するんだね。うす汚れたままでここに来てたら、少なくとも腰までは黒焦げだったと思うよ」

 もがき、呻き、あるいは這って逃げようとする悪徒たちに追撃を加えることはなく、囁はじっと立ち、ただ見下ろしながら言った。

 囁の発する炎は、囁自身の感情に影響されるところがある。しかし、どんな気分でいても確かであるのは、その咎言に依る限り、焼くことより焼かないことのほうが難しいということ。

「動くな。悪ふざけが過ぎるぜ、嬢ちゃんよ」

 奥の部屋への戸が開き、そこには、手足を縛られ、猿轡さるぐつわとして布を噛ませられた青年と、その青年を我が身に寄せる目つきの悪い男がいた。

 男の体は鍛えられて引き締まり、戦う者の肉体をしている。いつだったか、囁が手配書で見た覚えのある顔だった。こういった組織のかしらに若さが残るのは珍しく、印象に残っている。この男が頭目で間違いないと囁は判断した。隣にいる青年が、奪還すべき人質であるだろう。

「わざわざ連れてきてくれたんだ。それ、返してほしいんだけど」

 求めを告げる囁に圧されるには至らず、男は下駄を鳴らし、半歩だけ歩み出た。肌に直接着た黒の法被はっぴ、藍の股引ももひき、杉の下駄、身なりに飾り気はないながら、囁の読み通りにこの男が頭目であり、この場で半歩前に進めることが、その何よりの証明だった。床で苦しむ悪徒たちからすがるように集まる視線もまた、それを明らかにしていた。

「そっちも商売なら、こっちも商売でね。はいどうぞってわけにはいかねぇ。いくら相手が戦勝請負せんしょううけおいの四人組だとしてもだ」

 わずか、囁のまぶたが強張った。名乗るよりも早く、戦勝請負の名が出るとは思っていなかった。事前に襲撃が知れている手落ちなど、ゆくにはないと思うのに。

「耳が早いね。誰から聞いたの?」

「誰からも確かな情報は得てねえ。近くで仕事をしてるって話は届いてたから、かまをかけただけだ。うちに堂々と喧嘩を売りに来るやつなんざ、他には浮かばねぇ」

 髪油かみあぶらを用いて後ろになでつけた黒髪は、不自然に艶めいていた。頭目は口もとでこそ笑っているが、目もとでは険をみなぎらせている。じわりじわりと、冷や汗が滲みつつもあった。

 六魂のかしらとして戴かれるに足るだけの器量はある。よわい三十六にして、誰から継ぐでもなく、一代で勢力を築いたのだ。力はある、なればこそ恐ろしい。戦勝請負の一員と自らとの格の違いをはかることができる。

「お前が四人組のうちのひとりであることと、少なくとも、稀代の戦術家と名高い別千千ことちぢゆくじゃねえってことはわかった」

「そんな手間かけなくても、聞いてくれれば名乗るのに。僕はささや。通称、えんの囁」

 もとより、囁は自ら名乗るつもりだった。何の情報が誰をどう動かし、優勢と劣勢を形づくるのか、それを考えるのは囁の仕事ではない。名乗るなとは言われなかった。と言われたのだ。

「それだ。そいつが大事なんだ。ここにお前しかいない以上、まだ交渉の余地がある」

 頭目は腰もとに左手を伸ばし、法被はっぴの布の陰で目当ての物を掴むと、囁からよく見えるよう、それを突き出した。

「これが何かわかるか?」

爆弩はぜゆみ……なわけないね。鉄砲?」

 この国の戦場では、専用の矢を火薬で爆弩はぜゆみが主要な武器であるが、近頃は、交易で得られた鉄砲を見かけることも珍しくない。しかし、囁が戦で見てきたものと比べ、頭目の持つそれは銃身が短い。それが、鉄砲だと断じられずにいた理由だった。

「そう、鉄砲だ。西の海から渡ってきた短銃だよ。前もって六発も弾を込めておける優れ物で、持ち運びにも便利だ。威力はちょいと劣るが、人質の頭に弾をぶち込むくらいの仕事はしてくれるぜ」

「商売なんだろ。何をどう交渉したいの?」

 勤労に誉れを感じることはなくとも、与えられた役目は果たさねばならない。人質が傷つけられれば、それは四人組の敗北であり、戦勝請負の名を負うにふさわしくない。通らぬものだとしても、敵の意図は確認しておきたかった。

「まともにやったら勝ち目はねえだろうが、お前の出す炎、融通が利かないとみた。俺のそばにこいつがいたら、一緒に焼いちまう。咎言とがごとの強すぎる力が裏目ってわけだ」

「ま、実際、焼いちゃうね。間違いなく」

 事実は事実。囁はそっけなく認めた。頭目は、冷や汗の滲む量がなお増していることを自覚していたが、それ以上に、口もとの笑みが深くなるのがわかった。

「取り引きをしようや。俺は撃たない。人質は無傷で返してやる。だが、俺が安全な場所に逃げるまで、解放は待ってもらう」

 頭目は至極真剣でいたのであり、また、話がまとまったならば、その後に約束を反故にするつもりもなかった。取り引きが成立した後に人質を害することがあれば、四人組から報復を受けることは自明。それに抗いきれないこともまた自明。

「ふうん」

 囁は損をした気分になった。万全を期するためとはいえ、結局は無駄になる手数てかずを増やして、何が楽しいでもない。

「腕に覚えがあったって、ひとりで来たのはいただけないぜ。咎言を宿した残りの三人はどうした? 焼くしか能がないとなりゃ、やりようもある」

 意気に火が灯りつつあった頭目は、舌もうまく回り始めていた。囁はそんな頭目をまっすぐに見て、そして、ひどくつまらなそうに言った。




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