〇二 雪駄



 一二五〇もんめで何が買えるか、ささやはぼんやりと考える。囁たちがいつも稼いでいる額からしたら端金はしたがねゆくから宛てがわれる小遣いから見れば、笑えない貸金かしがね饅頭まんじゅうなら三〇〇個買っても余る。あらたのほうを向きたくはなかったので、囁の目線は、着々と減っていく行の焼きそばに向かっていた。

「何だ、お前ら。さっきからぐちぐちと後ろで。言いたいことがあるなら、遠回りしてねぇで、俺に向かってはっきり言えよ」

 乱暴に腰を上げる音がした。ついに男は立ち上がり、囁たちへ振り向いたのだが、誰と目線が合うでもなかった。何ら意に介さず、四人組の食事は続く。男の苛立ちは募る様子だった。

 焼きそばをかき込む途中、水を飲むついで、やっと行が反応した。

「あんたみたいなのに用はないよ。そっちのお嬢さんに話があるんだよ」

 男の腹立ちは見当違いのものでしかない。結局、囁たちの誰も男を見ようとはしない。相手にする理由、その可能性も、もはや見出だせない。

「え、その、私に……?」

 少女は戸惑いを顔に浮かべ、大きくひとつまばたきをした。自分に用があると言われても心当たりはない。見ず知らずの、たまたま隣に居合わせた客のはずだった。

「そこの男、六魂りくたまの手先じゃないようだから、追い払えばそれでいいんだけど、紫紺六魂組しこんりくたまぐみとあたしたち、どっちが怖いのか、それはわかってから帰ってほしいんだよね。六魂に情報が流れちゃ困るし」

 行は箸の一本をに見立てて、仕草をしてから言った。

「その他諸々含め、手っとり早い方法として、あっちゃん、くんないかな」

 言うなり、行の箸はすぐさま皿に向く。焼きそばは平らげる寸前だった。行は取りこぼした玉菜キャベツを箸でつまみながら、改の反応を窺うものの、もとより嫌がられることは承知だった。

「お断りよ。食事中だもの。さっちゃん、代わってくれたら、昨夜ゆうべの負け分は帳消しにしてあげるわ」

 好きに使えるお金が多いに越したことはない。とは言え、いつまでも囁に恨まれたままでいるというのも面倒な話だった。それに、心身が休まるとは言いがたい野営で、一時いっときの慰めにはなったのだ。

「僕だって嫌だ。それに今夜、昨日の負けより多く勝つ予定だから、帳消しも要らない」

 魅力的な交換条件ではあったが、囁にも通したい意地がある。加えて、とうもろこしの芳醇な甘味が、囁を席から立たせようとしない。

 今度こそ本当に呆れ顔になった行が、「雨四光三回、四光三回、五光六回?」昨日の負け分より勝つとはどういうことか、具体的に数えた。

「無理があるなぁ」

 自分が睨みつけるばかり、囁たちは一顧だにしない、男が腹に据えかねるのも道理で、囁たちのもとへ寄り、特に改を見下しながら、卓の天板に左手をついて怒鳴った。

「ああだこうだ言ってねえで、喧嘩売る気なら殴ってみせろ。特にてめぇ、眼鏡かけて三つ編み下げてよ。どういうつもりだ、何の勘違いをしてんだ」

 行の考え通りだった。これは小物だ。弱そうな、虚勢に屈しそうに思える者をまず狙う。見た目からすれば、それはしずか改だろう。

 別千千ことちぢゆくの戦術からすれば、各個撃破が望めない時、より強い方を自由にさせておくなど、あり得ない。強い方の行動を制限するのが先だ。欲を言えば、強い方に痛手を与えて、弱い方の士気を削ぎたい。強者を失えば、軍の指揮は乱れる。

 それができないというのは、男の慢心か、臆病か、無知か。何にせよ、良い目のほうを引いた。この男は、改から脅すつもりだ。

 ではあるが、遠回りか近道かの違いに過ぎない。最初に我慢できなくなるのが誰かは知れている――

 ――改だ。

「ははっ、本じゃ喧嘩のやり方は学べねえだろ。こんな文学少女のどこに、俺を殴る力が――」

 全てを言い終わらぬうち、顎の骨が折れる音とともに、男は撥ね飛ばされていた。

 隣の卓にひとり残っていた少女は目を疑ったが、その墨色の瞳に映る現実はひとつきり。改が、下穿したばきがあらわになるのもかまわずに左足を上段にまで振り上げ、そのかかとをもって男の顎を打ち砕いていたのだ。

 男は無様に転がり、椅子のひとつを引っかけて倒し、土壁に激突して止まってから呻いた。どうにか声が出せた、そのような、細く低い響きだった。

「食事中だって言ってるでしょう。殴ったりしたら手が汚れるじゃない」

 席についたままの三人はこの結果を予期し、自分たちの食器を押さえたが、改の使っていた洋盃コップだけは重心を取りきれず、改が瞬く間に立ち上がった勢いで落下して、たわいなく割れた。残っていた水が床と言いがたい土を濡らし、破片が散る向こうで、男が獣じみた呻きを続けていた。

「あの、これは……」

 隣の卓、椅子からは立ち上がるも、戸惑いを重ねるばかりの少女に対して、行は柔らかな表情を浮かべ、「これ、ただの私憤だから、気にしないで」そう言ってなだめた。

「あっちゃん、こう見えて、あたしたち四人の中で一番の武闘派なんだよね。見た目で侮られると怒るんだよ。すごく」

 借り物の雪駄せったの裏に残る蹴りの感触を感じながら、改は観念しなければならなかった。売られた喧嘩を買って、中途半端で放り出すわけにはいかない。そんなことをしては、天栲湍あめのたくたぎの恥になる。何より、このままでは沸き返る憤怒のやり場がない。

「ゆっち、いいのね? 何をどこまで壊してもいいの?」




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